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ヤギ爺の独り言2012 |
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54.感心、感心
12月15日(土)
クマ太郎が、明日の選挙にいっしょに行こうと、家に帰ってきた
感心、感心
「後で、昼、寿司でも喰いに行こう」に釣られたのかも知れん
が、まあ、いいか
帰るなり、「とうさん、血圧、大丈夫か」と訊いた
感心、感心
「あのさぁ、昨日、図書館で、後輩が「先輩、おとうさん大丈夫ですか?」ときいてきてさ、ブログ見たんだって」
自分で見たのではないらしい、が、まあ、いいか
「とうさん、きーつけてな、今死なれたら、困る」
感心、感心
「今死なれたら、ほんと、涙でぇへん。自業自得だって、阿保らしくてさぁ。もう、いいかげん、酒と煙草、止めや」
…
「ほんまや」と、カバが笑った
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53.治った!
12月14日(金)
このところ、お土産にえびせんべいをもらったり、
(あ、いまだ蟹のお届け物はありません、はい(^。^)y-.。o○)
廊下ですれちがいざまに、「あ、わたしも『清盛』、楽しみに見てますよ」と同僚の先生に言われたり、
この『独り言』が近況報告のようになっているので、わたしに近しい方々、以下の報告は、読まないでください。
・・・・
9月の健康診断で、血圧が上160ぐらいと、ちょいと高めだということが分かった。いつもは、器械計測の後、問診の際に手動で二回ほど測ると140とか135とかになったりするので、「ま、注意して、生活習慣、律してくださいな」程度で終わるのだが、今回は、下がらない。
ということで、「まあ、ちょいと医者と相談して、そろそろ、薬での治療も視野に入れて…」ということになった。
しかし、その後、家でしばらく血圧を測り続けたが、やはり、あるときは170、またあるときは130と、いつものように変動するので、
まあ、そのままにしていたのだ
ちょいと仕事が佳境やし、ちょいと運動してへんな、ということで、お澄まししていた。
・・・・
先週の火曜日、朝、ふと久しぶりに血圧でも測ってみようかと、測ってみたら、上が190、下が100を上回っていた
え?
と思った
で、もう一度測ってみたら、200を超えた。
たぶん、ここで始まったのだと思う。バックナンバー2009の「1.抱きしめる」(1月7日(水))で書いたように、私は蚤の心臓である。ただ、今回は、平静を装い、カバ婆に、
「あーー、そろそろ、いっぺん、血圧見てもらいに医者にでも、いこかなぁ」
と言った。
「そうしたら」とカバは答えた。
・・・・
その日は、授業があり、大学院の授業もあり、ドキドキの心臓に平静を装いながら、夕方早めに滑るように家に帰った。家で測った血圧は198だった。
医者に行った。
事情を説明して、心電図を測り、レントゲンを撮って、医者は無言でカルテに何やら書いていた。
「入院」が頭をよぎった。
医師は、おもむろに、
「心電図を測ったのは突然の血圧上昇に不整脈が関係する場合があるからです。あなたの心臓は規則正しくリズムを刻んでいます」
「レントゲンを撮ったのは高血圧症が進むと心臓が肥大するからです。一般に胸の幅に対し50パーセント以上を心臓が占める場合、問題となります。あなたの心臓は46パーセントぐらい、むしろ小さいほうです」
と説明した。
「心臓が原因でのことでは、今のところですが、ないようです」
「ではどうして血圧が下がらないのでしょう」
「わかりません」
・・・・
とりあえず朝1回の薬を3週間分出すから毎日血圧を測って三週間後にまた来るように、ということになった。
・・・・
先週水曜日からの血圧は、朝、薬が切れた状態で、
197、187、175
と推移した。
この間、わたしは、突然の耳鳴りに気がついた。左耳の奥で、絶えず、「ちーーーー」あるいは「じーーーー」という音が聞こえるのだ。わたしは、ふと、思い出した。この秋、いつごろだったか、夜中床につくと右耳の奥の方で「ドク、ドク、ドクッ」と心音が聞こえるのである。ネットを調べ回り、わたしは眠れない夜を過ごした。
しかしそれはいつの間にかなくなっていた
が、今度は耳鳴りである。わたしは、ネット情報の「薬の副作用」を信じるよう、懸命に思い込んだ。
・・・・
わたしは、カバ婆以外には、特にこのことを言わなかった
