雑記帳 川瀬健一
目次

『鶏排英雄』一億三千万元(三億九千万円)売上
『鶏排英雄ロケ現場』で「大入り満員間違いなし」と書いた。が、その通りとなった。旧正月に封切り、約三ヶ月の上映で三億九千万円を売上た。
売上が三億円を超えた映画は、魏徳聖監督『海角七号/君想う、国境の南』、鈕承澤監督『艋舺』、葉天倫監督
『鶏排英雄』である。
葉天倫監督の次の作品が楽しみである。

テレサ・テン 金宝山墓園の記念公園

美空ひばり 台湾公演『美空雲雀-哀愁音調出色的歌星』2008.12.27
台湾映画巡回展『戲夢五十』の活動について 
2009.2.1
2008金馬奨 『海角七号』『一八九五』 
姜聖民が最優秀新人賞 
黄仁氏・特別功労賞  2009.3.3
                                      
「日本統治時代に台湾で上映された映画」の目録  
2009.4.28

2009金馬奨 戴立忍『不能没有你最優秀新人賞余少群『梅蘭芳』傑出電影工作者賞 李龍禹

磁條金融卡交易取消 2010.9
ちょっとだけ、声優をしました 2010.12.2 
鶏排英雄ロケ現場


テレサ・テン 金宝山墓園の記念公園
川瀬健一
テレサ・テンが眠る金宝山墓園の記念公園 2008年6月7日
 何度も金宝山墓園のテレサ・テン記念公園の近くを通っていますが、行く機会がありませんでした。
 数日前も金山の温泉に連れていってもらい、記念公園の下を車で通過していました。 それから一週間後に、何とか縁があってテレサ・テン記念公園に行くことができました。
  テレサ・テンとは会いたいと思い、知人に仲介を頼んでいました。しかし、台湾に帰ってきてもお忍びという感じで会うことができませんでした。
鄧麗君と会ったのは2005年です。
といってもテレサ・テンのそっくりさんですが。西門町の鳳凰大歌廳。没後10年目の記念公演です。シンガポールなどのコンテストで、彼女は鄧麗君そっくりさん一番になったそうです。
 テレサ・テンは国軍のアイドルだったので、ここに来ていた人々は恰幅のよい老兵ばかりでした。千元札を何枚もチップとして渡しているのには驚きました。
 歌の途中で、そっくりさんの鄧麗君が、「今日は日本から私の友達の川瀬健一先生が来られています。川瀬先生は・・・」と紹介をはじめました。いままでのざわつきが急になくなり、一瞬静寂が会場にみなぎりました。
 ところで、だいぶ前になりますが、鄧麗君が7歳から住んでいた廬州の家と通っていた小学校に行ったことがあります。
 ビックリするようなボロ家でした。1960年に廬州に引っ越して来ましたが、それまでは屏東市の空軍基地の近くに住んでいました。




