12月22日(水)
関西ローカルに『大阪ほんわかテレビ』という情報番組があり、毎週日曜日深夜放送している。奇妙におもしろい番組で、役に立つ情報、役に立たない情報、おもしろ情報、どーでもいい情報、いい加減な情報が、満載である。
この間の日曜日1年の総集編をやっており、その中に、「いま、ヤギがペットで注目!」というのがあった。
「癒し系」ペットとして注目らしいが、問題点は、
1.状況を考えず、突然、自己中な振る舞いをする
(ソファーでブラッシングの最中に平気でうんこをする)
2.なんでも自分のもとだと考える
(カーテンを勝手に噛み散らす)
白やぎさんから、お手紙着いた、
黒やぎさんたら、読まずに食べた、
しーかたがないので、おー手紙、書いた、
さっきの手紙のご用事なーあに …
たしかに、ヤギは、今すべき大事をわすれ愚行を繰り返す…
・・・・
はじめ、色黒細面、きたないまだら白髪ちょぼあごひげの風采から、
勝手にヤギを自称したのだが、
こりゃどうも、キャラも性根も、
わたしはヤギだ
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11月22日(月)
冷蔵庫の中をさぐっていたカバ婆が、突然、叫んだ、
「おお!」
なんだなんだ…また、なにがおこった!?
・
・
・
落ち着きを戻したか、
カバ婆は、言った、
「先週買った、ブロッコリー…」
・
・
・
「…花、咲かせてしもたぁ」
・
・
・
「ん?」
・
・
・
まあ、いつものことである
・
・
・
やがて、異常ではあるが異例ではない事態が起こった。
・
・
・
「よし、食うぞ」
・
・
・
どんな夕食になるだろう
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11月2日(火)
カバ婆は実はえらいところもあるのだ
もう10年以上も前になるであろうか、ひょんなことから、カバ婆は、クマ太郎の友だちのお母さんに近くの病院で入院生活を送っている女性の「お話ボランティア」を頼まれた。定期的に病棟を訪れ話し相手になったり、ときどき車いすで買い物や食事などにでかけるといったような内容だったと思う。わたしも1度車を出して同行したことがある。
それが今でも続いているのだ。ただし、すでにボランティアではない。
友だちになったのだ
「あ、そうだ、しばらく○○さんとこ、行ってないわ。あす、ちょっと顔見せにいこ」などと言っては、好物の鳥肝煮たんやら、夏ミカンをむいたんやらを持っていく。いつのころからか、洗濯物をしてあげているのだ。
先日、たまった洗濯物を持っていくのに車で送って行った。そのあと、買い物に行くことにしていた。カバ婆は、「今日は置いてくるだけですぐ戻るから駐車場で待ってろな」と言って、駆け出した。「おお」と返事し、煙草を一服していると、やがて、カバ婆が首をかしげながら、のそのそと歩いて戻ってきたのだった。
「顔からコケた」
病棟から出て、砂利道を走り出したという。ふと「きょうは軽快、靴も軽い」と思ったそうだ。と、突然、足がもつれたのだ。スローモーションのように前のめりに倒れていったらしい。なぜか「手をついたらすりむく…」と思ったという。
だから、「手もつかず、顔から落ちた」と、カバ婆は茫然と語った。
メガネはみごとにひん曲がっていた。こめかみのあたりにはうっすらと擦り傷があり、やがてそれは色濃くなっていった。メガネがクッションになったのか、思いのほか大した傷ではなかった。
「どーしてコケる?なにしとったん?」
「わからん、なにもしとらん、ふつーにコケた…、足がもつれた…」
「おめー、いい加減もう年なのに、昔のようなつもりで体動かしてたら、あかんで、老化は確実に忍び寄るのだ、がはははは」
カバ婆は、傷よりも「心が痛い…」と言った。理由なくコケたことに対する心の痛みだ。
「ほんと、そろそろ、ゆったりと行動するようにせな、そのうち、えらいことになるで、お互いな、がはははは」
年は取りたくない
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10月28日(木)
カバ婆がバイクに乗っていると、うしろから「ポァポァ」とやさしいクラクションが鳴ったらしい。「なに?」とミラーを見ると、プリウスが、横を通り抜けようとしている。普段なら、「くそ~ぉ、なん鳴らしてんねん!」とキレるカバ婆だが、この時は、よかった、クラクションなかったら気づかず知らずふらっと横にはみ出てたかもしれん、と思ったそうだ。ハイブリッドプリウスは音もなく忍び寄る。
クラクションを鳴らすのが下手くそだ
基本的に使わないようにしているが、信号待ちなどで前の車のドライバーがケータイなどしていたり(これはいかん!)、書類などに目を通していたり(これも、いかん!)で、青信号にずーっと気付かないときなど、「プォ、プォ」っと軽く知らせてあげようと思うのだが、力加減ができず、つい、
「ぶわぉ~」
と大音響で鳴らしてしまう
そこで提案
車会社の皆さま、エコ仕様などはもういいから、クラクションを改良して、「緊急時バージョン」以外に「お知らせバージョン」を装着し、優しい音量で、
「プワンプワン、信号青に変わりましたよン~」
「ピッピィ、、車、横通りま~す、ごめんねぇ~」
とかのお知らせオプションを付けてくれたまえ
自由に録音できるタイプでもいい
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10月27日(水)
電車の中でまで書類準備などに追われる日々で、通勤限定読書!『ひかり源氏』は遅々として進まぬ
「須磨」「明石」が過ぎ、源氏さま、京に帰る
須磨では嵐にも遭遇したが、困ったのはまわりの者たちだけだったんじゃないかな、この呑気さが、また、おもしろい。
・・・・
「こら!酒飲んでそんなばかテレビ見てる暇あったら、読書でもせい、読書っ!テレビ消しやがれ、爺ぃ!」
カバ婆は、今、資格試験の受験勉強中なのだ
まあ、呑気にいこう (-。-)y-゜゜゜
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10月17日(日)
ニュースや情報番組ではまだ見ていないが、どうなんだろう
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東京出張2日目
同じホテル
夕方、飲みに出かける際、学会関係のお金を預かっていることもあり、コンピュータを持参していることもあり、とりあえず、貴重品だから、ということで、小さめのリュックにそれらを入れてフロントにもっていき、
「あの、コンピュータ等の貴重品ですので、ちょいとあずかっていただきたいのですが…」と依頼した
ベテランっぽい男性だったが、フロント後ろの、大きな財布が入るほどの小さいロッカーを指さしながら、
「貴重品はお預かりしますが、あの金庫のサイズ以上のものはお預かりできないことになっています。当方でお預かりして現状のままお戻しできるという保証はできませんので」と、
自信満々に応対した
「あ、そうですか…」と、昨日のチックインの際の、紙ひとつ破損させることはない、という自信を示したベテランっぽい女性フロントのことを思い出し、腑に落ちない気もちがしたが、まあ、いずれ、盗難にあう確率的には何も問題ないであろうと、リュックを部屋に戻し部屋に置いていこうと、エレベーターを上がった
それにしても、さまざまに、理由を考えるヤギ頭であった
1.現状維持で返却できるあずかりものとして、「紙」であればOKで、コンピュータは駄目(つまり、あずかるもののカテゴリーがマニュアル化されている)
2.同様に貴重なものでも、「荷物」(今回の場合は、昨日の貴重な「紙」)であれば自信を持ってあずかるが、「貴重品」(今回の場合は、今夕の「コンピュータ」)であれば駄目(ということは、もし、「貴重品」として紙をあずけようとしたら断わられたことになり、今日の夕方コンピュータ等の入ったリュックを「荷物」としてあずければ、受け取ってもらえたということになる。つまり、「荷物」はなんでも自信を持ってあずかるが、「貴重品」は、一定サイズの金庫に入るものしかあずからないというマニュアルがあるのか…)
3.チェックイン前の客の荷物等はあずかるが、宿泊客の荷物はあずからないというマニュアルがある
4.ベテラン女性フロントとベテラン男性フロントとの判断にぶれがあった
