ホームページ タイトル 本文へジャンプ



「子どものカトリック要理」(光明社)   (転載許可済み)


第一編 信じなければならないこと



・神さまのこと


・日が照り月がさえるのはだれのおかげでありますか。

・日が照るのも、月のさえるのも天の神さまのおかげであります。


・稲、麦、木、草のできるのはだれのおかげでありますか。

・稲、麦などのできるのは、天の神さまのおかげであります。


・稲麦は百姓が作るのではありませんか。

・いいえ、百姓は田畑をたがやし、種をまき、こやしをかけるばかり

 であります。日が照り雨が降って、稲麦ができるのでありますから、

 やはり天の神様のおかげであります。


・私たちの生きているのは誰のおかげでありますか。

・私たちの生きているのは天の神さまのおかげであります。


・私たちが生きているのは親のおかげではありませんか。

・親は子どもを生みまた育てます。しかし命のもとは天の神さまであります。


・それなら天の神さまは何と言わなければなりませんか。

・天の神さまこそ、私たちの親、また親の親、全ての人の一番の親

 であります。ですから、イエスさまはこの神さまを天のお父様とよぶ

 ように教えてくださいました。


・親に何をしなければなりませんか。

・親には孝行をしなければなりません。


・孝行とは何でありますか。

・孝行とは親をありがたがり、喜ばせ、それによく従うことであります。


・一番の親、すなわち天の神さまになにをしなければなりませんか。

・一番の親に一番の孝行をして、み心を喜ばせるようにしなければ

 なりません。


・神さまのみ心を喜ばせるには、どうしなければなりませんか。

・神さまを拝み、愛し、神様に祈り、その教えを守らなければなりません。


・守るべき教えは何と申しますか。

・守るべき教えはカトリック教、または公教と申します。


・カトリック教、または公教とは何の意味でありますか。

・それは公けの教え、すなわち神さまがすべての人のために

 お授けになった教えという意味であります。



・神さまがおいでになりますこと



・神さまはどういうお方でありますか。

・真の神さまは天地のあるじ、万物の造りぬしであって、

 人間のなさけぶかいお父様であります。


・神さまはどんなにえらいお方でありますか。

・神さまはこのうえもなくえらいお方であります。


・神さまは目に見えますか。

・いいえ、神さまは形がありませんから、目に見えるものではありません。


・なぜ神さまには形がありませんか。

・霊であるから神さまには形がありません。


・神さまは風のようなものでありますか。
 
・いいえ、風は目に見えないけれども、肌にも当たり、吹くのが分かり

 ます。神さまはそうではありません。


・神さまはにおいのようなものでありますか。

・いいえ、においは目に見えないけれども、鼻にかがれます。

 神さまはそうではありません。


・神さまは音のようなものでありますか。

・いいえ、音は目にも見えず、鼻にもかがれないけれども、

 耳に聞こえます。神さまはそうではありません。


・霊は形がないばかりでありますか。

 いいえ、霊には形はなくても、知恵と心があって、生きたものであります。


・他にも霊がありますか。

・はい、天使も人間の霊魂もやはり霊であって、神さまにいくらか

 似たものであります。



・神さまのおん徳


・神さまはいつおできになりましたか。
 
・神さまはおできになったものではありません。始めのないものであります。
 

・神さまには始めがないだけでありますか。
 
・神さまには始めがないばかりでなく、終わりもありません。
 

・神さまの始めもなく、終わりもないことをなんと言いますか。
 
・神さまの永遠と申します。
 

・神さまのほかに始めのないものがありますか。
 
・いいえ、神さまのほかに始めのないものはありません。
 

・神さまはどこにおいででありますか。
 
・神さまは天にも地にもどこにもおいでであります。
 

・神さまはどこにもおいでになりますから、私たちはどう考えなければ

 なりませんか。
 

・神さまはどこにもおいでになりますから、私たちはどこへ行っても、

 神さまのみ前にいることを忘れてはなりません。
 

・神さまはお知りにならないことがありますか。
   
・神さまはお知りにならないことが一つもありません。
 

・神さまは人の心の中もご存じでありますか。
 
・はい、神さまは人の一番隠れた考えでも、望みでも、ご存じであります。
 
       
・神さまのなにごともご存じであることを何と申しますか。
 
・神さまの全知と申します。
 

・神さまはなんでもご存じでありますから、私たちはどうしなければ

 なりませんか。
 
・神さまをだますことも、神さまに隠すこともできませんから、なにごとも

 正直にして、悪いことをせず善いことをしなければなりません。
 

・神さまにはおできにならないことがありますか。
 
・神さまにはおできにならないことが一つもありません。
  

・神さまのなにごともおできになることを何と申しますか。
 
・神さまの全能と申します。
 

・神さまはいくつもおいでになりますか。
 
・いいえ、まことの神さまはただ一つしかおいでになりません。
 
    
・まことの神さまほただおん一方ばかりでありますか。
 
・まことの神さまは三つのお方であります。
 
    
・神さまの一つであって、三つのお方でおいでになることを、何と申しますか。
 
・三位一体と申します。
  

・神さまの三位は何と申しますか。
 
・神さまの第一位はおん父、第二位はおん子、第三位は聖霊と申します。
    

・おん父もおん子も聖霊も神さまでありますか。
 
・はい、おん父もおん子も聖霊も神さまであります。
 

・おん父とおん子と聖霊とは三つの神さまではありませんか。
 
・いいえ、三位はともにただ一つの神さまであります。
 
   
・おん父とおん子と聖霊とのうちでどなたが一番上でありますか。
 
・三位は同じく神さまでありますから、そのうちにあとさき上下の

 ちがいはありません。
 

・神さまの三位一体のわけを、さとることができますか。
 
・神さまの三位一体のわけは、この世ではさとることができません。
 

・さとることができないのにどうして信じられますか。
 
・神さまがお知らせになったからであります。
        

・三位一体にたいして私たちはどうしなければなりませんか。
 
・私たちは三位一体をすなおに信じ、熱心に拝まなければなりません。




・神さまが世界をお造りになったこと       



・世界はどうしてできたものでありますか。
 
・世界は神さまがおつくりになったものであります。
 

・神さまは物をおつくりになっただけでありますか。
 
・いいえ、神さまは物をおつくりになったばかりでなく、それを守り、

 またお計らいになるのであります。

 
・つくられたもののうちで一番すぐれたものは何でありますか。
 
・つくられたもののうちで一番すぐれたものは天使であります。

 
・天使はどういう方でありますか。
 
・天使は人間よりすぐれた知恵と力を持っている霊であって、

 神さまにお仕えする方であります。
 

・天使の数はどれほどでありますか。
 
・天使は数えられないほど多いのであります。
 

・天使のうちで私たち人間に一番なつかしいのはどなたでありますか。
 
・守護の天使であります。.
 

