ビジョン

技術者としての現役時代は勿論のこと、計画を討議する時に、必ずといって「ビジョン」なる
言葉が出ていた。しかし正直なところ、正確な捉え方が出来ていなかった。

先日のテレビで、ソフトバンクの孫 正義社長の話しを聞いて、かつての先輩も含めて、如何
に解らずに討議していたがわかり、反省しきりである。

即ち、孫社長が言われるには、最初に「理念(哲学)」があって、その理念に基づく「ビジョン」がある。
そして、そのビジョンを実現するために「戦略」が立てられて、そのための「戦術」を立て、そして、そのための「計画」が立てられ、徐々に具体化する訳である。

孫社長が言われるには、ビジョンは、将来30年、300年先の世界を、あたかも実際に観てきた如くに語り、その未来像に向かって革新して行くべきである、と。
なるほど! 日本で初めてB管に「イ」の文字を映しだし、テレビを開発した高柳 健次郎氏のように、すでに現在のハイビジョンや、16:4画面や3Dのビジョンを語られていたことを想う。

なんか今まで「計画」ばかりで討議していて、将来「あるべき姿」など全く置いたままであったと思う。つまり、ファクシミリを開発していた時、夏休みの連休初日や年末に、この事業を如何にしていくべきかを討議した。今から思えば滑稽と言うしかない。将来の姿を描く智恵もなければビジョンを語ることも出来なかった。ただ近々、なにか工夫できないか、この技術を生かして、何かの新製品につなげないか、などがせいぜいであった。
それでも、なんのアイデアも出てこなかったし、当面の事業収支をどうするかの方が重要であった。
まして、理念・ビジョンのないところに、「新規事業」を語る素地などなく、訴えても馬耳東風であった。昔、若い頃に「ロボット」の商品化、開発をやりかけたことがあった。また当時の事業部長は、僕に「遊ばせて」くれた。途中で、緊急プロジェクトに配置となり、その課題は挫折したが、十何年かして、自動車の産業ロボットが続々と導入され、また十何年かして、ソニーの犬ロボット、ホンダの二足歩行ロボットなどが、どんどん市場に出回ってきた。
今から考えれば、自分にはそんなビジョンなどなっかたが、チャップリンの映画や、手塚 治のマンガから、何かしら、直感的に将来像を見ようとしていたのかも知れない。

やはり凄い人は違う。孫社長には、常に「人間の幸せのための将来の情報社会」の理念に基づいて、どうあるべきかを考え、2万人の社員みんなで共有し、常につぶやき合っている。

さてさて、もう一度考えよう。
いま自分が立つ大小の組織の中にあって、「その理念」は何か。
そして、未来にあるべき「ビジョン」とは、どんなものか。
それは「生き方」そのものにあることに気付く。