mansongeの「ニッポン民俗学」

天王寺・天王、八王子・王子、そして権現



 東京で「八王子」、大阪で「天王寺」と言えば地名だと、たいがいは相場が決まっている。しかし奇妙な地名ではある。八王子は八人の王子と解釈できるが、誰の子どもなのか。また、天王寺は四天王寺、すなわち聖徳太子の建立と伝えられる古刹があるからその名が付いたことは言うまでもあるまいが、四人の天王とは誰か。そして天王と言えば牛頭(ごず)天王という神もいる。実はこの牛頭天王には八人の子どもがいて、八王子と呼ばれている。今回はこれらの謎を探りたい。

四天王寺八坂神社

 まずは天王寺という地名からいこう。その四天王とは、仏教宇宙観の須弥山(しゅみせん)という聖山中腹にある「四王天」という天界に住む四人(?)の神々(「天」と言う)のことだ。すなわち、東方を守る持国天、南方を守る増長天、西方を守る広目天、北方を守る多聞天(毘沙門天)であり、彼らは須弥山頂のトウ利天の主・帝釈天に仕えて四方を守る護法神である。彼らはそんな所に住んでいるのであるから、寺でも彼らや仏たちの像は須弥壇というその宇宙を擬した台に載せられ、四天王はそれぞれ東西南北に配置されている。

 インドで誕生し育った仏教は、インド文化をたっぷりと吸収している。いま挙げた天も、帝釈天がインドの軍神インドラであるように、仏教に「改宗」したインドの神々(「神」はサンスクリット語で"deva"。「ゼウス」や「デウス」と同語源。善悪に関係なく、人知や人力を超えた存在を言う)である。同じような天に、大自在天(シヴァ神)、梵天(ブラフマン神)、吉祥天(ヴィシュヌ神妃)、弁才天(女神サラスヴァティー)、大黒天(マハーカーラ神)などがいる。

 では、牛頭天王とは何者か。この神も護法神であるが、祇園精舎(インドの祇園にある寺)の守護神とされている。仏教は中国に伝わり道教とも混淆していったが、その地で牛頭天王は妻をめとる。相手を頗梨采女(はりさいにょ)と言う。夫婦は八子に恵まれた。暦本に方位神の説明があるが、その中心には女神の挿し絵付きで歳徳神、回りに太歳神以下の八方位神についての記述があるはずだ。実は、これが頗梨采女とその八王子たちである。

 京都に、牛頭天王と頗梨采女、それに八王子を古くから祀っていた社がある。祇園社と言う(正確には祇園寺の天神社)。そう、祇園祭で有名な八坂神社である。神道仏教道教などが混淆していくうち、名に負う祇園精舎の守護神・牛頭天王が主祭神になっていったものと思われる。
(注)八坂神社の信仰は「神仏習合」というような言葉をはるかに超えて複雑怪奇だ。雨乞いなどの天神信仰、疫病祓い、怨霊鎮めの御霊会、修験道や陰陽道なども溶かし込んだ、ニッポン宗教のるつぼである。
 それが、明治の神仏分離で「神道」にシフトした。八坂神社と名を取り替え、祭神を同体とされる素戔嗚(すさのを)尊にすり替えた。それに合わせて妻子も、八岐大蛇(やまたのおろち)退治で得た櫛名田(くしなだ)姫と素戔嗚尊の連れ子たち(天照大神との祈請によって生まれた三女五男=八王子)だとこじつけたのだ。

 果たして、東京の八王子と言う地名はこの牛頭一家にちなむのか。戦国北条氏の山城・八王子城は、八王子権現があった所に築城されたという話がある。それに従えば、その権現社は平安前期に創建され、やはり牛頭天王とその八王子が祀られていたということだ。いま「権現」という言葉が出てきた。それから「八」が取れた「王子」という地名も多い。そこで、権現と王子ということで話をもう少し続けたい。

本宮・熊野坐神社新宮・熊野速玉神社熊野那智神社

 京都に若(にゃく)王子神社という所がある。後白河天皇が熊野の那智権現を勧請したものだそうだ。そう、「権現」と言えば、まず熊野三所権現であろう。そして、大阪から熊野に至るまでの参詣道に王子という地名が頻出する。こちらの王子も子どもという意味である。では、誰の子どもか。熊野権現の「子ども」(御子神と言う)である。王子とは熊野三社の分社の謂である。

 熊野三社とは、本宮の熊野坐(います)神社(主祭神は家津御子・けつみこ神)、新宮の熊野速玉(はやたま)神社(主祭神は熊野速玉神)、大滝の熊野那智(なち)神社(主祭神は牟須美・むすび・結神)の総称だ。これら主祭神三柱を熊野三所権現と言う。

 三社や三所とトリオで扱われる熊野であるがもともとは別々の神々だし、もう一つの聖地・青岸渡寺(せいがんとじ;スゴイ名だ)も視野に入れないとニッポン宗教として考察できない。三神の中で最も神格が高かったのは新宮の速玉(優れた魂の意)神である。次に本宮の神である。これは御食(みけ:神饌)神であるが、『新抄格勅符抄』にある奈良時代の記述によれば「牟須美神」とある。ムスビ(産霊)神だ。本宮の神が家津御子と名のったとき、牟須美の名は那智の神に譲られたのだ。

 熊野三社には、各主祭神とともに他の権現など、計十四柱の神々が十二殿(再建で様子が異なった)に鎮座する(熊野十二所権現)。社殿の編成は、次の通りだ。

 三所権現  証誠殿(しょうじょうでん:本宮の神)、速玉神(新宮の神)、結神(那智の神)
五所王子 若宮、禅師宮、聖宮、児宮、子守宮
四所宮 一万・十万宮、勧請十五所、飛行夜叉、米持金剛童子

 これらの神々が勧請されて、九十九王子とも言われた熊野参詣道の王子となっているのだ。王子では、参詣者によって奉幣と経供養(読経)、馴子(なれこ)舞という舞いなどが行なわれた。

 「権現」に進もう。権現とは神仏習合についての仏側からの説明で、仏が神となって現れている姿を言う。これによれば、熊野十二所権現にはすべて本地としての仏や菩薩などがある。例えば、三所権現についてあげれば次の通りだが、熊野は「浄土」なのである。

 証誠殿(坐社)  阿弥陀如来 (※「証誠」の名は阿弥陀仏の事蹟にちなむ)
 速玉社 薬師如来
 那智社 千手観音

 それから、那智社と一体の青岸渡寺は、もちろん観音信仰の寺である。いまに続く西国三十三所の観音巡礼の第一番札所である。南方にあるという観音浄土への往生を求めて、死出の海へと漕ぎ出した補陀落渡海(ふだらくとかい)の地でもある。
(注)青岸渡寺の南東・熊野灘に面する所に、浜の宮王子社と補陀落山寺(本尊は千手観音)がある。ここが直接、船出する地点であった。この裏山には補陀落渡海した僧の「墓」もある。
 最後に、王子の意味について考えて締めくくりたい。なぜ「王子」=子ども・童子形なのかだ。熊野は山の宗教だ。神仏習合も山岳修験道の中にあり、その修験道は密教を深く受容している。あるいは山の密教と言ってもよいくらいだ。密教と言えば、例えば不動明王だが、彼にはコンガラやセイタカなどの八大童子という「王子」が付きまとう。王子とは、密教的神仏習合の修験者たちに呼び出された、熊野参詣者を守護する「童子」たちなのである。


[主な典拠文献]
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