【仏教の伝来】

あるとき、仲間との「正倉院展」の話題から話が弾み、色々ネットで調べる機会があった。
その頃の天平時代は、藤原京より和銅3年(710)の平城京遷都から、延暦13年(794)の平安
遷都までを天平時代というが(以後平安時代に入る)、実際に仏像を安置し寺院を建立し、仏像
を安置したのは蘇我氏と、その一族であった聖徳太子など、貴族を中心としたものであった。

これら遣唐使による630年から約200年も続いた唐の文化や制度、そして仏教の日本への伝播には、多大な仏教と文化の伝来に貢献したといえる。
(釈迦滅後・第3の読踊多聞竪固の時代に当たる。)

当初は政治と仏教は良き関係であったが、不幸の始まりは僧侶が中央政界に進出、「道鏡」の
ように僧侶でありながら天皇を志望したりし、仏教界が政治に大きく関与する弊害もあった。
いつの時代も、僧侶の堕落があったことがうかがえる。
一方その裏では、和銅開珎の(708年〜)流通のように、「新銭」は「旧銭」の十倍もの法定価
値があると決めたりしたので、インフレを増長させることになり、庶民は貧窮に苦しむことに
なった。庶民の犠牲の下に築かれた天平文化であったが、素晴らしい作品が多く残っており、
世界的に見ても奇跡としか言いようがない(抜粋)とある。

いつの時代にも、庶民の生活は置いてけぼりであったようで、そう思うと素晴らしい宝物も、
工匠が造ったものとは言え、何故か貴族だけのもので、庶民の生活の犠牲の上に立った物に見
えて、わびしさを感じるのは私だけだろか?
ただ、聖徳太子のような権力者が、仏教・且つ法華経の元に、文化・芸術を擁護したが故に、
色々な宝物が残ったといえる。中学時代に自分流で覚えた「やあはなへかよむ あえめたしょ」
「大和・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・吉野・室町・安土桃山・江戸・明治・大正・昭和」が思い出
される。

いずれにせよ、仏教は釈迦により発祥した。そしてシルクロードを通じて、中国から朝鮮半島
を経て日本へと伝来した。西方より東方へ伝わった仏教は、それが今、750年を経て昇華さ
れ、日蓮仏法が東より西へと還って行っている。月(釈迦仏法)が西より東へと移り、太陽の日蓮仏法が、東より西へと移るで訳である。そして既に、世界192カ国・地域へと拡がり、各国の庶民の生活の中で息づいている。