・守護の天使は何をしますか。
 
・守護の天使は私たちを守るのであります。
 

・守護の天使に対してどうしなければなりませんか。
 
・守護の天使を親のように考えて、愛し、敬い、そのよいお勧めに

 従わなければなりません。
 

・天使はみな、いつまでもよく神さまに仕えましたか。
 
・いいえ、神さまにそむいた天使があります。これを悪魔と申します。
 
  
・悪魔は何をしますか。
 
・悪魔は神さまを恨み、また.人を悪い方に誘います。
 

・悪魔はどんな罰を受けていますか。
 
・悪魔は地獄の罰を受けています。
 

・人間はどういうものでありますか。
    
・人間はからだと霊魂とを合わせたものであります。
   

・霊魂はなくなるものでありますか。
    
・いいえ、霊魂は決してなくなるものではありません。
 

・霊魂のなくならないことを何と言いますか。
   
・霊魂のなくならないことを霊魂の不滅と言います。
 

・人は何のためにこの世にいますか。
 
・幸いを受けるためであります。
 

・人のあるのはこの世の幸いを受けるためでありますか。
 
・いいえ、この世はともかくも、死んでから、終わりない幸いを受ける

 ためであります。
 

・終わりない幸いはただで受けられますか。
 
・終わりない幸いはただでは受けられません。そのために人の道を

 守り、神さまの教えに従わなければなりません。
 

・一番始めの人間は何と言いますか。
 
・男はアダム、女はエバと言います。
 
     
・アダムとエバは私たちのような哀れな者でありましたか。
 
・アダムとエバは恩恵をいただいて、神さまの子供の幸いを受けて

 いました。
 

・恩恵とは何でありますか。
 
・恩恵とは神さまのいつくしみ、すなわち神さまから愛されることであります。
           

・アダムとエバはその幸いを保ちましたか。
 
・いいえ、アダムとエバは悪魔にだまされて、神さまの戒めにそむき、

 恩恵と幸いとを失いました。
 

・アダムの罪はアダムだけにとどまりましたか。
 
・アダムの罪とその害はすべての人間に伝わりました。
 

・アダムから伝わった罪を何と言いますか。
 
・アダムから伝わった罪を原罪と言います。
 

・神さまは人間をお捨てになりましたか。
 
・いいえ、神さまは人間をお捨てにならないで、救い主をお遣わし

 になりました。




・世の救い主のこと


・世の救い主はどなたでありますか。
 
・世の救い主はイエズス・キリストさまであります。
                  

・イエズス・キリストさまはただの人でありますか。
 
・いいえ、イエズス・キリストさまは人におなりになった神さまのおん子

 であります。
 

・神さまのおん子はなんのために人におなりになりましたか。
 
・神さまのおん子が人におなりになったのは、すべての人間を救うため

 であります。
 

・イエズス・キリストさまの親はどなたでありますか。
 
・イエズス・キリストさまの母は聖マリアであって、父は神さまのほかにあり

 ません。
 

・聖ヨゼフと言う方はイエズスさまの父ではありませんか。
 
・聖ヨゼフはイエズスさまの養父、すなわち養い育てた仮の父であります。
 
       
・イエズスさまは何と言う所でお生まれになりましたか。
 
・イエズスさまはユダヤの国ベツレヘムと言う所でお生まれになりました。
 

・イエズスさまがこの世にお生まれになりましたことを何と申しますか。
 
・イエズスさまのご降誕と申します。
 
  
・ご降誕と言うことばはどう言う意味でありますか。
 
・ご降誕とは、天からくだってお生まれになりましたと言う意味であります。
 
                                       
・イエズスさまはどんなところでお生まれになりましたか。
               
・イエズスさまはうまやの中でお生まれになりました。
 
               
・なぜイエズスさまはうまやの中でお生まれになりましたか。
 
・人々に謙そん、清貧、忍耐を教えるためであります。
 

・イエズス・キリストさまは何年この世におられましたか。
 
・三十三年であります。
 
                
・イエズス・キリストさまは三十才まで何をなさいましたか。
                 
・イエズス・キリストさまは三十才まで親に従い、お働きなさいました。・
 
               
・なぜイエズス・キリストさまは親に従い、お働きなさいましたか。
 
・孝行の道を教え、私たちの手本になるためであります。
 
           
・イエズス・キリストさまさえその通り親にお従いになったならば、

 私たちはどうしなければなりませんか。
 

・私たちはなおさら親に従い、孝行しなければなりません。
 

・イエズス・キリストさまは親を何と思っておられましたか。
 
・イエズス・キリストさまは親を神さまの代わりと思っておられました。
 

・私たちも親をなんと思わなければなりませんか。
   
・親を神さまの代わりと思わなければなりません。
 
                
・イエズス・キリストさまは三十才の時に何をなさいましたか。
   
・弟子をお選びになりて福音を教えなさいました。
 

・福音とは何でありますか。
 
・福音とは救霊を得る道であります。
 

・救霊を得るとは何でありますか。
 
・救霊を得るとは罪をゆるされ、天国において終わりない幸いを受ける

 ことであります。
 



・イエス・キリストさまの教え



・イエス・キリストさまはどんな人が救霊(たすかり)を得るとおおせられましたか。

・信じて洗礼を受ける人は救霊を得るとおおせられました。


