2013.05.18 南円堂と北円堂

北円堂と南円堂の御開帳があり奈良公園に出かけてきました。東大寺ミュージアムで国宝の陽剣・陰剣も見て、奈良ホテルでお茶して帰ってきました

 

南円堂と北円堂 

 

  

東大寺ミュージアム

 

大仏様の基壇に埋められていた陽剣と陰剣

奈良ホテルでお茶

 

鑑賞した国宝の数々

南円堂

木造不空羂索観音坐像 康慶作(南円堂安置)(興福寺) 運慶の父、康慶により文治5年(1185)に復興造立された像。瞳にだけ水晶を嵌める技法や、量感のある体躯、自然な衣の表現などは、焼失前の古像の姿を意識したものとみられる。鎌倉彫刻の劈頭を飾る大作である 奈良県国宝マップ
木造法相六祖坐像 康慶作(所在南円堂)(興福寺) 法相宗の六人の高僧の肖像彫刻。文治4年(1188)に始まる南円堂の復興造営に参加した康慶(運慶の父)一門による造像。表情や姿勢を誇張した表現で個性的に造り分けている。写実的な鎌倉肖像彫刻の誕生を告げる作品 奈良県国宝マップ
木造四天王立像(所在南円堂)(興福寺)    南円堂にまつられ、かつては本尊不空羂索観音像とともに康慶一門の作になる像と考えられてきたが、近年、それとは別の像であることが明らかとなり、躍動感のある作風から定慶作の東金堂像とみる説や、カツラ材であることから運慶作の北円堂像とみる説などがある。 奈良県国宝マップ

北円堂

興福寺北円堂  北円堂は藤原不比等の供養のために不比等の1周忌にあたる養老5年(721)に創建された。現在の堂は承元4年(1210)に再建され、創建建物から3代目に当たる。創建時の規模を踏襲した八角円堂で、柱は円柱、軒は垂木を3段に持ち出す三軒にして、和様を基調にした建物で、見え隠れ部の細部に大仏様を加えた鎌倉時代初期の代表作である。 奈良県国宝マップ
木造弥勒仏坐像 運慶作(北円堂安置)(興福寺) 北円堂の本尊で、無著・世親像とともに運慶一門によって建暦2年(1212)に造立された。運慶晩年の成熟した作風がうかがえる鎌倉彫刻の一到達点を示す作例。カツラ材の寄木造りで漆箔仕上げとし、像内には願文や宝篋印陀羅尼などを納める 奈良県国宝マップ
木造無著菩薩・世親菩薩立像 運慶作(所在北円堂)(興福寺)   無著・世親は5世紀頃のインドの法相宗の高僧。北円堂の像は運慶一門の手になる我が国の肖像彫刻の傑作で、落ち着きのある兄の無著と、意志的な弟の世親の人となりを巧みに造り分けている。カツラ材寄木造り、彩色仕上げで玉眼を嵌入する 奈良県国宝マップ
木心乾漆四天王立像(所在北円堂)(興福寺)    北円堂に安置されるが、もと大安寺の像で、延暦10年(791)に造立され、弘安8年(1285)に興福寺の僧経源によって修理された。木彫像に乾漆を盛り付けて細部を仕上げている。大げさな身振りと表情には、躍動感とともに諧謔味が感じられる 奈良県国宝マップ

東大寺ミュージアム

東大寺金堂鎭壇具 (東大寺 奈良時代)
明治40年、大仏殿修理工事中に須弥壇中より出土した銀製鍍金狩猟文小壺、金鈿荘大刀、金銀荘大刀など。創建当初の鎮壇具の一部と推定され、正倉院御物と並ぶ奈良時代における工芸品の精華。
奈良県国宝マップ
東大寺文書 100巻、8,516通(東大寺) 本文書は東大寺印蔵に伝来した通称百巻文書(成巻文書)と、未成巻文書からなる文書群で、奈良時代から江戸時代に至る一〇〇巻(九七九通)、八、五一六通からなる。内容は、東大寺の歴史を反映して多岐にわたるものの、その中心をなすものは東大寺領庄園関係文書である。様式上では牒、解などの公式様文書、官宣旨、綸旨、院宣、御教書などの公家様文書、筑前国観世音寺、元興寺などの末寺関係文書、東大寺の修造、庄官補任状、出納文書、訴訟文書などの寺内文書、田畠の売券、寄進状、譲状などの経済関係の私文書など多種多様である 奈良県国宝マップ
塑造日光菩薩・月光菩薩立像(所在法華堂)(東大寺)   法華堂の本尊及び護法神像とは大きさや材質が異なり、戒壇堂四天王像に類似するが、伝来は不詳である。俗体風の日光・月光菩薩像は異例であり、本来の尊名は定かでない。均衡のとれた身体で合掌の姿も自然である 奈良県国宝マップ
銅造誕生釈迦仏立像・銅造灌仏盤(東大寺) 4月8日の灌仏会に用いられた像。東大寺のスケールにふさわしく誕生仏としては破格の大きさを誇る。明朗な表情に奈良時代盛期の特徴がみられる。灌仏盤が共に伝わるのも貴重で、外側には山水、草木、動物など精緻な線刻文様が施される 奈良県国宝マップ