【親友・友情】

生涯に亘って、信頼する友を持つことほど大切なものはない。
書く順番として遅きに失したが、自分にとって、どうしても書き残しておかねばならない二人
の親友がいる。

勿論、幸いにも多くの友が居るが、幾ら頑張っても一生涯かかっても恩を返せない、また幾多
の義理を欠いて来てしまった二人の親友。にも拘わらず、何のわだかまりもなく、常に胸襟を
開いて接してくれる二人の親友。こんな親友を持てたこと自体、我が人生にとって幸せなこと
はない。何度「有難う」と言っても言い尽くせるものではない。また何度「あの時はゴメン」
とお詫びしても取り返しがつくものではない。思い返す度に身の縮む思いである。
この二人には特段の強烈な思い出と、深い恩義を持っている。それだけ反省しきりである。

昔に走れメロスや、武者小路実篤の「友情」を読んだことがある。その後、シラノ・ド・ベルジュ
ラックの映画を観た。
感動して今も記憶の中で生き続けている。そして、生き方として土台になっていると云っても
過言ではない。…共に悩み、共に涙を流し苦しみ、そして共に称え合い喜びあう友情。

哲人エマソンは「友情は、無限の知識の大学校である」と。それに比べ、憎しみあうような不
幸は何故そうなるのか。それも原因は自分にあると思えるまで、かなりの時間を必要とした。
信頼してもらえる友になるには、先ず、信頼し誠実に胸襟を開き尽くすべきであると思う。

*困り果て 無理を頼んだ親友の 返してくれる 笑顔嬉しき

TVのCMで、「やって出来なかった後悔よりも、何もしなかった後悔のほうが大きい。」と。
友のために、何事にも誠実に一生懸命に。また、思いやりだとかの道徳めいたことで「友情」
は育まれるものではない。

親友とは、お互いの立場を尊重し、またお互いを高め合える仲間でなければ意味がない。単な
る飲み会であっても、何かを得られるモノがなければ刹那的でむなしいばかりであり、烏合の
衆である。そして、何の意味もなく(過去を大切にすることは勿論大事だが)、しがらみだけに
生きるだけでは、どうも余生を仕上げるには忍びない。そんな仲間と時間を費やすには、こっ
ちからお断りしたい。

一方で、大事な瞬間・瞬間に、個々の性格というか本性が現れる。
ある人は厄介なゴタゴタには係りたくないと。またある人は、触らぬ神に祟りなしとの態度。
そしてある人は嫌いだと突き放される。

最近も四十年以上の仲間ともおさらばした。正直高めあえる何モノもない。もう何も得られる
ものがないし、求められるものもないし求めもしない。「まぁまぁ、そう硬いことは云わない
で」とか、また「こんな人とは付き合えんなぁ」と言われてまで、自分を殺して大事に付き合
って、何の価値があるか。