下北山ツチノコ共和国

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ミニ独立国とは

地域を売り込む手法の一つがミニ独立国(バーチャル国家)で、1977年大分県宇佐市に建国した「新邪馬台国」が第一号。井上ひさしの小説「吉里吉里人」がきっかけとなり1982年岩手県に「吉里吉里国」が生まれた頃から80年代の後半にかけてブームを呼び建国が相次ぎました。独立国は、観光客の呼び込みをもくろんだり、自然保護を中心としたり、文化活動を前面に出したりと様々です。活動も通年から年間のうち1日だけの国家があります。運営主体も、行政を巻き込んだ形で商工会・観光協会・事務組合・地域を活性化させたいと活動している団体や民間事業者と様々です。ミニ独立国はブ−ム以降全国で190ヶ国近く建国されましたが、休国や廃国が相次ぎ現在活動中は50ヶ国以下でしょう。

ミニ独立国国連憲章

全世界において、各国の活性化と民間活力による地域づくりを目指した全戸組に独立国は、国際平和を愛し、国際交流をよりいっそう深め、各国の発展を図るため、「ミニ独立国国際連合」を設立し、次の通り国連憲章を制定する。

第1条

ミニ独立国国際連合(以下国連と略称する)は、事務局を国連議長国に置く。

第2条

国連の総会は、ミニ独立国サミット(以下サミットと略称する)と称し、年一回開催する。次期開催国はサミットにおいて指名する

第3条

国連議長は、サミット開催国の代表が就任し、任期は時期サミット開催日までとする。

第4条

国連の円滑な運営をはかるため、常任理事国をおきサミットを開催した国、および「吉里吉里国」をあてる。また、サミットの承認を得て、顧問をおくことができる。サミットにおいても、重要な議題については、常任理事国会議の承認を得なければならない。

第5条

常任理事国会議は議長国が必要と認めたとき招集し、次のような事項を処理する。

  1. 国連の運営に関すること。
  2. 安全保障に関すること。
  3. 地域産業開発に関すること。
  4. 観光開発に関すること。
  5. 貿易に関すること。
  6. 保健体育に関すること。
  7. 教育文化に関すること。

ミニ独立国サミット

ミニ独立国国際連合では、毎年ミニ独立国国際連合サミット(通称後進国サミット)が開催されています。ツチノコ共和国も建国3年目に主催し、日本国より早く常任理事国(サミット開催国が常任理事国になれる)になり、活発な国際貢献ています。

第11回ミニ独立国サミット

ミニ独立国サミットの歴史

第1回  1983年4月3日  USAサミット(大分県宇佐市新邪馬台国)

第2回  1983年7月20日 ニコニコサミット(福島県二本松ニコニコ共和国)

第3回  1984年4月22日 アルコールサミット(新潟県佐渡真野町アルコール共和国)

第4回  1984年8月24日 なにわサミット(大阪市そやんか合衆国)

第5回  1985年11月22日 銀杏サミット(東京都八王子市銀杏国)

第6回  1986年10月12日 出雲おろちサミット(島根県出雲市出雲おろち共和国)

第7回  1988年3月     みちのくサミット(秋田県西仙北町秋田カエル村)

第8回  1989年7月16日  よかトピアサミット(福岡県田の四箇共和国)

第9回  1990年11月23日 忍術村サミット(滋賀県甲賀の里忍術村)

第10回 1991年10月20、21日  イノブータンサミット(和歌山県すさみ町イノブータン王国) 隣国イノブータン王国から是非とも参加するようにの要請を受け、ミニ独立国国際連合に加盟、初参加のサミットでした。

第11回 1992年4月3,4日  ツチノコサミット(奈良県下北山村ツチノコ共和国) 第10回のサミットに参加したのが運の尽き、何も解らないままサミットを引き受けさせられました。奈良県酒造組合連合会から、奈良県内のお酒50銘柄を提供いただきましたが、アルコール共和国が持参した新潟のお酒にお株を奪われました。