5.女性と男性の性格の違いが対応に出たのか
6.わたしのへそ曲がり思いすごし
フロントで聞いてみれば分かるのであろうが、わたしは極端な面倒くさがりである。つまり、探究心というのがないから、これでおしまい
ただ、人間の自信というものはあてにならないものだな、という印象が残った
しかし、実は、このホテル、こんな奇妙な印象以外、立地条件よし、快適さよし、値段よし、の、東京出張の際は定宿にしてもいいかな、と思うような、いい宿所である
よしよし
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10月9日(土)
昨日より東京出張
3時チェックイン予定のホテルに1時ごろに着いてしまった。ひょっとしてチェックインできるかとホテルのロビーへ行く。ベテランっぽい女性が応対してくれた。
「今日、明日予約している森ですが、ちょっと早く着いたのですが…」
「ありがとうございます。下のお名前は…」
「ゆ・う・じ、です」
「…ありがとうございます。確かに承っております」
「チェックインはできますか?」
「まだお部屋の準備中でございます」
「わかりました。何時にできますか?」
「3時でございます…
丁寧であるが、時間は変えられないしっかりとした口調であった
…お荷物をお預かりすることはできます」
「では、お願いします。ちょっと荷物を分けたいのですが…」
「どうぞ、あちらへ」
置いていくカバンと大切な大判の書類の入った袋を手に、荷物受け取りカウンターに行った
「あの…この大きな袋、折りたためない大きな紙が入っているのですが…折らないように気をつけていただけませんか」
フロント係は、私の目に職業笑いを向け、
「そういうことはいたしません」と言った。客からの預かり物を損なうことはあり得ないという、断固たる自信がみなぎった。
しかし、こういう場合、普通の口調でいいから、ニコッと笑い、
「わかりました!注意いたします」
がいいのではないか
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9月25日(土)
時代背景を写した小道具に凝り、メイクを含む人物の年齢設定に無理のある
『ゲゲゲの女房』が終わった
楽しかった
『てっぱん』も見るのだ(-。-)y-゜゜゜
つくりごとは、じつに、面白い
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9月23日(木)
久々のカバ婆との夜の散歩だった
なんてことはない、近所のスーパーまで、ちょっとアイスクリームでも買いにいこか、となっただけだ
昨夜からの豪雨がすっかり秋を運んできた。東の空のまんまるお月さまから、うろこ雲が筋となって南の空を横切った。月がまぶしい
「すっかり、秋だなぁ」
「だねぇ」
住宅街は、街灯が整備され、足元を心配する必要もない。いつものことだが、二人組、三人組のおばさん、おばあさんグループや、ひとり黙々あるく爺ぃ、犬の散歩のおばさんとすれちがう。ときどき車が「ぐぁん」と通るが、まあ、総じて、静かな夜の散歩だ。
「きもちいいなぁ」
「だねぇ」
道なりに歩けば、見上げる月の位置が変わる。雲の様子も変わる。見上げればぽーっと口も開き、えいさほいさと歩く
「月はきれいだけど、星があんまり見えんな」
「だねぇ」
街灯は便利だが夜空の星をかき消してしまう。思えば、月夜の山道ではラテ(懐中電灯)も使わず十分歩けるのだ。
「こんな夜は、街灯はいらんな」と言った。すると、カバ婆、
「ひとつずつ、割ってったろかぁ、がはははは」
「…」
それは、犯罪である
・・・・
結局、アイスクリームはやめにして、スーパーを素通りし、大池まで歩いた。少し遠回りしても30分ほどのところだが、ここは、薬師寺をながめる絶景ポイントで、ガイドブックなどに載っている池の向こうに見える薬師寺の写真は、ここから撮ったものだ。今日も、夜景を撮りに何人かのマニアがカメラをかまえる。
このあたりは比較的街の明かりが少ない。池の向こうにライトアップされた薬師寺、その右手上空にまんまるお月さま。この瞬間、雲が晴れた。絶景だ。よく見れば星も浮かぶ。
秋もいい
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9月15日(水)
肥満度というのがあるらしい。BMIというらしい。体脂肪率というのもある。
「BMIは22ですし…、体脂肪率は…21ですね…、ジョギングや山登りですか…」
と、医者は言った。
肥満度22は「理想的」だそうな。体脂肪率は普段も家のヘルスメーターで測っているが、わたし的には何とか20を切りたいと思っているが、とにかく21は「正常」であるらしい。
先の月曜日、カバ婆と一緒に、生まれて初めて人間ドックなるものに入った。日帰りだから、項目的にも職場の健康診断と大差なく、検査ごとに安ビジネスホテル風の部屋で待機する時間の方が長く、あまりパッとしなかった。
結果は3週間後にまとめて聞きに行くが、上は問診表にもとづく医者との面談での話である。
問診表には、1日に「タバコ1日20本以上」「アルコール、日本酒2合(ビール500ml)以上」と書き、面談の際には、「タバコは下手すると2箱は吸ってしまいます…」「夏ですしぃ、わたしビール、いや正確には発泡性リキュールですが、350mlで、そうですねぇ、普通6,7カン、下手すると、8,9カン、ときに、気がつくと1ダースぐらい空き缶がごろごろしてることがあります…なんせ、ビール飲むためにジョギングする!といった感じですからな、がはははは!」などと、調子に乗ってしゃべくった。
なにせ、理想的肥満度、正常体脂肪なのである
医者は、「数値は数値ですが…、そろそろ飲み過ぎのは注意しないと…、煙草はやはり百害あって…」というようなことを、自信なさげに言った。(数値を無視して「とにかく酒の飲み過ぎ、煙草は死を招く!」と高圧的絶対的断固言い張るお医者もいる中で、今回はなかなか好感の持てるお医者さんであった)
なにせ、理想的肥満度、正常体脂肪だからである
なるほど、数値は、ときに、信用できない
だが、結果のでる三週間後、即検査入院を…ということは、十分にありうる
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9月7日(火)
『ゲゲゲの女房』がまもなく終わる。
貧しい生活が「ちょっこし」上向きになったころ、村井家の戸棚の上には「チキンラーメン」っぽいインスタントラーメンが必ず3袋、重ねて置いてあった。そして、子供たちが大きくなって、それが「カップヌードル」風のカップラーメン2個に変わった。
私の記憶では、ドラマ中ラーメンを食べるシーンはなかった
来週から「街道てくてく旅。熊野古道を行く」秋編がはじまる。
もう九月だ
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8月14日(土)
しばらく独り言を書かないうちに、ひどく老眼が進んでしまった
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7月17日(土)
奈良の我が家のあたりには、きのう夏が来た
外に出た時、空気が夏だった
そして、今日、夕立が来た
雨が変わった
夏はいい
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7月12日(火)
子供にとって、父母とは、厄介なものだ。父母は、生活に追われ、基本、子供の実利面(餌の供給、しつけ、いわゆる教育)のみに関わるものだ。だから、子供は、父母に反発する。愛すけれども嫌いなのだ。
あいかわらず印象で語っているが、昔話でも、民話でも、小説でも、ドラマでも、わたしの見聞でも、
ふらふらしている(ように見える)親戚のおっちゃんや、老後煙たがられている(かのような)爺や婆なんかが、子供に人生経験を語り、人生を経験させ、人生について考えさせる「導き手」になっていることが、あるのではないか
厳密にいえばプー太郎でも厄介者でも何でもない、ただ、子供にとっては、ちょっと遠いがでも近い、伯父さんとかおじいちゃんとかおばあちゃんが、なぜか、存在感がある。よそのおっちゃんだっていい
世の中「効用」(英語でいえば“use”だが)のみを追求するが、本当の意味での効用とはこんな人たちとの接触からうまれるのだろうか
