【同 苦】

人生には、幾多の苦難があり、また日常的に色んな悩みがあるものだ。そして、周りの人達も同じだと
思う。お金持ちであろうが、健康な方であろうが、大なり小なり悩みがあるとおもう。

ただ、大きな苦難が出てきたとき、人はどのようにして、それを解決し、乗り越えようとす
るのか。中でも、どうすればいいのか判らないぐらいの、大きな問題を抱えた時が問題であ
る。
今のご時世、みな核家族化して、周りに相談する家族も居らず、かといって近所の人に相談
する人も持たず・・・・。

早くいえば自業自得である。元気な内は「放っておいてくれ!」とばかりに人の世話をするこ
ともなく、近所の人達とも挨拶を交わすこともなく、自己中心的な生き方をしてきた結果、最
近は、死んでからでも、骨の跡始末まで他人に迷惑をかける人が多くなっている。
極端な話、生まれてからこの方、税金を払ったことがない者が、生活保護を上手く利用して、
国民年金で暮らす人より贅沢に生きているのを知っている。正直、いい加減にしてくれと言い
たくなる。


一方で、真面目に生きてきた人でも、色んな悩みが尽きない人もいる。勿論、我々同志も色
んな現実的な悩みを持っておられるが、ここで大きな違いがある。
自分もそうであったように、悩みを聞いてくれる人、共に悩んでくれる同志がいる。
当然、お金に困っているからと金貸しでもなく、病気になったからと医者でもなく、職を失っ
たからと職安でもない。
でも、共に悩み、祈り、同苦することが出来る。同苦してくれる人が居る。ここに一般の人達
と大きな違いがある。
単純なはなし、悩みを聞いてもらうだけでも、気持ちがかるくなった経験は、ほぼ誰にでもあ
るように思う。それだけでも、悩みを打ち明けることが出来る「友」を持つことが大事ではな
いかと考える。


師の小説に、「一つの事柄から何を感じ取るか。人の苦悩に対して、想像力を広げることから
同苦は始まるのである。配慮とは、人を思いやる、想像力の結晶といえよう。」といわれてい
る。単なる同情ではなく、慰めではない。どこまでも相手の悩みに深く係わることが出来るか
である。また、どれだけ相手の思いと深く付き合い、伴に寄り添い、励ましあっていけるかが
勝負である。

悩みに勝つか、負けるかである。相手の悩みに同苦するとは、自らも悩み、苦しみを伴にして
、共に励ましあって、解決するまで祈ることである。勿論、相手の悩みや苦しみを、どれだけ
理解できるかは判らない。
また、相手も「私の苦しみなど、他人にわかる訳がない。」と突っ
撥ねる人もいるに違いない。もしも、心の底から相手の幸せを願うなら、と言うより「願える
自分」ならば、そこからが勝負である。
別項でも書いたが、母の子を想う思いと同じく、どこまでも相手を想う慈悲であろう。

我らが歌に、「君が憂いに我は泣き、我が喜びに君は舞う」とある。
相手の苦しみや悩みを想像しなが
ら、解決に向けて、共に憂い、共に祈り、共に喜ぶ。このよ
うな世界が我らが同志の中にある。現実にこの世の中にあるのである。同苦とは仏法の言葉で
ある。一般世間では考えられない世界が、この歌のなかに厳然として日常的に存在している。


だからといって、すぐに同苦できるものではない。元はといえば、自分も色んな人からいびら
れて、「他人のことなど構っていられるか!」と思っていた。
長い長い暗闇の人生を歩んできた。しかし、この世界に入って、周りに心の優しい人達ばかり
に囲まれて、相手の悩みを自分の悩みとして、一緒に悩み、励ましてくれる日々を送るにつけ
、いつしか心の氷も溶けて行き、自分も他人のことを祈れるようになって行った。

時には、おせっかい過ぎると思うくらい、係わり心配してくれる。どうしようもない苦しい時
には、一緒に涙まで浮かべてくれて、光が見えた時には共に喜んでくれた。そしていつしか、
自分も他人のことを思いやれることが出来るようになった。
そして、これが先輩の言われる「心を磨け」ということなのか、と解かるようになった。

【追記】

先日の新聞記事に、はんせん病の国策による長い間の偏見と、人権侵害の歴史の話が載ってい
た。施設には「特別病室」とは名ばかりの収監室があって、十分な食事も与えられず、厳冬に
も暖房は一切なく、全身凍傷で命を落とす人もいたという。差別と偏見と闘うハンセン病の人
々に、どのように関わっていくべきか…と、若き師が恩師に質問した。恩師は「そういう人の
味方になっていくのが学会の使命だ」。昭和30年代、同園にも我らの信仰の灯がともった。
当時入会した入所者は、来訪した学会員が同苦のあまり流した一筋の涙が、たまらなく嬉しか
ったと振り返る。凍えた心は、熱い励ましによって解かされた。療養所内では、毎月座談会が
今も開かれてきて、地域の同志と活動に励む。

我が師は言われる。「最も苦しんだ人が、最も幸せになる権利がある。」
人に寄り添い、友とともに悩み、生きる希望をもって支え合う「同苦」。

今の世の中、そしてこれからの世界。人々が互いに「同苦」できるようになれたなら、どんな
にか、美
しく平和な人間社会になるだろうか、と思う。