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ヤギ爺の独り言2011
 
 

99.「エコカー補助金」復活

1227日(火)

 

まえ(43.ならばやめろ、2009年619日(金))にも同じようなことを書いたが
今一度

 

「本パッケージに記載されている製品名の「Super mild」の表現は、本製品の健康に及ぼす悪影響が他製品と比べて小さいことを意味するものではありません。」

 

わたしの吸っているCASTER SUPER MILD 3 の側面に書かれている但し書きだ

 

エコカーのドアには、

 

「本自動車に記載されている「エコカー(「環境対応車 普及促進税制」適合車)」の表現は、本製品の環境に及ぼす悪影響が他製品と比べて小さいことを意味するものではありません。」

 

というステッカーを貼る必要がある。

 

タバコは吸わないのが健康にいいように、車は買わない乗らない、「禁車」のほうが環境にいいに決まっている

 

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98.童心だった理由

1226日(月)

 

けっこう腹いっぱいに食い、どうしよ、あと少し、最後に注文で新鮮なところをいくつか頼んでお愛想しよか、ということになり、〆鯖とホタテとハマチを一皿ずつ注文した。

 

〆鯖はまだ注文してなく、ホタテはわたしは食べてなく、ハマチはクマ太郎もわたしも「うまい!」と言ったので再注文だった。カバ婆はもうおなかいっぱいだと言った。

 

〆鯖とホタテの皿がきて、クマ太郎と二人で一貫ずつ分けた。そこにハマチが来たのだが、クマ太郎は2貫とも食いたかろうと思い、でも、わたしも食いたかったので、

 

「これ、ね、二人で、わけわけして食っていい?、ね、クマたろー?!おれ、ひとつ食っても、いい?」

 

と、息子に媚びたのである

 

たいしたことではない

 

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97.童心

1224日(土)

 

きのうのことである

 

年末だからクマ太郎を誘って昼飯でも食おうということになり、くるくる寿司だが全皿105円ではない店で昼飯を食った。クマ太郎は下宿から直接オートバイでやってきた。

 

カバ婆とわたしは歩いて出かけ、生中で乾杯、日本酒熱燗を1合頼んだ。

 

昼から飲む酒はうまい

 

どうしてそういう話になったかは言わないが、宴もたけなわ、クマ太郎が、

 

「どう考えても、家で一番子供なんは、父さんやんなぁ」

 

と言った。

 

カバ婆は、おとといあった職場の忘年会の宴会場で、家族連れの同僚の子どもたちと散々暴れまわり取っ組み合い、「おめーら、うるさいわ」と叫んでいたわたしが一番うるさかったかも…というわたしの淡い反省談を聞いていたので、

 

「10歳程度やね」

 

と言った。

 

子育て真っ盛りのころは、わたしにも「家と外」「裏と表」の顔があった。子どもたちには、それなりに厳格に、ちょいと偏って高圧的にもなった。カバ婆にも、夫の沽券を保つような態度をとった。

 

しかし、このところ、わたしには裏と表が、家と外がごちゃごちゃになった感がある

 

還暦はまだ遠いが、呆けのはじまりか

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96.とりもち

1220日(火)

 

個性あり、優れた人間たちと交わり

とりもつことは、

コミュニケーションの醍醐味だ

ややこしいけど、

 

実に楽しい

 

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95.冬

1216日(金)

 

木枯らし吹き

枯葉舞う

 

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94.格

127日(水)

 

芸能の中で、やはり、

宝塚は格がちがうかもしれない

 

すばらしい

 

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93.暖房

125日(月)

 

我が家ではまだストーブを出していない

 

・・・・

 

あ、べつに節電要請に応えているわけではありません、カバ婆がめんどくさがりやなのと、寝袋+ダウンジャケット+オーバーズボンで、特に不自由はないからです

 

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92.思いやる

1125日(金)

 

テレビで「戦争を知らない子供たちが、66歳になった」というような感じで、戦争について「誰に聞けばいいの?」といったようなCMを見た

 

フィルムでは、戦争の悲惨な写真をはさみながら、「戦争の色はなにいろ?」とか「においは?」という質問に答える若い人を中心としたインタビューが流れていた

 

・・・・

 

広辞苑によると「思いやる」とは、「人の身をおしはかって、同情する」ということで、話でも、写真でも、映画でも、小説でも、ニュースでも、新聞でも、なにをとおしででも、思いやることはできる

 

そんなことが言いたいのかな

 

・・・・

 

23週間前、ウォーキングをしていたら、車に跳ね飛ばされ頭蓋骨を潰され内臓を踏みにじられた狸の死骸の横を通った

 

直視できなかった

 

狸に同情し車を恨みそんな事故に未だ出会わぬわが身の幸せを思った

 

・・・・

 

わたしが直視した死体は、父と母のものだけだ

 

父は、目の前で息を引き取った。脈拍と血圧を記す計器がピーっと単調な音になった後、数分でみるみる血色が無くなっていく死に顔を眺めた。臓器はほとんどがんに侵されていたはずだ。

 

母は、霊安室ですでに白く窪んだ顔をしていた。冠動脈が破裂し、肺は血に浸っていたという。

 

わたしは、死にたくないと思い、生きていたいと思った

 

・・・・

 

恥ずかしながら『蟹工船』をはじめて読んでいる。例の電子辞書のおまけの電子ブックだ。

 

小林多喜二の描写は淡々と凄い。

 

わたしは、このような蟹工船には、ぜったいにのりたくないと思った

 

・・・・

 

思いやりはできる。だが、わたしは、わが身にひきつけて、苦痛や死を、考えることができない。

 

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91.分量

1123日(水)

 

ものごとは正確に記さねばならない

 

電子レンジでの調理法については、使用するワット数および分量を明示しなければ意味がない

 

いりこもぎんなんも、ワット数は900wなのだが、

 
量については、いりこは一握り、ぎんなんは5個前後

 

78から10個ぐらいの場合は、やはり30秒ぐらいがいいか

 

ただ、もし25秒という設定ができれば、それがベストだろう

・・・・

 

祝日

 

カバ婆と家から学園前あたりへそれから富雄あたりまでぶらぶらと歩き、ビールと蕎麦の昼飯をくった

 

祝日は、ほんとに、儲け物

 

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90.作り話ではありません

20111111日(金)

 

院生さんたちとちょいと飲んで、ほろ酔い気分で帰り道、「今日は特急でビール!だな」と、近鉄特急に乗った。「ケータイチケットレス」で購入した特急券の座席番号は、1号車11番だった。

 

201111111号車11

 

何かいいことある、はずはない

 

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8910秒の明暗

118日(火)

 

電子レンジは優れものである

 

銀杏は、ペンチで皮を割り剥き、ティッシュペーパーで包んで、

 

電子レンジ900W20秒チン!

 

完璧においしいつまみになる

 

30秒すると、少し干からびて、残念になる

 

いりこ(煮干し)は、20秒ではまだまだちょっと物足らない

 

30秒チン!で、香ばしい、完璧なつまみとなる

 

電子レンジ礼賛!

 

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88.奈良散策 

113日(木)

 

一日カバ婆と奈良を歩いた

 

日本庭園「吉城園」と名勝庭園「依水園」が収穫

 

住み付いて久しいが知らないところだらけだ

 

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87.コミュニケーション

112日(水)

 

家の前の電柱のてっぺんにとまったカラスが

 

カァ、カァ、カァ

 

と始める

 

近くの林にいるのだろう、別のカラスが

 

カァ、カァ、カァ、カァと

 

応じる

 

電柱のカラスがカァカァカァとやり返す

 

すると

 

どこか遠くから

 

カァ、カァ、カァと呼びかける小さな声がした

 

林のカラスがカァカァカァ

電柱がカァカァカァカァ

遠くでふたたびカァカァカァ

 

タバコを吸いに庭に出ると

しばしば

カラスたちの話が聞こえてくる

わたしの耳には

いつも同じに聞こえるが、

 

いったい何を話しているのだろう

 

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86.卒論

1024日(月)

 

わたしの卒業論文は、ご存じ、

 

日本語訳の方が難しいと思われる、英語簡単!英語苦手な英文科学生よ選びなさーい!という、

 

ヘミングウェイの『老人と海』についてのものでした

 

現物を確認しなくても覚えています、卒論の書き出しは、

 

Man cannot live alone.

 

でした(*´∇`*)y-゜゜゜

 

・・・・

 

指導教官主査の川崎寿彦先生の口頭試問での評は、

 

森君は、当たり前のことを、大変下手糞な英語で書きましたね、

 

だった。

 

死んでしまったが、川崎先生は偉かった

 

・・・・

 

人とのコミュニケーションが取れなくて、仕事を続けられなかったりして、退職を余儀なくされている人が多くなったというニュースがあった

 

・・・・

 

私自身は、人との触れ合いがないなら、泳がないサメが死んでしまうのと同様に、生きていられない、と思うような人間だから、

人は一人では生きていけないのだから、コミュニケーションができないなんて、その人に問題があるんじゃないか、

 

といった批判が、ふと、頭をよぎるのだ、が、

 

でもでも、

 

それはちがうのだ

 

コミュニケーションというのは、人に強いられるものではないのだ。強いられたと、思った瞬間に、人は、

 

一人で生きた方がいい

 

と思うのが、人情なのだ

 

私はそう思う。

 

だけどだけど、

 

人は一人では生きていけないんだから人と触れ合いたいという気持ちが起こるような世の中が望ましい。

 

・・・・

 

でも、

 

そういう社会の実現は、なかなか、難しいな

 

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85.飲み屋

1023日(日)

 

テレビの2時間ドラマの再放送、飲み屋のシーンの後ろで

坂本冬美がながれていた

 

能登はいらんかいね、だった

 

50代前半から半ばに差し掛かる

 

琴線に触れる

 

坂本冬美はジーパン、Tシャツ姿もよかった

 

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84.夜更かし

1015日(土)

 

昨夜もいつものようにテレビの前、居間の床(ゆか)で就寝した

 

カバ婆はその時テレビを見ていた

 

夜中、目が覚めて寝返りを打つと、

 

「ごめん、おこしちゃった?今日は夜更かししてんねん、ずーっと映画見て…」

 

と、カバ婆が言った

 

「いや、こんなところで寝てるほうがわるいんよ、いい、いい」

 

というような返事をした覚えがある

 

わたしはそのまま夢の中へ…

 

微笑ましい中年夫婦の会話であった

 

・・・・

 

今朝、目覚めると、カバ婆はもう二階に上がり居間は静まり返っている

 

カバも床(とこ)に就いたようだ

 

外は雨戸を打つ豪雨である

 

ご存じ早起きヤギ爺のこと、外はまだ暗い、秋の夜長である

 

さて、起きて朝のコーヒーだ、と立ち上がり、手探りで部屋の明かりをつけ、時計を見た

 

時刻は午前2

 

であった

 

・・・・

 

なるほど「夜更かし」の基準も、曖昧なものである

 

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83.普遍的愚行

1012日(水)

 

数年前普通に晩飯を喰っていた

 

ご飯が美味しくおかずも美味しかった

 

特段に急いていたわけでもなく、カバ婆と歓談しながら食べていた

 

と、

 

ご飯を口に運び、ひと噛みした瞬間、

 

「ガリッ」

 

と音がしたのだ

 

わたしは、ゆっくりと慎重にもぐもぐと咀嚼し、ちょうど魚の骨を一緒に食べてしまった時のように、ゆっくりと食べ物だけを喉にとおした。

 

石?

 

とカバ婆は聞いた

 

私は無言のまま、親指と人差し指を使い、4,5ミリはあるその物体を口から摘まみだした。

 

なに?

 

はし

 

え?

 

わたしは、一口ご飯を噛んだとき、一緒に一方の箸の先を噛み切ってしまっていたのだ

 

カバ婆は、

 

え?うそ?なに?そんな、ありえへん、え? 箸なん噛むか?え?うそだろ…

 

と、しばらく、わたしのその愚行について言い続けた

 

・・・・

 

そして、

 

今朝も普通に朝飯を食べていた

 

すると、

 

隣で、

 

「ガリッ」っと、

 

音がしたのだ

 

(~o~)

 

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82.夫婦善哉

1011日(火)

 

件の電子辞書内臓電子図書で織田作之助の『夫婦善哉』を読んだ

 

シュールな終わり方が気になった

 

事実は小説より奇なりで「こんな男になぜ…」という事例は大なり小なり身近にもあるものだ

 

しかしである、

 

蝶子と柳吉にはモデルがあったそうだが、織田は「この物語作り事でっせ」と結んでいるような気がした。

 

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81.木切れとコンピューター

1010日(月)

 

愛用のポータブルコンピューターを使っていた

 

突然、画面がチラチラと乱れたり、途切れ途切れになったりし始めた

 

う?と思ったわたしは、おもむろに引き出しから工具(ホームセンターで買ったケース入り安物万能工具)を取り出し、コンピューターを手際よく解体し始めた。

 

裏ぶたをあけると、コンピュータの機械(?)の隙間から、木切れやら枯葉やら枯草やらが、ザックザックと出てくるではないか。取っても取っても、次から次へと、ゾクゾク続く。

 

焦り始めたわたしは、隙間に指を突っ込み、木切れを摘み取る。

 

摘まんでは捨て、捨てては摘まむのであるが、

 

キリがない

 

ということろで、ご存じ、目が覚めた

 

この夢の意味は?

 

^0_0^y-゜゜゜

   w

 

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80.ウウロン茶

109日(日)

 

烏龍茶はサントリーの缶のが発売されて初めて知った

 

中華料理などは食べていたが、メニューなんかは見ないし、出てくるお茶のことなど覚えていない。

 

聞いていたとしても忘れたのだ

 

・・・・

 

たまたま高村光太郎を読んでいて、「ウウロン茶」というのが出てきたのを発見した。「或る宵」という詩の書き出しに、

 

瓦斯の暖炉に火が燃える

ウウロン茶、風、細い夕月

 

とある。

 

学会の受付仕事の合間の暇つぶしに、電子辞書に入っている「日本文学700作品」という電子ブックを読んでいたときのことだ。

 

便利な世の中になりました

 

・・・・

 

お!(^0_0^)y-゜゜゜と思い、カバ婆に話してやろうと、手帳にメモした。

 

「烏龍茶っていつから日本にあるか知ってる?」と聞けば、

 

「そりゃ、戦前からちゃうぅ、中国のお茶だぜ、中華料理だぜ、だいぶ前からあるだろ」

 

と答えるに決まっている。チェ

 

・・・・

 

でもいいのだ

 

チーズは、トムとジェリーでジェリーが出たり入ったり覗いたりする穴のあるケーキのようなもので、きっと甘い食べ物だろうと想像していて、

 

実際に初めて食べたチーズは、

 

なぬ?

 

という味で「これはチーズじゃない!」と思った俺だ

 

アスパラガスが野菜だとは、ずーっと知らなかった

 

今でも、アスパラは、缶詰のぐにゅぐにゅした得体のしれないものの方が好きだ

 

クレソンなんて、新種の野菜だと思っていた

 

・・・・

 

だから、そんなわたしにとってみれば、大正初期に書かれた高村光太郎の詩の中に「ウウロン茶」を見つけたのは、世紀の大発見なのである。

 

誰が何と言おうと嬉しいのである

 

・・・・

 

と、ふと、同じ電子辞書の『精選版日本国語大辞典』で調べると、「ウーロン・ちゃ」の用例として、道程(1914<高村光太郎>ということで、この一節が引用されていた。

 

もっとも古いと思われる用例か…

 

お!と思うとともに、なーんだと思った。

 

せっかくの「大発見」が台無しだ

 

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79.メールの効用

104日(火)

 

たぶん
手紙のはじまりもそうだったろうし電話のはじまりもそうだったのではないか

 

直接会わなくても言いたいことが言えるとか、面と向かわずに言いたいことが言えるとか、どろどろとした面談の煩わしさを解消できるという利点で、わーっと広まったのかもしれないけど、

 

新手のメディアのほんとうの利点は、直接に面と向かってぐちゃぐちゃコミュニケーションできない遠くの人とのどろどろのコミュニケーションができる

 

人づきあいが広がるのが

 

醍醐味なのだ

 

話酌み交わす(こんな言葉ある?)メールを待つ間に感じる実感だ

 

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789月の日常

922日(木)

 

9月に入り、一日23時間から休日などは67時間のウォーキングで汗を流し、平日は、数計算、表作り、交渉、会議準備など、各種事務仕事で89時間働く、というまことサラリーマンの鏡のような生活を送っている。

 

幸せ?