 
 

第12回 1993年 3月27,28日  アルコールサミット(新潟県佐渡真野町アルコール共和国) 夜行列車で新潟へ。冬の佐渡は良かった。

 

第13回 1994年11月22,23日  カニ王国サミット(兵庫県城崎町城崎カニ王国) 晩餐会はカニのフルコースのもてなし。国対抗の、出石でのわんこそばの早食い大会では3位入賞、城崎駅前では、カニさんありがとうと叫ぶ絶叫大会で2位入賞。

   
 

第14回 1995年 5月20,21日  いかんべサミット(栃木県南那須町大金いかんべ共和国) いかんべ国大統領には大変お世話になりました。サミット終了後、国王と王女が観光案内をしていただきました。

   

第15回 1996年11月22,23日 銀杏サミット(東京都八王子市銀杏国) この時の模様を、地域づくり情報誌「かがり火」に掲載した一文を転載しました。
会議は笑う。笑顔外交に励む元首たち・・・【ミニ独立国サミット報告記】

 

第16回 1997年 8月2,3日  チロリン村サミット(京都府宮津市チロリン村)初のアウトドアでの宿泊、使ったテントと寝袋はお土産でした。

 

第17回 1998年10月24,25日  カエルサミット(秋田県西仙北町秋田カエル村)  遠かった。期間中、3ヶ所の温泉を楽しむことができ良かった。「鶴の湯」も評判通りであった。わらで縄を編む競技で3位入賞。商品は、お米 秋田小町とリンゴとふるさとの香りいっぱい。


第18回 1999年10月2,3日 さくら草サミット(埼玉県浦和市さくら奏合奏国) 私が参加できなかったので、詳細は不明であるが。国王の談によると高尚なサミットであったそうな。 第19回 2000年のサミット 主催国は仁王の村(京都府)、2001年は銀河連邦です。詳細が決まればアップします

消滅してしまったのか?姿を見せない常任理事国も

11月23日、早朝4時に起床し、国王自ら運転する車に同乗し、出発。橿原から近鉄、奈良(H王女と召使合流)、京都経由、新幹線で一路、新横浜へ。さらに横浜線、中央線経由で銀杏連邦高尾駅に到着。銀杏国王女、主席、閣僚の手厚い出迎えを受ける。駅頭には、わがツチノコ共和国埼玉領事館領事Y氏の姿が。Y氏は、高校教師を定年退職後、青春18切符を利用しての旅行中、わが国に迷い込んで亡命。自宅のある埼玉へ戻るのを機に、埼玉領事として任命された人物である。時あたかも銀杏連邦は「いちょう祭」の期間中とあり、会場の並木通りはたくさんの人と出店でにぎわいを見せていた。わが国王、王女は視察と称して、人混みの中へドロン。先が思いやられる。さてサミットに先立ち開かれたのが、ミニ独立国国際連合常任理事国会議である。ミニ独立故国国際連合憲章によれば、国連の円滑な運営を諮るために、常任理事国及びサミット開催国、及び吉里吉里国(岩手県)がその任に当たることになっており、計13カ国で構成されている。しかしこれまで一度も代表が姿を見せない国もあり、他国の侵略を受けて消滅してしまったか、国家財政が逼迫して代表も派遣できないのだろうか? と心配になる。

一時は200国を超えたといわれたミニ独立国も、財政難による活動停止、元首の高齢化による混乱に乗じて、日本国の侵略を許してしまい消滅した国々も多い。ちなみにホスト国である銀杏回の加賀美恵王女の説明によると、招請状により50数ヵ国の国家の存在が確認された由。 さて、この常任理事国会議で根回し(?)を済ませた後、いよいよ「この街に心燃やそう」をテーマにミニ独立国サミット(通称・後進国サミット)が開会された。わが国国王、王女も、某大国に誘拐されることなく、無事合流。

