【原子爆弾】

アインシュタインをはじめ何人かの科学者が、核融合・核分裂を発見した。
もちろん、この科学的発見も善悪中立である。ただこの偉大なる発見を如何に使うかに依る。

既に発見した当の本人でさえ反省し、原水爆への使用禁止を訴えてきた。しかし今も尚この発見が、人類の生存を
脅かしている。まして今や、難しい理論はさて置き、インターネットで作り方まで載っている世の中であり、個人
レベルで使われる危機さえある状況。

日本は唯一の被爆国として、広く原水爆禁止活動を展開しているが、為政者の中にまた友人の中に、わが国も核を
保有すべきとの考えを持つに至っている。アメリカをはじめ、核保有国は平和を維持するために、又「抑止力」の
名の基に、これに同調し核開発しようとする国々。
極端な話、ある友人は、本気で「日本も核を持つべき」と。先述したように、石油を止められるだけで滅びそうな
国が、今更、何発もてば安全を保たれるのか。また、アメリカの技術を駆使しても、飛んでくる核ミサイルを、す
べて打ち落とせることが出来るのか。すり抜けた一発が落ちたらどうするのか!

それよりも、開発・製造のお金を、多くの国々の人々の友好のために使う方が、よほど「抑止力」になるではない
か。そうすれば、そして持続ば、きっと世界の人々は日本の姿勢を理解し同調し、平和への大きな力として真似て
くるだろう。

慈悲の政治に殺戮はない。民衆を「人殺し」の道具とすることもない。慈しみ育てた我が子を戦場に送り、嘆き悲
しむこともない。コスタリカのアリアス大統領は、当時軍隊を撤廃し、その予算を教育に投じた。そして国連で「
自分達の息子が死ぬかも知れない戦争では平和を叫び、相手方の息子の死ぬ戦争では、勝利や敗北に喝采するのは
正しくありません」と演説した(1986.9)。

現在、北朝鮮の独裁者は、民衆の苦しみを放置し、我が身、体制を維持するために、核開発・製造をしている。
これを日本に当てはめれば、まさに世界から資源を止められ、天皇体制を維持し民衆が食っていくために、苦肉の
策として戦争を仕掛けたとの友人の言い分と、まったく同じことではないか。
なんとも、バカな為政者には反吐が出る。

なお決して、原爆を使ったアメリカを正当化する気はない。かといって日本が、使わせた責任がないとは言えない。
だからこそ民衆が、為政者がもっと違った手段・方法で、平和実現への道を歩んで行かねばなるまい。
我ら第二代会長が、昭和32年9月8日に約2万人の当時の青年に対し、遺訓となる「原水爆禁止宣言」を受けて、
第三代会長は、毎年この日に世界の識者への提言が発表される。そしていつも広島・長崎の被爆者と実際に原爆を
落とした米国民と、そしてエノラ・ゲイの乗務員との責任論が浮上し、対談がTVで放映される。

○日本の被爆者は、その悲惨さから米国に対し責任を問う。しかし殆どの米国側は、戦争の終結を早め、もっと多く
 の日本人を救ったのだと主張する。
○日本は、馬鹿な天皇以下の軍人により「鬼畜米兵」と教えられ、全国民が洗脳されて、中国・韓国をはじめとして、
 広く東南アジアの人々を蹂躙し搾取した。そして毎日「嘘の大本営発表に、祝賀提灯をかざして万歳を叫んで行進
 し、最終的には、本土決戦で竹槍で「一億総玉砕(天皇を護るため国民すべて死ぬ)」へと進んで行った。
○それを棚にあげての責任論では一方通行であり、相手の非のみを主張するのは、どう考えても公平ではないし話は
 かみ合わないだろう。勿論、当時の米ソの政治的な駆け引きがあったにせよ、何故アメリカに使用させてしまった
 のか、また先に手を出したのは日本ではなかったか。

いずれにせよ、過去を知り歴史を学ぶことで、今迄、日本人のみが被爆体験した国民として、世界各国に対して、二
度と繰り返さないように訴えていく使命がある。
米国民は鬼畜ではない。その悲惨さを理解すれば核の必要性や、まして使用の愚行には走らないだろう。

一方で、共同募金すら我が身銭にするような人間がいる世の中である。そして、核融合・核分裂の科学の知識を、原
水爆に利用するのも、また大量破壊兵器に使うのも人間である。
その人間の、民衆の、為政者の「智慧」を、如何にして「善」なる方向へ持って行けるのかに懸かっている。
過去の戦争に導いた、一握りの馬鹿エリートを選ぶような、これ又、烏合の衆のような馬鹿な民衆であってはならな
い。そのためにも、馬鹿な風評にさらされながらも、色んな平和団体のリーダーや、生命尊厳のリーダーや人々と、
力を合わせながら、時間がかかるだろうけれど、次代の子供たちのために、身の周りの一人ひとり、民衆レベルでの
対話と交流を推し進める我々の使命は大きい。そう、「使命」である。

正しい使命であればあるだけ、誤解や非難が付き物である。若き頃の、小さなことであったにせよ、青年団活動です
ら非難・中傷にさらされた。だから、如何に馬鹿な無理解や非難にも、使命を持って生きる者にとっては「励み」と
なる。オーム真理教のような、間違ったリーダーに付いた者達のような使命か、そうでないかは、対話していく中で
分かる。そしていづれ世の歴史が証明してくれる。

生命第一、人間生命尊厳の思想・哲学・宗教による、地球民族主義。

妄想ながら、地球を吹き飛ばすような隕石が飛んでくる、または宇宙人が攻めてくる、といったような事が起こらな
いと、人間同志の殺し合いは止まないのだろうか……。


【追記】

一昨年(2011年3月11日)に発生した、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震で、多くの方々が甚大な被害
を受けられたのは記憶に新しいが、その際、地震とともに大きな津波によって、福島の原子力発電所も致命的な被害
を受けた。そして、広く多くの住民が「放射能」によって、丸三年経過しても住めなくなっている。
更に、チェノブイリの事故のように、復旧はおろか、何百年も残留放射能で住めなくなるとのことである。

しかも、「安全で・コストの最も安い・安定した電源」の神話は崩れ去り、今まで知らされて来なかった「核廃棄物」
の後始末の仕方が、全く放置されていることが、広く国民が知るところとなった。
そして今もなお、50基に及ぶ原発のほぼ全てが「検査・検証」のために停止し、なんとか日常国民生活や、経済的
にも過ごせている状態が、現状「安定」し続いている。

こうした状況にも拘わらず、「原発ゼロ」を掲げる元総理も出てきて声をあげるようになり、またドイツのように「
廃止」を決めた状況にも拘わらず、まだまだ原発が必要だとする「政治家や経済人」が居直り再稼働に走っている。
その上、こうした原発を、彼らは発展途上国に輸出して「金儲け」をしようとする。
まさに、生命を重視せぬ金儲けに群がる「魔もの」であり「サタン」であると断じるものである。

蔵の財よりも身の財、身の財より心(生命)の財第一 だとする世界に、早くせねばなるまい!