 

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77.ママコノシリヌグイ

911日(日)

 

「あ、これ、なんですか?三角のきれーな葉っぱで、さっきからなんだろうって思ってたんですぅ」

 

昨日、キムケン&ユッキーに比良山系武奈ヶ岳あたり散策登山に連れて行ってもらったとき、カバ婆が聞いた。

 

キムケン先生は前にも登場した先輩同僚。今は元同僚。奥さまのユッキーは、草木の達人。カバ婆もかなりなものだが、格がちがう。

 

先頭を歩いていたユッキーがちょっと戻ってきて、

 

「あ、これは、ママコノシリヌグイ、触ってみるとチクチクと棘があるから…」

 

ママコノシリヌグイ

 

植物の名前が全く覚えられないヤギ頭ではあるが、くっきり三角形の葉っぱと、トゲトゲ葉っぱで継子の尻をぬぐうというイメージは、一発で頭に飛び込んできた。

 

もう忘れられない

 

・・・・

 

カバ婆は「継子の尻ふき」ではなく「尻ぬぐい」という言い方が絶妙だと言った。

 

わたしもそう思う

 

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76.ふるさと

96日(火)

 

比較的平坦な道を「かっ、かっ、か」と歩くときは「ふるさと」がいいことがわかった

 

うーさーぎーおーいし、かーのーやーまーー

 

という、あれである

 

三拍子

 

「うぅ」「さー」「ぎ」「おーいしぃ」「か」「の」「や」「まーーっ」という感じで、小学生のときしたように、うなりながらがなりながら、「う」と「お」と「か」と「まーーっ」を極端に強調しながら歌うと、

 

まことに見事に快適に歩けるのだ

 

ぐんぐん歩けてずんずん進む

 

快適快適、としか、いいようのない散歩となる

 

・・・・

 

今日は、台風一過、和歌山や奈良に悲しい被害をもたらした台風が去ったあとのすがすがしい気候の一日であった。わたしは、出勤帰宅の朝と夕方、バスは乗らず、駅まで、駅から、それぞれ40分ほどの散歩を楽しんだのだ。

 

いぃ、かぁ、に、いーます、ちぃ、ちぃ、はぁ、はーー

つぅ、つぅ、が、なーーしや、とぉ、も、がー、きーー

 

と、小学生に戻りつつ、「い」「いー」「ちぃ」「はーー」と強調してつぶやきながら、素敵に快適に歩き続けた。

 

・・・・

 

帰りなどは、夕方5時過ぎの空気がもうすっかり秋で、気持ちいいとしかいいようがなかった

 

ああめーに、かあぜーに、つうけーえ、てえもーーっ、と、

 

駅を出たわたしは、気分よく、ぐんぐん歩き始めたのである

 

・・・・

 

はじめはちょっとした登り坂なのだが、どんどん歩く。これは、あと、20キロぐらいはすいすいと歩き続けられそうな気分だった。

 

しばらくして、狭い歩道を快調に歩き続けていると、ふと、後ろから、同じく歩いて帰宅するらしい人の気配を感じた。

 

その人は、徐々に迫ってきて、私を追い抜くべきかどうか迷っているようだ。

 

そんなことは振り返らずとも靴音でわかるのだ

 

わたしは、少し端に寄り「どーぞ、追い抜いてくだせい」という気持ちを気配で示した。やがて、足音はだんだんと近づき、左斜めうしろあたりすぐにその人の気配を感じた。

 

ちらっと横目で確認した

 

その人は、ミニスカートをはいた、比較的若い、華奢で小柄なおねーちゃんだった

 

・・・・

 

彼女が過ぎ去るとき、わたしは「ふるさと」を少し控えめであるがそれでもなお口ずさみながら歩き続けていたのである

 

その、小柄でミニスカートをはいた比較的若いおねーちゃんは、2メートル、3メートル、5メートルと、ぐんぐん差をつけながら、

 

パンプスで「かっ、かっ、かっ、かっ」と快調に、

 

ぐんぐんと帰途の道を急ぐのであった…

 

・・・・

 

ふるさとはよし

 

歩きは楽し

 

めでたしめでたし

 

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75.ワルツ

831日(水)

 

歩くとき心で歌う、口ずさむのは、マーチだと思っていた

 

三百六十五歩のマーチでもいいがアンパンマンのマーチがよかった

 

しかし、

 

ワルツが優れていることに気がついた

 

スケーターズワルツが、

 

いい

 

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74.暗峠まで

820日(土)

 

家から矢田丘陵を超えて南生駒にちょいと降り、こんどは生駒の山の方に登っていくと、暗峠(くらがりとうげ)がある。現在の国道308号線だが、大阪側からは伊勢参りに向かうための古い街道である。暗峠までは家からおよそ10キロ。10キロ歩けば大阪府に至る。

 

グーグル地図によると、家から暗峠までは9.9キロ、歩いて2時間6分とある。実際歩いてみると、わが健康!万歩計によれば10.29キロ、2時間5分と出た。

 

おそるべしGoogle地図

 

景色と空気のすがすがしさを度外視すれば、家から暗峠までの散歩は、わざわざ信州の山になぞ登りに行くまでもない、峠の茶屋で350円のキリンラガー(350ml)と500円のそうめんに使った計850円で一日楽しめる、十分なアウトドアだ。

 

ただ、空気のすがすがしさや景色が度外視できれば、の話である

 

とにかく汗をかき、かいた後のビールを楽しみにするヤギは、ちょいと暗い曇り空の中黙々と歩きだらだらと汗をかいた。

 

家のあたりではまだアブラゼミとクマゼミがけたたましく鳴く(昨日あたりから気候が変わったのでだいぶ静かにはなった)

 

生駒の山裾を暗峠まで黙々と歩くうち蝉がニイニイゼミとミンミンゼミに変わった。やがてツクツクボウシが鳴きはじめた。峠に向かう最後の30分、だらだら登りがちょいと急になり足が棒になり始めるころ「カナカナカナ」のヒグラシが鳴く。

 

正味4時間14分の歩行時間、朝9時半に家を出て午後3時半に帰宅。

 

シャワーの前に体重計にのったら1.5キロ減っていた。

シャワー後ビールを散々あおった後は2キロ増えていた。

 

今日の減量は+0.5キロ、失敗に終わったのだった

 

めでたしめでたし

 

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73.アリとダンゴムシ

88日(月)

 

「アリ」と「ダンゴムシ」でいろいろ検索すると、大量発生、退治、駆除の話ばかりが出てくるが、時に、生態系の物質循環において極めて重要な有機物の無機化の担い手である分解者としての役割(ウィキペディア「分解者」からのパクリ)に言及するページに行き当たる。

 

つまり土の再生者なのだ

 

朝、夜が明けて一番に庭にタバコを吸いに出かけると、そこはダンゴムシの巣窟だ。

 

おもしろいことに、毎朝必ず、あちこちにダンゴムシの死骸が転がっているのだ。数匹かたまって死んでいるものたち、ポツリと孤独死しているもの、ときには、なぜか草にのぼって、葉先で力尽きたものなどが散在しているのだ。

 

そしてその間を生きた大小のダンゴムシが縦横に闊歩する

 

意外と足が速い

 

・・・・

 

雑草園にするぞと宣言してから(28.緑の庭 4月9日(土))、わが家の庭ではいろいろな草が生えては枯れを繰り返している。踏み固められ痩せた庭土は、さほど丈高な雑草を生やすこともなく、ちっと伸びた草は容赦なくむしられるので、緑はまばらだ。人に鑑賞してもらえるほどの「園」になるのには、まだ何年もかかるであろう。

 

・・・・

 

夕立が降ったり明け方に一雨来た夏の朝の空気はとてもすがすがしい

 

濡れた土の上には、今は消えた水たまりに歓喜して這い出したのであろう、ミミズがあちらこちらでぽつりぽつりと取り残され、所在無げにのたくっている。

 

やがて日が昇り、大地は見る間に乾いていく。そしてミミズは干からびる。

 

朝から3本目のタバコを吸いに出るころは、庭はアリたちの独壇場となっている。彼らは、分解仲間であるダンゴムシやミミズの体を分解するために群がるのである。

 

・・・・

 

今朝面白い光景を見た

 

庭にはあちこちに小さな蟻塚ができているのだが、そのひとつの入口にアリたちが群がっているのだ。うじゃうじゃと、気持ち悪いぐらいに、群がっていた。近づいて覗き込むと、

 

その蟻の波の間をダンゴムシが泳いでいる。

 

1匹、2匹と、確かに泳ぐように足をばたつかせているのだ。よく見ると、ダンゴムシはアリの巣に頭を突っ込み「潜水」しようとしているのだ。

 

不思議だ

 

・・・・

 

人生やり直せるのならアリとダンゴムシの研究家になってみたい

 

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72.義理

82日(火) 

 

先日、いつも煙草を買いに行く近所の酒屋さんの大ご主人が亡くなった。

 

80歳だった

 

朝出かける前「至急」の回覧板が回ってきてその日の夕方お通夜があることを知った。

 

ちょっと早めに帰宅してカバ婆と参列することにした

 

・・・・

 

阪神淡路大震災の後、ご近所とも仲が良く気に入って住んでいた合同宿舎アパートを引き払い、とりあえず「地に足をつけた」生活をということで見つけた中古一戸建てを選ぶ要件の一つになった酒屋さんだ。「前が酒屋」が気に入ったのだ。

 

人が遊びに来て冷蔵庫で冷やすビールが間に合わないときなどは、「ちょいとおもてのでっかい冷蔵庫に…」と笑っては、冷え冷えのちべたーいビールを買いに行った。

 

当時は若主人が御用聞きに来てくれて、ケースでキリンラガー大びんを買っていた。やがて酒の安売り店ができ、発泡酒や発泡性リキュールが開発発達し、「安かろう不味かろう」に走ったヤギ爺であったが、今でも、煙草を買うついでに「たまには本物のビールを」ということで、ラガー、黒ラベル、ときどきヱビスかプレミアム…のロングカンを12本ずつ買って帰る。

 

「ビールはここで」が、なんとなくの決め事になっている

 

・・・・

 

帳場には、若主人や若奥さん、若主人のお姉さんが立つ。もちろん、店を息子に任せて引退した大ご主人もよく店番をしていた。

 

「えっとぉ、キャスター3ミリ、ワンカートンください、それからこれ…」と奮発したヱビス&プレミアム500mlカン2本を差し出すと、

 

「はいはい」と言って、よいしょと腰を上げ、奥にタバコの箱を取りに行く。「よいしょ」と戻ってレジを打ち、レジ袋に手をやるので、

 

「あ、袋いりません、手で持てるんで」という。すると毎回必ず、

 

「あ、そうでっかぁ」

 

・・・・

 

それだけのことだ

 

週に何回か「くださいな」「はいはい」「そうでっか」を交わすだけの間柄である

 

しかし、回覧を見たとき、お通夜には行かねばならないと感じた。心からお見送りをしたいと思った。

 

・・・・

 

祭壇の写真を眺めながら、「そうでっかぁ」の声を思い出し、

 

義理も、やはり、心の問題ではないかと、

 

思った

 

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71.おひさまとばあちゃん

730日(土)

 

カバ婆のお母さんがNHK朝の連ドラ「おひさま」を見ながら言ったらしい。

 

「この蕎麦屋いいお嫁さんもらったねぇ…」

 

ヒロイン陽子が嫁いだ先の蕎麦屋「丸庵」のことである

 

「この人、性格よくてちょっと男前ってだけで、なーんの取り柄もなさそうだけどねぇ…」

 

陽子の夫和成のことだ

 

「この子頑張り屋で気立てはいいけどねぇ…」

 

ヒロイン陽子はそのように描かれている

 

そして最後に、

 

「このお嫁さん、戦争中も戦後も、出産しても学校の先生辞めずに働いてるから…」と言った後、ポツリと呟いた。

 

「ずっと給料もらえるしねぇ」

 

・・・・

 

働けど働けど…の苦しい戦中戦後を経験した大カバ婆の、

 

リアルに現実的なコメントだった

 

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70.ふぞろい

725日(月)

 

わたしがいつも座る食卓兼仕事用テーブルの椅子の後ろの出窓(ややこし)に、すっと手に取る用の本が並んでいる

 

もう1週間独り言をしていなかった

 

ふとその出窓に並ぶ本に目をやると、

 

『小学館古語大辞典』と『ツーリングマップル5 関西』と『最新版 歌の大全集 昭和の名曲から2010年最新J-POPまで』が並んでいた

 

書くこともない、ちょいと忙しいが平和な日々が続く

 

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69.蕎麦 

718日(月)

 

子供たちが小さいころ、初めてお好み焼きを作った。カバ母がなんかの用事でいなかった昼、

 

「よし、とーさんがお好み焼き作ったろ」

 

ということになったのだ。見よう見まねで生地とキャベツを混ぜホットプレートで焼いたが、

 

固まらない

 

水が多すぎたのだ。

 

当時「もんじゃ焼き」なるものの存在を知っていれば、「これはもんじゃじゃ」などと言って誤魔化したであろうが、文句を言えば叱られると黙って食べるブタ子とクマ太郎を前に、

 

「食べられんことはない、スプーンで掬え」と憮然と食べた

 

・・・・

 

その後のことであるが、子供たちがまだ小さいころ、初めて蕎麦を打ったことがある。

 

「よし、とーさんが蕎麦を打つ」

 

水を入れすぎたそば粉は、手でこねるとべっちょりとくっつき、とても伸ばして切れるはずもないことだけはわかった

 

苦肉の策で十割蕎麦をあきらめ、小麦粉を入れ、捏ね、また入れ、捏ね、もう一度入れ、捏ね、を繰り返した

 

ぐにゃぐなになった蕎麦のようなものは、それでも細く切ることができず、幅67ミリの塊を茹でて食べると、それは、

 

とにかく穀類を捏ねたものだった

 

(蕎麦は「擬穀類」というらしい)

 

この時の子供たちは、非難轟々だったと思う。帰ってきたカバ母は、一口それを食べ、

 

「これなに?」と言った

 

・・・・

 

昨日のことだが、昼飯なにしよう、蕎麦でも打つか、そうしよう、ということになり、カバ婆が蕎麦を打った

 

カバ婆の頭には、子供が幼いころのあのヤギ父の失敗が、蘇ったと思う。

 

カバ婆は、慎重に水加減を調節しながら、ゆっくりと蕎麦を捏ねはじめた。

 

「あれ?これ、まだ、水、少ないかなぁ?」と婆は爺に確認を求めた。「う~ん、たぶん」と触りながら爺は答えた。

 

水を少し入れ、捏ね、また少し入れ、捏ね、と、カバ婆の蕎麦は完成した。

 

・・・・

 

出来上がった蕎麦は、それでも、水がビミョーに少なかったせいか、パスタマシーンを使って切ったものは、長く麺状になることはなかった…

 

・・・・

 

爺と婆は、ぼそぼそに切れた蕎麦味の物を、手ですくって椀に入れ、そばつゆをかけて食べた。

 

「味は蕎麦だ」

「十割蕎麦は難しい」

 

また今度リベンジだ、と、カバ婆は悔しがった。

 

懲りない夫婦の、どんぐりの背比べであった

めでたしめでたし

 

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68.○○ 

717日(日)

 

今朝は不快感で目が覚めた

 

・・・・

 

どこか、旅館のようなところにいたのだった。家族で行っているような感じだった。

 

娘ブタ子だけがわかった。朝起きたブタ子が、突然、

 

「とーさん、○○みたいに臭い」

 

と言った。

 