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7月4日(日)
必要な本、インターネットのキーワードで検索した本、友人が出した本など、基本、アマゾンで買ってしまう。手っ取り早いからだ
しかし、奈良のローカル本屋さんだから、たいした品揃えはないし、大抵はベストセラーやら話題の本やらだけで、面白くもなんともないのだが、ときに、「ムム、ここのご主人、とりあえず、好みで本注文して並べてるかもしれん」という、町の本屋さんなどもある。
そんな本屋さんで、友人の書いた本や自分が面白いと思っている本が棚に並んでると、こっそり、目立つところに置いたりして、「むふふ」と思うのである
やっぱり本屋はいいな
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6月22日(火)
カバ婆のお父さんは質素な人だった。10年前のちょうど2000年、6月19日、71歳で亡くなった。
素朴で、質素な人だった
生涯の大工
職人だった
何事にもこだわらない人だった
食後、「お茶でも淹れましょうかねぇ」と言われれば、「ん、白湯でいい」「え?でもお茶でも…」「白湯がいいねん。あっさり」
週末が命日だった
「なつかしいよなぁ、いい人ほど、はよ死んじゃうんやなあ…」
「そうかもね…」
カバ婆&ヤギ爺、久々しんみり、夫婦の会話
「質素といやあ、さあ、わしだって、質素だがね。べーつに、高級なスーツ着るわけじゃないし。一週間おーんなじ服で仕事行くし」
「…」
「べーつに、ビールの銘柄選ぶわけでもなし、1カン90円の「発泡性リキュール」、うまいうまい、って、喜んで飲むし」
「…」
「食いもんだって、7時過ぎのスーパー、刺身「半額」!で、じゅーぶん楽しめるしぃ」
カバ婆の一言
「あんたのはさぁ。貧乏臭い、だけ」
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6月22日(火)
休みがほしい
贅沢だが、休みがほしい
休みになったら、藤内小屋に行きたいのだ。ずっとご無沙汰してしまっている先輩元同僚ご夫妻と比良三系を歩きたい。多少は鍛えるために家の前の矢田丘陵を走り回るのもいい。
カバ婆と3年ほど前から「今年は網戸張り替えようね」と言ってきた。そろそろやらねばならぬ。クマ太郎のために自転車のタイヤ、チューブの交換をしてやらねば…。あ、そうだ、車、まだ冬用タイヤを履いている、交換交換。
ゆっくりと本が読みたい。仕事柄に反し読書はあまり好きではないが、ゆっくりするには読書もいい。いや、やはり、週末は翌週の授業準備に取っておきたい。まとめてする方が効率がいいのだ。
ちょっとじっくりと考える時間もほしい。3つ4つの仕事を並行してちょこちょこするのは嫌いではないし、「ボケ防止」には最適だが、ずーっとぼっーとひとつごとを考えていたい。
わーっと飲みたい。明日仕事のない日の深酒は楽しい。
普段からボケボケしてるし、時間はたっぷりあるし、いつもガブガブ飲んでるのに、贅沢な話だ
だが、休みができたら、やることは山ほどある。次から次へと、休みたいのだ
あ、
これでは休みではない
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6月12日(土)
煙管ですが,初めは「ええぞ,ええぞ」とちょくちょく使っていたが,いまではほとんど使わなくなってしまった。前のパイプのときと同じだ。なにか味がちがうのである。
たった3mg,しかもフィルター付きの,その上ただ点けるだけ手間なし紙巻きたばこの味に,慣れ切ってしまっているのだ。
煙管を吸った後,すぐに「口直し」に,キャスタースーパーマイルドを吸ってしまうのだ。
使うときといえば,たばこが切れたとき,灰皿に残った吸いさしをシケモクするとき
煙管に挿して吸えば,あの嫌な味がしないのだ
味は超スーパーマイルド
経済ではあるが風雅無し
ヤギ爺のやることこんなもんだ
そんなことだと思ったと,声が聞こえてくる
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6月11日(金)
テレビの旅番組で,いわゆる主観目線というのだろうか,テレビカメラがあちこち見て回っているような雰囲気を出そうというタイプのものがある。
ナレーションが「旅人の声」ということで,「あ,ここに狭い路地があるぅ!ちょっと入ってみよっと」などと言いながら,「こんにちは,ここはどういう場所なんですかぁ?」などとすれちがう人にたずねる。町の人は「え?ここはね,昔からこの辺の人が集う気のきいたカフェがならんでいるところで…」などと,たぶんカメラの横にインタヴュアーがいるのだろう,ちょいと不自然な斜めカメラ目線で答える。
いまは少し慣れたが,それでも違和感がある
自分で旅をしているような雰囲気…という意図はわかるが,テレビなどというものは,人が何かしているのをのぞき見るような感覚がいい。
くだらん旅人がくだらんコメントを言っているのを,テレビに向かって「ばーっかかぁ!つまらん」と罵倒するヤギ爺,味わい旅をする人の姿に「う~ん,ええなぁ,わいも行きたいなあ」とニタ笑うヤギ爺
テレビの前のヤギ馬鹿面
勝手にあちこち回し見せ,勝手なコメントを聞かせるテレビを見せられているのに,主観もなにもあるはずもない
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5月31日(月)
わたしの思い込みかも知れませんが,(いま,今晩7カン目のビール(発泡性リキュール)をカバ婆とあけたところで頭回ってますが),
山の方に出掛けて行って,「○○登山口」という看板のある近くの,いわゆる「○○スカイライン」といった感じの車道の,路肩にある駐車場や,路肩で車が止められるようなスペースで,「県外」(とくに「都会」関係)のナンバープレートの車が止まっていて,「たぶん山菜取りとか,登山とかに来た人やろ」と思えるような場合,
その車のタイヤに,「車止め」のような感じで,石ころなんかが,挟んでありませんか?
今の車は,ほとんどがオートマチック車で,「P]のパーキングのギアがあり,ほとんどそれだけで十分安全に止められるけど,それでも,とりあえず二重の安全のために「サイドブレーキぐらいは」しときましょう,という感じで,たぶん,街中のかなり急な坂道に駐車する場合でも,「こんなんサイドブレーキはいらないぜぃ」と考えて,さっさと駐車して一日買い物に回るような人でも,
「山岳地帯」なんかに来ていると思うと,「ピンポン玉置いても転がらないぜぃ」というぐらいのゆるい坂道に駐車する場合でも,
とりあえず,「山では駐車の際,タイヤに石をかませましょう,車は崖を滑り降り始めるかもしれません,ついでに,ハンドルをひねって,万が一動き始めても,まっすぐ「落ちる」のではなく,斜面の方に引っ掛かり止まるようにしておきましょう!」という,教習所の教えとか一般常識かとやらを信じ込み,
タイヤに石を挟んでいるのを,見かけるはずです
思い込みはおそろしい
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5月30日(日)
釣竿は持っており,釣り糸を垂らすことはあるが,釣ることはめったにない
根気と研究心がない。それから,ときどき達人が「いらち(せっかち)の方が釣りには向く」と言うが,釣れなければ針を変えおもりを変え場所を変えるといった工夫もない。
釣れるはずもない
御在所の藤内小屋のある谷は北谷というが,もともと魚はいなかったらしい。藤内には「藤内遊魚組合」というのがあって,毎年6月に総会を開き,アマゴの稚魚を放流していた。いつの間にかアマゴは住み着き,魚のいる川となった。それが,一昨年の大洪水で川が一変し,魚はいなくなった。
「見た!」という目撃証言もあるが,アマゴはほとんどいなくなった。去年の総会では,今後のことを話し合ったが,またいつか放流を再開しようということで意見はまとまった。やがてまた魚のいる川になるだろう。
ほとんど魚を釣り上げたことがないヤギ爺だが,放流の日の午後,釣竿片手に藤内小屋すぐ下の流れに行き,「試しに」糸を垂らすと,これは,また,みごとに入れ食いとなる。養殖池で育った4,5センチの稚魚は人を疑うことを知らぬ。ウハウハ釣れるのだ。
ゆーじぃ!おまえ,放流したばっかりの釣って,なんのつもりだぁ!
