mansongeの「ニッポン民俗学」

『歎異抄』と誤解された親鸞



 山折哲雄氏の『悪と往生』を読んだ。これは親鸞と『歎異抄』の関係を問い直す意欲作だが、同時に私たちと「親鸞」との関係を問い直すものでもある。思えば、『歎異抄』とは不思議な命運をたどった古典である。


 『歎異抄』は明治時代になって清沢満之(浄土真宗大谷派の僧侶)が自身の属する教団での革新運動を進める中で「再発見」した書物である。清沢は『歎異抄』に親鸞の「真意」を読み、近代的な浄土真宗を再興しようとした。

 いったい「再発見」されたとはどういうことか。実は『歎異抄』は長らく禁断の書であった。真宗中興の祖で本願寺八世、蓮如が他見を避け秘匿してしまって以来、約四百年間、それは真宗学者を除き平信徒や一般人には知られざる書物となっていた。註1

 『歎異抄』は親鸞が京都で過ごした晩年の弟子、唯円の著作であるが、よく出来過ぎていたせいであろう、ほとんど親鸞その人の「肉声」と近年まで受け取られてきた。聞き書きから出来ているからその人の肉声と言って差し支えないのだが、唯円の耳と手によって編集されたものであることが忘れられてきた。

 唯円には『歎異抄』を編集しなければならない理由があった。「異(端)を歎き」これを正しい信心に戻さんがためである。すなわち、布教のために親鸞の教えを書きまとめたたものではなく、異端と闘うため論争のための典拠として編まれたものなのである。よって、ここには「親鸞」その人がいる必要はない。


 『歎異抄』の読者である私たちは「近代人」である。清沢によって「発見」された『歎異抄』も、近代的に発掘されざるを得なかった。例えば、この書物に霊感を受けて倉田百三が執筆した『出家とその弟子』には「近代人」親鸞が見事に描かれている。

 そういう私たちにとっての『歎異抄』とは、端的に言えば、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の一節で知られる、悪人こそ逆説的に救済されるという「悪人正機説」に収斂させることが出来る。ここから近代的なプリズムが取り出せる。「宗教」「悪」「倫理」などである。

 現世的な善悪の倫理観では測り知れない阿弥陀如来の意志が語られている。阿弥陀(「あみだくじ」のアミダ)の神は、人間のちっぽけな思慮を超えた遠謀「神」慮をもって、人を救済すると。(小悪の私たちはこれを読み、一安心するのだ。)

 しかしながら、そう語ることで、近代における「宗教」の位置が逆に規定されている。近代における「宗教」とは、現実生活とは別の何者かであり、選択自由の別オプションとなっている。一方、人間の行動や責任は現実の法体系によって規定されている。その上で、「宗教」を近代合理観を超える非合理や不条理の処理場としている。つまり、現実の「倫理」と「宗教」は重ならないのだ。

 実際、神戸での小学生首切り殺人事件やオウム真理教前教祖らによる一連の事件の真相究明でも、ついに「宗教」は問題となっていない。はじめからそこに問題をもって行くことは論外なのだ。だからこそ、個人心理的な動機究明、社会背景的な動機究明、そして精神鑑定という「病因」による動機究明へと行き着く。

 合理から合理へと、現実の枠をぐるぐると回り、結局わからないまま忘却の彼方へ。人間の合理還元論の限界である。無分別の無知である。分かる、分別できると信じて止まない近代人がいる。近代がヒューマニズム(人間中心主義)を生んだのなら、それはトートロジー(同語反復)である。なぜなら、分からないものは「神のみぞ知る」と言うではないか。


 『歎異抄』に戻ろう。先ほど、わざと読み飛ばしてある。「往生」である。往生とは死ぬことである。往生とは死ぬことではなく、生きたまま成仏する(悟りを開く)ことだ、とするのは、禅宗的系譜であり、または後ちの恣意的解釈である。親鸞はあくまで死んでからの往生を説く。急いでつけ加えなければならないが、往生は単に死ぬことではない。死んで、西方浄土に生まれ変わることである。それが極楽往生である。

 故に『歎異抄』の文脈は、まず往生論として読まなければならない。そしてその前提として、親鸞が生きていた(前近代的)世界には、現世(この世)とともに、あるいはそれ以上に来世(あの世)が明瞭に見えていたことを強調して置かねばならない。親鸞にとって宗教とはその二つの世界をめぐるものであった。

 また、現世倫理の遵守を、親鸞(そして連如も同様に)は信徒に説いた。その上で、これを覆う広大な無分別として阿弥陀如来の慈悲、つまり宗教を説いたのだ。二つは別物ではない。人間は否でも応でも過ちを犯し、倫理的に堕落する存在である。たとえ親鸞であっても。それでも阿弥陀様は見捨てない。なぜか。そんなことは人である私には分からない、と。ここには、理由究明(還元)の放棄、すなわちヒューマニズムの放棄がある。

 繰り返すが、親鸞は終生、この世とあの世、生まれ変わりを思索していた。その成果が『教行信証』である。ここには「往相」と「還相」というこの世とあの世の往還運動(合わせて「二種廻向」と言う)、生まれ変わりが説かれている。人間は極楽往生したのち、現世に再生し菩薩行に励むことになるのである、と。(ちなみに、親鸞は自身を「聖徳太子の生まれ変わり」と信じていたと思われる節もある。)

 唯円は『歎異抄』から、この「二種廻向」を省いた(理解できなかっただけという話もある)。異端論争にはひとまず不用というわけであったのだろうか。しかし、これによって『歎異抄』は親鸞その人の「肉声」からは遠ざからざるを得なかった。

 一方、これによって近代人には理解しやすい『歎異抄』となったわけだ。前近代的「あの世」を排除し、「宗教」を分かりやすく近代的に分別した書物『歎異抄』の誕生である。私たちはこの小著にいったい何を読もうというのであろうか。唯円は予期せずして、中世ニッポンの大地に立つ親鸞の像を覆って、「近代人」のための「親鸞」を私たちに残してしまった。


(註)
  1. 教団内部ではすでに江戸時代より『歎異抄』の文献学的研究はおこなわれており、中でも妙音院了祥は『歎異抄鈔聞記』でその著者を初めて唯円とした。
  2. 読者のMT様より、メルマガ配信の文面について幾点かのご教授を頂き、加筆修正を若干加えた。
  3. なお、題名を“『歎異抄』と「近代人」親鸞”から、“『歎異抄』と誤解された親鸞”と改めた。
[主な典拠文献]
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