鄧麗君は7歳で、台北県廬州に引っ越し、写真の住宅に住んでいた。
今となっては、この住宅は貴重な文化遺産といえる。



美空ひばり台湾公演『美空雲雀-哀愁音調出色的歌星』  川瀬健一

                          
(左)中央日報 1965年10月29日より
(右)「国賓大飯店」でおこなわれた台湾公演「世界に名を馳せる美空雲雀小姐」ポスター

 台湾の日本料理店やカラオケ・タクシーでは彼女の歌が流されているし、音楽テープ、VCDなども街中にあふれている。台湾の有名な歌手が、「美空雲雀は、歌の神様です」と私に言ったことがある。
 今でも美空雲雀を知る台湾人は多い。
台湾では美空ひばりを漢字で「美空雲雀」と書く。
 2008年の2月から一ヶ月、台湾映画の資料集めと総統選挙を見るために台湾に滞在していた。
 3月22日、野党・国民党の馬英九765万8724票、与党・民進党の謝長廷544万5239票と221万票の大差をつけ、馬英九が中華民国総統に当選した。国民党にとっては8年ぶりの政権奪還となった。
 その時のことだ。
 以前から知り合いの日本人から、「わたしが台湾へやってきた1965年か66年に美空ひばりが蒋介石によばれて、陽明山の蒋介石の邸宅で歌った」というのだ。「仕事の関係で国軍の高級将校などとのつきあいがあり、この話を聞いた。だから本当だと思うよ。そののちも何度か台湾へ来たようですよ。小林旭と結婚したときも・・・」と彼は話を続けた。
 当時28歳であった美空ひばりは、確かに1965年10月29日~11月2日まで5日間「国賓大飯店」で台湾公演『美空雲雀-哀愁音調出色的歌星』を行っている。共演者は林与一、原信夫とシャープ&フラッツである。
 入場料は下記の通りである。
午餐/前席200元 中席170元 後席140元
晩餐/前席230元 中席200元 後席170元
宵夜/前席150元 中席なし 後席120元

 1965年10月28日に、美空ひばり台北に着。母親の喜美枝さんや弟の香山武彦、林与一など一行二十六人である。蒋介石総統に誕生祝いのプレゼントし、日本大使館と外交部などを訪れる。

「美空ひばりファン掲示板」によると、「美空雲雀 公演の様子と参加者」というテーマで次のように紹介されている。 (311) 題名:Re: 「週刊平凡」1965.11.18
 台湾での国をあげての歓迎。張群秘書長(首相)、蒋経国国防相、何応欽外相などカブリツキに列席しての公演、また一万5千人を集めた台北体育館での公演……。そのときは「ひばりチャーン」と日本語(?)の声もかかった。なまりの強いその声に、ひばりは感激したものだった。
 それから台北にある日本人学校をたずねたこと。三十二人の生徒が、運動会をやるというので、ひばりはクッキーを用意して訪問したのだ。突然の訪問におどろきながら、PTA会長さんは大よろこびで生徒にひばりを紹介。
 幼稚園の生徒などは、ひばりにダッコされてキャッキャッとさわいだ。名前も知らない子供を抱く、こんなこともひばりには初めてのことだった……。

 蒋介石総統は、美空ひばりの大ファンだったのではないかと考えた私は、2008年5月に台北にいった。知人をはじめ、国賓大飯店、台北日本人学校、交流協会、日本人会などに、このときの資料がないかどうかを調べてもらった。交流協会からは「1972年以前の大使館時代のものは一切資料がない」との連絡があった。また、日本人会にも資料がなかったが、日本人会主催で王貞治さんに公演を依頼したときの冊子をいただいた。国賓大飯店、台北日本人学校は三週間近く探していただいたが残念ながらダメだった。
 どこにも写真やポスターなどがないとガッカリしていたときに、マスコミ関係の仕事をしているHさんから「散歩していたときに美空ひばりのポスターを見た」という話しが飛び込んできた。店を聞くと、知人の黄さんが時おりいく店だ。さっそく黄さんに電話をし、同行してもらって写真を撮ることができた。先に載せているカラーのポスター「世界に名を馳せる美空雲雀小姐」である。