試し試し,これ,から揚げにしたらうまい思うよ…
おまえなぁ…
今年も遊魚組合の総会がある。放流を再開するのはいつになるだろう
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5月26日(水)
NHK街道てくてく旅の新シリーズは森上亜希子さんの「熊野古道をゆく」になっている。大阪をスタートして熊度古道をめぐり伊勢神宮までの旅だ。今は和歌山市辺りに差し掛かっている。森上さんの「こてこての大阪のおばさんキャラ」(カバ婆コメント)に最初はちょっと引いてしまっていたが,旅は好い。
昨日(25日火曜日)は,雑賀崎までの旅を放送したが,最後,海岸近くまで下りて行った森上さんが,水平線まで見渡せる海を見て,「海を見ると,いつも,これがずーっと遠い外国までつながっているんだなぁ,って,思うのです。いいなぁー」というような感慨を述べた。そうなのである
うーみーは,ひろいーな,おおきーいーなーーーーー
なのである。
だれもが思うこと,誰もが口にすることをうたう
海は広いな 大きいな
月はのぼるし 日がしずむ
名詩だなぁ
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5月26日(水)
久々これ系の話題
おととい(5月24日月曜日)の朝日新聞朝刊2面の「ひと」コーナーで,井沢正名さんという人が紹介されていた。「「信念の野ぐそ」を始めて36年。毎日野外という連続記録は今年で10年になる」人だ。「庭や裏山で穴を掘って埋め戻し,葉っぱでふく」
何やら地元でし尿処理施設反対運動が起き,「近所は嫌なんて身勝手」と怒り,「せめて自分のものには責任をもとう」と,思い立ったらしい。「小」は草木を枯らすので断念したそうだ。
よそに出掛けた場合は適当な場所を探すが,「原生林や沢は避け,同じ場所には1年以上しない」
もともとキノコにほれ込み写真家になったそうだ。
「長年の写真家の肩書を捨て,いまは「糞土師」(ふんどし)を名乗る」という。
「選び抜いた葉っぱと小さなシャベルを手に,今日も外へ。」
文・宮地ゆう 写真・古川透
とある。
宮地さんの文章がなかなかよい。短い囲み記事だが,気合いがこもっていて愉快だ。
そういえば,藤内小屋の復興に関して,中部地方の新聞や大手新聞の名古屋支社あたりから,若い記者がひとりで取材に登って来ているのに出くわしたことがある。なかには「山は初めて,わたしこれ系じゃありませーん」という若い女性などもいたな
みんな仕事とはいえ,一生懸命だ。社にかえって,きっと遅くまで一生懸命文章を練り,やっと仕上げたのを編集長に持っていったら,別の話題が降って湧き,結局ボツ…なんてことも,あるのだろうな,などと考えていた。そうやって,だんだんに長い,重要な記事を書かせてもらえるようになるのだな,みんな,がんばれ!
宮地さんも,野糞に付き合わされて,さぞ大変だっただろう,いや,けっこう「それ系,おもしろくって,だーいすきです」かもしれない。(「ゆう」という名前,男性かもしれないが…それでもいいや,男女同権,それ系好きも嫌いも男女に区別なし!))
がんばれ!
それにしても,野糞に信念を燃やすとは,おもしろい人だ。「糞土師」の肩書に値するというものだ。この記事を読み,「これはいい,では,あすから私も!」と考える人はほとんどいないであろうから,まずは,救われるというものだ。皆が野糞を始めたら大変なことになる。「自然に帰ろう」系の話の難しさはここにある。
わたしは,基本「ウォシュレッター」だが,「ときどき山での野糞愛好家」である
付記:気になって「宮地ゆう」という人物を調べてみたら(もち,インターネットでちょちょちょい…)30代半ば,中堅(といっていい?)の,けっこうバリバリやってる,男性の記者のようだ。ちょっとイメージちがっちゃった…(5月30日)
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5月23日(日)
近所のホームセンターにちょっと買い物に行って,久々にモスバーガーでも食おう,ということになった。天気は大荒れ,朝から激しい雨と風が吹いている。洗濯物を増やすのもなんだからと,寝間着で出かけた。
と言っても,眉をひそめないでいただきたい。寝間着と言っても,わたしは,毎晩,ちゃんとした普段着で寝るのだ。昨夜は,濃いグレーのユニクロポロシャツに,ちょいと寒かったので薄いグレーのウインドブレーカー。ズボンは着古して色あせた黒のジーパンで寝たのだ。(お!ちょうど上の,平成22年春版「前口上」のキャンプの写真の服装とほぼ同じ)
何かあったらそのまま外に逃げられるのだ
とにかく,カバ婆のそばに寄り,「臭うか?」と聞いてみた。「べっつにぃ」と答えたので,そのまま出かけた。
ホームセンターで鍋を新調しようかどうかどうかと,台所グッズのコーナーをうろうろしているとき,カバ婆がふと私の方を見た。じっと見つめた。ため息をついた
あ~ぁ,わたしゃ,ねずみ男といっしょかぃ…
確かに
胡麻塩頭のてっぺんからこれまた古びた黒っぽいつっかけまで,みごとグレー系のモノトーン,鼠色にコーディネートされている…
「あのね,このホームセンターに来ている,どの爺,どのおっさんより,あんさんは,ダサい」
と,カバ婆は吐き捨てた
『ゲゲゲの女房』がおもしろい。毎朝の15分が,「ちょっこし」楽しみだ
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5月18日(火)
とうとう,髪も自分で切れることがわかった
クマ太郎(息子)が小さいとき,カバ母が家で散髪していた。で,ついでにわたしのもやってもらっていたのだ。すっぽんぽんになり,子供用散髪マントを体に巻きつけ,部屋の真ん中でちょこんといすに座って,ジーとして,切ってもらっていた。
みじめな姿だと思ったが,とにかく,それで十分だった。
やがてクマ太郎も色気づき,床屋なるものに行き出し,カバ婆もわたしの髪を切るのをやめた。
で,それ以来ずっと,近所の,「散髪のみ,1,000円ポッキリ!」の安床屋に行っていたのだが,その1,000円が,なぜかもったいない。「あんた,ビールと煙草は!」とカバ婆は言うが,人間の価値観とは,そういうものだ。わたしにとっちゃあ,パールもルビーもダイヤモンドも,ただの石ころのようなものだ
で,
先日,風呂に入るとき髪の毛がぼさぼさなのが嫌になり,そうだと思いだし,散髪用のすきバサミを取り出し,鏡の前で耳のあたりの毛をすいてみた。
お!いける!
わたしは,生まれながらの天然パーマで,多少のトラ刈りも,左右のバランスのちがいもそんなには気にならない(と本人は思っている)
後ろの方は見えないので手探りでいいかげんに切ってみた。
いける!
