▲
mansongeの「ニッポン民俗学」
宗教以前の宗教--日本の祭りのために
宗教(religion)とは、後世の概念である。人々がそれまで意識せず連綿と過ごして来た「宗教」的な生活を脱したあと、ようやく生み出された概念だ。それまでの無意識の「宗教」的生活とは、エリアーデの言う永遠回帰する霊的な生活のことである。
その宗教以前の「宗教」を、後世の概念と区別するため、「古代聖俗観」と名づけておこう。「古代聖俗観」は後世の宗教のように選び取るものではない。それは絶対的な先入観としての世界認識であり、生きることと同義である。日々を、一生を支えている無意識の「価値」観である。それは生活スタイルや生活価値と不可分に結びついていた。
さて、日本人においては、夙の昔のこの「古代聖俗観」の残り火が現代でも失われていないらしい。つまり、古代以来の永遠回帰する霊的な生活が、たとえそれが残り火としてであってもなお続いていると言うことだ。それが証拠に、現代日本人が信仰する宗教を問われたら、何と答えるのだろう。大半は、無宗教と。あえて選べと言われれば、仏教ないし神道と言うだろう。しかし、真実はそうではないだろう。実はこの人たちには、いまだに「古代聖俗観」が生きている。だからこそ、一生あるいは一年の行事に際して、様々な宗教様式を選んで心底の矛盾はないのである。初詣や結婚式は神道、葬式や先祖供養は仏教、といったぐあいに。
それ故、このような日本人には、宗教宗派の分類は無意味だ。心の奥底に「古代聖俗観」が流れてさえいれば、わが「信仰」なのだ。それは名づけられもしない無意識で絶対的な先入観。「日本」という枠組みがある限り、おそらくこの「古代聖俗観」は存続するのだろう。ふつう伝統とか民俗とか呼ばれるものが。(それは信仰ですらない。なぜなら、無意識であるからだ。)
だから日本人の宗教は神道ではない。もちろん仏教でもない。では神仏習合か。いや、これも不正確な表現だ。それらはすべて表層的な姿や形にすぎず、「信仰」の中身ではない(だからこそ神仏習合が可能だったのだが)。日本人は家で神棚や仏壇に手を合わせ、儒教や道教の約束事などを気にしながら、あまたの寺社や教会に詣でる。しかしいつも心はそれらの宗教には向かっていない。違うものを「信仰」している。
神道はこの「古代聖俗観」を基に成り立っているが、「古代聖俗観」そのものではない。また、「古代聖俗観」は常に同一の「信仰」でもない。時代精神にともにその内容要素は盛衰し、かつ変化してきた。さらに、現代では「古代聖俗観」の残り方に個人差が大きくある。
(仏教について一言。多くの日本人にとって、仏教もそんな「古代聖俗観」の一要素にすぎない。しかし、字義どおりの宗教として仏教を受け入れた日本人もいる。その人たちは日本人の「古代聖俗観」を呪術として峻拒してきた。因みに、キリスト教についても同様で二種の受け入れ方がある。)
試みに「古代聖俗観」を求めて、原-日本へ遡る。だが、水源は見つからない…。
日本人の「古代聖俗観」を「神道」と名づけ、それを探求したのは本居宣長だ。折口信夫の「古代」も同じものだったのかも知れない。現代では、彼らが探求して見つけたものの多くは古代中国起源のものだったことがわかっている。では、日本人の「古代聖俗観」は中国人ゆずりのものなのか。形の多くはそうだろうし、心の一部も重なるだろう。それどころか、太古以来「中国人」や「朝鮮人」自身が数多く渡来し「日本」という土地にそのまま移り住んできた。が、それでも日本人は中国人や朝鮮人ではないだろう。
時間は風景をすっかり変えてしまう。現代から少しずつ時代を遡ってようやく古代にたどり着くと、風景が変わってしまっている。折り紙のだまし船のように、いつのまにか別の場所に来てしまうのだ。「図と地」が変化して距離や方向感が惑わされてしまい、そこがどこだかわからなくなってしまう。民族、宗教、国家、すべての概念配置がいまとは違う世界だからだ。「日本」が構造(枠組み)として見えない。
ともあれ「日本」人は日本人となった。底が見えない井戸に測鉛を垂らすように、現代から古代へ日本人の精神文化を考えると、3つの層があるように思える。深層としての「古代聖俗観」文化、中間層としての中国大陸文化、表層としての西欧近代文化だ。日本人は精神の深層においては未だ「古代聖俗観」(の残り火)を保持しているのだ(これは聖俗の分離が完了していないことを意味する。日本人には多分に呪術的な世界観が未だ生きている)。それを現代の概念である宗教で分類したり理解したりすることはできない。古代の「日本」を現代の私たちが理解できないように。
ところで、日本人の「古代聖俗観」がもっともよく表現されているのは、村や町の祭りである。ここで行なわれる大小の民俗祭事は宗教ではなく、「古代聖俗観」の祭事なのだ。もちろん、それらは寺社で行なわれ、形式は神道や仏教様式であるし、宗教的には神事や仏事として挙行されていることも十分承知している。しかし、そこに集う人々はそれらの祭りの心底に「古代聖俗観」を感じ取っているのだ。そういう意味で、断じて宗教行事に参加しているわけではない。たとえば、諏訪御柱祭、大阪天神祭、浅草三社祭、京都祇園祭を「宗教」行事として感じ、参加する人がどれほどいるだろうか。宗教行事と「古代聖俗観」としての民俗祭事とは、似て非なるものなのである。
その一方で「日本教」徒もいる。日本人なら祭りに参加すべきだというのがこれだ。民俗ならぬ、民族宗教だ(民族という概念も後世のものだ。少なくとも「古代聖俗観」誕生時代にはなかった考え方である)。これまた無理な話だ。大半の日本人は「古代聖俗観」(の残り火)をまだ保持しているとしても、すでに宗教を選び取っている人たちもいる。たとえばクリスチャンに神社の鳥居をくぐることを強いてはならないだろう。この人たちにはこれらの祭りは紛うことなく宗教行事なのだから。また、「古代聖俗観」が残り火状態となり個人差も大きくなっている今となっては「日本人なら全員参加」は理不尽な強制である。
そういうわけで祭り(民俗祭事)はいま危機にある。宗教行事、たとえば「神道行事だ」と他宗教宗派から非難される。一方で、人手不足から参加したくない者まで駆り出される。祭りは本来、「古代聖俗観」をともにする地域共同体のものであり、主体的に参加するものである。しかし職業分化と人口流動化が進んだいま、地域共同体はほとんど消滅してしまった。この上は、祭りは地域から解放されて自由になるべきではないか。地域とは無関係に「古代聖俗観」の残り方の多い者が担えばよいのではないだろうか。
ともあれ、祭りの存続は以上の「古代聖俗観」の残り方にかかっているように思う。祭りを宗教行事としたら信徒以外には無用のものだ。また今時、民族祭事なんて時代錯誤である。宗教行事や民族祭事と位置づければ、祭りは死滅せざるを得ないであろう。根のない木はないのだから。
[主な典拠文献]
top
Copyright(c)1996.09.20,TK Institute of Anthropology,All rights reserved