しかし、先週の金曜日、いつもの大学院講座の面々と酒を飲み管を巻いた。共通教育についての持論を大声でまくしたてる聞く耳持たずのヤギ話を皆はいつものように反論したり「言いたいことはわかるような部分もあるような気がしないわけでもない」と聞いてくれた。わたしは皆に血圧のことを話した。皆は養生せねば駄目だと叱咤した。
翌日朝の血圧は157だった
今週、私の耳鳴りは、時に、とてもひどくなった。ほとんど相手の言葉が聞き取れないようなときもあった。
わたしは、大学院授業の連絡のため受講生にメールを出した。そこで耳鳴りのこと血圧のことを、いい加減な授業の言い訳にした。
返事をくれた院生があった。「酒と煙草はやめたほうがいい」と強く言ってくれた。
午後には耳鳴りが止んでいた。
昨夜、修了生や院生と楽しく飲んだ。ちょいとくどくどと同じギャグ(と思っているのはヤギ爺のみ)を繰り返す酔いどれおやじになった。気分よく帰宅し、風呂上りに発砲性リキュールで締め、ぐっすり寝た。
今朝の血圧は144だった
薬が効いてきたのだと思う。経緯を見なければ駄目なことぐらいビビりヤギ頭には重々わかっている。
だが、わたしは、今回は、
仲間とのコミュニケーションのおかげで治った、と
思おうとしている
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52.清盛
11月25日(日)
難しいことはわかりませんが、NHKの大河ドラマ『清盛』は、台詞回し、場面の展開、役者のキャラクター、そして音響効果など、とても楽しいのである。平安末期の匂いがする、ような気が、するのである。
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51.バーボン
11月4日(日)
久々にバーボンを買ってきて、バーボンを飲んだ
藤内小屋の味なのだ
若いころ、わたしはバーボンが好きで
藤内小屋で、いつもバーボンを飲んでいたのだ
藤内小屋へ、また、しばらく、いけないでいる
わたしは、藤内小屋が好きなのだ
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50.セイタカアワダチソウ
10月27日(土)
庭にセイタカアワダチソウが来た

左下はナガコガネグモか
秋と言えば、あとは曼珠沙華(ヒガンバナ)の到来を待つか
あ、それから、うすべにのコスモス…
庭の野っぱら化計画は、着々と進行中である
・・・・
たーけぇ、手入れしてないこと世間に知らせて何になる!(カバ)
・・・・
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49.ワタリガニ
10月21日(日)夜
ここには書かないつもりでいたが、ワタリガニで思い出してしまった
先週末、都合で名古屋に出張で行った
地下鉄のある駅の近くのあるホテルに泊まったのであるが、そのある駅の近くに(詳しくは言いません)、名大の学生時代「えい、やあ!」っと、ちょいと奮発して、あまり頻繁ではないがときどきみんなで飲みに行った居酒屋があった。とてもお魚のおいしい店だったので、まだあるかなと思い、夜ひとりで出かけて行ったのだ。
もちろん、見つかるはずもない。30年前の話で、街並みが、本当に、すっかり変わってしまっていた。
その店は駅からすぐにあったのだが、なぜか辺鄙な通りにぽつりと建った店で、しかし今では、そのあたりはもうすっかり商店街と飲み屋街になってしまっていた。
あきらめて、とにかく、ビールに飢えていたので、どこでもいいやと、きょろきょろしていたら、「海」「魚」という字がなぜかうまそうな看板が目を引いたのである。(詳しくは言いません)
その店に入った
とりあえず生大を注文。おすすめメニューを見ていたら、「お一人様限定」の刺身の盛り合わせは690円。お、安い!と、ま、あまり期待せず、注文した。
出てきた刺身はびっくりだった
7種盛で(詳しくは言いません)見せかけだけの大皿や氷で飾っただけの舟盛りとはちがい、直径20センチほどの普通のさらに、厚切りてんこ盛りで、ずしんと、実に、実に、おいしかった。
生大をもう一杯
それから、白子のポン酢和えを食べた。一人前は私には十分、ただし、ふつうは2,3人で分けて食べる量だった。美味。
ちょいと口直しにたのんだ小エビの唐揚げは、サクサクと、じつに、あっさりと口に心地よい。
そして、何と言っても渡り蟹
一杯980円