台湾で上映された美空ひばりの映画一覧
1951年
『青空天使(青空天使)』監督/斎藤寅次郎 主演/美空ひばり・入江たか子・花菱アチャコ・伴淳三郎・清川虹子
1954年
『悲傷的口笛(悲しき口笛)』監督/家城巳代治 主演/美空ひばり・原保美・菅井一郎・津島恵子・徳大寺伸
『丈夫的秘密(おどろき一家)』監督/斎藤寅次郎 主演/美空ひばり・入江たか子・花菱アチャコ・古川緑波
『蘋果小姐(リンゴ園の少女)』監督/島耕二 主演/美空ひばり・山村聡・小園蓉子 
1955年
『弧女流浪記(東京キッド)』監督/斎藤寅次郎 主演/美空ひばり・川田晴久・堺駿二・高杉妙子・西条鮎子・磯野秋雄・榎本健一
1956年
『羅曼斯姑娘(ロマンス娘)』監督/杉江敏男 主演/美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ・森繁久弥
『淘氣姑娘(ジャンケン娘)』監督/杉江敏男 主演/美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ
1959年
『孝女復仇記(競艶雪之丞変化)』監督/渡辺邦男 主演/美空ひばりの三役
『劍底情鴛(おしどり喧嘩笠)』監督/萩原遼 主演/鶴田浩二・美空ひばり・堺駿二
『女武士(女ざむらい只今参上)』監督/渡辺邦男 主演/田崎潤・美空ひばり・近衛十四郎
 このほかに、『のど自慢狂時代』監督/斎藤寅次郎 主演/美空ひばり・杉狂児・花菱アチャコ・並木路子・清川虹子・江戸川蘭子・灰田勝彦などが公開されている。 

入場料と台北の物価
 この当時の台北の物価はどうだったか、何人かの知人に聞いてみた。
 このころ1000元前後の月給が平均だったようだ。映画館の料金が10元から12元、マントウ1元、バスは1元、煙草平均6元(長寿20本入り一箱10元)、紹興酒大瓶42元、白ご飯一杯1元、米一斤(500グラム)が2元4角、子供用三輪車130元、タクシー2キロまで基本料金6元で400メートルごとに2元上がる。 日本円一万円が、新台湾ドル1000元の時代である。
 1959年に小学校の修学旅行に行った陳栄輝さんは、「員林・台北・基隆をまわる二泊三日で70元。交通費・旅館・食事込み」だと話してくれた。
 また、1944年生まれの林章隆さんは、「1969年に大同公司で働いていたが日給が35元、一ヶ月で1050元の月給になった。しかし、食事も交通費も自分持ちだから大変でした。昼や夕方に工場で食事をとると飯・おかず一品・スープで4元かかるが、肉体労働だし若かったので二杯ほど食べないと満腹にならない、食事代だけで日給がなくなるように感じた」という。林章隆さんは兵役にいった(1964年8月から1966年8月まで)が、兵隊の月給をよく覚えていて、「二等兵75元、一等兵85元、上等兵95元、下士官106元だった」と教えてくれた。
 当時の台湾では映画館や劇場は、終了の5分前ぐらいになると誰でも自由に入れるように入り口を開け短時間だが無料で見ることができた。
 この時代の入場料が、美空ひばり230元だから、いかに高いかがわかってもらえるだろう。
 
美空ひばり 台湾公演『美空雲雀-哀愁音調出色的歌星』は、「台湾映画」2008年
川瀬健一「台湾での日本の俳優・歌手の活躍 池部良・石原裕次郎・美空ひばり・小林旭」より「Ⅲ 蒋介石と美空ひばり」に手を加えて抜粋しました。



台湾映画巡回展『戲夢五十』の活動について 川瀬健一
                                           

  

