「神秘の建造物・御假殿」(森 隆男氏)


歴史資料としての御假殿

 春日若宮祭では御旅所に堂々たる御假殿が建造される。興福寺が春日若宮の神霊を迎えて祀る施設である。一方、奈良県下の村むらには頭屋の屋敷に氏神を迎えて祀る御假屋が造られる。ともに祭りの参加者が神霊の存在を実感する施設で、古い祭祀形態を伝えるものである。ところが御假屋が造られたことを確認できるのは近世文書である。それに対し御假殿は中世以前の史料にも記され、後述するように若宮祭創始当初の姿を今に伝えている点で貴重な歴史資料といえる。
 若宮祭の儀礼と頭屋祭祀に見られる儀礼には共通する部分が多い。たとえば前者では流鏑馬神事を担当する願主人が、後者では頭人が、竜田などへ出かけて水垢離を行ない、清めに使用する石を拾ってきた。そしてそれぞれの儀礼が構成する祭祀構造は基本的には同じであり、御假殿と御假屋も同じ機能をもっている。しかし両者を比較する時、規模や材料など明らかな相違点も存在する。とくに御假殿の材料は仮設の施設という性格に反するものであり、大きな謎である。
 本稿では御假屋に関する情報も使用しながら春日若宮祭の御假殿を検証し、その起源にも言及したい。

御假殿の形態と材料

 御假殿は若宮社本殿と形態、規模ともほぼ同じである。近世中期に成立した『春日若宮祭礼図』には、現在見ることができる御假殿と同じ形態の図が収録されている。しかし、中世以前の具体的な形態を示す史料は見当たらない。神社の社殿は形態が固定する点に特徴があるといわれる。しかも春日大社にはかつて伊勢神宮のように二〇年に一度社殿を造り替える慣例があったので、形態がそのまま踏襲されてきたと考えられる。春日大社本殿の形態については平安末期まで遡ると指摘されており、高欄の一部を除いて形態と規模を同じくする若宮社本殿についても同様に考えていいだろう。若宮祭の創始にあたり、御旅所の御假殿は前年に創建された若宮社本殿の形態を倣った可能性が高い。
 御假殿の材料については、鎌倉末期から南北朝にかけて成立した『若宮祭礼記』に所収された図に「御寶殿、黒木松葉葺」とある。この図は若宮祭創始当初の御旅所の様子を描いたものである。また弘安六年(1283)に臨時祭が執行されたときの記録の写しにも同様の記述が見られる。御假殿が黒木の松材を柱とし、屋根を松葉で葺いていた状況は当初から変化がないとみてよかろう。松葉で葺く屋根は奇異に見えるが、古代末から中世にかけて院や貴族が社寺に参詣する際、臨時に建てられた滞在用施設も松葉葺であり、若宮祭の御假殿に限られていたわけではなかった。ちなみに若宮祭創始の半世紀後に行なわれた、東大寺大仏の開眼供養に出席した後白河院の滞在用施設もやはり松葉葺であった。松葉葺きの屋根が清浄を象徴するものと考えられていたのだろうか。
 さてここで注目したいのは御假殿の壁が土壁であることである。臨時に建造される祭祀施設であることを考えると、御假殿が黒木の柱であることは理にかなっているが、本格的な建造物に用いられてきた土壁であることは不合理である。
 一方、奈良県下の頭屋儀礼で見られる御假屋の壁材は杉や檜など常緑樹の葉が多い。しかし一例だけ土壁の事例を見つけることができた。昭和四〇年まで奈良市西九条で土壁の御假屋が造られていたのである。しかも屋根は小麦藁を材料にしていたが、柱材として松の黒木を村から離れた山中に求めていたという。これは西九条が中世に興福寺によって領有されていた歴史と関係があると考えてよかろう。

御假殿の土壁が語るもの

 御假殿に土壁が用いられてきた点に重要な歴史情報が込められているのではなかろうか。古代建築で三面を土壁で囲まれた空間が見られるのは寝殿造りの塗籠である。同じ構造をもつ御假殿は、本来司祭者が籠り、神霊を迎える施設であったと考えられる。すなわち若宮祭の創始以前に行なわれていた祭祀において造られていた籠りのための施設が、若宮祭の御假殿の形式として採用されたと考えたい。
 また御假殿の壁には多くの三角形が描かれており、この起源については不明ということである。信州の諏訪大社では、中世以前には最高位の司祭者である大祝が蛇体の神霊と籠る仮設の祭祀施設「御室」が造られていた。御假殿に描かれる三角形を蛇神信仰の記憶を伝えるものと考えてその鱗と解釈すれば、古代の奈良にも同様の祭祀形態が存在した可能性を否定できない。
 そのほか御帳殿の入り口の上部にはモミの枝が一本取りつけられる。理由は不明であるが、民俗学からの解釈ができそうである。このように多くの謎をもつ御假殿は、神秘の建造物といわざるを得ない。

[筆者略歴]

*出典:『春日若宮おん祭』(平成13年度版/春日若宮おん祭保存会 2001年11月11日発行)

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