通称〃後進国サミット″は、実りの多い話し合いの場

今回のサミット参加国は、計16。まず、民族衣装で勢ぞろいした各国の現状報告の後、開催国の銀杏連邦大野主席を議長に、ミニ独立国のネットワーク作り、ミニ独立国の活性化、ミニ独立国際連合の商標登録による経済活動の活性化等を討議。続いて次期開催国をチロリン村に決定、大会宣言を決議して、無事会議の幕は閉じた。 さて会議の中身はどうであったか。各国の設立経緯や財政状況、活動内容などに違いがあり、また短時間の会議であったために次回に結論を持ち越したものもあったが、全国ネットと地域ネット、インターネットでの情報発信、国連新開の発行、財政基盤確立のための商標登録、NPOの研究、国連事務局と事務局長の創設など、実りある詰も多かった。 ちなみに、わが国がサミットに参加するようになってから出合った参加国を運営主体別に分類すると、以下のようになりそうである。

【観光協会型】
ウソタン砂金共和国、ヨロンパナウル王国、アルコール共和国、大金いかんべ共和国、かに王国。商工会型=イノブータン王国、きらら王国

【商店街型】 田の四筒共和国

【特定企業型】 吉里吉里国、そやんか合衆国、チロリン村、甲賀の里忍術村

【民間有志型】 ツチノコ共和国、秋田カエル村

【特定期限型】 銀杏連邦、銀杏国

【官主導型】 しそう森林王国、平家の里栗山村、天狗王国ゆづかみ

【分類不明】 ブロードウエー共和国、レク共和国、ひしかりガラッパ王国

なお、わがツチノコ共和国の現状は、平成元年の建国から今日までに、延ベ1700余名強の亡命(参加者)を認めたが、他国への亡命、滞納による国外追放などで、現在の国籍登録者数は300名というところ。毎年、2月と6月に交流会を開催している。

各国元首の、オープンカーによるパレードも

公式会議終了後は、恒例の歓迎晩餐会。日本国からのゲスト参加もあり、各国首脳が酒を酌み交わし、親睦を深めたが、晩餐会途中でわが王女の亡命を画策する国あり、閣僚のトレードを申し込む国あり、旅費の足し(?)に民族衣装を売り出す国ありと、国際色豊かに盛り上がる。 晩餐会終了後も深夜まで秘密会議(二次会が続き、わが国もウソタン砂金共和国の制服についている砂金を目的に、大蔵大臣と農林大臣を招き、王女自らが精いっばいの色気で官官接待したが、逆に鮭と毛ガニの輸入自由化を押しつけられる結果に終わる。外交交渉は難しい。

翌日は、銀杏連邦ご自慢のクラシックカーのパレードに、各国元首と共に参加。約3qのコースを、「銀杏国」王女と主席を乗せた車を先頭に、深紅のブレザーに身を包んだ吉里吉里国外務大臣と、アルコール共和国大統領などを乗せた年代物のトラック、年代物のベンツ、ベンツオープンカーなどが続く。

最後の行事は、各国特産品を銀杏連邦の国民が販売する、ミニ独立国国宝鑑定販売。購入希望者多数の場合は、鑑定価格から競り上げるシステム。ちなみに、高額取引の部類は、吉里吉里国提供の南部鉄の茶釜、アルコール共和国の純米吟醸酒3本、コシヒカリ共和国の無農薬コシヒカリなどで、約5000円で取引される。ユニークな特産品としては、生きたアイガモ1羽500円があった。

わが国の出番が終わった段階で帰国の途へ。ほとんどの国民が、国家元首の国際会議出席に無関心のまま寝入っている深夜11時、無事生還。 さて、わが共和国であるが、ご多分にもれず国家財政は危機に瀕している。省庁の統廃合や閣僚の減少も意味なく、消費税アップもできずというわけで、国家財政安定のためには、亡命者を数多く受け入れる必要に迫られている。昨年12月からは、温泉施設「きなりの湯」も利用できるようになった。この機会に、わが国への亡命を、声を大にしてお薦めしたい。