・何を信じなければなりませんか。

・神さまのこと、イエス・キリストさまの教えを信じなければなりません。


・何のために洗礼を受けますか。
 
・洗礼を受けるのは罪がゆるされ、神さまの子どもになるためであります。


・洗礼をもって何の罪がゆるされますか。
 
・洗礼をもって原罪もほかの罪もみなゆるされます。


・神さまを信じるだけで足りますか。

・いいえ、なお救霊をぜひ得ようと望まなければなりません。


・何のためにそれをのぞまなければなりませんか。

・神さまがそれをお約束なさったからであります。


・そのほか、神さまに対して、どうしなければなりませんか。

・神さまを信じ、救霊を得ることを望むほか、なお神さまを愛さなければ

 なりません。


・何をもって神さまを愛することがわかりますか。

・神さまのため悪いことをせず、善いことをするのでわかります。


・悪いことをしても神さまを愛すると言われませんか。
 
・悪いことをすれば神さまを愛するとは言われません。
 
  
・どれほど神さまを愛さなければなり.ませんか。
 
・心を尽くし、カを尽くして神さまを愛さなければなりません。


・神さまを愛すれば足りますか。

・いいえ、人をも愛さなければなりません。


・人を愛するのはかわいらしいからでありますか。

・いいえ、かわいらしくない人でも、神さまのために愛さなければなりません。


・人をどのように愛さなければなりませんか。

・人を自分のように愛さなくてはなりません。


・人を自分のように愛するとは何でありますか。

・自分が望まないことを人にせず、自分が望むことを人にすることであります。


・人のためにすることはどうなるとおおせられましたか。

・人のためにすることは、よいことでも、悪いことでも、

 神さまにしたと同様になるとおおせられま した。


・イエス・キリストさまは敵をどうせよをおおせられましたか。

・敵をも愛し、そのために祈れとおおせられました。


・人を許さないならどうなるとおおせられましたか。

・人を許さないなら、自分も神から許されないとおおせられました。


・イエズスさまは子どもをどうなさいましたか。
 
・イエズスさまは子どもをことさらにかわいがり、呼びよせて、

 ひざに上げたり、だいたりなさいました。
 

・なぜイエズスさまはそのように子どもをかわいがりなさいましたか。
 
・子どものようにならなければ天国にはいられないとおっしゃった

 からであります。


・悪い子どもでも、イエスさまにかわいがられますか。

・いいえ、善い子どもになるよう一生けんめい努める者だけがかわいがられます。


・私たちはよい子どもになるように努めなければなりませんか。

・はい、ぜひイエスさまにも親にも喜ばれるように努めなければなりません。


・私たちもイエズスさまのおそばにいくことができますか。
 
・はい、おみ堂へまいってお祈りをする時はイエズスさまのおそば

 にいくのであります。

               
・イエズス・キリストさまは、施し、祈り、善業についてどうおおせられましたか。
 
・人に見られるためにしてはならないとおおせられました。
 

・ほめられるために善いことをすればどうなるとおおせられましたか。
 
・神さまからほうびを受けられないとおおせられました。
 

・苦しい時にどうせよとおおせられましたか。
 
・苦しい時によく忍耐すれば、天国でたくさんのごほうびがあると

 おおせられました。


・祈りについてはどうおおせられましたか。

・「求めよ。そうすれば与えられるであろう」といくたびもおおせられました。


・どんな心で祈らなければなりませんか。

・私の祈りが善ければ聞いてくださると堅く信じて祈らなければなりません。


・いつ祈れをおおせになりましたか。

・いつも祈らなければならないとおおせになりました。


・イエス・キリストさまもお祈りになったことがありますか。

・はい、たびたび、夜通しお祈りになったこともあります。


・イエス・キリストさまは一つの祈りをお教えになったのではありませんか。

・はい、「天にまします」の祈りを教えてくださいました。


「天にまします」を唱えてごらんなさい。



天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように 。

み国が来ますように。

み心が天に行われるとおり、地にも行われますように。

私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。

私たちの罪をお赦しください。私たちも人を赦します。

私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください。アーメン。




・いつ祈らなければなりませんか。
 
・たびたび、ことに朝晩、おみ堂にいる時、必要の時は祈らなければ

 なりません。
 
        
・イエズス・キリ・ストさまはみ教えのまことである証拠に何をなさいましたか。
 
・み教えのまことである証拠に奇跡を行ないなさいました。

 
・奇跡とは何でありますか。
 
・奇跡とは人の力でできないふしぎなことであります。
 
              
・イエズス・キリストさまはどんな奇跡を行ないなさいましたか。
 
・ひと言でいろいろの病人をなおしたり、死人を生きかえらせたりなさいました。
 

・医者でも病人をなおすではありませんか。
 
・はい、けれどもひと言ではありません、薬を使ってであります。



イエス・キリストさまのご受難と復活



・人間を救うためにイエス・キリストさまは特別に何をなさいましたか。

・イエス・キリストさまは人間を救うために苦しみを受けておなくなりになりました。


