永竹由幸
ながたけ よしゆき
2001.01.06
「オペラと歌舞伎」丸善ライブラリー
《第二次世界大戦は、オペラと歌舞伎を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった。オペラを持たない鬼畜米英は、ヴァーグナーを軍旗とするドイツ第三帝国とヴェルディ軍旗を掲げるイタリア共和国、並びに東洋に於てオペラと同様の文化産業である歌舞伎を持ち、大東亜共栄圏をめざす大日本帝国に対し、これ以上大きな文化的格差をつけられることは国民的屈辱であり、全世界における彼らの利益を損なうと判断した。かくてオペラを持たぬオランダ、オペラを半分しか持たぬフランス、ソ連等とかたらって、日独伊の三国同盟に村し、戦争を起こさせ、それを叩こうと言う陰謀を抱いたのである。
「ワルキューレの騎行」という戦死者の行進曲を使って進軍したナチスの軍隊は、ジークフリートのように強かったが、又同時にジークフリートのごとくあっけなく殺された。》…
と、のっけ(大序・第一幕)から強持てに始まるが、まもなくして、
…《と書いていくと少々扇情的であり、少し皮肉がきついかもしれない》…
と、著者自身によって引き取られて、本論へと進む。これだけでこの本を手に取ったことに喜びを感じ、ある得心を抱くのは筆者だけだろうか。その後、イタリア・オペラと日本・歌舞伎の対照が語られるのだが、これが実に興味深い。何から何まで同じなのである。誕生の年代、その性格、そしてそれを生み出し支えた国民性など。冒頭の枢軸国への道の必然すら、感得されるほどである。
なかなか芸術論である部分を少しばかりご紹介すれば、歌舞伎の女形とオペラのカストラートについての記述は出色である。前者については、阿国によって始められた女踊りと芝居が幕府によって封印されたことで男による女形が強いられ、かえってそれが純粋な形象としての「女性」を生み出し、芸へと昇華されたと説く。後者も同様に生理的に去勢された「男性」ゆえに、純粋な「女声」とベル・カント唱法を生み出したと。
ともに実在しない「虚」であるがゆえに、芸が磨き込まれたのである。性的ではあるが、直接肉欲的ではないエロスが出現し、それが芸として鍛えられた。オペラと歌舞伎は「芸術」ではなく「芸」であった。それは、貴族から庶民にまで愛された国民的な蕩尽であったのだから。芸術は近代的な「教養」であり、少なくとも庶民には長らく無用のものであった。芸であるがこそ、誰でもが理屈抜きで楽しめる舞台だったのである。
芸はそれを理解し楽しめる国民の前にしか出現しない。このことが冒頭の著者の言葉につながる。アングロ・サクソンにとっては、芸はビジネスであり、芸術は教養であった。それらはいずれにせよ、単に楽しむだけでは済まないものだ。文明文化は、内戦(戦国)時代の後ち、商人(町人)社会に至る。17世紀、英や仏は植民地獲得に向かうが、文明文化的平和的な国民である伊や日は内向(鎖国)し、国内の富をオペラと歌舞伎で蕩尽し始め、ついに植民地争奪戦に出遅れた。
オペラと歌舞伎は、ともにギリシャ悲劇と能という古典芸能を持ち、それを大衆化した音楽芝居であった。大袈裟な舞台装置と派手な衣装と演技で、観客の目と耳を楽しませることが本質であった。詳細は本書をご通読頂きたいが、その歴史的変遷までもが双生児のようにほぼ一致しているようにさえ見える。ご存知のように、近代国家としての成立もともに19世紀後半の出来事なのである。
∵ ∴ ∵ ∴ ∵
(目次)
大序・第一幕 オペラと歌舞伎と植民地
二段目・第二幕 オペラと歌舞伎の誕生
第一場 オペラと歌舞伎はどうして生まれたか
第二場 オペラと歌舞伎の歴史的背景…
第三場 オペラと歌舞伎の誕生日
第四場 その誕生はひょうたんから駒
第五場 ギリシャ悲劇と能との対比
三段目・第三幕 テアトロと芝居
第一場 その発端
第二場 年中行事としてのオペラと歌舞伎
第三場 オペラ・ハウスと芝居小屋
第四場 劇場の構造について
第五場 入場料
第六場 オペラ歌手と歌舞伎役者の収入
第七場 観客
第八場 大道具と仕掛け
四段目・第四幕 女形とカストラート
第一場 女形について
第二場 カストラートについて
第三場 女形とカストラートの芸術的貢献
五段目・第五幕 ドラマとしてのオペラと歌舞伎
第一場 その歴史的背景のもとのもと
第二場 ドラマとしてのオペラと歌舞伎の誕生
第三場 近松とメタスタージオ
第四場 荒事と和事
第五場 パロディとしてのドラマ
第六場 ロッシーニと鶴屋南北
第七場 狂乱物
第八場 河竹黙阿弥とジュゼッペ・ヴェルディ
第九場 ボーイトと九代目団十郎
第十場 ヴェリズモ・オペラと生世話物
大詰・フィナーレのストレッタ
「オペラと歌舞伎」年表
Copyright(c)1997.07.27,"MONOGUSA HOMPO" by Monogusa Taro,All rights reserved