 台湾映画巡回展『戲夢五十』の活動は、2006年11月9日から2007年3月30日まで台湾各地で行われた。
 この催しは、1956年に台湾人の監督・何基明によって『薛平貴と王寶釧』が上映され、今年で50年になるのを記念して開催された。
 台湾映画巡回展の主旨は、「映画は今世紀に大きく発展し、芸術の各方面を包括しだけでなく、特定の歴史や社会発展の様相を記録した。
 初期の観衆も、かって多かれ少なかれ映画館や廟の前、コミュニティの広場で 台湾語映画を観賞したことがある。
 だから、 台湾語映画の鑑賞は民衆の記憶を呼び覚ますだけでなく、民衆が一緒に参加する一種の文化活動であり、文化生活の烙印である」と、されている。
 活動地域と詳細は、次の通りである。
2006年
11 月 09 日 / 19:00  台北紅樓劇場北広場
 11 月 10 日 / 19:00  龍山寺前艋舺公園
 11 月 10 日 / 19:30  淡水古蹟博物館(紅毛城)
 11 月 11 日 / 19:00  二二八和平紀念公園音楽台
 11 月 10 日 至 11月 17 日  真善美戲院
 11 月 14 日 至 11月 17 日  台北県政府芸文中心演芸庁
 11 月 15 日 13:00  静宜大学伯鐸樓文学院劇場
 11 月 19 日 19:00  淡水捷運站8号広場
 11 月 22 日 至 11 月 30 日  新竹市立影像博物館
 12 月 09 日 至 12 月 16 日  新竹内湾戲院
 12 月 23 日 至 12 月 31 日  高雄市電影図書館
2007 年
  1 月 02 日 至 01 月 09 日  國立台中図書館
1 月 20 日 至 01 月 26 日  嘉義県図書館
  2 月 03 日 至 03 月 11 日 花蓮県図書館
  3 月 17 日  新北投公園

 私は台北・真善美戲院の台北西門町主題影展活動(2006年11月10日 至11月17日)と台北國父紀念館で開催された慶祝台語電影五十週年回顧晩会(2006年11月8日)に参加した。
 11月8日  台北國父紀念館 慶祝台語電影五十週年回顧晩会
國父紀念館の大きな会場は、往年の歌手・俳優を見ようと多くの人々が押しかけ超満員だった。
 司会は、楊貴媚と澎恰恰。主な出演者は、余天・郭金發・秀蘭瑪雅・洪一峰・文夏・黄西田など。
 真善美戲院は、台北市漢中街・西門町にある。この映画館は、交通の便もよい。台湾語映画の有名な29作品を一週間にわたって無料で鑑賞できた。
 私は何とか時間をつくって、できる限り多くの台湾語映画を見るようにした。入場者数は、私が参加した時は自分で数えた。
台北西門町主題影展 台北市漢中街116號7樓 真善美戲院
日期 曜日   時間   映画名  入場者数
11/10 金  19:00   王哥柳哥遊台灣 74名
11/10 金  21:00   丈夫的秘密 65
11/11 土  10:00   張帝找阿珠 34
11/11 土  13:00 雨中花 45
11/11 土  15:00   雙雄大戰鐵假面 65
11/11 土 17:00   舊情綿綿 83
11/11 土  19:00 龍山寺之戀 96
北京語三分の一ほど、字幕なし、北京語の歌の時だけ、字幕あり。
11/11 土  21:00   温泉郷的吉他 68
11/12 日  10:00   三八新娘憨子婿 35
11/12 日  13:00   不平凡的愛 71
11/12 日  15:00 泰山與寶藏 102
11/12 日 17:00   鹽田區長 113
11/12 日  19:00   高雄發的尾班車 105
11/12 日  21:00   見君一面 32
11/13 月  10:00   大俠梅花鹿 24
11/13 月  13:00   風流的胡老爺 62
11/13 月 15:00   懷念的人 50
       なぜか全部、北京語。
11/13 月 17:00   六個嫌疑犯 55
11/13 月  19:00   安平追想曲 79
11/13 月  21:00   地獄新娘 64
字幕なし、「荒城の月」など日本の歌あり
11/14 火  10:00   楊令婆脫殼 43
11/14 火  13:00   王哥柳哥遊台灣 107
11/14 火  15:00   丈夫的秘密 112
11/14 火 17:00   張帝找阿珠 115
11/14 火  19:00   康丁遊台北 75
11/14 火  21:00   三八新娘憨子婿 51
11/15 水  10:00   十二寡婦征西 42
11/15 水  13:00   龍山寺之戀 99
11/15 水  15:00   安平追想曲 126
字幕なし、日本人形が印象的。
11/15 水 17:00   地獄新娘 98
11/15 水  19:00   舊情綿綿 110
11/15 水  21:00   燒肉粽 86
11/16 木  10:00   舊情綿綿 67
「赤城の子守歌」など、字幕なし。
11/16 木  13:00   鹽田區長 129
11/16 木  15:00   温泉郷的吉他 156
11/16 木  17:00   懷念的人 110
11/16 木  19:00   風流的胡老爺 81
11/16 木  21:00   六個嫌疑犯 48
11/17 金  10:00   不平凡的愛 75
11/17 金  13:00   見君一面 134
字幕なし。
11/17 金  15:00   三八新娘憨子婿 156
11/17 金 17:00 高雄發的尾班車 167
字幕なし、「天国に結ぶ恋」のメロディー
 一週間にわたる真善美戲院での台湾語映画の鑑賞者が、3475名だったのは少し寂しい。催しの主旨は良いのだが、台湾らしく根回しもわるくあまり広報が行き渡っていなかったようだ。
しかし、私にとっては今まで見ることができなかった台湾語作品を見る機会ができて参考になった。
 一つ不思議だったのは、11月13日の月に15:00から上映された『懷念的人』は、全編が北京語だった。台湾語映画と銘打っているのに!!台湾らしくて良いのかもしれないが。「台湾映画」2008年より