風呂から出て,「髪おかしくない?」とカバ婆に確認したら,
わからん
というそっけない返事。わからんならいい
というわけで,2,3カ月に1回,1,000円の散髪代が浮くことになった
めでたしめでたし
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5月13日(木)
大塚ひかり全訳『源氏物語』(ヤギは「ひかり源氏」と呼んでいます)の車中読書も,いよいよ第一巻が終わる,「賢木」に差し掛かった。
通勤電車のみで,しかも,ぶつぶつつぶやき読みだから,遅々たるペース。全巻読み終えるのはいつのことか…
何しろ平安貴族である,なにしろ色白光源氏である,姫様たちである,アウトドアとは無縁な世界だ。
はかない空蝉に恋い焦がれ,そのつれなさに悔しい思いをする源氏が,その夫の伊予介が任国から上京したのに会った際の描写は,「船旅で少し黒く日に焼けた旅姿はとてもがっしりして好感が持てません」(原文では「舟路のしわざとて,すこし黒みやつれたる旅姿,いとふつつかに心づきなし」)(「夕顔」の巻)
紫式部も色黒アウトドアタイプはお嫌いだったようだ
唯一,瘧病(わらはやみ)に苦しむ源氏が京都北山にある山奥のお寺(ひかりナビによれば鞍馬寺とのこと)に療養にでかけるのが,ここまでの最初で最後の遠出。病気療養であること,清浄かつ生臭な宗教の匂い,それから,そこで幼い若紫(紫の上)との運命の出会いを果たすこと,日常とはちょっとちがう開放感など,ある意味できっちりアウトドアの要素を具えている。源氏もひょろひょろあちこち散歩しているようだ。(「若紫」の巻冒頭)
気を紛らわすために後ろの山にでかけて京の方をながめた源氏は,霞みたなびきこずえ煙る景色を見て,「絵にそっくりだな(原文「絵にいとよくも似たるかな」)」と感嘆する。まこと,都会人のアウトドアに出たる,風景のみに感じ入るに,似てまんなぁ
「なんちゃってアウトドア研究」には資料となる箇所かもしれぬ,メモしておかねば…
共の者が,こんな景色はまだまだで,よその地方にはもっといい景色がありますよ,近いところでも播磨の明石の浦が最高で,なーんにもない所ですがとにかく広大な海の景色がゆったりとすばらしい,そこの国司がまこと変人だったのですが,出家して,娘を大切に育てていたのですが,山奥に隠居場は多々あるが若い妻子がかわいそうだからと,その海沿いで暮らすうち,だんだんといい人間になっていきまして…などと,やっぱ「田舎暮らしは素晴らしいでっせ!」と得々と語るうち,源氏は,
「それでその娘は?」と口を挟む
おいおい,やっぱ女のことかぃ!と,思わず笑いながら突っ込みを入れたくなるシーンです。
こんな読み方ができるのも「ひかり源氏」のおかげです
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5月6日(木)

このザック(上は駄猫ゴン),見覚えのある方もおられるかと思いますが,ある時期「○○(メーカー名)の黄色いザック」と言えば,知る人ぞ知るものでした。
しかし,これはコピー商品なのです。固有名詞を言っていいかどうか迷ったのですが,もうつぶれているので(と書いたところでインターネットを見てみたら,その血を継ぐ?同名のテント製造業者が現存するようなので匿名にします)「○○テント」という小さいけど職人肌の会社が,ヨーロッパ有名登山グッズメーカー○○のザックを真似て作ったものなのです。そういう意味では偽物なのです。
これは,30年ほど前,わたしが最初に買ったザックなのでした。にいちゃんが選んでくれたのでした(選んではくれたが,くれはしなかったのです,買った)。にいちゃんは,大学を卒業してから,そのテント屋さんに勤めていたのです。潰れたのでリストラされました。
このあいだふと思い出し,仕舞い込んでいたのを探し出し,黴臭くほころびがあったのを自分でなおそうとしたけど不甲斐なく,カバ婆に頼むのも癪で近所の鞄修理屋さんにもっていき,2100円でなおしたのを今夕取りに行って,持ち帰ったのを写真で撮ったのです。
なつかしい
同じく30年ほど前,アメリカで買った「シエラ・デザイン」のダウンジャケットは,毎年冬の室内着兼寝巻兼作業着兼山での防寒具として,ずーと着続けているのですが,洗っても体臭は消えずそで口は油で黒ずみ首周りのダウンは完全に抜け落ちているのですが,
いまでもあたたかい
わたしは,カバ婆に,「このダウン,棺桶に入れてな」と遺言しているのですが,このたび,新鮮に,もうひとつ棺桶を飾る品が出てきました。
いとおしい
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5月6日(木)
大学生のころ,教職の免許を取るために「英語教育法」のような授業をとった。教育熱心な先生だったと記憶する。授業の中で受講生に「教師の資質として必要なものはなんだろう?」というような質問をした。あまり真面目ではなかったヤギ学生は普段みずから発言することなどない。だが,このときは,何かにムカついていたのだろう。自ら手をあげて,「漫才師の様な,落語家の様な,お笑いの才能が必要だと思う」と答えたとき
これは前にも書いたが,「社会言語学」という言葉がどうしても腑に落ちず,いわゆる[ミクロ」の(日常の会話場面などを精緻に研究する)社会言語学は,人間関係やコミュニケーションの様態を観察,分析するのだから,しかも,礼儀や体面に注目するのだから,「社交言語学」の方がぴったりくる,と言ったとき
同僚たちと酒を飲みながら昨今の「自己評価」ブームについて話していた。誰もかれもが自分のできること,自分の成し遂げたことを声高に述べるよう求められている。1年の成果を自己評価し,「わたしは,○○と○○と○○と○○をしました!」と,いいことばかりを並べたてる。「評価」なのだから,やれなかったこと,やったけどマイナス効果があったことなどについても,もっと申告すべきだ。「自己評価などやめて自己卑下の仕合いにすればいい」と言ったとき
飲みながら,自己卑下する自分はバカだと,執拗に自己卑下したとき
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5月5日(水)
あ,余分な肉が付いてきた,と思った時,
死なない程度に食べるのをやめるのが,
いわゆるダイエット,である
人間の(いや,俗に言うわしら飽食文明人の?)知恵
(注)腹八分目とは,なにも道理をわきまえた聖人,古人の知恵ではなく,飽食食いすぎ人間の自戒の言葉,だった,のかな
腹が減れば目一杯食うものだ
「あー,飲みすぎた,明夜は,飲まんぞー」(今夜のヤギ爺の知恵)
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4月28日(水)
人にどう思われているか,嫌がられていないかが,異常に気になることがある。ときどき訪れる厄介な気分なのだが,ここしばらく,そんな状態が続いていた。「気にしぃ病」と呼んでいる。
この時期厄介なのは,4月の新年度での授業だ。普段なら,まあろくな授業などできないんだから,まあ,それなりに,できるだけのことをしとけばええんや,などと,呑気でいられるのだが,今はだめだ。授業中,授業後,学生の顔色が気になってしまうのだ。寝ている学生などいるものだが,うぅん…やはりつまらん授業なんだ…などと,思ってしまう。あー,疲れてるんだぁ,(^◇^),などと笑って見過ごしてやる余裕も,こらー,(>_<),たるんどるな!と怒る気持ちにもなれない。
こういう状態ではいつもにまして授業がでたらめになる,と考えるとますます気になってしまうのだ。悪循環…
思い切って,カバ婆に打ち明けた
あのさぁ,最近,ちょっと変やねん,ごめんな,なーんか,人の目が気になってさぁ,嫌がられてるんじゃないかとか,嫌われてるんじゃないかとかさぁ,こないだ,あんさんの作ってくれた昼飯,「これ,うまー!」って異常に褒めたやろ,あれもさぁ,あんさんにすら気ぃー使ってしまうんよ…,で,「これ,外で食べたら,定食,1500円はとれるね!」なんて言ったら,あんさん,「お金に換算せんといて,うっとーしー」って,ムッとしたでしょう,あれで,すごーく落ち込んだんよ,実は…,それくらいうまい!ってつもりで言ったんだけど,確かに,家の料理を外食に譬えるなんて,たしかに,ムカついてもしかたないわな…ごめんな,ほんに反省してしまうんよ,なんかさぁ…人が気分を害するって考えると,もう,何も言えなくなっちゃうんだよね,あかんあかん,ちょっと病気やねんな,これ…
黙って聞いていたカバは一言,
「あんさんのそういうとこ,ウザいよね,いつものことだけどさ,あーいやだいやだ」
そうだったのである,この性格,いつものことだったのである
婆は駄目押した,
「ならば,なーんでわしの前で,たばこ吸うかなぁ…,あーいやだいやだ。酒飲んだくれて,テレビの前で寝ちまう,ましてけたたましい鼾。嫌なんだよなぁ,あれ,すっごく。どーせなら,これ,改めんかねぇ」
そうなのである,とくに気にせんでも,嫌がられることはいつもしているのである
こうして,今回の「気にしぃ病」は,癒えたのである
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4月19日(月)
我が家の今の食卓は,春の野草のエネルギーに満ちている。ヨモギ,スイバ,カラスノエンドウはてんぷら,ナバナは当然わさび醤油でお浸し。断然うまいのは,やはりコゴミだ。これは,たださっと茹でただけにかつぶしに醤油だけ。
しかし,なんといっても,毎晩どんぶり一杯食べられるワラビが一番だった。
カバ婆が適当に灰汁抜きし適当に水にさらしたのを,夕方,ニタニタ笑いでボールからわしづかみ出し,包丁でザクザク切ったのを,どんぶりにあけ,たらっと醤油をたらして,ビールといっしょに,バクバクニヤニヤ食べるのだ。
うまい
やはり,今頃のものが最高だ。上品なぬめり具合といい,歯でサクッと切れるのに,それでも,しんなりと柔らかい感じが,たまらない。元来,シティー・ヤギ・ボーイだったヤギ爺は,まっことカバ婆に感謝,感謝なのである。
しかし,今年はその収穫に異変が起こっている,と,カバ婆の報告があった。
収穫量が激減しているというのだ
そもそも,収穫場は,家から100メートルほど先にある2軒分ほどの宅地の空き地,その所有者はブタ子(娘)の幼馴染の親で,とりあえず立ち入りの許可は得ている,まこと,合法的な「雑草収穫地」なのであるが,そこでの収穫が,今年は目立って減ってしまっているというのだ。
ひとつには,カバ婆が毎年ご近所に配って歩き,「え?ワラビなんてどこで取ってきたの?」の質問に「あそこの空き地にわっさわっさ出てます!」と教えまわっていたことが原因かもしれない。「松茸のある場所は子にも教えぬ」ではないが,乱獲を避けるためには,秘密主義も必要だったのかもしれない。
しかし,やはり原因は,我が家の消費量であろう。
カバ婆は,「ちゃーんと,先っぽだけ取るようにしてたけど…」「全部は取らないようにしてたけど…」とは言っている。しかし,同時に,「やっぱ,ちょっと取りすぎたかな…」
しかし,一番の問題は,やはり,あればあるだけ食べてしまう,「あんさん,明日に残しとこ!って気はないの?」状態で食べ続ける,後期資本主義経済の飽満消費主義経済の破綻を知らぬ貪欲ヤギ爺の消費行動にあるだろう。
事態の重大さをやっと悟った飽食ヤギは,やっと,環境保護運動にも一理あると悟ったのであった。
食うために守る!