○○というのが、とてもありえない例えだったのだが、まことびったりの表現のような気がして、

 

声もなく落ち込んだ、

 

ところで目が覚めた

 

・・・・

 

こんな夢を見たのだが、今日は一日中「○○とはなんだったか」を考えつづけ、楽しく過ごした

 

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67.運転手さん

714日(木)

 

いちにちいろいろ仕事があって、ちょっとバタバタ、うろちょろした日だった

 

・・・・

 

駅の改札を出るとちょうどバスが待っていた。いつものように乗り込んだ。

 

エンジンがかかり、例の機械的録音女性声で「23系統赤膚山行…」とアナウンスが始まった。すると、

 

「お待たせしましたぁ~、赤膚山ゆき、発車しまーーす」

 

と、明るい運転手さんの声がマイクから響いてきた

 

バスは、滑らかに、優しく、発進した

 

機械女性音「西郊住宅前、止まります」

 

「西郊住宅前でーす、はい、止まりまーす」と、運転手さん

 

機械女性音「発車します」

 

「はい、発車しまーーーーす」と運転手さん

 

・・・・

バスは我が家に近づく

 

機械「次は、終点、赤膚山です」

 

「はい、お疲れ様でしたー、つぎは、しゅーてん赤膚山でーーす」

 

バスは、静かに、やさしく止まった

 

・・・・

 

家まで10数分のバスの旅

 

正直疲れた一日だったが、すべてがすっきりした

 

・・・・

 

ビールがうまい

 

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66.自意識過剰

711日(月)

 

ちょいと自意識過剰だが、

「ヤギ爺」は「やぎじー」と読む

「カバ婆」は「かばばー」と読む

 

のである

ただし、単独で用いる場合は、

「爺」は「じじー」「婆」は「ばばー」

である

 

65.ジョギングウエア

710日(日)

 

近所には矢田山があり、その麓の適度な起伏と裾に広がる田んぼのあぜ道は、散歩にはうってつけの場所だ

 

今日も、ほぼ歩きジョギングから帰ったら、カバ婆が言った

 

「なに、そんなかっこうで走ってきたん?」

 

わたしのジョギングスタイルは、作業着ショップ「ワークマン」で買ったカーゴバンツ(腿あたりにあるポッケの使い勝手が好き)に、67年前ユニクロで通勤用に買ったポロシャツのくたびれたのを作業用、山用、キャンプ用におろしたのを着て、麦わら帽を被った姿だ。麦わら帽子はその通気性と汗止め効果で群を抜いている。額あたりで止まった汗が溜まるとつば先からポタポタ落ちる仕組みなのだ。

 

「どーせ、おっさんの、よたよたジョギングほぼ歩きなんだから、これでいいのだ」

 

と、自信満々に答えた。

カバ婆は、

 

「ついでに鍬も担いだら、がはは」

 

と笑った。

 

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64.冷凍食品礼賛

78日(金)

 

やっと子離れしたばかりの二人住まいの夫婦にとって冷凍食品はありがたい

 

冷凍庫から取出し、皿に載せ、蓋をして、23分で「チン」

 

すぐにつまみが出来上がる

 

我が家では、いま、冷凍たこ焼きがブームである。小麦粉だけ、具はちーさいタコ切れひとつだけだが、

 

発泡性リキュールのつまみには十分だ

 

・・・・

 

袋には「国内の工場で生産しています」と、立派に書いてある

 

ということは、国外のやばい小麦を使っているのだな、と思うのは、

 

ひねくれヤギ根性

 

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63.汗

73日(日)

 

先日、帰宅時の電車で、隣にひとりの男性が座ったのだった

 

空いているのだからほかのところに座ればいいものを、たぶん、これから込み合うことを想定して、詰めて座ったのだろう

 

とてもいい人だ (^.^)y-゜゜゜

 

だが、しかし、ちょいと太り気味のその壮年男性は、

 

きわめて汗臭かった…

 

それに、

 

普通で考えれば1.3人分ぐらいのかさのある、そのちょいと肥満系壮年男性は、表面積が広いためか、皮膚温度が異常に高い…

 

すれ合う二の腕に、むさくるしさが直に伝わってくるのだった

 

確かに、たしかに、暑苦しかった

(>_<)y-゜゜゜

 

・・・・

 

暑苦しく汗臭いのは、おそらく現代社会では、一番とは言わないまでも、かなり嫌われる男性の要因なのであろう

 

スッキリさわやか!消臭!関連グッズは売れ筋のようだ

 

・・・・

 

しかし、しかしである、

 

この節電ブームのご時世、

 

じわじわ噴き出す汗と上がる体温で、

 

汗のにおいと暑苦しさは、

 

みごと、日常となったのだ (^.^)y-゜゜゜

 

・・・・

 

これは、当たり前と思えば、普通のことだ

 

汗をかかなければ、

 

人は死ぬ

 

・・・・

 

きょうも休日、ビールがうまい(^_-)y-゜゜゜

 

日曜昼下がり、朝からごそごそして、おまけに、運動不足の解消のため「ゆる目ジョギング」(歩きか走りかわからんジョギング)で2時間弱、じわじわ汗をかいた後のわがヤギ体は、

 

嗅いでみれば、実に汗臭い(-_-;)y-゜゜゜

 

しかし、タバコ片手にビール(発泡性リキュール)を飲みながら、庭に出て風にあたると、気化熱というのでしょうか、汗でびしょびしょの衣類を通る風が、

 

じつに、じつに、涼しく心地よいかぎりである

 

(^.^)y-゜゜゜

 

・・・・

 

が、しかし、

 

見事に汗臭いのも、事実ではある

(-_-)y-゜゜゜

 

・・・・

 

が、まあ、それでいいのだ

(--)y-゜゜゜

 

・・・・

 

思い返せば、くだんの電車で隣に座ったのが、

 

大の苦手臭系香水バリバリ美人女子だったとしたら、

 

それよりは、体温高め汗臭壮年男子の方が、

 

まだまだ、はるかに、

 

ましだったかもしれない

 

(個人の感想です)

 

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62.美空ひばりが…

73日(日)

 

いい

 

61.不殺生戒

72日(土)

 

お釈迦様は生き物を殺してはいけないと説いたという

 

なんのことはない、安居(あんご)という仏語で、
雨が降る季節(春から夏)は、お坊さんは外に出歩かず籠って修行しんさい、
という教えと関係があるのかな

 

雨が降るから内で過ごしなさいということ

 

・・・・

 

でも、これには一理あるので、

 

梅雨どきには、生き物がうごめく

 

草も木も虫も、忙しい

 

命が息吹くとき、それを大切に見守りなさい、

 

と言っているのだという

 

・・・・

 

さすがに、えらいものだ

 

つまりは森羅万象生きているということに気づきなさい、

 

ということなのだろう

 

・・・・

 

さて、梅雨も真っ盛り、

 

ビール片手に庭に出て煙草を吸っていると、

右に左に其方に此方に、

蟻もダンゴ虫もチビ甲虫も這いずり回る

 

立って歩けば殺生は必定、

 

ならば自然に足元に注意する…

 

ヤギ爺も仏の境地か(^_-)y-゜゜゜

 

・・・・

 

が、しかし、このヤギ、

 

子供のころには、蟻を見つけては、虫を見つけては、

気づいては、嬉嬉として踏み殺していたのだ

 

つまりは、やはり、

 

地獄に落ちる、ということだ

 

(>_<)y-゜゜゜

 

・・・・

 

しかし、まてよ…

 

子供は気づいて虫を殺す

大人は気づかず虫を殺す

 

ならば、

悟りとは、

大人になっても虫に気づき、

殺さんでおこう

 

と、思う心か…(o)y-゜゜゜

 

・・・・

 

ならば、ヤギは救われる (^_-)y-゜゜゜

かも…

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60.テクノロジー礼賛

630日(木)

 

どうしようかと思っていた遠近両用メガネを買った

ひずんだレンズのおかげで

 

見事に世界が見やすくなった

 

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59.フィールドワーク

630日(木)

 

ごま塩ショボ髭ヤギ爺が独り山中をうろついている

 

フィールドワークなのだ

 

最近は、草や木にも多少は目がいくようになったが、このヤギ、むかしから、なぜ山を歩くか、なぜ岩を登るかなどと考えてみたこともなく、ただただ、たどりついた山小屋で飲み騒ぎ歌うことのみを楽しみとしてきたので、

 

フィールドワークの目的もなにも定まっていない

 

「言語文化」などと冠する部局に勤めているから「コミュニケーション」はキーワードであろうと、山で出会う人とのコミュニケーションを観察しようと思うのだが、

 

このヤギ、一見軽薄で人づきあいがよさそうであるが、見知らぬ人に自ら声をかけて話を聞くというフィールドワーカーやワイドショーレポーターに必須の才能に恵まれていない

 

つまりは人見知りなのだ

 

途中多くの人にすれ違い、休憩場所では人々が集うのであるが、「こんちわー」「おつかれー」などとお決まりのあいさつ以上には、話が進まない

 

結局一日歩き回り、何のメモを取ることもなく、写真はといえばへたくそな風景の写真ばかり、あげくは、宿(あるいは日帰りの場合は電車)で「汗かいた後のビールはうまい」と感嘆しつつ、

 

ビールをしこたま飲む限りである

 

・・・・

 

以上が典型的なフィールドワーク出張の有様である。

フィールドノーツに空欄ができるゆえんである。

 

・・・・

 

研究費などでの出張は、極めて制限が多く、独りで行くわけだから、こんなことになってしまうのである、

 

したがって、わたしの本当のフィールドワークは、休日に自費で出かける遊びや旅行がおもな現場なのだ

 

・・・・

 

遊びのときは、たいがい、カバ婆といっしょだ

 

この人、根っからの好奇心婆で、町ゆく人、山行く人をつかまえては、

 

「あ、この建物風情あるなーって、なにか由緒あるものなんですかぁー?」

「あれっ?この花、みたことあるなーって、なんでしたっけぇー?」

 

と、ふだんのカバ声はどこへやら、純情娘偽装風純正婆声で、だれかれとなく話しかけるのだ

 

話が弾み出す

 

爺ヤギは、ニタニタ笑いを浮かべ、その横で「資料・情報収集」ができるというものだ

 

だいたいにして、山を独り歩く胡散臭いヤギ面髭爺に、声をかけてくる山ガールなどは、

 

いない

 

しかして、一見オシドリ夫婦風登山者は、その意味でもいいカモフラージュになるのであーる

 

それだけではない

 

このカバは、キャンプや山小屋では、調理、生活一般の有能なアシスタントとしても使える

 

さらにそれだけではない

 

かつては、院生に謝金など出し、アシスタント兼共同研究者として同行してもらったこともあるが、確かに、専門の近い院生のコメントなどは大変有効ではあったが、

 

「歩く好奇心+怒涛の言いたい放題」カバの発する意見や感想は、これは意外で面白く、「そうか!」「かもしれない!」という目から鱗がしばしばなのだ

 

・・・・

 

ということで、ほぼ成果のない(極稀にはあります(--)y-゜゜゜)
無駄足出張、公費の無駄遣いを白状したわけですが、

 

この話、ここだけのことと、ご内密にお願いします

(^_-)y-゜゜゜

 

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58.フィールドノーツ

629日(水)

 

ゆえあって2005年からフィールドノーツなるものをつけている

 

出張、遊びを問わず、山や旅行などに出かけたときの日付と場所を記録し、途中メモしたことや帰ってから思い出したことや感じたこと、考えたことなどを、取り留めもなくメモってある

 

人に見せられるような代物ではない、もちろんプライバシーにかかわることもあるからだが、なにより、ろくなことが書いてない

 

なにより、日付と場所だけで、あとは空欄、というページが多い

 

ヤギ目、ヤギ頭では、ろくなフィールドワークもできないのだ

 

しかし、それでも、ノートを取る効能がないわけでもない。ましてや、今のデジタル時代、以前も仕事柄とっていた「読書メモ」なるものもあったが、紙のメモの場合、整理整頓不能というヤギ性格では「あれ、どこに書いたかなぁ…」といった具合で、必要なとき探し出すことは不可能に近かった、が、いまでは、「検索」でちょちょちょいなのである

 

そんなふうにして、ちょいと気になって思い出した出来事をフィールドノーツで確認した

 

・・・・

 

ある日、ある山のある岩場で、ある人たちと、10メートルほどのクライミングルートを登ったあと、ある一枚岩が大きく張り出し展望台になっているようなところでの、ある出来事である

 

(プライバシー保護のため人物場所等が特定できない形で記述しておりやす)

 

あるクライミングスクールを「取材」したときのことであるが、わたしは、例によって極度の高所恐怖症で、すぐ下は絶壁という、そんな展望一枚岩の縁(へり)の方などに行けるはずもない

 

奥の方の木にしがみついて、

 

「○○さーん、よーそんなところまで行きますねえ、気がしれない」

 

などと、そのスクールでインストラクターをしている知人に声をかけた

 

「そっかぁ、ゆうじさんは、こーしょきょーふしょー、だったんだ、ははっ」と花笑み「いい眺めですよ、腕持って確保してあげるから、来て見たら、ふふふっ」というようなおふざけを言った。そして、

 

「あ、○○ちゃん、ストップ、あと50センチで、落ちる」

 

と、そのスクールの主催者で、視覚障害をもつクライマーに声をかけた。

 

彼は「オッケー」と言って立ち止まり、振り向き、私の方に顔を向け、

 

「森さん、視覚障害者ってのは、どーせ見えないから、高度に対する恐怖心ってのはあまり感じないんですね、それが、メリットでもあるかな、クライミングのとき…はははは」

 

と笑った

 

「ははっ、どーせ見えないんだけどぉ、○○ちゃん、落ちたら死ぬのはいっしょだから、そこで止まっててよ、はは」と、知人インストラクターは言った。

 

わたしは、「はぁ」というようなあいまいな返事をした。

 

フィールドノーツには、その時の当惑したわたしの気持ちが記してある。晴眼者と視覚障害者とのあけすけなジョークを交えたコミュニケーションに、そのころは、まだ、違和感を覚えていたようだ。

 

彼らの横には全盲の少女がいた

 

彼女は、「わーっ、高いんだぁ…すごいなー、ここからは、どんな景色が見えるんですかぁ?」とすがすがしく聞いた

 

「全体に見晴らしがよくて、下の方に街並みが広がっていて…」とインストラクターが説明し始めた。

 

「そうですかぁ、で、海は見えるんですかぁ?」

 

「見えるよ、とーくのほうに、ずーーーーと広がってて…」と説明を受けると、彼女は、

 

「そっかぁ、海が見えるのかぁ…いいなぁー、海っていいなぁ…」と感動した。

 

そのとき、わたしは、知人インストラクターの顔を見た。彼女もわたしの顔を見た。少女の発言に「?」と感じたのだ。わたしもだった。

 

「○○ちゃん…ちょっと聞くけど、ごめんね、○○ちゃん、海、見たことあるの?」

 

知人もわたしも、少女の感動の発言が、海を見たことがある人のもののように感じたのだ。

 

「いいえ、ありません、生まれた時から全盲だから…おかあさんは、赤ちゃんの時は見えてたっていうけど、わたし、まったく覚えてません」

 

・・・・

 

その後のフィールドノーツには、少女が「音」や「気配」ですべてを「見て」いることがメモしてあった。そして、全盲の彼女の発言に、人や物の「位置」や「空間」にかかわるものが多いという意外さが特記してあった。

 

「あ、向こうから人が来た」

「○○さん、もうだいぶ上まで登ったね」

「ここちょっと狭くて窮屈ですね」

 

・・・・

 

コミュニケーションはおもしろい

 

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57.網戸

626日(日)

 

昨年622日(火)の独り言(29.日日月火水土土)に、「カバ婆と3年ほど前から「今年は網戸張り替えようね」と言ってきた。そろそろやらねばならぬ」と書いていた。

 

そろそろかと思い、今日張り替えた

 

めでたしめでたし
(^_-)y-゜゜゜

 

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56.人それぞれ

623日(木)

 

駅の喫煙コーナーや、特急の喫煙車、デパートやモールの喫煙ルームなどで煙草を吸っていると、

 

ほんに、人それぞれだなぁと感じる

 

すぅーーーーっ、はぁーーーーーーー

すっ、はああああーーーーーーーーー

すぅーーーーーーーーーー、はーーーーー

 

と、やたら、深呼吸しながら、煙草を吸い吐く人がいる。

 

体に悪そうだ

 

頭を「ポマード」(いまもある?)で固め、ちょいと小柄だけど、会社では「上司」かな、という、背広姿のおじさんが、

 

唇をゆがめ、唇の右端で煙草をくわえ、苦み走った顔(誰も見てないけど…)でポーズをとりながら、煙草を抜いた唇の右端から、

 

「しぃーーーー」という感じで斜め上方へ煙を噴き上げるサラリーマンさん。

 

親指と人差し指で煙草をつまみ、「マネー」(銭)あるいは「オーケー!」型に指を三本立てて、唇のちょうど中央から、大切そうに煙を吸い込み、まさに、

 

(>_<)といった渋顔をしたかと思うと、目を閉じて、

 

「ぷぅ、ふぅーーーーーっ」と、

 

勢いよく正面に煙を噴出するおじいさん。

 

ケータイで、おともだちと話しているのでしょう、

 

「でさぁ、むっちゃ、そうやねん、でさぁ…、…ッじゃーーーん」

 

と関西弁なのに、話に「さぁああ!」「じゃぁーーーん」を差し挟みながら、

 

ライターで火を点けたはなから、やたら灰皿に、

 

パンポンパンパパッ

パンパパポンンパ、パパパパ

パパパ、パパパッ

 

っと、

指ではじきながら、灰を払うしぐさを繰り返し、

 

ほとんど5秒おきにせわしなく繰り返しながら、

 

「で、じゃーん、そう、さぁーー、で、じゃーーーん」と、

 

ケータイし続ける、若者さん。

 

ほんと、人それぞれだ

 

喫煙者だけが集められる空間で、みな、自意識過剰になるのであろう

 

誰も見ていないのに、それぞれの、かっこいいと思うタバコの吸い方を、実演するのであろう

 

わたしはそれを見ながら、

 

「うまい」と思いタバコを吹かす

 

で、

 

わしは、皆さんにどう映っているの?