2008金馬奨 『海角七号』姜聖民が最優秀新人賞『一八九五』黄仁氏・特別功労賞  2009.3.3

 2008年度の金馬奨は、12月6日台中で開催された。
 台北から台湾新幹線で行き、タクシーで台中の会場・中山堂まで行った。

『海角七号』多くの賞を受賞
 予想通り『海角七号』が六つの賞を受賞をとった。十数年にわたって低迷していた台湾映画界の起爆剤として認められたのだろう。                   

姜聖民が最優秀新人賞
最優秀新人賞を姜聖民がとった。
 姜聖民とは受賞後、少し話しをしたが、「まったく思っていなかった。ビックリしました。夢のようです」とトロフィーを握りしめながらニコニコと語ってくれた。
 この様子からも、姜聖民の純粋さがヒシヒシと感じられた。

『海角七号』と『一八九五』
 私も台北で『海角七号』を見たが、ここまで大ブレークするのには驚いた。今までの台湾映画と違って、南部の暖かい地域のゆったりしたときの流れと、台湾人らしさがにじみ出ている配役、映像も明るく美しかった。「二度三度と見た」と何人もの人たちが言っていた。
多くの若者が話してくれたのは、『海角七号』が単なる映画ではなく、マスコミなどの強い影響を受け、見ていないと話しについて行けなくなったと云うことだ。それと、インターネット上で『海角七号』に関することが、多く出ていて興味を引かれたとも話してくれた。
 若者の間では、「台湾映画を見よう」というような意識が、非常に高まっている感じがした。『海角七号』に続いて公開された『一八九五』も、会社側が予想していた以上の好評で、観客が詰めかけている。
 『一八九五』は歴史もので、観客を動員するのは難しいと予想されていた。が、その予想を覆して好成績をあげている。
 このような現象の根底には、先に述べた「台湾映画を見よう」という台湾意識や台湾をもっと知りたいという意識が今まで以上に大きく働いていると考えている。
 今後の台湾映画が、より台湾で、日本で、周辺諸国で見られることを望んでいる。