しばらくは,小鉢いっぱいで,我慢しよう
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4月12日(月)
口数を減らそうと心に決めた
減るはずもない,と心が叫んだ
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4月7日(水)
4月4日は,親しくしていて,もっと親しくなるはずだった先輩同僚の広瀬さんの命日だ。
「森さん,こんど連れていくまでに,勉強しておきな」と,アユ釣り雑誌を束ねてくれた。最後となった秋のことだ。「来年は連れてってくださいな」と,飲みながら話していたのだ。
いまでも研究室に積んである
桜が咲き,風が吹き,雨が降るころ,そろそろ新学期,授業かぁ,というころ,広瀬さんの命日が来る
今年,その4月4日,藤内小屋が再開したのだ
とりあえずは,素泊まりのみということで,営業を再開したのだ。「簡単なセレモニーがあるから」ということで,カバ婆とでかけた。2年前の秋の豪雨以来,「ボランティア」と称してはちょくちょく酒を飲みに出かけ,「お手伝い」と称しては足手まといの役立たず,それでも,折々のイベントには極力参加してきた。
ゆうちゃーん,こういうときには,ちゃんといるなぁ,ははは
なんせ「ええ,ええ,仕事は手伝わんでええ,まあ,賑やかしも必要だで」とお墨付きの無能ボラ,「わし,手伝うとかえって仕事遅れるからね」
たしかに,仕事をしない人間よりも仕事をしてもらいたくない人間の方が問題だ
そんなヤギ頭ボランティアだが,神谷さん(小屋の主人)があいさつする様子を見ていて,
みんな,ありがとー
と,大きく頭を下げるのを見ていたら,思わず,ジーンと目頭が熱くなったのだ。1年半の間,ほぼ毎週藤内に来ていた神谷さんや奈那ちゃん(奥さん:初代主人佐々木正巳さん・敏子さんの長女)が,あまりにもふつーに,作業をしてきた姿が浮かんできたのだ。ほぼ毎週のように上がって来ては,土砂運び,石割り,トンカチ仕事をしてきた,ただ黙々と楽しそうに働く人たちの顔が浮かんできたのだ。目の前で神谷さんの話を聞いている彼らの姿を見たのだ。
セレモニーの後お祝いの餅つきをした。「ゆうちゃん,火みててや,落とさんようにきーつけてな」とまかされた蒸篭(せいろ)の竈(かまど)のそばで,ビール片手に,感慨にふけるヤギ爺であった。
すると,
「ゆーちゃん!ちょっとぉ!米,まだ,がしがしだがね!もっと火おこしてガンガン蒸さなあかんの!ちゃーんと,火,みとらなあかんがね!」と,
残酷な声
あくまで役立たずのヤギ爺にとって4月は残酷に始まった
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4月1日(木)
外にいた
前には,台の上に,見事な鯛と,ちょっと大きめの鰹があった。手には出刃を持っていた。少し不安だ
よし,まずは鯛からか
しばらく魚をさばいていなかったが,うん,なかなかうまくいく。骨にそって滑らせる包丁の切れ味は最高だ
あっという間に仕上がった
と,バスの中にいる
あのー,ここは邪魔だから,バックで駐車場に入れときますね
大丈夫です,一人でOKです,と,巧みにバスをバックさせた
わたしは,バスの屋根の上で,今度は鰹をさばいていた
だれか,夢判断して!?
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3月24日(水)
「あ,もりゆうじせんせーですか?」と,いつもと同じ声色,トーンの声。「またか…」と思う。
「わたし,○○○○の○○といいますが…」
「本日は,大阪大学の先生に…」
「税金対策でお困りでは…」
「じつは,都心の一等地のマンション…」
もう何年も前から,研究室に,それからときどき自宅にも,大学の先生にマンション経営による資産運用を勧誘する電話がかかってくる
わたしはけっこう個人情報垂れ流しだから仕方ないが,慎重に気を使っている先生方にも来るようだ。
なんで大学の先生なんだよ,と思っていたが,今朝ニュースを聞いていて,理由が分かった
多くの大学が数年前から「少子化対策」ということで証券,金融資産運用を始めていたのだが,ここにきて,赤字計上となり,見直しを迫られているという。資産運用で儲かるかも…と,「ノウハウもないまま証券会社等にすすめられるがままに」始めたらしい。
やはり大学,大学関係者は,金融関係の絶好のカモなのだ
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3月17日(水)
昨年暮れ,とうとう,地デジテレビを購入したのだ
デジタル液晶画面はクリアで,数本立った髪の毛や,女優さんの顔のしわまで,わかってしまう。驚きだ。
そしてマメが変わった
「テレビ猫」になってしまったのだ。
自然系の番組で,鳥やお魚が映ると,テレビの真下に鎮座し,じーっと目で追うのだ。そして,「面白ビデオ」系の番組でよく見るように,マメは,飛び立つ鳥に向かって飛びかかるのだ。液晶カバーをしていてよかった。
室内で育った猫は戸外への異常な好奇心を持つ
マメも,それから今や室内猫と堕落したゴンも,我が家の道路側に面した出窓の縁に座り込み,日向ぼっこをしながら,しょっちゅう外を眺めているのだ。ご近所さんが「今日もネコちゃん,窓におったなぁ,じーっとこっち見てたよ,かわいいなぁ」などと話してくれる。
そして,室内に閉じ込められた猫は戸外への異常な恐怖心を持つ
外出時「行ってきまーす」と不注意にドアを開けてでかけると,ドアの隙間からマメが「さっ」と外へ抜け出すことがある。これまで,3回ほどやられてしまった。
外に出たマメは,まずはきまって,ガレージの車の下へ潜る。そこで,じっとしているのだ。カバとヤギは,棒を振り,煮干しをかざし,あれやこれやの手をつかいマメを捕獲する。
先日,どうしても出てこないので,少し乱暴に棒で突いた。窮地のマメは,ままよとばかり,わたしの横をすり抜け,庭の方に一目散で走り去る。わたしが追う。カバ婆が台所裏からまわり,挟み撃ちだ。
物干し場の裏のあたりでカバとヤギに挟まれたマメは,ついに進退極まり,捨て身の突進,カバ婆の肩先を見事に飛び越え,台所の方へ走る,走る。今度はわたしが表側から台所裏に回り再び挟み撃ち。マメは逃げる,逃げる。
が,マメは,庭から出ようとはしない
我が家の周りは,生垣や隙間のある柵で囲われているのみなのである。猫は,どこからでも外に出ることができる。しかし,マメは,庭から出ないのである。
2周ほど家の周りを追いかけまわされたマメは,ついに,ベランダに面したドアの前で,憔悴しきり恐怖におののきながら哀れな鳴き声を上げ座り込んだ。わたしが家に戻り,内からドアを開けると,マメは「みゃ~~」と叫び声をあげながら部屋に飛び込んできたのである。
「怖けりゃ,出なきゃいいのによう!」
・・・・
今朝もはよから,ヤギ爺はテレビを付け,コーヒーを楽しむ。コンピューターに向かいながら,NHKの自然系番組,BSの旅系番組などを,横目で眺める。デジタル画像は,まこと,リアルである。
マメもちょこんと座りこみ共に自然観賞だ。テレビの横のサッシ戸の外には,僅かばかりだが,緑の庭が見える。
ふと,同時に,マメもわたしも,テレビの中の自然と戸越しの庭を,見比べた
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3月15日(月)
若いころ、『山と渓谷』とか『岩と雪』などという雑誌を見ては、美しい山容や突如目の前に広がる清楚な「お花畑」、そそり立つ断崖や切り立った絶壁の写真を見て、「う~ん、こんなところに行ってみたい」などと、「旅心」をそそられたものだ
写真とともに、行程や登山ルートについてのコメント、見どころ、注意事項、記者(あるいは投稿者)の感想などの文章がある。コースタイムについての記述や地図やルート図なども付いている。
しかし、何と言っても、紙面を彩る美しい山岳写真が、このような雑誌の主役なのだ。パラパラとページを繰りながら、目で追うのは写真ばかり、文章などはあまり読まない。そんな人が多いかもしれない。
さて、自称アウトドア言語文化研究家、山でのおしゃべりと飲酒文化を専らとしてきたヤギ爺は、山小屋を「わがピーク」とし、そこで語られる「遠い異郷の山々」の愉快な思い出話や苦い失敗談などを「ふむふむ」「おー」「そーっすかぁ」などと、手にはピール、口には煙草をくわえながら、楽しむのであった。
ゆうちゃん、たまには山いこうやぁ!
