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mansongeの「ニッポン民俗学」
月にはなぜウサギが棲んでいるのか--古代中国の太陽と月
季節外れの話題で申し訳ない。お月見を描いた挿し絵には、餅をつくウサギがよく描き込まれている。どこかユーモラスで親しみがあり、子ども時代には月には本当にウサギが棲んでいるものと信じていた人も多いことだろう。しかし、なぜ月にはウサギが棲むということになったのだろう。そう改めて思うと、まことに不思議な話だ。日本の昔話か何かからこういうことになったのだろうと、おそらくたいていの日本人は思っていることだろう。しかし、事実はそうではない。
中国「宗教」の底流--「中国神話」と言ってもよい--には、非中国的なペーガニズム(paganism:異教崇拝)とでも言うべきものが漂っている。つまり、東洋合理的で現実主義的な儒教や道教で充満する中国となる以前の、非合理的で呪術的あるいは神秘主義的なもう一つの中国がある。そういう忘れ去られた「非中国」の痕跡が近年盛んに発掘され、ようやく解明の黎明を迎えている。その一つが長江流域の諸文明(古代王国群)である。上流域の四川省(旧蜀国)・成都近くの三星堆(さんせいたい)もそういう文明の一遺跡だ。
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〈縦目仮面〉 |
| 〈神樹:扶桑〉 |
日本でも展示会が開かれたので、目玉の大きく飛び出た奇妙な神像などをご覧になった方もあろう。そこからは、青銅製の高さ四メートルに達せんとする巨大神樹も見つかった。九つの枝を持ち、ある鳥を載せている。実はこれには天辺にあったはずの十本目の大枝(幹)が途中から欠損している。さて、これはいかなる「神樹」なのか。宇宙の中心にそびえる扶桑(ふそう)という巨木なのである。仏教で言う世界樹・須弥山(しゅみせん)である。そしてこれは「太陽樹」であり、鳥とはカラスなのである。
中国王朝のシンボルは龍と鳳凰(ほうおう)であるが、鳳凰は南方人のトーテムであり「南方人」とは元来「非中国人」である。その代表的民族が戦国時代に楚に征服された苗族である。その地から『楚辞』などを著したとされる屈原が出た。鳳凰は「鳥」トーテムのヴァリエーションの一つである。太陽に向かって飛ぶ鳥・カラス(日本でも太陽との親近性は童謡などに示されている:注)は、十の太陽を運ぶ鳥、あるいはそこに棲む鳥とされる。扶桑の木は太陽たちの「巣」だったのである。
(注)「夕焼け小焼け」(中村雨紅 作詞)
夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
おててつないでみなかえろう 烏といっしょにかえりましょう
「七つの子」(野口雨情 作詞)
烏なぜ啼くの 烏は山に可愛い七つの子があるからよ
※「七つの子」に「夕焼け」の歌詞はないが、誰もが夕焼けを連想しながら口ずさんだはずだ。
話が月ではなく太陽の方に傾いているが、「太陽」の対語が「太陰」でありこれこそが月の別称である。いましばらくご辛抱願いたい。堯(ぎょう)・舜(しゅん)と続く中国神話はすでに中国化された神話であるように思われる。しかしながら、これしか残っていないのでこれに従うしかない。堯の世、順に出ていた十の太陽が一度に空に上がり、大旱魃となった。これを次々に射落とし、太陽を一つだけにしたのがゲイという英雄だった。そのとき、太陽の破片と一緒に三本足のカラスが墜ちてきたと言う。
太陽がかつて十あったという神話は、実はあの殷王朝も共有していた(干支の「十干」や暦の「旬」に今も残る。この前後・相互関係は極めて複雑かつ微妙で、要するに不明である)。また、この射日神話については日本にも広く深く伝播している。迎年の射日神事がそうである。ここにはカラスとウサギが登場する。中でも熊野の三本足のカラスは「八咫烏」(やたがらす)として有名であろう(注)。ちなみに、日本サッカー協会の紋章もどういうわけか、三本足のカラスである。
(注)熊野と「金烏」(きんう:三本足のカラスであり太陽のこと)の縁はまことに深い。太陽樹・扶桑のある所を湯谷(ようこく)と言うが、不思議なことにわが国の能の一つに「湯谷」(ゆや)というものがあり、これは「熊野」とも書き、これで「ゆや」と読むのだ。
さて、月のウサギである(なぜか「セーラームーン」を想い出しますな)。今では道教の神・西王母(せいおうぼ)の神話に属しているが、その出自は単純ではないだろう。ともあれ、西方の仙界・崑崙山(こんろんさん)に棲むその西王母に従うものにウサギがいる。ウサギは、上下対称で中央部を持って搗(つ)く杵(きね)でもって、餅ではなく不死の薬草を煎じるのだ。そして仙界とは、生身の人間には届き得ぬ高所、つまり高山や天界を指した。その一つが月世界であった(蓬莱山などもそうだ)。
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〈馬王堆遺跡出土帛画〉
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以上の諸神話は習合し、遅くとも秦・漢代には定式化され、太陽にはカラスが棲み(あるいは太陽の神使であり)、月(太陰)にはウサギが棲んで杵を搗くということになった。これを実証してくれたのが、楚とその先行文明を色濃く残した地・湖南省長沙市から出た、漢代の馬王堆(まおうたい)遺跡の帛画(はくが:絹衣に描かれた絵)である。そこには扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にウサギが描かれている。ところが、月にはより大きくヒキガエルが描かれ、しかもカラスは二本足であったのだ。