 

(-_-)y-゜゜゜

 

こわいこわい

 

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55.さりげなく

623日(木)

 

いつもふいっとメールをくれる友人から、先の独り言に対する反応があった

 

「私も、プラットフォームの最前列になんか立つ人の気がしれません…」

 

という、そっけないものだった

 

と、そこに、さりげなく、

 

「柔道の女の子が気に入っています」というコメントとともに、映画『20世紀少年』からの動画のYouTubeへのリンクが貼ってあった。そこには、1970年前後の服装としぐさの小学生たちが、映っていた。

 

子供のころの淡苦い思い出に対する、

 

絶妙の返歌だった

 

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54.謙譲の美徳

616日(木)

 

前にも書いたが、わたしは、列車を待つとき、ホームで先頭に立つことはない

 

悪意ある無差別犯罪でなくても、ふとよろけた老人に押されてホームからころげ落ち、そこに電車が…と想像するだけで、

 

怖いのだ

 

今朝も、地下鉄なんば駅のホームで白線から一歩半ぐらい下がって列車を待っていた。通勤時間帯は過ぎ、ホームは比較的空いていた。私の待っているところには、ほかに人はいなかった。

 

やがて、一人、また一人と、人が私の前に並び始めた。そして、三人、四人と増えていった。列車が来るころには、横に待機するおばちゃんグループも含めて、大勢がすでに私の前にいた。

 

ま、いいさ、そんなに急いてどこ行くの (^.^)y-゜゜゜

 

と、止まった地下鉄のドアにゆったりと向かうとき、

 

突然

 

小学生のころの、忌まわしい記憶が、よみがえってきたのだ

 

・・・・

 

小学5年の時だったと思う

 

そのころ、父親は、ある車関係の中小企業に転職していた。秋には、小さいながらも社員親睦の運動会などもあり、初めてだからということで、父は家族を連れていった。にいちゃんはもう高校生で、山岳部に夢中だったから来なかった。

 

どんな運動会だったか、ほとんど覚えていない。ただ、クライマックスに「部署対抗リレー」のようなものがあり、子供も飛び入り参加することになったのだ。というのも、家族連れはほかにもおり、子供たちはいつしか仲良くなって、グループで遊んでいたからだ。

 

その一人に、父親の上司の息子がいた。名前などはとっくに忘れたが、その名前は、ふだん、父が食卓でしばしば口にし、「けしからん」などと罵倒していた名前だったことだけは覚えている。その息子は、たしか同年で、5年生だったと思うが、われわれの中でもリーダー格だった。

 

「お前たちも飛び入りせんか?」ということになり、4人の「精鋭」を集めたのも、彼であった。彼は、リレーの順番もてきぱきと決めていった。

 

「きみ、はやそうだから、一番ね」

 

彼はわたしを指名した。

 

わたしは運動は得意だったが、足はそれほど速くはなかったし、それよりも、人一倍あがり症で、大人と一緒に走るということを想像するだけで、すでに、すっかり緊張していた。しかし、とりあえず、有無を言わせない、断れない雰囲気で、彼はどんどん話を進めていったように思い出す。

 

「で、ぼくがアンカー走るから」

 

と、彼は決めた。

 

いよいよ入場行進し、トラックのスタートラインの内側に大人たちと列を成し座って待つうちに、わたしの緊張感は、頂点に達していた。

 

「はい、じゃあ、第1走者、ならんでくださーい」

 

わたしの緊張は限界を超えた

 

「あれ、こどもも走るんかぁ~、いかんぞぉ」というような声が、その時、たしか聞こえたのだと思う。今から考えると、その大人は、きっと、酒を飲んで酔っていたのかもしれない。わたしは「えっ?」と躊躇したのだと思う。

 

すると、その、父親の上司の息子が、ササっと出てきて、「さっき、おとうさんが「子供たちも走れ」って言ったんです。だから、いいんです」というようなことを、キリっと述べたように思う。「そうかい」というようなことをその大人は言ったのではなかったかと思う。

 

しかし、わたしは、もはや、だめであった

 

バトンをぶらぶらさせながら「走っていいの?」「どうするの?」「いいの?」というようなことを、ぐちゃぐちゃ、その上司の息子に言った気がする。「いいんだ」「はやく」「走れ!」というような叫び声を彼は上げていたと思う。

 

「バンッ!」とピストルが響いた

 

スタートしないでぐずぐずしている私の手からバトンを奪い、彼は、「チッ、オレ走る!」とかの捨て台詞で、大人たちを追いかけて走り出した。

 

彼はなかなか早かった。それほど引き離されることもなく1周を戻ってきた。

 

バトンはつながり、第2走者、第3走者と、こども組は、だんだんに遅れていった。そして、アンカーに渡るころには、大人たちの最後尾から、さらに半周ほど遅れた状態になっていたのではなかったかと思う。

 

アンカーのわたしは、大人たちがゴールし終わったあとのトラックを、ひとり、独りで、走り続けた…

 

・・・・

 

予想通り、帰りの車の中で、父は、ものすごい剣幕でわたしを叱り続けた

 

「優柔不断はいかん」「決断力のないものは男のクズだ」「てきぱきしろ」「ぐずぐず、へにゃへにゃで、どうするっ」…

 

父の怒りが収まらなかったのは、相手が嫌な上司の息子だったからかもしれない、が、しかし、そのとき、わたしは、

 

謙譲は必ずしも美徳ではない、と

 

悟った

 

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53.風評被害

613日(月)


(この記事には「風評被害」についての正確な定義が提示されておらず、「独自考察」に基づいた記述が含まれているおそれがあります)
 

この夏、関東以北の海水浴場はどうなるのだろう

 

なにもわざわざ「おかしい」という風評のたったことをしなくたっていいのだから

 

きっと大変なことだろう

 

・・・・

 

「風評」の不思議な点は、

 

「たぶん車の排気ガスは体に悪いだろう」という風評が立っても、

 

なんらかの事情で

(>_<)y-゜゜゜

今のところは、車はなくならないということだ

 

携帯とコンピュータと車がなければ「生きていけない」と、ヤギ爺も、ときに、思ってしまうのだ

 

・・・・

 

風評とは、恐ろしい

 

・・・・

 

カイワレはなくても生きていける

ユッケは、ちょっと残念だが、まあなくてもいいか…

 

「地産地消」の風評もあるから、申し訳ないが、福島の野菜をとりたてて買うことも、とくにはないかもしれない

 

・・・・

 

そういえば、カイワレの時は、安かったので、これぞとばかりカイワレサラダを食べた記憶がある

 

・・・・

 

話は変わりますが、

 

わたしの父親は極端に憶病な人だった。わたしもそれを遺伝している

 

子供のころの夏、家族で渥美半島の親せきの家に行き、伊良湖に海水浴に行くのを楽しみにしていた

 

・・・・

 

「海はフカがいる、怖いぞ」

 

わたしの父親は、つねに、子供たちを監視し、不安がらせた

 

海は怖いと、子供心に刷り込まれた

 

「胸のところまで来たらそれ以上は行ってはいけない」と決められ、禁を犯すと「ゆうじ、戻れ!」と叱られた

 

それでも海は楽しかった

 

・・・・

 

なにも知らず思い出さず、夢中で遊んでいるときは、海は楽しかった

 

しかし、「フカがいる…」と父の言葉を思い出した瞬間に、足元が見えない海の底を想像し、

 

「ぞぞぞぞっ」と「ぞぞ毛」が立った

 

パニックになって、岸に走り逃げたことを、リアルに思い出す

 

まこと、風評は怖い

 

・・・・

 

そういえば、すべての阪大生が「ダサい」わけではないだろうが、阪大生は、一時、そんな風評に悩まされたこともある(いまは?)

 

すべての名古屋人が「見栄っ張り」なわけでもないだろうが、また「エビふりゃーが好き」なわけでもないだろうが、

 

名古屋人のわたしはその風評にさらされることもある

 

・・・・

 

こりゃ、話が、混乱してきた

(-_-;)y-゜゜゜

 

・・・・

 

前にも書いたかな(調べるのも面倒)

 

子供は、外で遊んで、真っ黒に日焼けするのがいい

家の中ばかりにいれば「もやしっ子」になる

 

という風評は「神話」となった

 

紫外線にまつわる風評のため、いまは、夏は子供は外で遊んではいけないのだ

 

(ただし、メディア等の言説では、このあたりのところが非常に混乱していて、風評では「純真」な子供たちは、大人たちの食い違った指導に、混乱をきたしているのではないか…まあ、「アウトドア言語文化研究家」としては、「外遊びは楽し!」の風評を流す側にまわるのが自然ではあろう…やがて、やはり太陽光線は浴びてはいけないということが事実になったとき、わたしは「戦犯」ならぬ「風評犯罪人」として、裁かれるであろう…)

 

・・・・

 

ところで、

 

40数年前と今の紫外線量、紫外線の害は、それほどまでに、変わってしまった(のか?)

 

こわいこわい(なにが?)

 

・・・・

 

だが、

その神話で育った子供のなれの果てのヤギ爺は、

 

梅雨の晴れ間の、からっとした心地よい、夕暮れに沈む太陽に顔をむけ、まぶしさに目を細めては、

 

「夏は気持ちいーーーい」と叫びながら、

 

発泡性リキュールをぐびぐびるのであった

 

・・・・

 

ろくにアウトドアに出かけない「風評アウトドア研究家」だが、

庭に出ていても日焼けする体質のため、同僚から、

 

「森さん、日焼けしてますねぇ、真っ黒ですねぇ」

 

のコメントの季節が、ふたたびやってくる

 

季節は巡る

 

めでたしめでたし

 

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52.目から鱗 

610日(金)

 

いよいよ老眼が不自由になってきたので、先週末眼鏡屋で度を合わせてもらった。気に入ったフレームがなかったのでしばらく入荷待ちすることになった

 

BS-TBSで放映している吉田類の『酒場放浪記』では、類さんが飲んだくれる前、地元の商店街を「探訪」することになっている。6日(月)放送の武蔵小山の商店街では、しゃれた老眼鏡のみを売っている眼鏡屋さんが紹介された。

 

世界各地で仕入れたサングラスを嬉しそうに紹介する店主が、

 

「わたしなんかこうして使うんですよ」と言って、

 

度の強そうな近視眼鏡の上から細めの老眼鏡を「せっ」と掛けたのだ

 

おお!

 

その手があったか

 

そういえば、小さいころ眼鏡の上から眼鏡をかけていたおじいさんの姿を見たことがあるような気がしてきた

 

今の眼鏡は細くて横長だからちょうどいい

 

お!あった!

 

「カバ婆!百均で買ったあんたの眼鏡の古いやつ、貸しとくりょ!」

見た目は変だが調子はいい

 

いま、遠近両用を、買おうか買うまいか、

 

真剣に悩んでいる

 

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51.至福の父

67日(火)

 

マンション生活独り暮らし独立独歩する娘ブタ子の保証人として父として、契約書類に実印を押すために、

 

職場近くの居酒屋で(阪急石橋駅界隈です)待ち合わせ、

 

飯(酒)を楽しんだ

 

・・・・

 

神戸に勤め始めたブタ子は阪急石橋駅近くに住むカバ婆の母(ばあちゃん)の家から、今はとりあえず通勤しているのだ

 

神戸のとある町のとあるマンションで、独り暮らしが始まる

 

おめでとう!

 

・・・・

 

「二人です」といって通された席は、個室コーナーの隅にちいさい四角テーブルを置いた「正面ではなく横にお座りください!カップルの、アベックの、恋人のための、特別仕様の個室でーす!」風の、落ち着いた、

 

ゆったり楽しめる部屋であった

 

・・・・

 

「わしら親子でーす!」と主張したいが、

 

「お飲み物は?」「ご注文は?」と、居酒屋風段取りは進む

・・・・

 

わたしは阪大で教鞭を取る身である

 

石橋は、阪大の最寄酒場である

 

学生アルバイトも多いし、教員、職員、学生の客がいるパーセンテージも高い…

 

・・・・

 

「お、ばあちゃんは元気か?」「そういえば、母ちゃんがな…」

 

と、会話に差し挟むのではあるが、

 

次々と入れ代わり立ち代わるバイト店員のすべてに伝えることは、

 

不可能だ

 

覗き込んだ学生客が「あ、森先生だ!」と気づく可能性がないことはない

 

・・・・

 

「阪大教員、居酒屋で、援交か!?」という週刊誌の見出しが頭を、

よぎる

 

・・・・

 

が、しかし、

 

とにかく、実印押しという実務ではあれ、

 

娘と酒を酌み交わす父親冥利は、とくに格別

 

まっこと、うれしい限りである

 

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50.金鳥

63日(金)

 

我が家の庭に蚊がたむろしはじめた

 

商品名を出してしまうが、蚊取り線香は金鳥だ

 

庭に出て、股の間に蚊取り線香をたき、ビール片手にタバコを吹かす夕暮れは格別だ

 

金鳥の香りが、わたしの夏だ

 

・・・・

 

庭にはダンゴムシが、右に左に、緩やかに歩む

 

ダンゴムシは、『ナウシカ』のオームのように、大地を守る(のかな?)