黄仁氏・特別功労賞
 
今回、映画研究家の黄仁さんに特別功労賞が授与された。
 黄仁さんは、台湾の淀川長治。1925年福建省の生まれ。学生時代から演劇などに興味を持ち1948年に台湾にやってきて、新聞の映画部門を40年以上も担当する。そま間にも映画雑誌を創刊。84歳を超えた現在でも、次から次へと著書を出版しているし映画も見ている。ちょっとやそっとではマネができない。台湾の映画の生き字引的存在である。
 台北に行くと、私はよく黄仁さんのお宅を訪ねる。
 ある時ドアが壊れてベルを押しても自働ドア開かなかった。階段を駆け下りてくる足音が響く。黄仁さんの家族が走っておりてきてくれたと思っていた。ドアが開くと、80歳を超えた黄仁さんが立っていた。4階から駆けおりてきたのに、息はあまり弾んでいないのにも驚いてしまった。
 元気な秘訣を聞いてみたが、「別にない」との答え。興味ある映画を見その資料を集め
読み、まとめるという作業の中に、氏の元気の秘密があるように思う。
特別功労賞といえば、以前に陳子福氏も受賞されている
陳子福さんは映画の手描きポスターを数千枚描き、その作品の多くを守ってきた人である。

 
 



左)   

                  
川島 茉樹代                    ビビアン・スー     
文・撮影・川瀬健一
2009.3.3




「日本統治時代に台湾で上映された映画」の目録
  7年ほどかけて、「日本統治時代に台湾で上映された映画」の目録を作成している。
  目録作成のきっかけは、どのような映画が台湾で上映されたのだろうか、中国映画はどれぐらい上映されたのか、を知りたくて始めたが、これだけ時間がかかるとは予想していなかった。
 大まかに50年間の資料を集め、それを時代ごとに一覧表にしていった。
 初めはマイクロフイルムで古い新聞を一ページ一ページ丹念に見ていったが、数ヶ月分を見るだけでも数週間が必要だし、字がつぶれている所も多く読み取り不能な箇所も多くある。それをコピーすると、より状態が悪くなる。
 これでは、何時になったらできるのかと・・・・・
 マイクロフイルムをやめて、複製印刷された縮小版のコピーで調べるという方法をとることにした。
 復刻技術がまだまだだった頃に台湾で複製したものだから一部が真っ黒になっている箇所も多く、これまたマイクロよりも、状態が悪い。しかし、複製印刷された縮小版のコピーでないと50年間の資料を収集することは時間がかかりすぎて不可能だと考えた。
 台湾には、年に三回程度行く。一回で一ヶ月滞在するが、その間に、100人以上の映画関係者や知人に会う。その隙間をぬって目録作成の資料収集となる。
 今年も2月から台湾に行く予定だったが、日本で用事があり3月に一ヶ月行ってきた。
 当初の予定では、50年分の目録を一挙に出版しようと考えていた。しかし、抜けているところが見つかったりしたために、再度確認をしながら10年分ぐらいずつまとめて出すことにした。
 まず初めに1935年から1945年分の目録を、できるだけ完璧にして出すことにした。
 資料の字が潰れたり真っ黒になっていなかったら、もっと楽に正確なものができるのにと思いながら、「日本統治時代に台湾で上映された映画目録 1935年~1945年」(仮題)の作成のため、毎日5時間ほどかけて再校正や追加などをおこなっている。
2009.4.28 


2009金馬奨 戴立忍不能没有你最優秀新人賞余少群『梅蘭芳』・傑出電影工作者賞 李龍禹


 李龍禹叔父さん

今回の金馬奨の大きな特色は、今まで映画界で貢献してきた人たち、すなわち縁の下の力持ちの方々にスポットを当てたところにあったと考えている。
例えば、台湾傑出電影工作者賞を受賞した李龍禹さん。全く予想していなかった受賞で本人自身も驚いていた。
というのは台湾傑出電影工作者賞にノミネートされていたのは、 戴立忍・高捷と李龍禹の三人だったからである。
李龍禹叔父さんとは、何度か撮影現場で会っている。
初めてあったときは、監督と間違ってしまった。というのは、ドカンと椅子に腰をかけ、明るい内はじっと見ているだけだった。暗くなってくると、かぜん若いスタッフを引き連れて動き出した。照明器具を持って。それでやっとライトマンだとわかった。金馬奨にも、いつもの作業服できていた。
また、今まで台湾映画を支えてきた人たちを紹介するという
、こともやってのけた。
昔から台湾映画界を支えたラボ関係者・カメラマンなどなど、次々と紹介された。
主要受賞リストの次に、私が写した写真を載せておく。

