歴史は嫌いだった!

特に世界史。なんとか1世、2世だの同じ名前の国王がでてきて、さっぱり、覚えられないので
ある。又、ヨーロッパをやっていると思うとすぐに中国とかインドとか飛んでしまう。一生懸命
覚えようとしたカタカナの人名や地名が漢字に飛んでしまう。その時期に起きた事しか教えて
もらえない。とにかく暗記に次ぐ暗記。。。 試験に良い点を取るだけの勉強にはうんざりだった。


 ”歴史は繰り返す”そして”歴史を学ぶ意義”
8代将軍徳川吉宗は将軍に任命されるや否や大奥の美人のランク付けを行い50人の美女を家臣に
選ばさせた。当然、家臣は今度の将軍は ”好きものだ” と考えた。しかし、選ばれた美女を
前にこう言った。『そち達は美しい。城をでても十分やっていけるであろう。よって暇を
取らせる。』また、これまで重要視されていなかった勘定方を重要視し、いわゆる『入るを計って、
出る(いずる)を制す。』と説いた。

これを次の様に書けばどうであろう。8代目の社長、吉宗は就任するや否や秘書室の
美人50名の解雇、リストラを敢行した。そして経理部を重要視して収入をきちんと計り、
支出を極力抑えた。。。つまり、過去におきた事実が今の時代でもおきている。いわゆる歴史は
繰り返すのである。そしてそれだから現実に起きている難問、課題についてそれを対処する方策が
歴史を学ぶ事でそのヒントを与えてくれないだろうか? 
これこそが歴史を学ぶ意義であるのだと思う。ただ、通り一遍の暗記だけ。そして試験で良い点を
取るだけの教育は如何なものか。


 日欧交渉史
さて、ここで上記の様に歴史に興味のなかった人間がどうしてこのようなページを作成したか
述べなければならない。これには海外生活をした経験が大きい。海外留学をした事のある人で
あれば同じような経験をしたと思うが、日本について尋ねられた時、如何に自分が日本という国に
ついて知らなかったか思い知ったのである。特に宗教についてはもう、うんざりである。
スペインのようなカトリックの国では宗教は欠かせない。だから仏教について尋ねられても
全然知識がないものだから答えようがない。結婚式や葬式には仏教や神道に則って行うというと
『なんで一人の人間は別々の2つの宗教を信仰するんだ?』と言われる始末。
政治制度は?(スペイン人は日本人と比較して政治に感心のある人が多い)天皇の役割は?
これを日本語であってもきちんと説明できる人は多くはないと思う。 従って、日本について
勉強しなければいけない。と思ったのは言うまでもない。 海外生活をしなければこのような事は
思ってもみなかったであろう。

また、観光旅行する際の事を思い出して欲しい。本場の美味しいものを食べ、ブランド物を買い
漁る。。。これではちょっと寂しい気がする。また、名所と言われる場所へいってもそこは大抵
歴史的に由緒のある所が多い。ただ、そこへ行っても前知識があるのとないのでは大きな違い
がある。すくなくとも前知識があると実際その場所へ行くと実感がわくものだ。
なければ、ふ〜ん、こんなもんか。と言う事で終わってしまわないか?
とりわけ欧州には芸術がある。アメリカと違い歴史がある。そして日本と関係がある歴史があると
すれば興味が湧かないはずがない。。。

日本と関係のある欧州人といえば、まず、フランシスコ ザビエルを思いだす。
ただ、ザビエルは1549年にキリスト教を伝えた。としか教科書では教えてくれない。
ザビエルが日本に来る決心をしたのはある一人の日本人がザビエルを訪れた事が大きな影響を
与えている。(すなわち、その日本人を見てザビエルは日本へ行く決心をさせた。)
そして日本滞在中はどういう活動をしたのか? そしてザビエルは日本、或いは日本人をどう
思っていたたのか?  また、伊達政宗が派遣した謎の遣欧慶長使節とは? この使節の本当の
目的は何だったのか? そして、セビリアを中心としてハポン(スペイン語で日本の意味)姓を
持つスペイン人の謎。。。 このような事実を知っていくと興味は尽きない。 
スペイン、ポルトガルを中心とした欧州人が初めて日本に辿り着き、大きな影響を与えた時代。
それは戦国時代の始めから、徳川時代初期迄の短い期間であった。信長の寵愛を受けながらも、
秀吉、家康によって迫害され多くの宣教師達が殉教していった。めまぐるしい時代の移り変わりに
翻弄されていく。キリスト教の国にする為に日本をスペイン海軍によって占領しようと
強硬意見を出した宣教師達。そして、イエスの様に殉教したくても出来ず、棄教し、仏教徒となり
日本人となった宣教師達。。。ここには、沢山の人間ドラマがある。
ここでは、これら日本と欧州との文化交渉の歴史について主眼に置いた。




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