松浦寛
まつうら ひろし
2000.08.20
「ユダヤ陰謀説の正体」ちくま新書
「トンデモ本」という「書籍ジャンル」があるのをご存知だろうか。著者は大まじめで論じているのだが、常識的に読めば大爆笑するしかない内容の本のことである。その一大テーマに「ユダヤ陰謀説」がある。お察しがつくであろう。一から十までユダヤ人の陰謀だという荒唐無稽、もしくは「思考経済」であり「思考停止」である。
それにしてもなぜ「ユダヤ人」なのだろう。やや念入り過ぎて難しくなっている部分もあるが、ここにはその秘密が解き明かされている。興味深いことには、日本人にとって「ユダヤ人」は近代以降のテーマなのである。当然かどうかは知らないが、江戸時代以前にはない。また、最近になって急に登場したわけでもない。
「ユダヤ人」は、明治以降の欧米国家との相克の中で初めて有意味となる。これがポイントである。特に、ロシア革命直後のシベリア出兵が画期となったようだ。共産主義は「ユダヤ人」製の世界征服計画となる。最近のブームは1980年代以降のものである。実はこのブームは国際的なものであった。それは、国際標準(グローバル・スタンダード)としてのナショナリズムである。
欧米人にとって、ユダヤ人問題は「アウシュヴィッツ」もあって、軽々に語ることが出来ない歴史が堆積している。しかし日本人にとっては別であるはずだ。では、日本人にとって「ユダヤ人」問題とは何なのだろう。結局のところ、日本人にとって「ユダヤ人」とは、得体の知れない「ガイジン」であり、その正体は近代以降の「日本社会に闖入するグローバリズム」の謂である。
「ユダヤ人」とは、無国籍コスモポリタンをイメージさせ、所詮は自家撞着だが国民がよくまとまり均衡がとれて秩序ある安定した日本社会を、無法の資本主義や共産主義など、つまり「無秩序」を持ち込んで、社会を腐敗・崩壊させようと世界中で結託して秘かに忍び寄る侵入者のことである。
だから「侵略」してくる「ユダヤ人」は、まず幕末のペリー以降のアメリカ(資本主義、アメリカニズム)であり、朝鮮・満州で対峙したロシアと戦後北方の脅威だったソ連(武力侵略、共産主義)であり、かつて制圧できず、またいま不気味に拡張しようとする中国(欧米資本と結託)など、日本にとって潜在脅威のある国々・民族すべてである。説に従えばだが、それらは実はすべて「ユダヤ人」に操られた国家なのである。
何と呼称するかは別として、またどういう「連合」かも定かならぬが、「ユダヤ人」がいそうな気配は確かにある。しかしながら「ユダヤ人が…」と呼べるほど、単純なものではないことも確かだろう。少なくとも「ユダヤ人が…」という言葉で語ることはできない。
最近の「グローバル・スタンダードとしてのナショナリズム」というやや矛盾的な事象の震源地は、アメリカだ。米キリスト教ファンダメンタリスト(教条主義者)が、人種差別・排外主義の一環として「反ユダヤ」を唱えているのだ(「黒人追放」とセットだ)。ヨーロッパでも、仏・独のナショナリストたちが排外主義として「反ユダヤ」を唱えている。
日本の「反ユダヤ」も、排外主義として機能していることを自覚しなければならない。「反ユダヤ」と外国人排外主義とは当然別の話だし、単純な排外主義ではやっていけないことも明白だ。私たちの「反ユダヤ」に隠された、あるいは「託された」心情を選り分け、「グローバル・スタンダードとしての反ユダヤ」に冷静に慎重に「対抗」することこそが、真のナショナリズムとも思えるのだが。
最後に、日ユ同祖論(日本人はユダヤ人である、あるいはユダヤ人は日本人である)について一言しておきたい。これは紛れもなく、選民主義である。欧米に比べて歴史の古さに自信をもつ日本人が唯一「羨望」し、現存する民族はユダヤ人だけである。これを、欧米精神の根元たるヘブライズムごと取り込んだのが「日ユ同祖論」に他ならない。この愚考と愚行には、何をか言わんや。
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(目次)
はじめに
第1章 『ゴーマニズム宣言』とユダヤ人
小林よしのりの戦争論/日本政府のユダヤ人対策/満州特務機関/『教科書が教えない歴史』の意図/杉原千畝の決断/「マンハッタン計画」とユダヤ人
第2章 「マルコポーロ事件」の余波
カリフォルニア経由の反ユダヤ主義/日本に出現したホロコースト否定論/「否定論者」ラシニエの来歴/否定論者の手法/『アンネの日記』への中傷
第3章 ユダヤ人秘密結社「シオン同盟」
戦略シミュレーションのなかのユダヤ陰謀説/山中峯太郎の敵中横断三百里/自己確定の契機としての「ユダヤ人」
第4章 日本思想におけるユダヤ人
蔓延する排外主義と反ユダヤ思想/言論界を席巻する反ユダヤ主義/知識人への浸透/『風土』に見る「ユダヤ人」と「シナ人」
第5章 日本=ユダヤ同祖論の謎
日ユ同祖論--物語の〈起源〉/『竹内文書」の謎/国際舞台のルーキーたる日本/排外的ナショナリズムの屈折
第6章 ファンダメンタリズムの遺産
モダニズムヘの反動/終末論のなかのユダヤ人/ファンダメンタリズムの遺産/デール・グローリー氏の生活と意見/ファンダメンタリストの対イスラエル政策/ユダヤ陰謀論者の「情報源」/ホロコースト否定論との接点/テロリズムと運動する人種主義
第7章 UFOとホロコースト
UFOを操っているのはだれか/UFO研究家とナチス/「ホロコースト否定興行師」の商魂/悪名高い『ロイヒター報告』/ホロコースト否定論に立つユダヤ人/悔悟と決別/自己憎悪の系譜/御都合主義と論理的破綻/チョムスキーと「言論の自由」/政治的迷走を続けるラシニエ
第8章 インターネットという新たな戦場
日常生活に漏出する反ユダヤ主義/共同体へのノスタルジー/グローバルなナショナリズムの逆説/インターネット上の人種差別主義/サイバー空間と「言論の自由」/アリバイとして持ち出される「左翼」証明書/集団不安の時代
終章 ホロコースト否定論の衝撃
「マルコポーロ事件」への知識人の対応/フォリソンの妄想的固定観念
あとがき
参考文献
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