【価値】

人間にとっての価値とは? そして「価値ある生き方」とは? 所詮人間にとっての「価値」は、
人々が幸せを感じるものである筈である。

カントは「
・善・美」と分析した。
自分も青年の頃より、小林秀雄氏の本を読み、色々考えて来たが、人生の中で「真実」であるこ
とが必ずといって幸せなものではなかった。嫌な星(運命)のもとに生まれたこと、母が若くし
て死んだことなど、すべてが真実であるが、幸福とは関係なく、とても幸福とは言えないもの
であった。

しかし我等が学会の創立者・牧口常三郎先生は、「
・利・善」と説かれた。
美しいもの、利をもたらすもの、そして善なるもの。これなら納得できる。中でも人は、そし
て最高の生き方として「善」なるものを追い求め、そして行動・実践していくことであろう。

諺に「情けは人のためならず」や、「人のために灯をともせば、我が前明らかなり」など。やはり
最善は「人に尽くす」ことにあり、最も価値あるものであろう。これが「菩薩道」(菩薩の行い)で
あり、そこに「仏の生命」が顕れる訳である。

一方、モノの価値について考えると、例えばお金の価値について、幼子は最初のうちは、「紙
のお金」を上げても放ってしまい、「丸い硬貨」を渡すと喜んで買い物をする。しかし、ある
時子供が、おもちゃ売り場で母親が千円札を出して支払う様子を見ていて、何故か「おもちゃ
が手に入って、その上、丸い硬貨ももらえた」のを知った。以後、子供は、もう硬貨をくれと
言わなくなって、紙のお金をねだるようになった。
これを思うとき、同じ紙でも、印刷してある内容によって価値が異なることを知る。ただそれ
だけではなく、実際に「使って・経験して」その価値を知るわけである。

話は飛躍するが、同じ紙でも、唯一最高に価値あるものは、使った者・経験した者しか知らな
い「三大秘法の大御本尊」である。
異存を唱える者が目に浮かぶが、先ず使って、どうだったか、「認識せずして評価するな」と
牧口先生は言われている。幼子でも「使って」価値を知るのだから。
使おうともせず、すぐ反発する我がいのちの不可思議に思いを馳せたらどうか!。