mansongeの「ニッポン民俗学」

かごめかごめ、あるいは東天紅における転回
---天と地が滑り替わる恐怖の暗示
(※ PHP研究所 刊『「童謡」の摩訶不思議』に収録)

籠目(かごめ) 籠目
籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすうべった
うしろの正面、だあれ
 どなたもご存知ではあるが、意味は謎のわらべ歌である。『広辞苑』で「かごめかごめ」を引けば、「児童の遊戯の一。しゃがんで目をふさいだ一人を籠の中の鳥に擬し、周囲を他の数人が手をつないで歌いながらまわり、歌の終ったとき、中の者に背後の人の名をあてさせ、あてられた者が代って中にうずくまる。」とある。なるほど、さすがは『広辞苑』である。オニを囲む子らが「籠目」で、オニの子が「鳥」だというわけだ。

 それにしても、なにか転回(反転)を感じさせる歌詞である。「いついつ出やる」(入る−出る)、「夜明けの晩に」(夜明け−晩)、「うしろの正面」(うしろ−正面)など。しかしこれも、オニの交替を予感させているだけなのかも知れない。とすれば、残った歌詞は「鶴と亀がすうべった」である。

 「鶴」は空を飛び、「亀」は地を這う。すなわち「天地」と解釈できる。「すべる」は、「統べる」(支配する)か「滑る」か。転回(反転)というモチーフの線に沿って考えると、天と地が滑るように入れ替わる、と理解できようか。結局、次のオニはお前かも知れないぞ、というおののきを高める呪文が「かごめかごめ」ということになる。

 あと一つだけこだわるとすれば、「籠目」である。籠目とは籠の編み目のことである が、これは本来入れ物ではなく、呪具である。籠を作る竹の文化は、東南アジアから中国南部、そして日本にも伝わっていて(「かぐや姫」はこの系譜にある)、いまでも東南アジアには、悪霊を祓う呪具としての「籠目」がある。逆に邪悪なものを封じ込める呪具として使われたのが、刑場の竹囲いや罪人を入れる籠である。

 祓いとしての「籠目」、それは三角形や六角形の「目」であり、目の力で悪霊を睨みかえすものである。土器などに刻まれた古代の三角形にはそんな意味がある。籠目が悪霊を遠ざけるものであるなら、同時に善き霊を招き寄せるものでなければならない。これが依り代としての髯籠(ひげこ)である。髯籠とは竹で編んだ籠の端をそのままにして髯のように出ているもので、鯉のぼりの吹流しはこれを模したもの。つまり鯉のぼりは髯籠の下に、鯉流し(幟り)が付いたものである。なお、入れ物としての籠は、そういう霊的な祓いと加護の中に大切な贈り物を入れるものとしてある。

 さて、話を「かごめかごめ」の「夜明けの晩」に戻したい。わらべ歌の意味としては先ほどのとおり、オニの交替を予感させているものでよいとしても、これは日本人にとって大変に重要な時間の表現である(だからこそ、わらべ歌にまで取り入れられたのだろう)。「夜明けの晩」とは何か。朝であり夜であり、朝でもなく夜でもない時間である。曉(あかつき)、すなわちうすら明るくなりかけて、しかし陽がまだ登らぬ時間帯である。

 ではいつから「朝」か。それは実に、鶏の鳴く声とともに始まる。これを「東天紅」と言う。この東天紅を知ることは神事にとって、非常に重要なことであった。まずそのために神社に鶏が飼われた。宵に祭場にお招きした神々は東天紅までに天上に戻らなければならない。しかもその間際までは地上にいることがルールなのだ。タイミング良く、神を無事にお見送りすることが神官の腕の見せ所なのである。こうして祭りは夜明けとともに終わる。

 昔の一日は夜から始まった。それは神の時間だった。夜は、(夕べ)−宵−夜中−曉−(あした)と続き、昼の時間(人の時間)は朝−昼−夕と続いた。ちなみに「朝廷」という言葉はもともと、「夜明けの晩」に宮城の内庭(屋根のない屋外)で開かれた宮廷会議のことである。神の時間から人の時間へ、つまり夢見などによって神託を受ける祭事(まつりごと)から俗事としての政事(まつりごと)への変換(転回)こそが、天皇の仕事であった。

 この時間は後ちに、鬼や幽霊たちが本拠に戻る時間となる。朝をゆっくり過ごす鬼の話なぞ聞いたことがない。東天紅は神にとっても鬼や幽霊たちにとっても、この世に捨て置かれるか自分の棲み処に戻れるかどうかのギリギリの時間であった(ちなみに西洋でもそうだ。たとえば、ドラキュラや狼男)。神の祭りばかりではなく、悪夢や百鬼夜行も夜明けとともに終わるのだ。

 歴史や価値とは、どうも堕落あるいは反転するものであるらしい。あの世からの客人(まれびと)も堕落し、神々はいつしか鬼や幽霊たちに取って替わられる。もとよりこれは歴史ではなく人間の側の問題である。いまは神に出会えなくなり、鬼や幽霊たちと出会う時代なのである。また、籠目も聖なるものを入れる容器から邪を入れるものに成り下がる。「かごめかごめ」では「オニ」が籠目に入る。江戸時代の囚人も「籠の中の鳥」である。

 蛇足であるが、東天紅を告げるものとしての鶏は、その後中国祭事の影響を受け、「生き血の清め」に使われるようになる。これは結構流行る(筆者は、神社の朱塗りはこの名残りかと推測する)。確実なところで言えば、伊勢神宮の「心の御柱」はかつて鶏の生き血によって清められていた(いまは鶏卵を供えるだけだ)。
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