富岡幸一郎
とみおか こういちろう
2000.09.03
「使徒的人間--カール・バルト」講談社
〈20世紀の落雷〉
バルトの言葉は落雷となって
私の脳天を直撃する
旧約の神のように恐ろしい
この男は
背理(パラドックス)を説く
しかし外連味(けれんみ)なぞこれっぽっちもない
それは徹頭徹尾 鋼鉄で出来ている言葉だ
神のような謝絶
否(nein)! 否(nein)! 否(nein)!
その「否」は二千年の時代を否定し
私たちを紀元一世紀のイスラエルへ運ぶ
すべての「神」は死ぬ
ニーチェの宣告は正しい
しかし
人として死んだ神がいる
人の理解を拒絶する神がいる
正気であるためには狂っていなければならないのか
宗教とは何か
自分がどんなに惨めであるかを知るためのものである
我が生のありさま、事実を知ることである
自分の「穴」を見つめ続けることである
呪われた自由を生きることである
「神」はいないことを知ることである
生きることに絶望することである
孤独な死に至ることである
「救い」はないのか
そんなものはない
そのとき、落雷!!
迫害者サウロがパウロに変わる
それは何か
襲来である
空襲である
逃れられない運命である
自由なぞ奪われる
吊り上げられた使徒は再び地表に降ろされ
束縛された「自由」つまり「命令」が始まる
神は絶対的な束縛である
神は限定を与えるのだ
いかなる?
あるがままの生の
神とは誰か
招く人であり
迷いを許さない人である
人の死を死んだ神である
その神とは何であり、何を保証するのか
神は人の言葉を解し、語りかけるものである
しかし人ではない
何も保証なぞしない
人はうち捨てられたままだ
人が神を待っているのではない
神が人を待っている
生きていることが生きていることではないし
死ぬことが死ぬことでもない
バルトは「狂人」である
バルトは使徒である
∵ ∴ ∵ ∴ ∵
(目次)
一章 発見
二章 衝動
三章 境界
四章 接線
五章 言葉
六章 死
七章 宗教的人間
八章 自由
九章 自然神学
十章 追思考
十一章 告白
十二章 原歴史
十三章 ユダヤ人
十四章 引き渡し
十五章 虚無的なもの
十六章 創造
十七章 天使論
十八章 倫理
十九章 和解
二十章 虚空
あとがき
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