・イエス・キリストさまはどんな苦しみをお受けになりましたか。

・イエス・キリストさまは、むちうたれ、恥ずかしめられ、いばらのかんむりを

 かぶせられ、くぎで十字架にはりつけられなさいました。


・イエズス・キリストさまのおん苦しみはご自分の罪のためでありましたか。
 
・いいえ、イエズス・キリストさまに罪はありません。私たちの罪のためで

 ありました。


・イエス・キリストさまのおん苦しみはひどうございましたか。

・イエス・キリストさまのおん苦しみは言われないほどひどうございました。


・そうまで苦しみなさらなくてもよかったのではありませんか。

・よかったのですけど、それで私たちを深くお愛しになること、

 罪のひどいことをお知らせになったのであります。


・わたくしたちがこのうえ罪を犯せばどうなりますか。 
 
・イエズス・キリストさまをまた十字架にかけると同様になります。
           

・イエズス・キリストさまのおなくなりになったのは何曜日でありましたか。
 
・イエズス・キリストさまのおなくなりになったのは金曜日の午後三時ごろ

 でありました。



・イエス・キリストさまはおなくりになったままでありますか。

・いいえ、お約束のように三日目によみがえりなさいました。


・イエス・キリストさまのよみがえりなさいましたことを何と申しますか。

・イエス・キリストさまのご復活と申します。


・イエズス・キリストさまはだれの力でよみがえりなさいましたか。
 
・ご自分の力でであります。
             

・イエズス・キリストさまのほかに自分の力でよみがえったものがありますか。
 
・いいえ、全世界に一人もありません。
               

・イエズス・キリストさまのご復活は何の証拠でありますか。
              
・イエズス・キリストさまはただの人でないという明らかな証拠であります。
 
            
・イエズス・キリストさまのご復活は何曜日でありましたか。
                
・イエズス・キリストさまのご復活は日曜日の朝でありました。


・イエス・キリストさまはご復活ののち何をなさいましたか。

・ご復活ののちたびたびお弟子たちにお現れになりました。


・イエズス・キリストさまはご復活ののち何日の間この世にお止まりに

 なりましたか。
 
・四十日の間であります。
             

・イエズス・キリストさまはご復活ののち四十日目にどうなさいましたか。
 
・天におのぼりになりました。
 
             
・イエズス・キリストさまの天におのぼりになりましたことを何と申しますか。
                            
・イエズス・キリストさまのご昇天と申します。



・教会のこと                       聖ペトロ



・イエス・キリストさまのあとにだれがその教えをひろめましたか。

・使徒と言われる十二人の弟子であります。


・お弟子の中にかしらに立てられた者がありますか。

・はい、聖ペトロと言う方がかしらに立てられました。


・聖ペトロは何のかしらに立てられましたか。

・聖ペトロは教会のかしらに立てられました。


・教会とは何でありますか。

・教会とはイエス・キリストさまの信者の団体であります。


・教会を定めたのはどなたでありますか。

・教会をお定めになったのは、イエス・キリストさまであります。


・イエズス・キリストさまは教会をいくつもお定めになりましたか。
 
・いいえ、イエズス・キリストさまはただ一つの教会だけをお定めになりました。


・イエス・キリストさまのお定めになった教会はどれでありますか。

・イエス・キリストさまのお定めになった教会はカトリック教会であります。


・カトリック教会とはどういう意味でありますか。

・カトリックとは公けということで、すなわちすべての人のためにたてられ

 全世界にひろがっていく教会という意味であります。


・聖ペトロのあとつぎがありますか。

・はい、それはローマ教皇であります。


・教皇のほかに教会のかしらはありませんか。

・あります。司教もその地の教会のかしらであります。


・司教はだれのあとつぎになりますか。

・司教は使徒たちのあとつぎになります。





・聖霊のこと


・イエス・キリストさまの弟子たちはよほど

 カのある者でありましたか。

・いいえ、弟子たちはもとは弱い者でありました。


・弟子たちはだれのカで教えをひろめましたか。

・弟子たちは聖霊の力によって教えをひろめました。

・弟子たちはいつ聖霊をいただきましたか。

・弟子たちはご昇天の後十日目に聖霊をいただきました。


・弟子たちが聖霊をいただいたことを何と言いますか。

・聖霊降臨と言います。


・私たちも聖霊に強められますか。

・私たちも聖霊に強められます。それは堅信を受ける時であります。



・四終のこと



・人はいつまでもこの世に生きていますか。

・いいえ、人は死ぬに決まっています。


・人が死ぬとはどう言うことでありますか。

・人が死ぬとは霊魂とからだとがはなれることであります。


・死んでからからだはどうなりますか。

・からだはだんだんくさって土になります。


・死んでから霊魂はどうなりますか。

・霊魂は死んでからすぐに審判を受けます。


・審判とは何でありますか。

・審判とは一生の善悪の調べであります。


・死んだ時の審判を何と言いますか。

・死んだ時の審判を私審判と言います。


・私審判とはどう言う意味でありますか。

・私審判とは私の審判、それは一人ずつのお調べの意味であります。