お察しの通り、中国神話は単純ではない。複雑多様な諸起源は隠蔽されている。残ったのは「中国」に向かう言わば「正史」神話である。しかし、文句を言っても始まらない。話を進めよう。実は十日の父とは天だった。懲(こ)らしめよとだけ命じたのに、ゲイはわが子を射殺してしまった。英雄ゲイとその妻・嫦娥(じょうが)は天界を追放される。それでも不老不死を願う二人は崑崙山に西王母を訪ね、ウサギが煎じた例の妙薬を二人分もらった。
ところが、嫦娥は勝手にその仙薬を一人で飲んでしまう。効果はてきめんで、たちまち仙界の月に嫦娥は昇る。しかしその報いかどうか、嫦娥の姿は月で蟾蜍(せんじょ:ヒキガエル)に変わってしまった。こうして月にはヒキガエルが棲むことになったというわけである。ヒキガエルはともあれ、月が天界で地上が俗界、また天界にいた神女が天の罰を受けて一度地上に墜ち、その後許されて月へ昇天するというのは、そう、ご存知「かぐや姫」の元型である。
ウサギとヒキガエルの神話による起源説明は無論後づけである。むしろ、人類に普遍的な豊穣信仰が淵源であろう。そしてそれは月の満ち欠けに通ずる再生信仰である。両小動物はそういう神獣なのである。それから、カラスの足の本数であるが、日を「太陽」と言うくらいで、漢代以降の陰陽五行説によって「陽」の聖数である奇数の「三」が選ばれた結果である。もちろんそこには、自然的には二本足であるものが、神威としての異常を顕して三本足だという含蓄もあろう。
「金烏」(烏輪:うりん)と「玉兎」(ぎょくと:月に棲むウサギであり月のこと)は、世界(全宇宙)を描くとき欠かせぬ神話的象徴である。馬王堆帛画も実はそういうものである。わが国でもこれは常識であった。法隆寺の、それ自体が宇宙樹であるような巨大な玉虫厨子・台座の背後には、仏教的な世界図が描かれている。宇宙樹としての須弥山があり、その上方左右に金烏・玉兎がある。太陽の中で翼を広げたカラスの足は三本で日本初である。月にはウサギとヒキガエルが描かれている。
また、「世界」支配者であった天皇も金烏玉兎で飾られていた。江戸末期まで、朝廷のハレの儀式には日月を表す特別な二本の幟(のぼり)が必ず引き出されていた。それらの幟の頂上の飾り物には、金烏と玉兎(ウサギとヒキガエル)が描かれている。さらに、天皇の礼衣の左右両肩にも金烏と玉兎が刺繍されていた。かくして、高貴なところで始まった「玉兎」はいつか庶民にまで浸透し、わらべうた(注)にまで唄われ、すっかり日本風になった月のウサギは餅つきをすることになったのだ。
(注)「うさぎ」(わらべうた)
うさぎうさぎ なに見てはねる 十五夜お月さま 見てはねる
蛇足になるが、東アジア以外での「月」について述べておこう。キリスト教世界では、月は明らかにペーガニズムに属する。キリスト教以前の原始宗教(豊穣と再生の信仰)を想起させるためであろう。英語の「ルナテック」(lunatic:ローマ神話での月の女神ルナ Luna からの派生語)とは「気が狂った」という意味だ。ご存知のように狼男は満月の晩に変身する。
しかしながら、これはかえって月の魔力の絶対値としての大きさを証明しているように思える。月の満ち欠けと、潮の満ち干や女性の月経との相関関係は十分承知されていたことだろうから。そういう意味では、やはりキリスト教は自然的・肉体的なものを排除しようとする、はなはだ人為的・精神的なもの、つまりは人格神=人間的な秩序を重んずる宗教と言えよう。
最後にもう一つだけ。砂漠地帯から誕生したと言える宗教であるイスラム教を信奉する諸国の「月」について。「月の砂漠」(注)の唄をご存知だろう。驚くことに、この唄自体は日本人が房総半島の御宿にある海浜砂丘から想を得て作詞したものだ。問題は「月」が出ている夜に砂漠を行くということである。言われてみればなるほどと思うが、灼熱の砂漠を昼間進むことは難事であろう。面白いことを紹介しよう。イスラム教諸国の国旗をとくとご覧あれ。
(注)「月の砂漠」(加藤まさを 作詞)
月の砂漠をはるばると 旅の駱駝が行きました
金と銀との鞍置いて 二つならんで行きました
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〈モーリタニア国旗〉 |
〈アルジェリア国旗〉 |
〈チュニジア国旗〉 |
〈コモロ国旗〉 |
〈トルコ国旗〉 |
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〈モルジブ国旗〉 |
〈パキスタン国旗〉 |
〈マレーシア国旗〉 |
〈シンガポール国旗〉 | |
例えば、トルコの国旗は赤地に白い三日月と星が布置されている。要するに「夜」がシンボルとして採られている。太陽つまり「昼」を採っている日本国旗とは正反対なのである。酷暑の昼を作り出す太陽(ときには死すらイメージさせる呪わしき存在)は嫌われ、それが和らぐ夜に冷たく輝く月と星こそが安らぎと幸福の象徴なのである。このことを知れば、イスラム暦が太陰暦であるわけもよく納得できるであろう。
[主なネタ本]
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