第46回金馬奨 主要受賞リスト
最優秀作品賞 戴立忍『不能没有你』
最優秀オリジナル脚本賞 戴立忍・陳文彬『不能没有你』
最優秀改編脚本賞 管虎『闘牛』
最優秀攝影賞 曹鬱 『南京!南京! 』
最優秀創作短編作品賞 温之儀『片刻暖和』
最優秀記録作品賞 『音楽人生』
最優秀監督賞 戴立忍『不能没有你』
最優秀主演男優賞 張家輝『証人』・黄渤『闘牛』
最優秀主演女優賞 李冰冰『風声』
最優秀助演男優賞 王学圻『梅蘭芳』
最優秀助演女優賞 恵英紅『心魔』
最優秀新人賞 余少群『梅蘭芳』
出電影工作者賞 李龍禹
終身成就賞 明驥





左上・李冰冰小姐/上・戴立忍監督/左・余少群/下・金馬奨主席 侯孝賢監督・音楽工作者
の杜篤之と林強/下左・澎恰恰
・川瀬/下右・林強・川瀬・李崗監督


磁條金融卡交易取消 2010.9

今回の台湾滞在で、天理台湾学会の国際討論会及び国王大飯店の会などでお会いした多くの人々を除き、
相変わらず三週間で百数十名の方々にお会いすることができました。
日本が今年の夏は異常に暑かったので、台北は奈良より涼しいように思えた。
二年半前から、体力的なことも考えて夏は台湾へ行かないことにしている。
久しぶりの夏の台湾であった。
毎回、何やかやと資料らしきものを購入するが、だんだんと重いものを持ち運ぶのが嫌になり徐々に買いしぶっている。
以前だと一冊3キロ以上もあろうと思われる本なども喜んで買って帰ったが、今は自分の身体と本の重さなども考えて
極力少なくしている。
と言いながら今回も資料になりそうな書籍をだいぶ持って帰った。そのうち、薄くて内容が良さそうなのが『中国早期電影史』上海人民出版社、ハードカバーだが適当な頁数の『韓国電影史』上海訳文出版社が気に入っている。

磁條金融卡交易取消
今回一番困ったのは、十年以上も使っていた銀行のカードが使えなくなってしまっていたのことです。5月から6月にも台湾へ行きましたが、この時は使えた銀行のカードです。
お金を出す必要があり、ATMにカードを入れて操作すると「磁條金融卡交易取消」で画面に出ます。ATMにお金が入っていないからかと思い再度、別のATMで試みましたがやはり「磁條金融卡交易取消」との事。翌日、いつも行く銀行のATMでやってみましたが、同じように「磁條金融卡交易取消」と出ます。銀行の小姐にカードを見せて、「このカード使えないのですが」というと、「ICチップのついていないカードは使えなくなっています」との答え。
新しいカードを作ろうとすると、「通帳をつくったときの印鑑とパスポートを持って、台南の銀行に行ってください。ここでは手続きできません」というので、二十分ほど押し問答していると蔡経理(社長)が、「どうしました」と後ろから言うので、「お金が全くなくて、通帳も使えない」と少し大げさに答えると、「日本の僕の友達だ、直ぐに台南の銀行に電話して・・・」と中間管理職らしき人を呼んで言ってくれた。
小姐が『「統一證號」を中山警察分局でもらってきてください』というので、警察分局へ行くと、「移民署へ行きなさい」とのこと。移民署は広州街15号だという。行ったことがないので若い警察官に聞くと「和平病院の隣だ、すぐわかる」と教えてくれた。台湾の人は、「すぐわかる」とよくいうが、外国人にはそう簡単にはわからない。
移民署での手続きは、係の人と話している間に「統一證號」を作成してくれ、10分もかからなかった。
直ぐに銀行に帰り、手続きをはじめたが、何枚も書類にサインし、また台南の銀行から送られてきたきたファクスにも何枚もサインした。
手続き完了の最後のファクスが来るのに45分ほど待たされ、ちょうど昼にサインでお金を出すことができるようになった。
小姐は昼食の弁当をカウンターにのせたまま、一時間半ほど僕のために大活躍してくれていた。これも上司の命令だからだろう。どれだけ時間がかかるかわからなかったので、残念ながら11時半頃に、昼の約束をキャンセルする。
カードの方は帰国前に着くか着かないか微妙だとのことで、着かなければ次回来たときに渡すということだった。
台北にいる間に着いたときのために、携帯電話の番号を教える。
朝から、まる三時間の奮闘であった。
ちなみに、翌週の朝一番に銀行の小姐から電話があり、カードを取りに行き一件落着。
 