・私審判のほかにまだ一つの審判がありますか。

・はい、世終わりにすべての人の審判があります。


・世の終わりの審判を何と言いますか。

・世の終わりの審判を公審判と言います。


・公審判とはどう言う意味でありますか。

・公審判とは公けの審判という意味であります。


・私審判ののち霊魂はどうなりますか。

・私審判ののち霊魂は天国、あるいは地獄、あるいは煉獄に行きます。


・天国とは何でありますか。

・天国とは神さまを見て終わりない幸いを受ける所であります。


・だれでも天国にはいることができますか。

・いいえ、恩恵を持って死んだ人でなければ天国にはいれません。


・地獄とは何でありますか。

・地獄とは罪人が神さまからすてられて終わりなく苦しむ所であります。


・だれが地獄にはいりますか。

・大きな罪を持って死んだ人が地獄に落とされます。


・煉獄とは何でありますか。

・煉獄とは罪の償いを果たすまで霊魂が苦しむ所であります。


・だれが煉獄にはいりますか。

・すこしの罪でもあるか、または罪の償いの足りない人の霊魂が煉獄

 にはいります。


・天国にいる霊魂は私たちを助けることができますか。

・はい、神さまにお願いして、私たちを助けることができます。


・私たちは煉獄の霊魂を助けることができますか。

・はい、祈りや善業などをもって煉獄の霊魂を助けることができます。


・死んだ人のために祈るのはよいことですか。

・はい、死んだ人のために祈るのはたいへんよいことであります。


・人の信じなければならないことは何に書いてありますか。

・使徒信経にだいたい書いてあります。


・使徒信経とは何でありますか。

・十二使徒の教えたことを書きのせたものであります。


・使徒信経を唱えてごらんなさい。


  
天地の創造主、

  全能の父である神を信じます。

  父のひとり子、わたしたちの主

  イエス・キリストを信じます。

  主は聖霊によってやどり、

  おとめマリアから生まれ、

  ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、

  十字架につけられて死に、葬られ、

  陰府(よみ)に下り、

  三日目に死者のうちから復活し、

  天に昇って、

  全能の父である神の右の座に着き、

  生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。

  聖霊を信じ、

  聖なる普遍の教会、

  聖徒の交わり、

  罪のゆるし、

  からだの復活、

  永遠のいのちを信じます。 アーメン。





第二編 守らねばならないこと

神さまの十戒


・たすかりを得るには、神さまの教えを信じるだけで足りますか。

・いいえ、なによりもまず神さまの十戒を守らなければなりません。


・神さまの十戒とはなんでありますか。

・十戒とは神さまがシナイ山の上でお与えになった十の戒めであります。



・第一戒を唱えてごらんなさい。

 第一、われはなんじの主なる神なり、

 われのほか、何者をも神となすべからず。



・造り主の神さまのほかに真の神さまがありますか。

・造り主の神さまだけが真の神さまでありますから、そのほかに

 真の神さまはありません。


・真の神さまをどうしなければなりませんか。
 
・真の神さまを一心に信じ、拝み、何よりも愛し、お祈けをしてお仕え

 しなければなりません。、
 

・真の神さまのほかのものを真の神さまと同じように拝むことができますか。
 
・真の神さまのほかのものを真の神さまと同じように拝めば、

 第一戒にそむきます。
                   
・ほかの神仏を拝むことはどうでありますか。
 
・ほかの神仏を拝むのは迷信の罪であります。
 

・天使や聖人をどうしなければなりませんか。
 
・天使や聖人を敬い、愛し、そのよい手本にならわなければなりません。
 

・天使や聖人のうちで特別に敬い愛さなければならない方はどなた

 でありますか。
 
・聖母マリアであります。



・第二戒を唱えてごらんなさい。

 第二、なんじ、神の名をみだりに呼ぶなかれ。


・第二戒に従うにはどうしなければなりませんか。

・神さまのことをいつもていねいに言わなければなりません。



・第三戒を唱えてごらんなさい。

 第三、なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。


・安息日とは何のことでありますか。

・休み日と言うことであります。


・安息日はいつでありますか。

・安息日は、今は日曜日であります。


・日曜日をまた何と呼びますか。
 
・日曜日をまた主日、神さまの聖い日と呼びます。
 

・日曜日にはどうしなければなりませんか。
 
・日曜日には仕事を休んでごミサに行かなければなりません。



・第四戒を唱えてごらんなさい。

 第四、なんじ、父母を敬うベし。


・父母を敬うとは何でありますか。

・父母を上と思い、ていねいにすることであります。


・父母を悲しませるのはどうでありますか。
     
・父母を悲しませるのは.神さまの第四戒にそむきます。
 

・父母を悲しませないだけで足りますか。
 
・いいえ、父母を喜ばせるようにぜひ努めなければなりません。
 
         
・兄弟や親類をどうしなければなりませんか。
 
・兄弟や親類となかよくしてかれらを喜ばせ、また助けなければなりません。
 

・先生をどうしなければなりませんか。
 
・先生は父母の代わりに教えますから、先生を敬い、その教えに

 従わなければなりません。


・としよりをどうしなければなりませんか。

・としよりに親切をつくし、面倒をみてあげなければなりません。



