【法華経が何故廃れたのか】

以前に会社の出張で海外に出ることがあって、仏教の発祥地のインドから中国へ、そして韓国
から日本へと伝来した国々の状態を見聞きしてきたが、釈尊が説いた八万宝蔵と云われる経々
の中で、最高の教えである法華経が今はなく、実に爾前釈門の教えが広まり実践されている。

不思議なのは、中国の天台大師、日本の伝教大師が法華経を広め、夫々当時の宗教をおさめて
いったにもかかわらず、その後いずれも、またすたれていったのは何故なのか。

例えば、中国の仏教のメッカである敦煌を訪れた時も、またタイや韓国に行った時も、法華経
を見聞きすることはなく、釈迦の仏像、涅槃像を祀り祈り、様々な修行をしていた。
言葉が話せないもどかしさに、少々イライラしながら視て廻ったことを思い出す。

で、色々と勉強するうちに、その原因がみえて来た。
即ち釈迦は、法華経のまえがきとなる無量義経にて今までの教えを集約し、方便品で「42年
間の経(教え)を正直に方便(爾前教)を捨てろ」と説く。そして釈迦が本当に伝えたかった教え
「法華経」を説いていく。それは「全ての者の生命に仏の生命が宿り、全ての民衆を仏にした
い(以我令衆生。得入無上道。速成就佛身。)」(如来寿量品第16)と願うことにあった。

しかし、天台、伝教による中興の時があったにせよ、いずれも時が経つにつれて「経の本意」
が失われ、ただ「経」のみが残り、そして釈迦も、ヒンズー教などの「神々」と同じく「祀り
・祈る対象として伝わっていくこととなった。
これは、別項で記したが、釈迦滅後の千年(正法時代)は、教・行・証ともに存在したが、千年
後(像法時代)は、教・行で、証は無くなっていった。そして、釈迦滅後二千年後(末法)には、
教のみあって、行も証も滅してしまった。

釈迦自身は「全ての人間は平等に仏の生命を内包し、全ての人間は仏の生命を内在していると
説き、自分自身が仏の生命体なのだ」と。その思いも虚しく「神」にされてしまったところに
大いなる間違いが興り、伝わることになった。

最近の仏教に秀でた学者でさえ「経」のみの学問で、釈迦の本当の教えをつかめないでいる。
そのために「神」となった釈迦の像を祀り、祈ることになってしまっている。

しかし今、偉そうなことを述べているものの、インドから伝わった経はサンスクリット語で、
現在の法華経は、羅什によって「漢字」に訳されて、我々も読むことが出来るようになった。
しかも羅什は、少なくとも釈迦の本意を読み解き、翻訳していたといえる。
且つ、インドのネルーは、法華経が廃れたその原因を正確に把握されていたとのことであり、
我が先師が、法華経を深読され「仏とは生命なり」と悟達され、さらに深く理解出来るように
なった。
そして我らの日蓮仏法に依って、釈迦仏法の根本的な思いを越えて、新たな宗教の興隆を行っ
ていくこととなっている。その運動は、既に世界192か国・地域にわたっているので、どの
国を訪問しても、SGIの会館が建ち、多くの学会員に会うことができる。