ぼくの「ピーク」は、この藤内小屋でーす!これより上行ったら遭難や、がはは
情けなや
さてさて、時代は廻る。若きワンゲル時代「ブイブイ」いわせながら山を闊歩した昔の杵柄はもはや劣化でぼろぼろ、いまや「ブヨブヨ」体型のカバ婆と、「ピークハンター」ならぬ「山小屋ハンター」ヤギ爺は、50を過ぎ中高年夫婦登山の仲間入り、二人きりでは心もとなしと、先輩同僚ご夫妻のまこと愉快な山歩きに同行させてもらうのだ。「今度は鎌倉山から峰床山へのコースです」「らじゃー!しっかり「予習」しときます!」
便利な世の中になった。インターネットを調べれば、京都北山のこの登山コースを紹介したブログやホームページがわんさか出てくるのだ。バス停、登山口、途中の道標、要所要所の見どころなど、何枚も写真が載っており、すべてが手に取るようにわかるのだ。
下調べは万端だ
実際に出かけてみると、実際に下調べの効果絶大、あたかも前に来たことがある場所のような気分がしてくるものだ。時間配分やペース配分も何となく「思ったとおり」、なーんだ、これなら、ひとりでも来れる、と感じた瞬間、カバ婆が、
やっぱり、わたしらだけだったら、ぜったい、こんなところこれんね、やっぱ、連れてきてもらうのが一番だね、とーぶん
と言った。
そうかぁ…?と思いながら「そうだねぇ」と答えながら、しばらく注意して歩いた。
確かに道標はしっかりしている。どうも最近新しくつけたものもあるようだ。基本、それに従いながら歩けば、まちがいない。しかし、ところどころに紛らわしい「曲がり」があるのだ。しばしば、登山道が大きく右に左にそれることがあるのだ。
「以前はこの標識がなかったんで迷ったんですよ、ここで。どっちかなぁってしばらくうろうろしたんです」と先輩同僚。
比良の山もそうだが、京都北山も、安曇川沿いの谷側の山麓は急峻なのだが、登るにつれて穏やかな山筋となり、尾根の幅が広く、けっこう山深い。つまり、見た目では尾根筋がつかみにくく、自分が山のどのあたりにいるのか判断しにくいのである。雪解けでぬかるみ足元不如意の道、どうしても下を向いて歩くことが多い。道標などすぐに見逃してしまうのだ。いったん道を外れ知らない谷にでも入り込んだら…
…いわゆる低山でもこんなふうに遭難してしまう人がいるんだな…
杵柄は朽ち落ちてしまったが、昔の感覚は残っているのであろう。いや、逆に、カバ婆は、山で自分の位置を知る感覚を失い術を持たない今の自分たちを自覚したのだ。カバ婆の言う通り、やはり、しばらくは、ひっつきお邪魔虫となって付いていこう!
情報の氾濫というが、特に、視覚情報の氾濫は、じつに怖い。「見れば分かる」は真っ赤な嘘だ。
実際に楽しいのは、風の感じと空気の匂いかもしれない。不如意ではあれ靴底に伝わる地面の感触だろう。ひとりでの登山なら独りでいるという気分、そして、仲間とならば、共に歩くという雰囲気であろう。
実際役に立つのは、やはり、コースタイムの記録と、その場の気持ちや雰囲気がじかに伝わる文章のある、そんな山歩きの記録だ。そこに、楽しい写真が、数枚だけあればいい。
これぞ「旅ごころ」を誘う
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3月2日(火)
久しぶりにゆっくりでき、昼、カバ婆といっしょに近所で評判のつけ麺屋にでかけた
平日、11時開店直後だったが、店先には何組かの行列ができていた。順番間近になり入り口近くに並んでいると、中から顔を出した若い店員がカバ婆とわたしの顔を見てハッとした。「○○君?」とカバ婆が言う。「クマ太郎君のおばちゃん、ですよね…」と言いながら、わたしの顔も見てちょこんと頭を下げる。
小さいころいっしょにスキーにいったりしたクマ太郎の友だちがバイトしていたのだ
つけ麺は太めん、こってりダレの、ヘビーなものだった。「おなかいっぱいや、「小」にしとけばよかったぁ、なんで「並」すすめるのぉ」とカバ婆。
だれもすすめていない
「あー、口直しにアイスクリームかなんかたべたい」と、カバ婆は帰り道にあるコンビニへ。わたしもついて入った。ストロベリーチーズパフェというちょっとお高いアイスをひとつだけ手にもっていそいそとレジに向かうカバ婆から少し離れて待っていた。
「あ、○○ちゃん?」「そー、ここでバイトしてるのぉ」というカバ婆の声が聞こえてきた。レジのバイトの子の顔を見ると、ブタ子の小学校のころの友だちだ。名前は忘れていたが、顔にはなんとなく面影がある。家にもときどき遊びに来て会ったことのある子だ。
近所の店のバイトは子供たちの友人が独占しているのか
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2月28日(日)
動物好きに悪い人はいない
花の好きな人に悪い人はいない
スポーツマンに悪い人はいない
山を愛する人に悪い人はいない
音楽を愛する人に悪い人はいない
車好きに悪い人はいない
バイク乗りに悪い人はいない
酒好きに悪い人はいない
愛煙家に悪い人はいない
わたしは、ほぼ、すべてに、あてはまる
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2月21日(日)
ざるそばの食べ方は、人それぞれだろう
わたしは、まずは最初に、そば猪口に蕎麦だけを入れるのである
そして、そこに、薬味のネギ、わさび、あるいは辛み大根を少しずつのせる。
その上に、蕎麦つゆを適量かけるのだ。江戸蕎麦のように濃いつゆであれば少々、信州の蕎麦屋はたいがい薄めなので、ちょいと多めにかけるのだ。
そして、箸でぐるぐると回しながら、薬味をしっかり蕎麦にからめ、そば猪口を口にもっていったら「ぞぞぞっ」と一気にすべてをすすりこむ
そして、また空になったそば猪口に、一口分の蕎麦を入れるのだ
うまい
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2月14日(日)
魚はさばける(へたくそ)
鳥はたぶん無理。豚や牛や、鹿は、絶対無理
さて、たぶん、鰹や鮪などの大魚でも、なんとか、できる、かもしれない(もちろん、まともには無理)
では、イルカは?
