【科学者】

先日のNHKテレビで、湯川秀樹博士の「核廃絶への取り組み」の戦いへのドキュメント番組
があった。
日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者であることは、みんな知悉し尊敬しているところで
あるが、番組を観ていて、自分にはどうも尊敬の念が薄れていくのを感じざるを得なかった。

番組の最初のほうは、アインシュタイン博士との親交から、一九四九年にア・博士が湯川博士の
自宅を訪問された時、核の発見に寄せる思いから「日本の罪もない一般の多くの人々が、原爆
で悲惨な目を合わせることになった」と、ご夫妻の前で涙を流して詫びられたとか、1955
年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」での核廃絶への科学者の戦いに始まり、癌で亡くなる
まで、京都での朝永・湯川宣言へと核廃絶のための戦いをされた、と。
その後も、世界の科学者が「パグウォッシュ会議」へと受け継がれていることは、我等も知っ
ているが、未だ半世紀以上も経過しても核廃絶どころか、保有国が増加している始末である。
彼らが、いまこの現実を知ったならば、どれほど嘆き悲しみ、そして核の発見を後悔すること
だろう。

いずれにしても、発見は発見として偉業である。しかし科学者、特に物理学者・数学者は世間知
らずである!
どんなすごい物理学者でも、科学は「その利用する人間によって、善にも悪にもなる。」こと
を考えずに突き進む。そして「そんな筈ではなかったのに…」と後悔している。しかも核廃絶
を世に訴えるにしても、科学者達でなんとか出来ると考えている。

核を善に使うのも、悪に利用するのも人間であり、特に一握りの権力者である。そして、その
権力者に打ち勝つものは「一般の多数の民衆」である。独裁体制であれ、民主化体制であれ、
権力者は大多数の民衆には勝てない。この基本的な形而上学的なことが解からないでいる。

一方で、医学者はどうか。
彼らは人間生命を対象とする。クローン開発やES細胞…。勿論、現代に於いては倫理的な問
題を抱えるまでになっているが、それとて民衆には逆らえない。

ともかくも、今や地球破壊を、そしてそこに生きる全生命を脅かす「地球高温化」や、地球を
何度も消滅させるだけの一万発以上の「核爆弾」も、止めさせるのは民衆しかいない。当然、
頭の賢い「科学者」たちの努力は、更に継続していってもらうことは重要なことであるが、し
かし、この大多数の民衆が、善なる権力者へと導く(選ぶ)ようにと方向付けすることが、最も
重要であるに違いない。
ただ今の現状は、これらの危機に直面していても、頼りとする一般大多数の庶民は、「今日の
・明日のこと」で「そんなことに構っておれない」のが現実である。
また、マスコミでどんなに演説しても、コマーシャルで訴えても、それを主催するものが企業
認識である以上、民衆は振り向かない。
そうであるだけに、遠回りではあるが、ひとり一人の対話で一人ずつ考えを変えていって行く
しかない。いまや国々の識者や権力者は、この方法に賛同し期待している。

アインシュタイン博士よ、湯川秀樹博士よ。そしてパグウォッシュ会議に参画する多数の科学
者よ。彼ら「悪の生命」に、共に戦い訴え続けて行こうではないか!