【運命って?】

運がよかったとか悪かったとか、考えても「原因」なるものが分からないから「諦める」。
自分が生きて来た結果だと捉えず、あたかも周りの・他方・環境に原因があるかのように!
運命は変えることが出来ないのか、それとも、変えることが出来るのか?
変えられるとすれば、その方法は?

運命に翻弄され、色んな差別で泣いてきたこともあって、最大の課題であった。
いくら真面目に生きて来ても、逆らえない何かがあるのは感じていた。
交通事故でも、ほんの数秒違っていれば事故に遭わなかったとか、何故、煙草を吸わない人が、吸って
いる自分より先にガンになるのか。はては、何故、あの人は良く「くじ引き」に当たるのか、等々。

でも原因がないと論理的ではない。占いで当ったとしても、良い結果ならそれでもいいが、悪い結果が予
測されるなら、どのように生きればいいのか?
単に「心掛けや道徳」などで避けれるのか。
そこに付け込んで霊媒師・占い師がはびこって、「あの占い師は、過去のことがよく当る。
だから未来の予測も当るだろう。」と、信じてのめり込んでいく人も数多い。

運命は変えられる! と思っていた。しかしここまで方法・手段を知らなかった。
「過去の因(原因)を知ろうと思えば、現在の果(結果)をみよ。未来の果を知ろうと思えば、現在の因(やっ
ていること)をみよ。」と。(後述)占い師でなかろうとも、他人や環境の所為(せい)にせず、冷静に謙虚に
自分で生き方を省みれば、「現在の結果」も、未来への生き方も見えてくると言う訳である。

宿業・宿命とは、自らの過去の生き方が、自分の生命に刻み付け、積み重なった「いのちの癖・いのちの
傾向性」とも言えよう。
日本人の多くは、仏教では、生命の連続性・永遠性を説いていることは知っている。
生まれる前の「定業」と、また、生まれてからの「不定業」と説いている。だからその「いのちの癖」で、悪い
癖(悪業)を、よい癖(善業)転換すればいいのが道理というもの。

だったら、その替える方法として、何に基づいて生きて行けば良いのか。
諦めの棚からぼた餅に期待して生きて行こうとするのか、それとも、あくまで決して諦めずに、自力で善業
を積んで、生きて行こうとするのか。要領よく、人を踏み台にしていきるのか。人はだませても、自分の命
には嘘はつけないし、悪業として刻み付けられる。将来の運命は、それに依って、必ず変わる。

では、どう生きることが「善業」を積むことになるのか、また別項で記したい。