 

・・・・

 

庭の草(なんだかわからん…)の葉の裏で、アゲハチョウが孵化した

 

羽を伸ばし広げ舞い立つ準備をしていた

 

じっと見ているうちに、「パっ」と、

 

飛び立った

 

が、

 

写真を撮るのを忘れてしまった

 

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49.評価


63日(金)

 

「自己評価」というシステムが自己自慢に偏りすぎているのなら、多少、自己反省(批判)の要素を取り入れるほうがバランスがいいのではないかと思う

 

他人を批判することが正しいという風潮がはびこりすぎているのなら、多少、他者を評価してあげるシステムをつくるほうがバランスがいいのではないかと思う

 

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48.いい人

62日(木)

 

火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」を楽しんでいる

 

今朝の放送でも、突然、海岸で靴を脱ぎ、海に入っていっては、

 

「あ、クサフグだ、ちっちゃいクサフグが、足元を離れない」

 

などと、ボソッとコメントし、上手に両手ですくって、カメラに見せていた

 

草や虫や生き物のことを、意外に(失礼m(__)y-゜゜゜)、よく知っている

 

ほのぼのする

 

火野さんはかなりのヘビースモーカーらしく、この番組では、食堂のテーブルの上に置いたハイライトとライターと灰皿が映ったり、休憩中おいしそうにタバコを吹かす姿がちらっとだが見えたりする

 

きょうなども、港町の海岸を歩く右手の指には、煙草がうまそうに、はさまっていた

 

きっといい人なんだな、火野正平という人は(個人の感想です)

 

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47.想定外

529日(日)夕方

 

科学者やその筋の専門家たちが、いろいろな面で「想定」してくれるおかげで、わたしたちの生活は格段に楽になった

 

天気予報などは、まこと、ありがたい

 

・・・・

 

庭で煙草を楽しむのだが、家から100メートルほどのところにある例のワラビの取れる宅地空地のあたりにはまだ林が残っており、その木々のざわめきで風の向きや強さが知れるのであるが、

 

今や、この辺り(奈良市のとある住宅街)では、台風は大丈夫そうである

 

・・・・

 

それより、午後7時のニュース天気予報では、今回の台風2号は温帯低気圧になり近畿地方への深刻な影響は回避されたのかな…という報道が流れている。

 

ただし、

 

公共のニュースは「温帯低気圧」といっても「安心はできません」という「想定外」への警告は忘れていない。

 

・・・・

 

台風の進路など「想定」に関して歴史がある災害については、専門家は「想定外」を恐れ、必要以上の警告を発する傾向にある。わたしなどは、「日本列島に近くなれば必ず速度は速くなるし、まあ、明日は「台風一過だな」などと、勝手な個人的「想定」をして、ある意味気象庁の想定など「今のままの進行方向速度」を「科学的」に前提とした予測に過ぎないなどと、経験をよりどころに、素人判断で、笑って済ませることが多いように思う。

 

(ヤギ爺の個人的感想です)

 

・・・・

 

ただし、原発事故のような経験のない災害、しかも人為的な要因がある災害では、「想定」はいつもあやふやになり、みんなの不安を誘う

 

こんな場合、専門家は「想定」を避け、一般人は「想定」に過剰に期待するわけだ

 

・・・・

 

「だいじょうぶだ」と思っても「だいじょうぶでない」ことはある

「だいじょうぶではない」といわれても「だいじょうぶ」なことがある

 

想定とは、そういうものだ

 

・・・・

 

科学は奢っているともいえるし科学は賜物だともいえる

 

・・・・

 

想定内であれば「よかった」と安堵し「そうでしょ!」と自慢する

想定外であれば「なんでや」と驚愕し「しまった!」と狼狽える

 

・・・・

 

NHKの天気予報で「台風2号は温帯低気圧になった」と知らされ、

穏やかになった庭に出て、いまだちょいと異様にざわつく100メートル先の林のうごめきを眺めながら、縁先の庭で吸うたばこは、

 

うまい

 

・・・・

 

つまり、想定は所詮想定に過ぎない

 

・・・・

 

すべての危険を回避して生きることは不可能で、回避したければ、

 

死ぬしかない

 

癌にせよ、放射能にせよ、排気ガスにせよ、アルコールにせよ、煙草にせよ、ゴキブリにせよ、コレステロールにせよ、AIDSウィルスにせよ、生肉にせよ

 

ヤギ爺のまわりには、なるほど、

 

怖いものは山ほどある

 

・・・・

 

が、

 

そう言ってしまえば、

 

お終いだ

 

・・・・

 

だから、結局、何とかして生きていくしかない

 

 

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46.梅雨入り

528日(土)

 

きのうの夕方も、庭のせまいベランダのすみに座って、ビール片手にタバコを吹かしていた

梅雨空が暮れる中、しとしとと降る雨のしずくにちょいとだけ濡れながらボーっとしていると、

ビールもタバコもうまいのだ

梅雨の季節の緑もまた色濃くていい

・・・・

一昨日近畿地方が梅雨入りしたとみられる、という発表があったとみられる

 

嫌煙、値上げ、品不足の、一部喫煙者に及ぼす効能はといえば、戸外でタバコを吸う機会が増えるということで、自然と接する機会が格段に増えるということであろう。

 

開花宣言などしなくても、梅雨入り宣言などしなくても、

 

季節は明らかに朗らかに進んでいく

 

台風も近い

 

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45.百見は一読にしかず

523(月)

 

(お、いいフレーズを思いついた!と思ったが、すでに、本でもブログでも使われてしまっているようだ…残念!)

 

・・・・

 

ほんとうは、見てから書くべきだと思うのだが、ま、ちがっていたら訂正すればいいし、たぶん当分(テレビでやるまで)見ないと思うので、忘れんうちに書いてしまおう

 

・・・・

 

漫画の『岳 みんなの山』(作:石塚真一)を映画化した『岳―ガク―』(脚本:吉田智子、監督:片山修)のシナリオをもとに書かれた小説『岳―ガク―』(著:涌井学、小学館文庫)を読んだ

 

(なんのこっちゃ、この複合的表象現象!?)

 

数週間前、近鉄難波駅構内の本屋で、「特急・まあいいだろ・授業でしゃべり続けりゃ喉渇く・ビール飲まなきゃすまんだろ帰宅」(乗車券430+特急券500+発泡酒2カン320円だったかな?)の暇つぶしのために買った文庫本だ

 

(ひかり源氏を家に置き忘れていたのだ)

 

30分の乗車中に半分近く読み終え、帰ってから、発泡性リキュール片手(両手?)に読了した。

 

殺人事件は起こらない系の2時間ドラマのサスペンスに、いかにもありそうな感動物語なのである。

 

が、涌井という人、文章はなかなかうまい。ヤギ爺、じつは、

 

涙溢れさせながら読んでしまった

 

近鉄特急の中で、思わず「慟哭」までしてしまった

 

・・・・

 

さて、とりあえず言いたいことは、

 

わずかばかりの自分の経験と、御在所藤内小屋でクライマーたちから得た「ほろ酔い耳学問」からのイマジネーションをもとに、文字で、小説で、文章で、読みながら頭に描いたイメージの方が、おそらくは、まだ見ぬ映画より、(これも読んでいない)漫画より、ずっといいのではないか、

 

というありきたりの憶測である。

 

山で死んでしまった友人との思い出や、藤内小屋で聞きかじった遭難話が、この物語のみえみえのストーリーと、わがヤギ頭の中では勝手に結びついていくのである

 

・・・・

 

さてさて、いまさら言うのもなんですが、

 

この「独り言」ではあまり写真を使わないようにしている

 

(猫たちと爺の野暮姿は除く)

 

写真で語らせるブログや、みごとにスライドを編集したYouTubeの歌などは、まことに素晴らしいのであるが、わたし自身は、

 

自分の気持ちを、そしてリアルな体験を、なんとか、とにかく、言葉で伝えたいと思っているのである

 

・・・・

 

しかし、しかし、それは、

 

実に予想以上にむずかしい

 

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44.日本全国○○巡りの旅

523日(月)

 

カバ婆と九州へ行った

 

土曜日の午後3時間ほどだけ拘束される用事があったので、最近ちょいと仕事が積んでいるし疲れ気味なので、ここは気分転換にと、木曜夜から日曜朝にかけて、軽自動車&フェリーで出かけたのだ

 

往復割引を使えば大人二人で35千円ほどの交通費(+現地での高速、ガソリン代)、楽天トラベルでツイン11万円のビジネスホテル

 

交通費+宿泊費二人分で5万円ほどなら、まずまず安い旅だろう

 

(ただし食費+飲み代は随分かかった)

 

佐賀県をぐるりと、唐津、呼子、伊万里、武雄温泉と巡り、福岡の天神で夜を過ごした。2日目は午前中大宰府を訪ねた。

 

唐津城や名護屋城跡では、「おお、日本全国城めぐりの旅だね」

 

(じつは、われわれ、旅先では小さくても、跡でも、とりあえず城があれば城をを訪れるのだ)

 

呼子のいか活造り定食 2,625円(二人で一人前)を食べて、「名物食い歩きの旅もいいかな」

 

(これはあまりしない)

 

伊万里では「全国陶磁器巡り」、武雄温泉では「全国名湯大衆浴場の旅」もいいな、などと言っていた

しかし、われわれがいつも必ず旅先ですることは、地元のスーパーマーケットに寄ることなのである

 

経済のグローバル化により(そんな大げさなもんかい!)、全国どこへ行っても同じスーパー、同じチェーン店ばかりで、町や村の風景は本当に画一化してしまっているが、店で売っているものには微妙だが地域差がある。

 

ご存じ「ご当地限定」商品(お菓子やラーメン等)のみならず、カバ婆の目をくぎ付けにするのは、その地域地域の味噌などの調味料、野菜や果物なのだ。

 

今回カバ婆があちこちで買った品物は、売り場で地元のおばちゃんが「おいしいよぉ」と教えてくれた味噌、かんころ粉(サツマイモの粉)、そば粉、ひじき、胡麻、ゆず胡椒、茶豆、それから、とにかく安くて大きかったのでキャベツ一玉である。

 

もちろん、道ばたには「産地直売店」などもあるが、この点では、何と言っても A-COOP が優れている。種類も豊富で値段が安い。

 

 

「日本全国A-COOP巡り旅」の地図などあれば購入したい

 

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43.喜寿

519日(木)

 

火野正平さんの『こころ旅』で、戦時中の疎開先の風景をなつかしむ投稿があった。77歳、喜寿の男性からの投稿

 

そうかぁ…

 

太平洋戦争中疎開していた子供たちが今喜寿を迎える年になっている

 

あたりまえかぁ…

 

戦争を知らない子供たちの弟妹世代が50歳を過ぎている

 

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42.見る目人それぞれ

517日(火)

 

職場の建物の正面玄関前がきれいに整備された

 

以前は殺風景な灰色アスファルトで、端の方には横並びに56台の駐車スペースが白線で仕切られていた。

 

阪急石橋駅へ降りていく道沿いの池の一部を埋め立て、池のほとりをきれいにコンクリで縁取り、芝生なぞ植えて、あずまや風の(でもないが…とりあえず)休憩所などをつくり、学生たちの憩いの広場を作った。

 

その延長がわが職場の玄関前なのである

 

模様を織りなす色レンガを敷き詰めた「歩行者優先です!」という感じがみえみえの空間で、駐車スペースの仕切りはないから、当然、駐車禁止であろう。(玄関すぐに1台分だけ車いす用のスペースが淡い色のレンガで区切られている)

 

しかし、知るや知らずや、いまだに車が数台停めてある。以前のようにはっきりとした白線になっていないので、車いす用のスペースに平気で駐車する車もある。

 

おそらく、そのうち「駐車禁止」の看板がぶざまに立ち並ぶことになるだろう。

 

いずれにせよ、景観台無しである

 

その正面玄関を出てすぐ右側の車いす用のスロープの背後に、喫煙コーナーがあり、灰皿が置いてある。わたしは、しばしばそこにでかけ、煙草を吹かすのであるが、

 

吹かしながらその「景観」をながめている

 

この「造園」を依頼した阪大当局の担当者や造園業者の目には、おそらくは、このスペースに車は許されない存在として映るであろう。そこには、笑顔で語り合いながら食堂に向かう学生たちの姿や、本を広げ昼休みをくつろぐ学生の姿が見えるのであろう。

 

しかしながら、わたしの目には、そこに駐車してある車が、いかにも人工的な「庭」の風景の一部として、まったく調和したものとして映る。むしろ、整然と並ぶ車の様子は、その先に見える芝生広場と、その向こうに広がる人工の池、それから、左手に広いガラス張りでテラス風に立った学生会館1階の食堂の建物という景観と、

 

みごとに調和するようにも思えるのである

(補足:喫煙コーナーからは全体の風景を眺めることはできない。これはイメージです)

 

そして、駐車禁止が徹底され、今は横に145台駐車している車がすべて無くなったなら、石橋から歩いて坂を上ってきた嫌煙家の目には、喫煙コーナーで煙草を吹かすヤギの姿が、直接に飛び込むだろう。その姿は、

 

この素敵な人工空間を汚す風景として、苦々しく映るであろう

 

などと考えながら、ぼーっと煙草を吹かし、この整備にかけた費用はいくらくらいか、そのお金を使えば、雨風が凌げるあずまや風の喫煙小屋がいくつ立つだろう、などと思いを巡らす爺であった

 

人それぞれである

 

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41.言い忘れていましたが

512日(木)

 

恒例街道てくてく旅に代わる自転車旅、火野正平さんのNHK『にっぽん縦断 こころ旅』は、毎日ビデオにとって見ています

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40.九死に一生―ワラビ2本の代償―

511日(水)

 

家から100メートルほどにある宅地造成空き地草むらのワラビは健在である

 

今年も毎日のようにいただいている

 

実は先日、カバ婆と見つけた「農家の朝市風」の朝市で、ひょっとして…と、ついそそられ、安い「売り物ワラビ」を購入したのであるが、今回もやはり失敗であった

 

買ったワラビは硬くて筋張る(個人の感想です)

 

やはり、カバ婆が愛情(あるいは陰謀?)を抱き、やらかいところだけ指でつまみ取る蕨は、極上だ

 

(前にも書いたが、ワラビには「発がん性物質」が含まれているらしい…ヤギ爺の独り言2008717(木)ゆうじ殺すにゃ…」参照

 

愛情(陰謀?)を込めカバ婆が毎夕出してくれる蕨に舌鼓を打つ

 

(カバはワラビは食べない)

 

さて、ところが、実は、先日、カバ婆自身が九死に一生を得たらしい

 

数日前、いつものように近所の宅地造成空き地草むらで蕨を採取しようとしたカバ婆は、いつものように、目ざとく2本生えている場所を特定した。

 

「うっふっ」とほくそ笑み近づいたカバ婆は、そして、ふつうに、自然に、手を伸ばした…

 

とその時、

 

ふと視野の隅に、なにかヌメリ輝く物体が映ったらしい

 

カバの本能、咄嗟に手を止め、そのあたりを見た婆の目に入ったのは、

 

不気味にヌルやかに美しく輝く体をとぐろに巻いた、マムシだったという

 

カバ婆は、不用意に手を伸ばさなかった自分の偶然に、感謝したという。

 

さてさて、実際は帰宅したわたしをつかまえ、「聞いて聞いて!」と興奮冷めやらぬ声で事情報告したカバ婆であったが、こんなとき、万が一にも聞きつけたワイドショーのレポーターでも来て、インタビューでも受けたなら、カバ婆は、「うっふっ」とほくそ笑み、こうとでも応えたであろう。

 

「おそらく、脱皮したばかりの蝮だったのだと思います。とてもきれいでした。うっとりするぐらいの艶でした。でも、あとで考えたら、とても怖かった…脱皮したばかりの蛇は、本能で攻撃性を強く持ち、近づく動くものには何にでも飛びかかると言うではありませんか。夫のためにと、必死で、無心に取ろうとした2本のワラビの代償に、私自身が命を落とすところだったかもしれません…とても、とても、怖いおもいをいたしました…九死に一生、とでもいうのでしょうか…」

 

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39.竹

510日(火)

 

ゴールデンウィークの前半に、知り合い(ずーっと前にも登場したセイちゃん&ケイコさんご夫妻)の田舎家の裏の竹林に竹の子掘りにでかけた

 

2本掘ったところで、ビールにはしり、帰りの運転はカバ婆に任せて、宴会に入った

 

さておき、筍は余所で買うものではない、掘った筍は、みごとにうまい

 

さて、うまいのである、がしかし、問題がないわけではない

 

カバ婆の様な人格の者は、とてもうまい竹の子も調理して出すのであるが、その中に多分に、

 

立派に成長した、竹、が混じることがあるのである

 

竹は固い

 

