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阪神大震災の写真

阪神大震災の当日は、東京にいた。朝テレビをのぞくと、黒煙が立ち上る異様な都会の風景が写っている。「神戸が大変みたいだよ。」と娘がいった。あわてて、奈良の母へ電話してみたが、もはや電話は通じなかった。電話がやっと通じたのは、午後になってからである。母は「いままで、放っておいて」と、連絡が遅いことを怒ったが、不幸中の幸いでなにごともなかった。ただ、いままでになかって激しい揺れを感じたとのことだった。

摂津本山に住む親戚に被害があった。神戸大学でデータベースを勉強していた学生は、卒業論文の完成を控えて大学へ通えなくなり、奈良の本学の講座で机を構えたりした。写真が好きなので、なるべく早く神戸へいってみたかったが、さすがに自制心が働いて、しばらく動けず、4月になって、ようやく神戸へでかけた。そのときの写真がこれである。自分で写したのではなくて、写されてしまった。いきさつは、次の手紙に詳しい。

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1995年4月26日

アサヒグラフ編集部殿

拝啓 はじめてお便りいたします。先日、親戚のものから電話があり、「歯医者さんで読んだ。アサヒグラフに載っているよ」というので、4月28日増大号を購入いたしました。最初のページ(3ページ)下部中央で、深刻な表情で被災あとを見て呆然と立っている男性がわたくしです。とてもいい写真で、おおいに気に入ったのですが、この先、写真だけ一人歩きすると困るので、ちょっと事情をご報告しておきます。

わたくしは、神戸に生まれ育ったので、この日は、その神戸の被害の壮絶さに声もなかったというのが正直なところですが、自分自身は被災者ではありません。現在は、奈良県に住んでおり、地震が発生したときには、東京にいました。神戸周辺にいる親戚は、被害を受けました。この日は、摂津本山の親戚を見舞ったあと、「社会見学だから」と、4月に就職する娘をともなって、三宮の被災地を見学にいったのです。

わたくしは、昭和35年神戸高校の卒業生です。当時はまだまだ貧しい時代でしたが、それでも、三宮周辺には毎週のように通った映画館やレコード喫茶がありました。それがみんな被害を受けて、全壊、半壊していました。映画館があった阪急三宮ビルは、もうとりこわしてしまってなにもなくなっていました。この写真は、三宮の神戸そごうをとりこわしつつある様子を、感慨にふけりながらながめているところだったと思います。

摂津本山のマンションで被災しためいは、マンションの再建に3年かかりそうだといっておりました。いまは、神戸の皆さんの奮闘を祈るだけですが、この写真はそんな背景の瞬間なので、わたくし自身は被害者でないことを、念のためにお知らせしたくて、ワープロに向かったしだいです。

さて、そのうえにお願いごとでは恐縮ですが、できましたら、次の二つがかなうと大変うれしく、よろしくお願いいたします。

一つは、このページの写真を大事に保存したいので、焼き増しをつくっていただけないでしょうか。必要なら、実費を支払います。もう一つは、わたくしが勤務する大学(奈良先端科学技術大学院大学)では、インターネット上の WWWとよばれるシステムで大学紹介を行っており、わたくし自身も登場します。そこに、この写真を使わせていただけないでしょうか。出典、カメラマン名を明記いたします。なお、本学のURLは、  http://www.aist-nara.ac.jp です。手近にインターネット接続した計算機がありましたら、ご覧ください。

 以上、突然のお便りとぶしつけなお願いですが、よろしくご配慮いただけましたら幸いです。末筆ながら、貴誌のますますのご発展をお祈りいたしております。

                               敬具

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この手紙は、インターネットが盛んになり始めたころのWWWを説明していて、その意味でも懐かしい。

アサヒグラフ編集部からは、すぐに短い返事が届いた。

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謹啓 依頼のありました写真の焼き増しをお送りいたします。お収めください。実費はいりません。インターネットでご使用の際、アサヒグラフ4月28日号と、撮影者の熊谷武二の名前を明記していただければと思っております。神戸のいち早くの復興を祈っております。敬具

                    アサヒグラフ ****

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というわけで、無料で写真をいただき、この写真はいまだにホームページにある。

あれから、もう8年。神戸はずいぶん復活した。みんな、もうあんな地震は二度とこないと思いこんでしまっているようだ。でも、神戸に大地震がくるなんて、予知した人はいなかった。わたくしも、夢にも考えなかった。天災は忘れた頃にやってくる。

        (つい興奮して、このプロポは長くなった。)


uemura@is.aist-nara.ac.jp
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