今回の旅では、会いたいと思っていた十数名の方と、お会いできる時間がなく残念だった。
毎回次回からは、会う人を一日3人にしようと思う。多くても4人ぐらいになれば、もっとゆっくりすごせるのにと思いいつつ、いまだに実現できないでいる。
今回も多いときは、一日七人という強行軍である。
しかし、これだけ移動できる心身と台北という地の利と交通費の安さにも感謝している。
今回も、いろいろな方々にお世話になりました。心よりお礼申し上げます。

ちょっとだけ、声優をしました 2010.12.2 
帰国する一週間前、知人から携帯に電話があった。
「映画の吹き込みをお願いしたいのですが・・・」
「僕でもできますか。ラジオやドラマに出たことはありますが・・・」
「大丈夫ですよ」
ということで、二日後にスタジオで収録することになった。
少し早めにスタジオの近くで会い、原稿を見せてもらった。
「できれば二人分の声を吹き込んでもらいたいです。うまくいけば、もう一人分・・・」
スタジオに入り吹き込みを始めた。
二人分は北京語を聞きながら、それに合わせて翻訳された原稿を日本語で合わせるものだった。
一回目の練習では、「一分ほど早く終わっているので、間合いをつくってゆっくりとお願いします」と隣の部屋からヘッドホーンを通して連絡があった。
今度は北京語を聞きながら、少しゆっくり目に間合いを明けて吹き込んだ。
「0.1秒余りますが、OKです。」
とヘッドホーンに連絡があった。
これで自信を持ってしまった私は、二人目も一度NGを出しただけでOKとなった。
「それでは、もう一人分お願いします。少し低い声で話していただいたら・・・」
台湾語が聞こえてきた。
一度、その分をモニターで確認し、練習の後、さっそく本番。
「OKです。この方は台湾語もわかるのですか」
「南部にもおられたから、少しは・・・」
とヘッドホーンから聞こえてきた。
20分ほどで収録が終わった。
「次回も、機会があればお願いします」
と言われて、
「よい経験をさせてもらいました」
どんなふうになったのか、映画ができたら見てみたいと楽しみにしている。

『鶏排英雄ロケ現場』  2010.11.17と29
『鶏排英雄』のロケ現場、板橋へ行く。
詳しい内容は教えられないが、夜店における牛排(ステーキ)と鶏排(フライドチキン)、西洋と台湾との戦いで、屋台80台ほどと、スター100名、さらにエキストラ一日100名×21日の大作。紆余曲折があって鶏排が勝利する楽しい映画。
予算は6000万元で、撮影期間は10月20日~12月10日。来年の旧正月に封切り。
来年の旧正月には、大入り満員間違いなし。

監督  葉天倫
カメラ  秦鼎昌
照明  李龍禹
主要俳優 猪哥亮・藍正龍・
嚴藝文・呂雪鳳・柯佳女+燕・劉品言ほか
http://www.wretch.cc/blog/nmHERO/6652760
詳細は、上記ウエブで見られます。