硬くて歯が立たぬ

 

しかし、それもふくめ、取った筍を灰汁抜きし茹で薄味し食べるのは、

 

実に実にうまいのである

 

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38.今日の山行

430日(土)

 

ほんとうに久々御在所藤内小屋へでかけた

 

カバ婆もいっしょに行く予定だったが、実はこの春ブタ子(娘)が独り立ちし、一人住まいを始める準備ということで、カバ婆は神戸方面に助っ人に行くことになった。

 

そこで、「わしゃ自分のことで精いっぱいやさかい」と、ヤギは一人で山へ遊びに行ったわけ

 

電車に乗りバスに乗り、山を歩き、友と語り酒を酌み交わす、というのはいいものだ

 

藤内小屋の再建はどんどん進んでおり、昔の姿に戻りつつも、神谷さん&奈那ちゃん(正巳さん&敏子さんに代わる第2世代)の色が出てきている。

 

昨年の忘年会以来ということで「ゆーちゃーん、なにしとったん?」という声に「いやー、わしが手伝わんと、はかどるねぇ」などと自虐ネタをかまし「え?来たとき手伝っとった?」と突っ込まれ、それでもやはり皆の働く横でビール片手に無駄話と決め込んだ。

 

山は、いい

 

カバといっしょなら泊るつもりでいたが、とりあえず日帰りということで、夕方下山し、いつもこの独り言を読んでくれている先輩友人に近鉄湯の山温泉駅の近くまで車で送ってもらった。17,141歩、およそ13キロ歩いた勘定になる。

 

そうなのである、先日、カバ婆とわたしは、万歩計を購入したのである。

 

「健康第1家族!」なのだ

 

ということで、四日市から近鉄特急に乗り、つまみとビール2カン(と予備のワンカップ)を買ってほっこりしていると、カバ婆からメールが来た

 

15,000歩。まだこれから帰りの歩きがあります。足、痛い」

 

娘に付き合って不動産物件めぐりをしたという。

 

・・・・

 

今日の山行:

 

9時過ぎの近鉄で湯の山温泉駅まで(缶ビール2カン+つまみスナック)

 

12時過ぎ、湯の山温泉から坂道を歩き(30分弱)、御在所麓にある一の谷山荘(いま正巳さんと敏子さんのやっている山小屋)で久々の挨拶をする

 

中道の途中まで登山道を登り「小峠」を少々下り裏道登山道で藤内小屋まで(1時間弱)

 

1時過ぎから4時過ぎまで、藤内小屋周辺で歓談休憩(缶ビール6カン+鳥さし)

 

4時過ぎ下山(麓まで30分弱)

 

近鉄で帰宅(車中缶ビール2カン+つまみ)

 

帰宅後、飲まなかった予備のワンカップ+発砲性リキュール2カン+コンビニ弁当)

 

合計缶ビール等12カン(350ml+ワンカップ1個の山行であった

 

・・・・

 

息子クマ太郎も大学4年の今年下宿を探し一人住まいを始めた。

 

これまでもバイト、クラブあるいはサークル活動、飲み会、学業?などで、あまり家にいっしょにいたことはなかったが、いよいよ、

 

カバ婆&ヤギ爺の「ふたりの老後」が始まった感がある

 

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37.やはり

429日(金)

 

美空ひばりが、好きだ

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36.文系男

427日(水)

 

昨日は、授業の院生の人たちと、ちょいと楽しい時を過ごした

 

男女国籍年齢をとやかく言いたくはないが、勤め先の言語文化研究科言語文化専攻というところは、雑多入り乱れるところが、いい

 

で、このところ、受講生に男性が少なく、ほとんどいなかったが、今年度は久々の登場でうれしい限りである

 

ほろ酔い気分でカバ婆に話した、すると咄嗟に、

 

「そりゃあ、理系女(リケジョ)が流行るぐらいだから、文系男(ブケオ)」がいたっていいだろ」

 

と言った

 

このカバ、あなどれぬ

 

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35.まずは自分で

424日(日)

 

前にも書いた「マンション経営はいかが?」「投資0円で儲かる話!」系の電話が、ここしばらくかかってこない。「またか…」と思ったらすぐに「わたし興味ありませんから」「切りますね」と受話器を置くことにしたからだろうか。

 

かつてはムカつき、いろいろと食ってかかったものだ

 

「こちらからかけなおすから、会社名、部署、氏名、電話番号を述べよ!」と言ってかけなおしたこともある。ただ「はあ」「そう」「へー」「うんうん」とあいまいな返事を続け、いつまで話し続けるか聞いていたこともある。相手はだいぶ(5分、10分…)話してから、なにか捨て台詞を言って電話を切った。いずれにせよ、こちらのフラストレーションはさらに溜まった。

 

そんな中に、「そんなに楽して儲かるなら、あなたやればいいじゃない、え?、あんたはやってるの?」というのがある。「あんた自分でやって、大儲けして、こんな嫌な客相手の電話勧誘の仕事、やめちゃえばいいじゃん!」というのがあった。

 

「まずは自分で…」

 

うまい話、の、盲点である

 

・・・・

 

福島原発の惨事から以降、世間には「代替エネルギー」の話が蔓延している。新聞を読んでもテレビを見ても、太陽光発電などの話で持ちきりだ。理工系学生対象の授業で使ったのだが、アメリカの新聞では、MIT(マサチューセッツ工科大学)が植物の光合成を模した新型太陽光電池の開発実用化を研究しているというニュースを報じている。

 

http://www.voanews.com/english/news/environment/Artificial-Leaf-Turns-Sunlight-into-Electric-Power-119070894.html

 

庭やベランダに不自然な人工の葉っぱを持つ奇妙な植物を並べて愛でる日も近いのか

 

・・・・

 

今朝もカバ婆と二人、だらーっとテレビを見ながら、朝飯を食っていた。テレビでは、太陽光パネル普及に尽力してきた人物が紹介されていた。「初期費用0円!」をキャッチフレーズの「商売」だが、行政との連携で活動する「まっとうな」起業のようだ。(たしか、もとは営利企業ではなくNPO活動から始まった企業だったと思う)

 

懐疑派カバ&ヤギは、「この手を真似た新手の詐欺的商売、これからも増えるだろうね…見極め、たいへんだね」などと話していた。当然のことだが、「まっとうな」「ためになる」「善良な」行為を真似なければ詐欺は成立しない。

 

と、突然、カバが吠えた

 

「ぱっかじゃねぇの、まずは、自分たちからでしょ!」

 

テレビでは、司会者が図を使って「行政」「一般家庭」の間でそのNPO系企業が太陽光パネルを「販売する」仕組みを説明していた。役所の建物の絵が右端、左の方には数件の家の絵があり屋根には太陽光パネルが描かれている。矢印を駆使して「連携」の様子が描かれている。

 

「なぬ?」

 

わたしは、カバ婆の怒りの意味が掴めなかった

 

「あれだよあれ。お前らの屋上にも付けろってーの!」

 

婆の指さしたのは右端にある行政のお役所のビルの絵であった。屋上にはなにも描かれていない。ちなみに真ん中の企業ビルの屋上にもなにもない。

 

カバ婆は、単なる解説用の絵に向かって、怒りを露わにしていたのだ

 

もちろん、まずは行政から率先して導入するという動きは現実にはあるだろうし、それに、その企業の実際のビルには、当然太陽光パネルが設置されているかもしれない。(ひょっとして番組内で紹介されていたかもしれないが覚えていない)

 

しかし、そう言われると、その解説図はたしかになにかを語っていた。お役所にもなく、販売者にもなく、ただただ、「消費者」である一般家庭の家の屋根のみに「商品」としての太陽光発電設備が描かれていたのである。

 

その番組にも、紹介されている人物にも、その企業の活動にも、ある意味、関係のないことだ。当事者がこれを読んだら、憤慨するにちがいない。しかしながら、申し訳ない話だが、なるほど、視聴者や消費者の気持ちはわからない。

 

どう反応するか、どう動くか、わからぬものだ、ああ、こわいこわい

 

・・・・

 

以前、ある農家の主人が言ったというもっともらしい噂話があった。

 

「いいですねぇ、農家では新鮮できれいな野菜がいつでも食べ放題ですね」

 

と言われたその主人は、

 

「うち?いや、うちでは野菜、よそで買ってますよ、家で作った野菜は怖くて食えん」

 

農薬使用が声高に叫ばれたころ誰かが作った作り話であろう。しかし、ときには現実味溢れる「嘘」もある。

 

また、実際の日常の場面からも予期しない意味が読み取れる場合もある。

 

「うちのボールペンは書き味最古!インクは長持ち!ちょっとお高いですが、値打ちはじゅーぶんありますよ!」という販売員の手に、安いが使い勝手のいい普通のボールペンが握られていたら…

 

販売員の何気ない態度(高価な商品を売りつけながら使い勝手のいい手ごろな品を利用する)は、たしかに、何かを語りかける

 

ある筋では、このような発言を「言説(discourse)」と呼んだり、先の絵の様なものを「表象(representation)」と言ったりするようだが、まあいいや、とにかく、われわれは報道や噂話で右往左往する生き物だ。

 

・・・・

 

うん、たしかに突然ではあった。しかし、あの絵を見たとき瞬時にカバ婆が感じた憤怒が、しばしば行政や企業の発する「みんなで」「共に」「協力して」という言葉の背後にある「嘘」を見抜いていたとすれば、カバ婆の感情の発露には傾聴に値するメッセージがある。

 

えらいぞ!感情カバ婆っ!

 

・・・・

 

「こらーー!昼間っからビール開けたのだれだ!くっそ爺ぃ、シバく」

 

プルトップを開ける音にもメッセージがあるらしい

(--)y-゜゜゜

 

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34.ひちや

419日(火)

 

千葉のビビり友が大学用英語教科書を作った

 

「環境コミュニケーション」という感じの教科書なのだが、なかなかいい

 

ぐだぐだと自論を述べるよくあるアメリカ人研究者の人文系論文単著を編集したものなのであるが、その「読める」部分を選び、まとめ、注釈をつけるというのは、思ったより簡単な仕事ではない。義理(--)y-゜゜゜で授業で使っているのだが、

 

いい

 

・・・・

 

ところで、その書き出しのあたりに、1983年にSalt Lake Cityを襲った大洪水の描写がある。モルモン教徒の開拓者たちが開いたこの町に流れるCity Creekという川は、飲み水用に使われ、挙句は雨水排水用の水路として利用されてきたのだが、その年に大氾濫を起こしたのだ。

 

大量の雪解け水と雨水で荒れ狂った川は、なんとか被害をおさえようと積んだ土嚢を越え、街中を水浸しにする。そしてその濁流は、「デパートや質屋を通り抜け」(past department stores and pawn shops)町中を呑み込んだのである。

 

え、質屋?

 

授業で学生に「え?どーして、質屋なんでしょうー?デパートは、まあ、わかるけど…どうして、「ひちや」なんでしょう?」と質問をした。

 

本年度初回授業の、メインの質問であった

 

・・・・

 

ところで、「なじみの町並み」とは、人それぞれである。10人に聞けば10の町並みがあろう

 

今回の地震でもそうだが、それから、毎年各地で起こっている洪水や台風の災害でも、最近のテレビのニュース報道で映し出される「現場」に「コンビニ」が多いのではないか…(ちがうかな?)

 

いまの日本の町並みには「コンビニ」は欠かせない(おそらく自販機も)

 

・・・・

 

そうなのである、アメリカの町並みには「質屋」が欠かせないのである。アメリカ映画やアメリカのドラマを、町並みに目を向けて見てみてください、少なくとも、230年前までは、"PAWN" と書かれた看板が、あちこちにあった

 

・・・・

 

日本の町並みからは「質屋」が消えた?そういえば、わたしが子供のころの名古屋には「質」の字を丸でくるんだ看板やのれん、それから「ひちや」とひらがなで書かれた看板が、あちこちにあったのだ

 

でも、いまでも「ひちや」のある町並みが、きっと、どこかにあるんだろうなぁ…

 

・・・・

しかし「主流」の映像というのは時代によって変わるのだな

・・・・

 

ところで、今日のNHK連続テレビ小説「おひさま」には、旧制松本高校で学ぶ兄春樹に「松本に遊びに来い」と手紙をもらったヒロイン陽子が、兄の友人で初恋の人川原に会える喜びで舞い上がりつつ、親友の育子と真知子といっしょに松本を訪れる場面があった。

 

何気なくその町並みを見ていると、ありました、いろいろな看板やのれんの中に、「質」の文字の看板、ちらっとですが、見えました

 

・・・・

 

それより、その松本の町並みのシーンに移ったとき(15分番組の内5分目ごろ)真っ先に目に入った看板は

 

「強力毛生剤」

 

と読めるものであった。

 

さてさて、髪の悩みは今も昔も、であるようだ

 

・・・・

 

脚本家(あるいは演出家)の意図がおもしろい

 

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33.びびり王国

418日(月)

 

奈良あたりでは昼過ぎあたりから煮え切らない天気が続いていたが夕方になってザーッと雨が来た

 

春の雨のにおいは格別だ

 

発泡性リキュールを手に庭に出た

 

空から何が降ってくるのか、雨以外は目に見えぬが、

 

春の雨のにおいは、とてもいい

 

・・・・

 

週末、千葉に住む友人にメールしてメールが返ってきた。彼は正真正銘の「びびり」である。「地震、放射性物質、雷、火事、おやじ」の今の状態で、いかに暮らしているかは、同じく自他ともに認める真正ビビりヤギとしては、手に取るようにわかる。

 

(「わかる」「共感」「共有」というのは所詮勝手な思い入れだから、実はわからないという方が正直だ)

 

友人は「ビビりこそ今指導者に必要な素養だ」と言った

 

(これ、ヤギ頭流解釈だからかなり短絡、真意はその友に聞くしかない)

 

たしかに、「自信」「明言」「明確説明」「決断」「指導力」が過剰に求められると、けっきょくは「不安」「恐怖」「失敗」「動揺」「後悔」に、無感覚無頓着な人間が上に立つ

 

いまこそ、臆病者が祭り上げられるべき時代なのかもしれない

 

(わたし、じつは「祭り上げる」という言葉は大好きで、いずれまた論じたい(エッヘン!)と思っております)

 

ビビり王国よ来たれ!

 

・・・・

 

すでに酔っぱらってわけがわからないが、

 

とにかく、春の雨の匂いは格別だ

 

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32.無色無臭

414日(木)

 

「あ、タバコ吸ったのだれ?(わたしにきまっている)あー、朝一番から、これだよ、あーー、朝のいい空気なのに、あーーーー」

 

めずらしく早起きしたカバ婆の台所での第一声である

 

すでに何回も書いたと思うが、あさ目覚めてからカバ婆の起き出す6時過ぎぐらいまでの34時間が、わたしの「至福のとき」である。最近は、それでも、換気扇の下へ行って煙草を吹かすことが多いが、それでも、ときどき、ちょっと離れたリビングのテーブルでコンピューターなどいじりながら、一服ということになる。

 

しかし、それも必ず5時前ぐらいまでの話で、カバがおきてくるだろう1時間ぐらい前から、換気扇を「強」にして、ガンガン換気するのだ。だから、気づかれることはめったにない。

 

しかし、このとき、カバ婆は5時半ごろ起きてきた。「あー、きょうはなんだか、すっきりめざめたぜ、がははは」(実際にはこれが第一声)

 

ヤギは「お、気づかれん」と、ほっとした、しかし、台所に向かったカバの一声があれである、換気した空気は台所に蓄積し危険濃度に達していたのだ

 

タバコはくさいから気づかれる

 

都市ガスやLPガスは、本来無色無臭だというが、ガス漏れに気づかせるためわざわざ臭いをつけてあるという、お、ならば、放射性物質にも、色など付けられないのかなぁ、降ってきて蓄積し危険になり目立つほどになると色でわかる…

 

バカ!

