お伊勢さんの外宮・内宮、それにそれぞれの別宮さんを順番にお参りしてきました。二見浦と伊射波神社も。最後は伊雑宮、近鉄の「志摩磯部」から輪行で帰宅でした。まずは外宮とその別宮さんです
外宮、ホテルから歩いて5分、朝の散歩で外宮をお参りしました
風宮、wikiによれば、古くは現在の末社格の風社(かぜのやしろ、風神社とも)であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格
土宮、wikiによれば、大治3年6月3日(ユリウス暦:1128年7月2日)、土御祖社は宮川の外宮禰宜の申請が朝廷に認められ、別宮に昇格し土宮となった。そのころ度重なる宮川の氾濫に悩まされた外宮禰宜が、土御祖神が氾濫を治めたとして宮号を申請したものであった。とあります
多賀宮、wikiでは、外宮の4別宮のうちもっとも古く『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである。祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる、とのこと
外宮を参拝してからホテルをチェックアウト、距離順にお伊勢参りです。月夜見宮は外宮から少し離れたところにあります。wikiでは、月夜見尊は、内宮別宮の月讀宮の祭神である月讀尊と同じ神であり、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神である。月の満ち欠けに基づく暦(太陰暦)を用いて農作業の計画を立ててきた経緯から、農業にゆかりのある神とされてきた。また、高河原の川の神、女性にゆかりのある神ともされる、とあります
倭姫宮、神宮徴古館の向かいにあります。wikiでは、倭姫の命は天照大神を祀る宮を定めるため、数国を経たのち現在地に伊勢神宮を創建し、祭祀や神職の制度を定め、神道の基礎を作ったと伝えられるが、明治以前は倭姫命を祀る神社は作られなかった。明治20年ころより宇治山田町の住民を中心に、倭姫命を祀る神社を創立すべきという声が高まり、宇治山田市の市長が先頭にたち倭姫命を祀る神社の創立の許可を1912年(大正元年)に国会に請願し、1919年(大正8年)に帝国議会で創立の予算が可決され、1921年(大正10年)1月4日には内宮別宮としての創立が決定し、外宮と内宮の中間に近い倉田山に創立された、とあります
月讀宮です。月讀宮、月讀荒魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮の4宮が祀られています
月讀宮
月讀荒魂宮
伊佐奈岐宮
伊佐奈彌宮
内宮に来ました
荒祭宮、天照大神の荒魂を祀っています
風日祈宮、wikiでは、風日祈宮の祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命と級長戸辺命(しなつひこのみこと、しなとべのみこと)である。本来は農耕に適した風雨をもたらす神であったが、元寇以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となった、とのこと
お伊勢参りですので、二見ヶ浦にも寄りました。
伊射波神社、志摩の国一の宮といわれています。
この神社が目印、ここから上っていきます
村の横を抜けて海岸を少したどります
自転車はここまで、岬を越えて行きます
岬の向こうの海岸線に出ました。鳥居があります。ここからが参道です
境内に出ました
最後は伊雑宮、wikiでは、祭神は、804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』では天照大神御魂とされる。中世から近世の祭神には諸説あり、とのこと。今回の旅行はここまで、近鉄「志摩磯部」駅から輪行で帰宅しました
伊雑宮の神田です