・第五戒を唱えてごらんなさい。

 第五、なんじ、殺すなかれ。


・殺すなかれとは何のことでありますか。

・人をむりに殺すなということであります。


・人を殺しさえしなければいいのですか。

・いいえ、人をむりに打ち、傷つけることも第五戒にそむきます。


・けんかはどうでありますか。

・けんかも打ち合いのもとになり、愛徳にそむきますから、

 神さまはおきらいであります。


・哀れな人をいじめることはどうでありますか。

・哀れな人をいじめるのは悪いことで、神さまはお喜びになりません。


・鳥獣を苦しめるめはどうでありますか。
 
・鳥獣でもわざと苦しめるのは悪いことであります。



・第六戒を唱えてごらんなさい。

 第六、なんじ、かんいんするなかれ。


・第六戒はどんなことを禁じますか。

・第六戒はすべてけがらわしいことを禁じます。



・第七戒を唱えてごらんなさい。

 第七、なんじ盗むなかれ。


・何が盗みになりますか。

・人の物をとって、自分の物にすることであります。


・人の物を返さなくてもその罪はゆるされますか。
 
・人の物をできるだけ返さなければその罪はゆるされません。
 
・家の物を盗むことも悪いことでありますか。
 
・家の物はみなのためですから、親にだまってとることは盗みの罪になります。


・つまみぐいはどうでありますか

・つまみぐいは恥ずかしいことだけでなく、神さまの第七戒にそむきます。


・人の物をいためるのはどうでありますか。
 
・人の物をむりにいためるのは神さまの第七戒にそむきます。



・第八戒を唱えてごらんなさい。

 第八、なんじ、偽証するなかれ。


・うそとは何でありますか。

・うそとは人をだますために、ほんとうでないことを言うことであります。


・うそを言うことはどうでありますか。
 
・うそは神さまの第八戒にそむきます。
 

・人の悪口を言うのはどうでありますか。
 
・人の心をいためることで、愛徳にそむきます。



・第九戒を唱えてごらんなさい。

 第九、なんじ、人のつまを望むなかれ。



・第十戒を唱えてごらんなさい。

 第十、なんじ、ひとの持ち物をみだりに望むなかれ。


・人の物をほしいと思ったならば、どうすればよいのですか。

・人の物をほしいと思う時は、それを持っている人からいただくか、

 あるいは買うようにしなければなりません。



・教会の六つのおきて
 
・神さまの十戒のほかに、守らなければならないおきてがありますか。
 
・はい、教会の六つのおきても守らなければなりません。
 

・教会の第一のおきてを唱えてごらんなさい。
 
・第一、日曜日と守るべき祝日に、ミサ聖祭にあずかり、労働を休むこと。
 

・教会の第二のおきてを唱えてごらんなさい。
 
・第二、少なくとも毎年一度罪を告白すること。
 

・私たちも告白しなければなりませんか。
 
・はい、大きな罪があれば必ず告白しなければなりません。
 

・教会の第三のおきてを唱えてごらんなさい。
 
・第三、少なくとも毎年一度復活祭のころにに聖体を受けること。
 

・わたしたちも聖体をうけなければなりませんか。
 
・はい、年に一度でもぜひ聖体をいただくようにしなければなりません。

 
・教会の第四のおきてを唱えてごらんなさい。
 
・第四、定められた日に大斎を守ること。
 

・教会の第五のおきてを唱えてごらんなさい。
 
・第五、定められた日には小斉を守ること。
 

・小斎とは何でありますか。
 
・小斎とは鳥獣の肉を食べないことであります。
 

・なぜ金曜日は償いの日ですか。
 
・イエズス・キリストさまが金曜日に私たちのためにお死にになったからであります。
 

・教会の第六のおきてを唱えてごらんなさい。
 
・第六、おのおのの分に応じて教会の維持費を負担すること。



・罪のこと


・神さまにそむくことを何と言いますか。

・神さまにそむくことを罪と言います。


・知らずに神さまにそむくことも罪になりますか。

・知らずに神さまにそのくことは罪になりません。


・例えば小斎の日に忘れて鳥獣の肉を食べれば罪になりますか。
 
・いいえ、忘れた時は罪になりません。


・大きな罪を何と言いますか。

・大きな罪を大罪と言います。


・わずかのことでも大罪になりますか。
 
・いいえ、わずかなことは大罪になりません。
 

・よく知らずに神さまにそむくことは大罪になりますか。
 
・いいえ、よく知らない時は大罪になりません。
 

・大罪でない罪を何と言いますか。
 
・大罪でない罪を小罪と言います。


・大罪は何をもって罰せられますか。

・大罪は地獄をもって罰せられます。


・小罪でも罰せられますか。

・はい、小罪は煉獄で罰せられます。


・大罪でもゆるされる道がありますか。

・洗礼の前の大罪は洗礼をもってゆるされ、洗礼の後の大罪は告白をもって

 ゆるされます。



・告白


・だれに告白しますか。

・司祭に告白します。


・告白とは何でありますか。

・告白とは、罪をゆるしていただくために、司祭に罪を言いあらわすことであります。


・司祭はどうして罪をゆるすことができますか。

・イエス・キリストさまがその通りお定めになったからであります。


・司祭は自分の力で罪をゆるすことができますか。

・いいえ、イエス・キリストさまから与えられた力をもってゆるします。


・何を告白しなければなりませんか。
 
・大罪とその数を告白しなければなりません。
 

・大罪をかくせばどうなりますか。
 
・大罪をかくせば言いあらわした罪まで一つもゆるされません。
 

・大罪をかくせば罪はゆるされないだけですみますか。
 
・いいえ、なお一つの大罪になります。
 

・大罪をかくした時はどうしなければなりませんか。
 
