先日テレビの深夜放送で、途中からだったが、日本軍がフィリピンを占領した時、先に植民地化していたオランダの
兵士の多くが捕虜となった。そして彼らは過酷な作業に従事させられ、またオランダ人の女性たちの多くは、日本軍
男性との間で結婚し子を産んだ。
しかし、戦況が変化し日本軍男性は追われて、または帰国したが、結婚した女性や、また生まれた子供を引き取るこ
とをせず帰国してしまった。
残された婦人たち、その子供たちの運命の軌跡をドキュメントしたものだった。

自分は、以前に陛下・美智子妃殿下がオランダを訪問された時、オランダ人の日本人に対する怨念を、解いて下さっ
たとの放送があるまで、なぜ彼らは、そうした憎しみを日本に対して持っていたのか知らず、単純に「よかった~」
と思っていた。が、上記の歴史を視るにつけ、多くの人達に「ここにも戦争の消し得ぬ歴史」が、今も尾を引き苦し
めていることを知った。
杉原千畝さんや、串本の漁民とトルコ船員の歴史、そして四国のドイツ人捕虜との第九の歴史などから、満州国も鉄
道の敷設や教育にも力を尽くしたこと。一方で、敗戦時の中国人により孤児たちの歴史も「大地の人」で知ったが、
良い話ばかりであった。

しかし今回の、多くのオランダ女性の運命を視て知ったが、あたかも死んでいった人達よりも、過酷な人生を送らね
ばならなかったと思えるような、壮絶な人生を送られて来ていた。
これは、日本人の女性の、アメリカ兵との間で生じたことと同じであったに違いないが、今まで、オランダ女性の来
し方ほども深刻に思っていなかった。韓国の「慰安婦問題」など歯牙にもかけなくてもいい話である。

今回追跡された方の人生はこうだ。
占領下のフィリピンで、日本人警察官とオランダ女性が結婚した。そして一人の女の子と一人の男の子が生まれた。
そして日本人警察官は、日本に帰国することになったが、敗戦状況下にあって、婦人も子供たちも置いて帰国してし
まった。残された婦人は、のちに子供を抱えてオランダに帰国する。そして、オランダ人男性と再婚する。
悲劇は、更にここから始まる。
オランダ人男性との間に、また子供ができ、子供たちは仲良く暮らし成長していくが、日本人警察官との間に生まれ
た長女が17歳の時、ふと目を覚ますとオランダ人の義父が上に乗っていた。間もなく妊娠したが、義父は長女に、
流産させるため、窓から飛び降りろと命じたり、二階のラセン階段から突き落とされたりした。しかし、母である婦
人は、主人であるオランダ人の行為に、何の長女をかばう行動もしなかった。できなかった。この長女は、そのまま
また女の子と男の子を産んだ(産まされた。)生まれてすぐ子供たちは施設に渡って行った。

長い年月を経て、婦人は帰国したオランダの人達からも虐められながらもお婆さんになった。そして長女も、また長
女が産んだ子供たちも、それぞれ結婚し、それぞれが家庭を築いていた。
ただ、やはり昔の忌まわしい人生の経験を呪いつつ、長女は母を恨みつつも母を探し求めて、そして相まみえること
が出来た。
祖母の日本人の警察官と結婚した父を語り、そして生まれた婦人もオランダ人の主人を語り、その義父からうけた、
近親相姦から生まれされた長女も、その義父を語り、それぞれが夫々の辛い人生を語りながら、お互いが許し合うた
めの、その苦しみを乗り越えるための、理解しあうための語らいが実現することになった。
階段から突き落とされた場所を訪ね、何度もトラウマと戦いながらも生きてきた人生。そしてそれを理解しよとする
長女。何度もお互いを尋ねて語らいながら、放送は二人が抱き合って理解し合う結果を映し出していた。

韓国人の慰安婦問題は、朝日新聞が読者の虚偽の訴えを世界に広め、今も虚偽だったことも訂正せず、政治的にまで
利用し日本人を攻め立てている。一方で韓国兵はベトナムで、それこそ何万人もの婦人を強姦し、ベトナムの婦女子
に同じ運命を辿らせている。今は韓国人は「臭いものに蓋」をして過ごしているが、時とともに明らかになり、今回
のドキュメンタリーのように世に知らされることになるだろう。
日本も、一握りの軍人たちによって間違った戦争を起こし、数えきれない人達に不幸な目に合わせてきた。何の理由
もなく、理不尽な人生を歩まされてきた国内外の人達。とりわけ、多くの婦女子が犠牲となっていった。

戦争にかこつけて、日本人はアジアの国々を占領しては「バンザイ」を叫び、提灯行列をして祝って来た。
一方で、理不尽な行為によって、多くの婦女子に過酷な人生を歩ませて来ているように、決して善いことをしてきた
わけではないことを、改めて思い知らされた。占領下の満州で鉄道を引いたことなど、今の中国からすれば何の価値
もない。戦争は、どんな理由からにせよ、絶対に起こしてはならない。起こそうとする「一部の官僚エリート」に騙
されてはならない。ヒットラーを称えたドイツ国民も、ユダヤ人の虐殺になびいていったことは、全く同じ「煽動」
のストーリーである。民衆は馬鹿ではいけない。選挙に行かない国民は、為政者にとっては好都合なことである。
平和ボケと云われて久しいが、こんな国民・壮年が育てた子供たちが今の親の世代。自分たちが苦労した苦労をさせ
たくないと育てたその親達が、平和ボケした青年たちを造ってしまった。考えてみれば、現代の世相を造ったのは、
他ならぬ「我らじじぃばばぁ」である。一方で、未だに能無しの「扇動者」によって、民衆が殺し合っている。

歴史は、知ってこそ価値がある。そして二度と繰り返さない「人間」を造ってこそ価値となる。



43.フィリピンでの戦争:オランダ捕虜その後