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1月28日(木)
「奇妙」という言葉、このあいだふと「独り言」で使って、気になっていたのでちょいとだけ調べてみた。いつものごとくネットと辞書関係のみ、とほほ
わたしには、「うぅ~ん、そりゃ、まっこと、奇妙奇妙、おもしろいですなぁ…」といった語感があり、そういう意味で使ったのだが、
ありました、
辞書の定義でも、『デジタル大辞泉』では「非常に趣・おもしろみ・うまみなどがあること。また、そのさま。」とあり、江戸時代の人情本『春告鳥』(1836)からの用例が引いてある。
『国語大辞典』では「普通とちがって、非常に趣やおもしろみ、うまみなどがあること。また、そのさま。」と定義され、歌舞伎関連の『役者評判蚰蜒』(1674)や歌舞伎『お染久松色読販』(1813)、滑稽本の『続膝栗毛』(1810-22)人情本の『英対暖語』(1838)やらからの用例がある。明治に入り団団珍聞(1877年(明治10年)から1907年(明治40年)頃まで刊行された週刊の時局風刺雑誌。『ウィキペディア』より)の1880年の用例もあるが、これは江戸情緒を残したものだろう。
現実の日常生活では「普通とちがう」ことが奇異の目で見られるゆえせめて風流の世界では…ということか、奇怪な人や出来事が多い現在、「奇妙」は趣やおもしろみをなくしたか…
とまあヤギ頭爺がこれらを読んでいるはずもなく、たぶん、落語かなんかで聞いて感覚にしみ込んでいたのであろう
奇妙奇妙
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1月23日(土)
煙管を手に入れた。安物だ。「小粋」という煙管用としては現在唯一の銘柄だという刻みたばこも買った。香り豊かで、パイプよりもだいぶ手軽に吸える。とりあえず、灰皿からつまみ上げた「キャスターマイルド3mg」の吸いさしの葉っぱも、指で丸めて火皿に詰め吸ってみる。煙草本来の香りがする。なかなかよい
ふと思い出した
だいぶ前だが藤内小屋での作業の折、あいかわらずふらふらとぶらぶらしていて、煙草をすぱすぱ吸っていると、ボランティアで熱心に作業をしていた初老の男性がふと立ち止まり、「その煙草、いい香りがしますね」と声をかけてきた。「なにか、パイプたばこのかおりがする…」
「そうですか、キャスターマイルド、しかも3ミリグラムなんですが…」と答えて思い出した。
いろいろな煙草を吸ってきた。一番初めは父親が吸っていた「セブンスター」だった。山に行くようになって、「ハイライト」を吸った。名前につられ「峰」も吸った。独特の味がした。「マルボロ」が流行っていたのでこれも吸った。しかし、どうして吸い始めたかは忘れてしまったが、「キャスターマイルド」を吸ったとき、なにか甘い、そう、たしかにパイプ煙草のような味がするのに惹かれ、それ以降基本的に「キャスターマイルド」系の煙草を吸っている。今では3ミリグラム
忘れていたのだ。香りを楽しむことを忘れていた
「そうですね、たしかに、このタバコ、そんな香りがします。でも、わたし、ダラダラすぱすぱだらしなく吸ってしまっているんで、すっかり忘れてました。いかんですね。一服どうですか?」と、そのボランティアで熱心に作業を手伝っている初老の男性に一本すすめた。
「いえ、わたし、煙草は吸わんのです」その男性はやさしい笑顔で断った。「ただ、煙草の香りが好きなんですよ、いいですよね」
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1月15日(金)
これからは、自分が重要だと思ったことを研究し、自分が必要だと思った人や書物に言及し、自分が今発言すべきだと思うことを述べる文章(論文等)を書くぞ!と決意し、文章(論文等)を書き始めて数年たつが、結局、何が重要なのか藪の中で、触れるべき「先行研究」が何なのか定かにならぬまま、自分勝手な「感想」をだらだら述べるだけの文章(論文等)を書いてきてしまったことを反省した
最近、自分の書いてきたものを読み返す機会があり、自己嫌悪したのだ
「学会」やら「学問分野」やらの定評ある研究にのっとって書いた以前の文章(論文等)の方が、やはりいくぶんかはましだと、自分でも思う。大樹によりかからねば何もできない無能なヤギ頭…
なさけない
さて、話変わって、
『源氏物語』は、30数年前、高校の国語の古典の必須アイテムだった。入試にも出るぞと読まされた。
「古典」とは、格調高いもので、「現代人」は、何かを学ぶために古典に親しむ。すでに今は使われていないもの言いで書いてあるので、「味わう」ためには、それなりの根気のいる学習が必要だ。だから、「高貴」なのだ、と、人は言う。
子供たちが学ぶべきもの、学問として研究すべきもの、となると、それだけで価値が付け足されるのだ。たかがゴミ捨て場(貝塚等)でも、学問の研究対象になれば貴重なのだ。たしかに、便所やゴミ捨て場はとても大事なのだ
さてさて、ところで、ひかり源氏(大塚ひかり全訳『源氏物語』全6巻)はすばらしい
便所やゴミ捨て場は便所やゴミ捨て場だからおもしろい、と言っているようだ(なんというヤギ頭評…)
「自分の感性」の現代感覚で口語訳した『源氏』もあったし、マンガやテレビドラマ(お!そういえば沢田研二、ジュリ~ぃ!の源氏もあった)なんかもあったが、結局、自分勝手な現代の見方で「翻案」しただけのもの、読んでも、見ても、「今」を感じるだけ。つまりは、独りよがりなのだ、ヤギ頭と同じ。
過去の文学作品の「今」における意味、というのを考えることもたしかにありうるとは思う。しかし、それが、リアルタイムでどういう状況で書かれ、リアルタイムでどういう状況で読まれていたかは、すごーく知りたいことだ。ドラえもんのタイムマシーンや翻訳こんにゃくがあったらいいな、と思わせるのも、こういう理由だ。その場に行って、その場の言葉はわからないけどその場で同時通訳してほしいのだ。ならばその場の雰囲気を多少とも味わえる。
ひかり源氏の奇妙に片仮名まで混じる訳(まさに「奇」で「妙」なのだ)と、自分が面白いと思ったことを見極め自分が「確かに!」と納得できる人や書物に言及した「ひかりナビ」を読んでいると、タイムマシーンで平安に行き絶妙な同時現代語通訳機を使ってそこに生きてる人たちの話や行動を盗み聞き見ているような気になってくる。厳かな古典でもないし今と同じだという勝手な思い込みでもない。幻想にはちがいないだろうけど、リアルな幻想だ。
すごい
この人はものごとや人に「素」で対する人なのだ(と、ヤギ爺は、勝手に思い込んでいる)
電車読書のたびに、ぶつぶつと声に出して読みながら、同じフレーズを2,3度繰り返しながら、ひかり源氏を読んでいる。隣に座ったOLさんは、やばい言葉をぶつぶつ唱える山羊ひげ若爺を「これはやばいかも…」と胡散臭視していることだろう。
いまだ第1巻「帚木」半ば
そんなところで書評めいたことするなよ!ばーか、それより、原文を味わえ!おめー、『源氏』訳どれほど読んだんだよ!、という声が聞こえてくるが、とにかく通勤読書が復活したのだ、とりあえず、
よかったよかった
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1月15日(金)
去年の秋ごろだったか、Google 地図の「ルート・乗換案内」に「徒歩で行く」のオプションが付いていることに気づいた。
住所や目的地名を入力すると、徒歩によるルート、距離、時間がでてくるのだ
それによると、最寄駅近鉄学園前までは3,5キロ、45分とある。わたしがフツーに歩いた時の時間と同じだ。京都方面や三重、名古屋方面に行く際に使う西ノ京までは2.5キロ29分。これもだいたいあってる!
すげー!
どこでも歩いて行けるぜぃ!
ちなみに、職場までは38.4キロで7時間59分。御在所藤内小屋の登山口のある湯の山温泉辺りまでは103キロ、21時間15分。藤内小屋までは歩いて21時間40分そこそこで行けるのだ!
東京駅へは4日と2時間、474キロの距離。自宅から歩いて行けるもっとも遠い地点だろう、青森県の大間崎突端までは、たかだか9日と4時間で行ける。1,176キロだ。
地図はすごい
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