 

あいかわらずの科学音痴ヤギ頭愚考

 

でもだから放射能は、こわい

 

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31.けむりの歴史

413日(水)

 

ご近所の酒屋兼たばこ屋(わたしのためにあるようなお店)に、煙草を買いに行った。マルボロライトを、2箱買った

 

大震災の影響で製造がストップしているということで国産たばこの売り抑えが発生している。先日、昼間、タバコが切れてしまったのでコンビニで「キャスターの5ミリ、2箱」と頼んだら「1箱でお願いします」と言われてしまった。

 

わが酒屋兼たばこ屋さんは、1カートンまでは売ってくれる。ありがたいありがたい

 

その好意に報いるためと「外国タバコはいくつでもいいんですが…」という申し訳なさそうな言葉に感謝し、

 

「それじゃあ、マルボロライト2箱ください」となったのだ

 

マルボロ(赤いやつ)は、いっぱしのワイルド山男を気取っていたときに吸っていた。ハイライトも吸っていた。そういえば、岳人だからと、「峰」も吸っていた。

 

「峰」はまだあるのだろうか

 

けむりには歴史がある

 

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30.初物わらび

410日(日)

 

カバ婆が今年初物となるわらび3本、近所の空き地で収穫

 

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29.ミツバのわさび和え

410日(日)

 

「あ!きのう作って置いたわさび醤油、誰が捨てた!」

 

もちろん、わたしにきまっている

 

「あーーー、ミツバに和えようと思って、せっかく置いといたのにーーー」

 

「あれか?流しの横の台に置いてあった豆鉢の底にちょいと残ってたやつか?あんなもん、汚れもんだと思って、とーぜん、捨てた」

 

今朝(起床3時!)コーヒーを入れようと思ったら流しにカップが置いてあったので洗った際、ついでに洗ってやったのだ、豆鉢にうっすら深さ5ミリもないくらいの醤油の残りもんだった、なにがわるい?親切心だ、感謝されてもいいぐらいのところだ!

 

あーーーー

せっかく高いだし醤油でつくったのにーーーー

あーー

チューブに残ってたわさび、醤油入れて、振って、最後まで、やっと使い切ったのにーーー

あーーー

しまっとけばよかったーーーー

あーーーー

 

といつまでもくどくどとうるさいので、

 

「なに言っとる、あんなもん、いくらの損失になる!ケチくさい」とムッとした

 

「あーーー、無念の代償、1億えーーん」

 

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28.緑の庭

49日(土)

 

よし!今年は、雑草を生やして、野趣あふれるきれいな庭を造るぞ!

 

と宣言した。

 

カバ婆が庭に芝生でも植えようかと言ったので、芝生は手入れが面倒だというし、何かバタ臭くてわが家の植木、庭の花、野草、山菜生え放題の植え込みには似合わぬと考え、思いついたアイデアだ。

 

上に伸びる雑草を引き抜き、地を這う雑草や、可愛く控えめに花咲かせる雑草を残して、すっきりとした野草の庭を作ろうという計画なのだ。

 

たしかに、自然に手を加えるという点において、自分の望む「自然」にだけ目を向け、好ましくない「自然」を排除しようとする点において、この行為は、人間のエゴによるまさに人間中心的思考のあらわれであるかもしれぬ。

 

しかしながら、それは、地球上に存在する限り、あらゆる生き物は何らかの形で「自然」に対してインパクトを与えながら生きるほか術はないという真理を真摯に受け止めたうえ、それでもなお、できうる限りの「共生」を目指そうとする、人間の新たな生き方の可能性をも表明する行為だと、考えられなくもない。

 

わたしは「どうだ、この夏は、このぼくに庭の世話をまかせてみる気はないか?」と聞いた。

カバ婆の答えは、

 

「ケッ」

 

であった

 

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27.「おひさま」

47日(木)

 

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」

 

昭和8年小学5年生の陽子たちは学校行事で常念岳登山をすることになる

 

東京から安曇野に来ていた都会っ子陽子は雲上の頂上に思いを馳せ胸躍らせる

 

しかし、母の病気が…

 

というところで、今朝の「おひさま」は終わりました

 

ほら、「昭和初期」「都会人のあこがれ」「登山ブーム」でしょ

(--)y-゜゜゜

 

脚本家岡田惠和のオリジナルストーリーで架空の話らしいが、この点は合格!

 

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26.いにしえのオートキャンプ

47日(木)

 

またまた古い新聞の話ですが、昭和10年(1935730日付讀賣新聞朝刊9面に「いま米国で大流行の自動車キャンプ」と題する記事がある

 

写真付きでキャンピングカーを紹介しているのですが、データベース『明治・大正・昭和の讀賣新聞』をネット上で見るにはライセンスがいるのでその記事は紹介できません

 

似たような雰囲気を出すのはこれかな…

 

http://www.dollycopp.com/dollycopp8.php

 

当時の人たちも、こんな写真を見て、「おー、アメリカってすげー」と、思っていたのだと思います

 

で、その記事が面白い

 

「自動車道路の完備と日本に於ける自転車のように自動車が容易く手に入る米国では、相当長い道程を泊まりがけで自動車を走らせる人がたくさんあります、従って夜間自動車を停めて眠る為のキャンプの装備も色々と考えられています」

 

「日本に於ける自転車のように自動車が容易く手に入る米国」…

 

自転車を購入することが、自慢だったのですね、自動車は、高根の花…

 

ああ、ノスタルジー

 

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25.うた

46日(水)午後8時45分

 

懐かしの歌声のたぐいのテレビを見つつ、

寝つつある

 

ブタ子の結婚式には「なごり雪」、

クマ太郎の結婚式には「野風僧」と決まっていた

 

きょう、わたしの葬式には「待つわ」を歌うことに決めた

 

すると、カバ婆が、

 

「わたしのときには「悪女」だね」

 

と言った

 

いったい、だれが、どのように歌うのか、とかのたぐいは、

 

まだ、決めていない

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24.リニューアル

45日(火)

 

昨日、大好きだった広瀬さんの7回忌を機に、
「ヤギ爺の独り言」をリニューアルしました

 
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23.食の春

4月3日(日)

 

わが家には、とりあえず、食の春が来た

 

今年は、例の近所の空き地の「わらび」はまだ出てこない。

 

だだいま、つまみとしてカバ婆が出してくれた春の野草は「こごみ」だった。

 

台所の裏口すぐの庭隅に、カバ婆が御在所藤内小屋付近から連れてきた、

 

こごみの塩茹だ。

 

指で小皿にとり、おかかをチラッとだけふりかけ、生醤油で食べる

 

うまい

 

今晩は「からすのえんどう」「よもぎ」「せり」の天ぷらをいただく

 

あ、数日前に食わされた「草」のことは、忘れてください

(-。-)y-゜゜゜

 

(左から)こごみ、からすのえんどう、よもぎ、せり

 
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22.言わず語り

4月1日(金)

 

言外の意味をくみ取る訓練をする仕組みを作るのは不可能に近い

 

お金がかからないし、必ずしも成果が期待できないからだ

 

コミュニケーションを繰り返し、失敗を繰り返すしかない

 

予算を取って制度を作ることが教育なら

 

教育以外に期待するしかない

 
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21.昨夜の夕飯の話

3月31日(木)

 

いつものように「草食系」中心の食事であった

 

わたしは、「ぬた」が好物で、カバ婆のちょいと酢の多めのスッパイのがけっこう好きである。ひじきもあったし、大根葉の和えたのや、タンパク質としてはイカとセロリの炒め物もあった。

 

わたしは、意外にも、草系の食べ物は好きで、それらの皿を順々につまんでいた。それから、ホウレン草のおひたしの様なものがあった。

 

「これ、味付けは?」

「してない。これ」と言って、婆は醤油を指さした。

 

うまい!

 

わたしは、ホウレン草系のおひたし系が大好物で、けっこうバクバクいくのである。人の分まで考えず取ってしまうことがある、と思い、ふと、カバ婆の顔を見た。

 

ニタリ、と笑ったような気がした。

 

「これ、食べすぎたかな?あんた、食った?」

 

すると、カバ婆は、ニヤリと笑い、

 

「これ、あのときの、あれ」と言った

 

「?」

 

しばらくは、思い出せなかった。しかし、「あのとき」をいくつか探るうち、「あれ」に思い当たったのだ。

 

週末一緒に歩いて買い物に行った帰り道住宅街の空き地の横でカバが立ち止まった。

 

「これ、食えるかな?」

「? どれ?」

「これ。この草、たぶん食えると思う」

「やめときな、腹痛起こしたくないで、ははは」

「…」

 

わたしはカバ婆を置いて先を歩いた。しばらく行って振り返り追いつくのを待つと、

ニタニタ笑いながら、右手に草を一束掴んだカバ婆が、来た

 

それがあのときのあれだった


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20.音育(つづき)

3月30日(水)

 

通勤中、はっ!っと思いだした

 

もう1曲、わたしの音育があった

 

高峰三枝子の歌で、曲名を知らなかったが、インターネットで調べて、なんとか「燃える瞳」であることが分かった

 

なかなかみつからなかったが、やはりYouTubeにありました!

次のビデオのメドレーの後ろの方、8分30秒ごろから始まります

 

  1. 高峰三枝子メドレー

     
    しかし、母は、もっとゆっくり、しんみりと、バラード調で歌っていた

     

    あーなーたーーなしーーではーー、さーーーみしーーーくてーーーーーー

    とーてもーーー、いーーーーきてーはー、ゆーーーけーなーいいのーーーー

     

    だからわたしもそう歌う

     

    なにやら、松竹の映画「懐かしのブルース」(1948)の副主題歌らしい。かなりマイナーな曲だと思う

     

    父と母は、恋愛時代、新婚時代、たまの週末に映画を見に行くのを唯一の娯楽としていたという。そろって歩く父母の姿が目に浮かぶなぁ

     

    それにしても、母の声を思うと涙が滲む

     

    ・・・・

     

    だが、いずれにせよ、いい子が育つはずはない

     

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19.音育

3月30日(水)

 

けーしゅにけしぇないーーー

おーもかげ、ゆーーえ、にーーー

なーみだのー、しーんじゅがーー

きやり(キラリ)と、ひーーかるーーー

なじぇに、おんなの、ゆくみちー、けあしーーー(険し)

 

はかないーー、しゃだめ(定め)とー、しりーいちゅうちゅうも(知りつつも)

とわにーかわりゃにゅ(変わらぬ)、あいのためー

ああああーーーー、あのなみーのー、はてーー、まーーでもーーーー

 

「ねえねえ、けしゅにけしぇない、うたって!」と、幼児の私は母にせがんだらしい

 

歌詞もメロディーもむちゃくちゃだが、今でも1番はフルに歌える

 

母はしばしばその頃の私の口真似で思い出話を語ったので、いまでも、そのように唄っていたのだと思いだす。

 

映画主題歌「あの波の果てまで」(歌:藤本二三代)だ。YouTubeでお聴きください

 

  1. あの波の果てまで

     

    いい子が育つはずもない

     

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18.アウトドアブームの魁~ハイキングの唄、キャンプ小唄

3月28日(月)

 

「アウトドア」という言葉は、おそらく、その筋の人によって1960年代後半か1970年代の初めごろからぼちぼち言われるようになり、1970年代後半にはちょくちょく話題になり始め、1980年代にワーッとブームになったと考えられる。

 

このあたりのことをじっくり調べたいと思っているのですが、暇さえあれば山に酒を飲みに出かけ、時間が空けば「プシュッ」と発泡性リキュールを開ける怠惰な生活をおくるヤギ爺には、時間がない(「時間がない、時間がない」という輩は、畢竟、こんなもんです)

 

その点、『明治・大正・昭和の讀賣新聞』というデータベースは、机上でちゃちゃちゃと調べられるゆえ、無精ヤギには最好適、明治から昭和のいわゆる「戦前」あたりまでを、ちょぼちょぼとつまみ食いしているところです

 

「アウトドア」っていう言葉の「ゆる~い」定義を試みれば、「都会生活に飽きた人たちが、とにかく「遊び」を目的として戸外にでかけ、野山海川で遊ぶ」ってことで、社会にはそんな人たちを目当てに金儲けする仕組みが生まれる。また、「家庭」ってのもキーワードで、女性や子供たちがある種の主役となる。

 

そして、昭和のはじめごろにはそんなアウトドアブームがあったのです

 

「ハイキングブーム」と「キャンプブーム」

 

昭和4年(1929)6月18日の讀賣新聞朝刊6面には「都人士に適しいハイキング 家庭的にやれて大流行」という記事があって、ハイキングについて「ピクニックと登山との中間で米国では軽い意味の登山」ですよと説明しています。それで、

 

「現在の日本ではもう少し「強い」意味になってハイキングが登山の領分まで食い入って可也な強行なハイキングがアルコー会なぞの人々によって行われている、然し忙しい都人士に取っては日帰りのハイキング位好適なスポーツはなく、家庭的にもやれるというので、今やハイキング熱は非常な「勢い」で勃興してきて各運動具店に用具品の注文が殺到して居る」

 

ほら、「都会人」「手軽な遊び」「家庭」「商売」ってキーワードが当てはまるでしょ、それに、ヨーロッパ志向じゃなくてアメリカ型ってところも気になる。

 

前年(昭和3年)のことだけど、7月16日の夕刊3面には「都塵をはなれて原始の自由に キャンプ生活の面白みと好適地」という記事があります。

 

「騒音とコンクリートの休養のない都会からのがれて原始的自由漂泊の旅にあこがれて―そこから出発したキャンプ生活が近頃非常な勢いで増加し本年は上高地に入る人数だけでも昨年の二万五千人に対して五万人と称されています」と書いていて、ブームを裏付ける具体的数字が報告されています。さらに、

 

「同時に婦人のこの方面に於ける進出も著しいもので麹町高女生、府立第三高女生、キリスト教女子青年会などの団体を始めとして一家をあげて出かけるものも多数あります」といって「御家族づれのキャンプ地としては、箱根や多摩川の上流、秩父など」があると、東京近郊の手ごろなキャンプ場を紹介しています。

 

「アウトドアブーム」だけじゃなく、「ファミリーキャンプ」が盛んになって、なーんと、「山ガール」までが登場していたのです!

 

ということで、芸能界もこのブームに目をつけた!

 

コロムビアレコードは、昭和6年、島田芳文作詞古賀政男作曲で、「キャンプ小唄」なる楽曲を発表します。唄うは当代の名歌手、藤山一郎

 

YouTubeでお聴きください!

 

  1. キャンプ小唄

     

    歌詞の中には、「ロッククライミング」なんて言葉も、入っていますよ

     

    さらに、昭和10年には、2つのハイキングソングが発売されています。同じくコロムビアレコードの「ハイキングの歌」は残念ながら探せませんでしたが、ライバル社テイチクレコードがこちらも名作曲家古賀政男を擁して発表した「ハイキングの唄」(歌:楠木繁夫)は、ありましたありました!

     

  2. ハイキングの唄

     

    ブームは歌を生み歌はブームを煽るのです

     

    ま、こんな状況をこんなふうに説明すれば、他の時代にもまだまだ同じような情勢が見つかることと思います、「奈良時代のアウトドアブーム」なんて、バカな本が出るかもしれません…

     

    ほんとうは、それぞれのブームのちがい、時代のちがいを見極めるのが、大切なんですよね

     

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17.浅酌ハイキング

3月27日(日)

 

独り言のバックナンバー2009、「62.昭和16年4月21日 読売新聞朝刊 4面」でちょっとふれたが、この日付の讀賣新聞に

 

物見遊山的な酒を飲むハイキングが影をひそめて、民族的な強歩ハイキングが増えてきたことは、最近の憂うべき一つの特徴です…

 

という一節がある。昭和16年、この年の12月に、日本は英米に宣戦を布告する。太平洋戦争の始まりだ。「民族的な強歩ハイキング」はありありと想像できるが、「物見遊山的な酒を飲むハイキング」って?と思っていたら、

 

そのちょうど5年前、昭和11年の4月11日の夕刊5面に、ありました!