・ぜひ告白をし直さなければなりません。
 

・大罪を忘れた時はどうでありますか。
 
・次ぎの時に告白すればよいのであります。


・罪をよく告白するにはまず何をしなければなりませんか。

・よく祈って糾明しなければなりません。


・糾明とは何でありますか。

・糾明とはどんな罪を犯したかをよく考えることであります。


・告白したばかりで罪がゆるされますか。

・いいえ、何よりも痛悔しなければなりません。


・痛悔とは何でありますか。

・痛悔とは罪をおかしたことを心から悔みきらうことであります。


・罰を受けるから罪を悔やむと言うだけで足りますか。
 
・いいえ、神さまにそむいたことを悔やまなければなりません。
 

・イエズス・キリストさまに対してどう痛悔しますか。
 
・罪をもってイエズス・キリストさまを苦しめたことを悔みます。
 

・痛悔は罪を悔むだけでありますか。
 
・いいえ、今から罪を犯さないと堅くきめなければなりません。
 

・告白するために司祭のそばにいってまずどうしますか。
 
・『父と子と聖霊のみ名によって、アーメン』と、十字架のしるしをして、

 『私は罪を犯しましたから、霊父のえん祝をおねがいいたします』

 と言います。
 
・その次ぎに何を言いますか。
 
・その次ぎに前の告白はいつであったかを言います。
 
              
・前の告白はいつでしたと言ってからどうしますか。

・覚えているだけの罪を告白します。

 
・どういう心をもって告白すればよいのですか。
 
・司祭は神さまの代わりになって、告白をきいてくださると信じて

 すればよいのです。
 
・罪を告白することを恐れるのはどうでありますか。
 
・決して恐れる必要はありません。


・告白した罪を司祭が人に知らす心配はありませんか。

・司祭は殺されても、告白の時にきいた罪をもらすことができません。


・罪を告白してからどう言いますか。
 
・『私のおぼえている罪はこれだけですが、おぼえていない罪もいっしょに

 悔みますから、どうぞおゆるしください』と言います。
 

・罪を告白して後どうしますか。

・司祭のおさとしをよくきかなければなりません。


・罪のゆるしを受ける時どうしますか。
   
・一心に痛悔の祈りを唱えます。
 

・痛悔の祈りを唱えてごらんなさい。
  
・ああ神よ、われ、主の限りなくきらいたもう罪をもって、限りなく愛すべき

 おん父にそむきしを深く悔み奉る。おん子イエズス・キリストの

 流したまえるおん血の功徳によりてわが罪を赦したまえ。

 恩恵の助けをもって今より心を改め、再び罪を犯してみ心にそむくこと

 あるまじと決心し奉る。
 

・告白がすんでからどうしなければなりませんか。
 
・司祭から言われたことをよく覚えて、言いつけられた償いを果たさな

 ければなりません。
 

・人の告白を、そばで聞くのはどうでありますか。

・悪いことであります。


・司祭から言われたことを人に話してもよいですか。

・司祭ももらすことができませんし、私たちも告白のとき司祭に言われたことは

 自分のためのおさとしですから、人に話してはなりません。


・告白ののち何が大事でありますか。
 
・告白ののちに何より大事なことは罪を改めることであります。


・聖体のこと

・聖体とは何でありますか。

・聖体とはイエス・キリストさまのおんからだとおん血であります。


・イエス・キリストさまのおんからだは見えますか。

・いいえ、イエス・キリストさまはパンの形色の中にかくれておいでになります。


・なぜイエス・キリストさまはパンの形におかくれなさいましたか。

・もしイエス・キリストさまが実際お見えになれば、おそれおおくて、

 だれも近よらないからであります。


・聖体はやはりパンではありませんか。

・いいえ、パンの形、色ばかりであって、パンはイエス・キリストさまの

 おんからだに変わっております。


・聖体はパンの形色であるのに、どうしてイエス・キリストさまの

 おん体と言われますか。

・イエス・キリストさまが『これはわたしのからだである』

 とおおせられたからであります。


・イエス・キリストさまがかねていろいろな病人に向かって『なおれ』

 とおおせられた時、どうなりましたか。

・病人はすぐなおりました。


・死んだ人に向かって『起きよ』とおおせられた時、どうなりましたか。

・死人はすぐに生きかえりました。


・波風のひどいのに『しずまれ』とおおせられた時、どうなりましたか。
 
・波風はすぐしずまりました。


・それではパンを祝して『これはわたしのからだである』とおおせられた時、

 どうなりましたか。

・おことばの通りパンはすぐおんからだになりました。


・そうして弟子たちにどうおおせられましたか。

・『わたしの記念としてこの通りせよ』とおおせられました。


・パンはいつイエズス・キリストさまのおんからだになりますか。

・ミサの時であります。


・ミサとは何でありますか。

・ミサはイエス・キリストさまのおんからだとおん血を

 神さまにささげる祭りであります。


・ミサの時どうしなければなりませんか。

・イエス・キリスさまが実際祭壇の上においでになりますから、

 そのことを忘れないで、よくいのらなければなりません。


・ミサの時、あちこちを見たりぎょうぎの悪いことをしたりすればどうなりますか。

 イエス・キリストさまにたいそう無礼になります。


・聖体はイエス・キリストさまのおんからだとおん血だけでありますか。

・いいえ、聖体はイエス・キリストさまの全く生きておられるそのままであります。


・聖体は、イエスさまがベツレヘムのうまやでお生まれになりましたと

 全く同じでありますか。