 

山に渓流の音をきゝ、林に鶯の囀りを聴きながら、芳醇な美酒をかたむける楽しみ、これは地下室に女給さんの田舎訛りをきき、ジャズの騒音にいかがわしい洋酒をあおるのとくらべたら、清濁の差雲壌といわねばならぬ。閑寂な自然に会心の友と浅酌をかわし、低誦微吟、山をくだる枯淡な登山趣味はむしろ悟入の心にちかい、題して「浅酌ハイキング」という、以下浅酌道場を二三

 

ということで、石老山や扇山などの東京近郊の山歩きのスポットをを紹介する文章です。題して、「林間に酒を暖めて 浅酌ハイキング」

 

「浅酌」(せんしゃく)かぁ…酒は程よくしずかに飲みましょう…いい言葉だ

 

「女給さんの田舎訛り」「いかがわしい洋酒」とは、風情はだいぶんちがうけれど、平成の酒場を放浪する吾身としては首肯である

 

ただし、わたしゃ、山でも「深酌」「高誦顕吟」、くだるときには千鳥足だから、この文章の醸す風流には、到底かなわない

 

ただしただし、新聞記事などというものは人生裏なら表の顔、昭和11年にも、我が類友(るいとも)は、いたにちがいない

 

ちなみに、この年の2月には、二・二六事件が起きました

 
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16.性(さが)

3月22日(火)

 

帰宅どき、いつものごとく混みあった電車に乗っていた。

 

駅に着き、ドアが開いた。

 

わたしは、降りる人の流れのままに、とぼとぼと、ドアの方に向かい歩いていた。

 

目の前には、170センチ弱のわたしが見下ろすほどの、おそらくは身長150センチほどにちぢんだ、老人がいた。

 

たぶん年は70代後半、おそらくは80歳を越えているだろう。

 

ふらふらと体が右、左に揺れ、彼は、帰宅を急ぐ人たちから、だんだんと遅れていった。

 

その駅はたくさんの人が乗り降りする駅である。停車時間は長い。

 

おそらくは間に合うだろうと思い、横をすり抜けるスペースもないまま、わたしは、ドアに向かう人の群れの中、しかたなく、その老人のあとについていた。

 

 

気ばかりが焦った

すると、そのとき、突然、その老人は、弱々しいがはっきりとしたしわがれ声で、ひとこと呟いたのである。

 

「え~え、おっぱい、しとる、なぁ~」

 

かすかな声ではあったが、すぐうしろを歩くわたしには、たしかに聞こえたのだ。

 

わたしは、首の角度から察する彼の視線の先に目をやった。

 

その座席には、たしかに、そのような女性が、座っていた

 

老人は何事もなかったかのように出口に向かった

 

・・・・

 

リアルに人の性(さが)を感じた瞬間だった

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15.告げないこと

3月22日(火)

 

わたしの母は、内職の洋裁の服地や小物などを仕入れるのに、名古屋の長者町という問屋街にでかけることがおおかった。帰りが遅くなり、小学生のわたしが帰宅するころに留守をすることもしばしばだった。

 

夕方6時ごろ公衆電話から電話をかけてきて、

 

「もしもし、ゆうじ、きょうは帰るの遅くなるから、ご飯ちょっとまっとりなさい。おとーさんも遅くなるで、7時過ぎになるでねぇ」

 

と用件を告げたあと、

 

「あんたねぇ、帰ったら、怒ることあるで、覚えときなさい」

 

と言って電話を切った

 

母が帰るまでの時間は、まさに、地獄だった

 

こちらには思いあたることがある。悪かったテストを、2階の階段の突きあたりにある押入れの奥に隠していたり、友だちと喧嘩して泣かせてしまったりと、いくつも思いあたることがあったのだ。

 

どの道、担任からの電話か、友だちの母親からの電話があったのだろう

 

帰ってきた母は、当然だが、夕飯の準備の前に、しこたまわたしを叱った。

 

しかしながら、コミュニケーションにおいては、「告げないこと」の威力を考えないわけにはいかない

 
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14.胸の痛み

3月19日(土)

 

「胸が痛む」と人は言う

 

わたしは、テレビなんぞを見ていても、みえみえの作りごとの朝の連ドラなどを見ていても、じんわりと目頭を熱くしたり、ときには、ポロポロ涙を流したり、一人のときなどは「わーっ」と大泣きをしたりする

 

しかし、ドラマで胸が痛んだことはない

 

ビール片手にテレビを見るのみだが

 

ニュースを見ていると、心臓が、生身の心臓が、きゅーと、痛む

 

「胸の痛み」という比喩が、本当に心臓が痛むことだというあたりまえのことを

 

愚かにも実感した

 

しかし、知るべきは、胸を痛めるのはしょせん他人、被災した人たちの心も体も、共感するのみで、けっして共有することはできない

 
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13.春

3月16日(水)

 

まだへたくそな鶯の声

 

いずれ、かならず、春はくる


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12.中途半端

3月7日(月)

 

ひかり源氏(大塚ひかり全訳『源氏物語』)は、第2巻の「関屋」手前でとまっている。通勤中、電子辞書に内蔵されているTOEICやTOEFL対策ソフトや語彙練習ソフトにはまってしまい、イヤホンを耳に、ぶつぶつ英語をつぶやいているのだ。

 

昨年5月に、「とうとう,髪も自分で切れることがわかった」と言って、ハサミ片手に風呂場でチョキチョキ!は、年末まで続いた。とくに後頭部はやはりうまく切れなく、だんだんいびつな格好になっていたことは自覚していたが、年の瀬、カバ婆が、

 

「え!そのままで年越すん?え!やめてーや、たのむわ、え!わたしいややわ、た・の・むわ!えー!」と、懇願され、

 

やむなく床屋へ行った。やはり、少なくとも盆暮れぐらいは散髪に行こう。

 

煙管はいまでも鞄に携帯しているが、つかわない。

 

万事が万事これである

 

いったん始めてたえることなくいまでもつづいているのは、

 

酒と煙草くらいか

(-。-)y-゜゜゜

 
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11.脳炎上

2月27日(日)

 

カバ婆が数独にはまっている。毎週土曜の新聞に載っているパズルだ。

 

「やったー!よっしゃ!はじめてひとりでできた!これまでクマ太郎に手伝ってもらってもできたことなかったが」

 

と喜んだ。と同時に、

 

「あー、頭の芯がカーッと熱いぜ」

 

と、頭を抱えた

 

やはり、脳トレになっているのだろう。

 

「なんか、いま、そんなのまとめて本になっとるのがはやっとるだろ、あれ買ってきたろか?」と申し出ると、

 

「やめてや、のーみそ燃える」

 
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10.印象

2月26日(土)

 

この「独り言」を読んでくれている友人がメールの中で、

 

「そもそもブログ内の描写から、ものすごい”巨人”のようなイメージしか浮かばないのですが」と、

 

カバ婆の印象を語った。まだ会ったことがないのだ。

 

「カバ婆は、ふつーの、笑顔が素敵な(個人的感想です)、バイク(or ママチャリ)に乗る後ろ姿が、一見小柄なおっさん風の、50代おばはんです」

 

と返事しておいた

 
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9.つれマック

2月24日(木)

 

今朝阪急石橋駅前マクドナルドにて、

 

「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか」

「いえ、フィレオフィッシュ2個、持ち帰りで」

「ありがとうございます、200円です」

 

レジの一歩横で出来を待っていると、中年のおっさんが入ってきた

 

「いらっしゃいませ…」

「フィレオフィッシュ2つ、テイクアウト」

「ありがとうございます…」

 

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8.不況とアウトドア

2月20日(日)

 

バックナンバーにある「ヤギ爺の独り言2009」の「52.リサーチ」(7月22日付)でした調査の改定版を載せます。(「2009年と2010年を「追加」、および、2008年以前の「修正」は前回のヤギ調査以降の寄贈で増えたもの、または、前回の数え間違いか図書館側のキーワードの変更)

 

「国会図書館蔵書検索システムNDL-OPAC」で「アウトドア」をタイトルに持つ(副題、シリーズ名に含むものも含む)書籍数を年別に調べただけ、内容も吟味することなく数だけに頼る「客観的」調査です。

 

あいかわらずのヤギ頭流軽薄リサーチ

 

 

冊数

 

1973

1冊

 

1976

2冊

 

1977

2冊

 

1978

1冊

 

1979

4冊 修正

 

1980

1冊

 

1981

3冊

 

1982

11冊

1983

7冊

 

1984

6冊

 

1985

23冊

 

1986

13冊

 

1987

15冊

 

1988

11冊

 

1989

15冊

 

1990

15冊

 

1991

17冊

 

1992

22冊

 

1993

27冊

 

1994

43冊 修正

1995

33冊

 

1996

54冊

 

1997

36冊

 

1998

40冊

 

1999

40冊

 

2000

48冊 修正

 

2001

31冊

 

2002

14冊

2003

13冊

 

2004

25冊

 

2005

14冊

 

2006

13冊

 

2007

12冊

 

2008

15冊 修正

 

2009

29冊 追加

2010

31冊 追加

 

 

 

「有意な差」と思われる年に※を付けていますが、「ところで、小泉政権は2001年から2006年。また、ちなみに、実感を伴わない「いざなみ景気」と呼ばれたうかれ時代は、2002年後らから去年(2008年)まで…。 [行変え] 今年からまた、「アウトドア」は増えるのかな…」と2009年バックナンバー「52.リサーチ」で予想した通り、2009年で大きな変化が表れています、予想的中!(ウォッフォン!)

 

いえいえ、ウソ…

 

そのころわたしはまだ「山ガール」という言葉を知らなかったですが、実は、山に行っていての実感として「若いもんが増えた…」という感覚があり、きっと増えてる!と思ってました。

 

さて、2001,2年ごろから2006,8年ごろまでの「好景気」の時代にはアウトドア関係の出版物が少なく、不況が訪れるとアウトドアブームが訪れる、という相関関係は、はたしてあるのか…

 

また、だーいたい1980年代初頭からブレイクした「アウトドアブーム」が、だーいたい1990年代初頭ごろに次の段階にステップアップし、だーいたい2000年代初頭から沈下し始めたうえ、だーいたい2010年代初頭から際ブレイクの兆し…と読める、つまり、だーいたい10年ごとに変化が表れると読める、上記のデータの意味は、何なのだろう…

 

アウトドアへの志向は、やはり、自然なる人間の衝動なのではなく、社会・経済という人間の人為的なる営為に関わっているのであーる、などと、あたりまえのことを思うにつけ、

 

社会・経済に疎いヤギ頭、ますます「考察」がストップモーションなのである

 

とほほ

 
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7.街オヤジ

2月19日(土)

 

今日午後、押切もえさんが「山ガール」に挑戦しあちこちの山を歩くテレビ番組を見た。「山ガール」の流行は、ファッションと料理がクローズアップされているが、ごれらは、じつは「アウトドア研究」の重要なカギなのである。

 

番組を見終わって、カバ婆と散歩がてら、晩飯の買い物に出かけた。いつものリュックにいつもの運動靴姿だ。

 

婆がついでに髪をカットするというので、待つ間、いつものようにひとりスーパーの周りや中をうろついた。

 

ふと気がついた

 

マウンテンパーカーかウインドブレーカーのようなものを羽織り、背にリュックを背負い、運動靴かトレッキングシューズのようなものを履いて、ひとりスーパーをうろつくオヤジが、休日、目立つ。

 

ヤギ爺の同類

 

女たちがこぞって山に向かうころ、オヤジたちは街にたむろする

 

「街オヤジ」の誕生である

 

・・・・

 

追記

 

自転車、もちろん流行りのクロスバイクのようなもの、に乗って街路を走り回る「チャリオヤジ」が急増しているのはもちろんである

 
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6.無為

2月14日(月)早朝

 

三連休、無為に過ごした

 

ぼーっとテレビをつけ、ぼーっとした

 

カバ婆とぶらぶら散歩し、無駄に買い物をした

 

幸せを感じた

 
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5.日曜サスペンス

2月6日(日)

 

だだだーーーん、だだ、だーーーーーーーーーん!

 

庭の白梅が満開だ。「みちこちゃんの梅」と呼んでいる。

 

わたしの母が飼っていた犬が「ミッチー」という名前で、母はいつも「みちこちゃ~ん」と猫なで声で呼んでいた。2001年母が急死して、奈良の家に引き取り、2006年の秋に死んだ。ヨークシャテリアで17歳だった。カバ婆は庭に埋葬し、そこに白梅を植えたのだ。まだまだ若木だが、だいぶ大きくなった。

 

「カバ婆、みちこちゃんの梅、もう満開だな」

「ああ、大きくなってきたね」

「ゴンやマメのためにも、また、梅、植えよかねぇ」

 

うちの猫たち2匹はわたしのそばにあるストーブの前でだらり寝そべっていた。話題を察するわけもないが、2匹ともそろって顔をあげ、カバ婆を見た。

 

「そうだな、白だけじゃさみしいから紅梅も植えよかねぇ」

「そうね、それもいいかもね、まだまだの話だけど、場所きめて先に植えとこうかなぁ、庭がにぎやかになるし、なーぁ、きみたちぃ!」と、

 

カバ婆は言い、涼やかな目で猫たちをながめた。猫たちはあいかわらずわたしの横でとぐろを巻いている。

 

近いうちに、あと2本、わが家の庭には梅の木が植わることだろう…

 

待てよ…

 

もし…あと3本植わったら…最後の1本はだれの…と思った瞬間、カバ婆は朗らに言った。

 

「いっそのこと、2,3本、まとめて植えとこかねぇ、がははは」

 

じゃじゃじゃーーーーん、じゃじゃじゃあーーーーーーーーーーん!

 
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4.トンネル

2月5日(土)

 

そういえば、子供のころ車に乗っていてトンネルに入ると

 

「息とめよ!」と、

 

にいちゃんといっしょに口と鼻をふさいだものだ。

 

そういえば、うちのブタ子とクマ太郎には、この遊びを伝えていないなぁ

 
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3.子供の喧嘩

2月3日(木)

 

「おまえ、きのう、言ったやん、おれのこと嫌いだ、もー遊びたない、って」

 

「そんなこと言っとらん!」

 

「言った言った、おれ、聞いたもん」

 

「言っとらん!」

 

「ぜーったい言った、な、お前も聞いたろ!?」

 

(横の子)「言った、言った」

 

「言ってない!」

 

「ウソつきや、嘘つき、言ったこと言わんて、大ウソや!」

 

「言ってない…」

 

この子は、そんなこと、ちっとも思っていなかったのだろう

 
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2.受験生ブルース

1月28日(金)

 

ラジオからなつかしい「受験生ブルース」が流れてきた

 

おーいでみなさんきいとくれー

ぼーくーはかなしいじゅけんせえー

 

にたにた笑いながら聞いた

 

聞き終わって口ずさんでいたら、

涙が滲んできた

 
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1.英断

1月27日(木)

 

わたしの父は胃がん再発の肝臓転移で死んだが、

母親は、お医者さんに、本人への告知をやめにしてもらいたいと言った。

そして、父には、最後まで、

 

「おかしいねぇ、とーにょーで、体弱っとるでねぇ」と

 

しらをきりぬいた

 

糖尿病やらなんやらで肝臓も駄目で、みるみる衰えていった父は、

うすうすは悟っていたかもしれないが、

 

「なんかおかしい。どこかおかしい」と苛立ちつつ、

「大丈夫だ。もう元気になる!」と奮い立ちながら、

 

意識朦朧のまま、なんの医学的治療もせぬまま、母と私に宣告された余命を3カ月延ばし、死んだ

 

本人に知らせるのが当たり前になりつつある20世紀も末、

短絡だが本人に知らせなかった母と了承した医師の判断は正しかったと思う

 

一方、ビビり臆病ノミの心臓のヤギ爺なぞは

死との直面を極度に恐れ慄くのである

 

できるなら、わけもわからず死んでいきたいのう

 

日本小児科学会が、大人と同様、子供にも自分の死を見つめ、自分の意思で自分の生き方死に方を決めさせようということで、年齢にかかわらず、本人の気持ちや意見を最大限尊重することを原則とする、という指針案を発表したらしい。終末期医療の話だ

 

自己責任かぁ

 












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