・はい、全く同じであります。


・聖体は十字架にはりつけられなさいましたと同じイエスさまでありますか。

・はい全く同じであります。


・どういう心をもって聖体を拝みますか。


・聖体においでになるイエス・キリストさまの、おそばに行ったという考えで

 聖体を拝みます。


・聖体の前でどのように祈らなければなりませんか。

・イエス・キリストさまを目で見るように祈らなければなりません。


・パンと言うものは体の養いになるものでありますか。

・パンは体の養いになるものであります。


・イエス・キリストさまがパンの形のうちにおんからだをおかれたことは

 何を現わしますか。


・私たちの霊魂を養うものであることを現わします。


・霊魂を養うとは何のことでありますか。

・食べ物のように力をつけて、神さまの子どもである命を続けさせることであります。


・聖体拝領とは何のことでありますか。

・聖体をもってイエス・キリストさまを自分のからだにいただくことで、

・イエス・キリストさまと一つのものになります。


・聖体をいただくのは、おさないイエスさまをだくようなことでありますか。

・それよりなおありがたいことであります。


・聖体をいただくのは、むかし子どもがイエスさまにだかれたようなことと

 同じでありますか。

・それよりもっとありがたいことであります。


・聖体をいただくことはどれほど幸いでありますか。

・聖体をいただくことは聖母マリアさまと似たことで、何より幸いであります。


・イエス・キリストさまと一つのものならどうするはずでありますか。

・イエス・キリストさまのお好みになることを私たちも好み、

 おきらいになることを私たちもきらわなければなりません。


・大罪がありながら聖体をいただけばどうなりますか。

・また大罪を重ねて、ひどい汚聖の罪を犯します。


・大罪があれば聖体をいただく前にどうしなければなりませんか。

・ぜひ告白して大罪のゆるしを受けなければなりません。


・聖体をいただく前に飲食してはどうですか。
 
・聖体をいただく前に、水は飲んでもよいですが、他の飲み物を飲んだり

 食物をたべたりしてはなりません。

 
・いつから飲食してはなりませんか。
 
・食べ物や、水のほかの飲み物は、聖体をいただく一時間前から、

 とってはなりません。ただ水だけはいつのんでもよろしい。
 
       
・聖体いただく時に衣服はたいせつですか。
 
・よい衣服を持っていなければ、ふだん着でも聖体を受けられます。

 けれども初聖体拝領は心のお祝いですから、その時はできるだけ

 よい衣服を着るのがほんとうです。
 

・そのほか聖体をいただく前にどうしなければなりませんか。
     
・ぜひ準備のお祈りをしなければなりません。
 
  
・ごミサの間に「聖体拝領の祈り」をすることができない時にはどうしますか。
 
・ごミサの祈りさえよくすれば、それで十分であります。
 

・聖体をいただく時はどういう心がけがたいせつですか。

・聖体のうちにイエスさまがかくれておいでになることを堅く信じて、

 目で見るように、ありがたく思う心をもっていただくことがたいせつです。


・聖体をかみますか。
 
・かんでもよいのですが、舌の上でやわらかくなった時のみくだします。
 

・聖体が歯あるいはうわあごにくっついたならば指でさわりますか。
 
・指または舌の先で静かにはずさなければなりません。


・聖体をいただいてから、どうしなければなりませんか。

・聖体をいただいてから、感謝し、お祈りをしなければなりません。


・だれのために祈らなければなりませんか。

・自分のためはもちろん、親、兄弟、親戚、恩人のため、

 またみなのために祈らなければなりません。


・聖体をいただいてからお祈りをしただけですみますか。
 
・いいえ、これからすべてをもっと熱心にするように心を励まさなければ

 なりません。
 

・聖体をいただいた時、ことさらによいことがありませんか。
 
・こんどはイエズスさまをお喜ばせするためにどうすればよいかと考えて、

 くふうするのが何よりよいことであります。
    

・聖体をいただいてから、またイエズスさまをお悲しませすれば

 どうなりますか。
 
・恩知らずで、たいへん悪いことであります。
 

・聖体をたびたびいただくようにするのはよいことですか。

・それこそイエスさまのお望みのことであって

 私たちの霊魂に大いにためになります。


・聖体をたびたび受ける人はどういう覚悟でいなければなりまんか。

・聖体をたびたび受ける人は、聖体を受けるたびに、心をいれかえ、

 もっとあやまちを改め、イエスさまのおん徳にならい、

 しっかりした信者となり、人のおてほんとなるように努めなければなりません。


・よい子どもはおみ堂をどう思わなければなりませんか。

 おみ堂を神さまの家と思い、これをよごさぬように注意し、

 またお祈りをする所でありますから、そこにおいでになるイエスさまを

 時々訪問し、出入りする時はさわがず、走らず、ぎょうぎよく

 お祈りをしなければなりません。


・よい信者は教会をどう思いますか。

・よい信者は司祭と心を合わせて教会の栄えることを祈り、

 そのために働きます。そして教会の喜びを自分の喜びとし、

 その悲しみを自分の悲しみとするのであります。




   出典: 子どものカトリック要理 ベネディクト冨沢札幌司教区認可(昭和35年7月25日)
        発行所:光明社(札幌市東区北11条東2丁目)
        (サンパウロ書店で購入できます。)
        光明社より転載の許可を頂きました。ありがとうございます。2007.5.2 広報部
        ※一部現代語に改めている個所があります。