どんなんが出てくるかと思ったら、身をぜーんぶほぐして、中にはカニみそ、それから大好きな甲羅の縁のぶにょぶにょした皮のような部分までしっかりと、まるごとしっかり肥えた一匹分が、甲羅に盛られて、
ぜーーーんぶ、ぜーーーーんぶ、出てきたのだ
もちろんハサミ2本も添えてある
じつをいえば、わたしは、ワタリガニは茹でたままのそのままをガシガシっと甲羅を剥いて、身にしゃぶりつきながら、殻も筋もシガシガと噛みしだきながら、蟹の汁や、カニみそを、チュウチュウとすすりながら、ホハホハと言いながら、食べるのが好きなのであるが、
まあいいでしょう
なんせ、まるごと、びっしり肥えたワタリガニの身が、ぜーんぶ詰まって出てきたのである
甲羅の隅々まで箸でせせり、そして、もちろん、ハサミも歯で食いちぎり、中のおいしい身までいただきました
満腹満足
・・・・
生大2杯、生中1杯
全部合わせて、5,080円
快感の飲み屋であった
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48.漫才ネタ
10月21日(日)
同僚が、えびせんをお裾分けでくださった
むちゃくちゃうまいえびせんだった
「森先生、先生の『独り言』を辿って行ったら、先生がえびせんが好きなくだりに、辿り着きまして…」
東京に行ったとき、行列ができていて、前のおじいさんがしこたま買い込んでいたので、つい衝動買いで、たくさん買ってきたという。それを分けてくださったのだ。
この『独り言』を読んでくれて、「42.えびせん 9月13日(木)」を見てくれたのだ、ありがたいありがたい
・・・・
あ、
わたしの母は、三河の碧海郡大浜町(今は碧南市の中)出身である
なんといっても、大浜は、魚や海老や蟹の宝庫だったのである、だから、
わたしは、蟹が、だいすきなのである
で、
この季節、タラバ、ズワイも待ち遠しいが、大浜は何と言ってもワタリガニがいっぱいとれたのである
わたしは、ワタリガニが、とても好きなのである
・・・・
だーれか、この記事にも、辿り着けぇ
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47.飽食ジャパン
10月17日(水)
テレビの情報系番組で食材等に関するQ&Aのようなコーナーを見ていた
「いただきもので、しばしばビールをもらうのですが、うちはお酒は飲まないので、始末に困ってしまいます。何か上手な料理での使い方はないでしょうか」
当然のようにありきたりな料理法「お肉料理の煮込みの際、おビールを入れてあげると、お肉が柔らかくなります…」とやっていた。
「お」を多用するな!
ビールに「入れてあげる」なんて言うな!
という怒りの前に、
ううぅ、新鮮な生のビール、「プシュ」と開けたばかりのビールを、料理に使うとは…
なにより、そのビールは、誰かご近所の飲む人に差し上げなさい
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46.短期キャンプ
10月9日(火)
7日、日曜日、午後4時過ぎ、笠置キャンプ場に到着
車を止めて、すぐに近くの公共温泉へ
午後4時半、「じゃ、5時半、ここでね」と、隣のレストランでの待ち合わせを約し、男湯へと向かう。
ちょいと狭い、ちょいと混んでる、が、ヌルヌルとした温泉の肌触りと、秋の夕方の心地よい風の吹く露天風呂にとりあえず満足し、5時半ちょっと前に出る。
レストランのカウンターに座り、とりあえず生ビールを注文
お、灰皿が置いてある、と一服し、来たビールをぐびぐび飲み干したところに、
カバが出た
カバにも生中、わたしももう一杯飲んで、乾杯。ぐびぐびして、秋風涼しの道を、
よたよた歩いてキャンプ場へ戻る
・・・・
車から薪用に集めた廃材を降ろす
野生のカバは、まだ薄暗いうちに流木など、と言って、えっさえっさと集め回り始めた。
火がおきたので、缶ビールを開ける
カバは、流木集め、戻ったついでに缶ビールをゴクリ、流木集め、戻ってビール、また流木取りへと繰り返し、とうとう暗くなって、席に着いた。
夜の闇になった
飲み、焚き、飲み、煽りと、2人で騒いだ
空を見上げた
焚火が赤々と燃えた
・・・・
午後8時過ぎ、キャンプ用チェアでうとうとのカバが、「寝る」といって車に向かう。
車の後部を寝台にしているのだ
ヤギも火を始末して寝台車へ
寝た
・・・・
朝5時に起床
うっすらと夜が明ける空を眺めていた
カバも起き、片づけをして
出発
・・・・
帰り道、マクドナルドで朝マック
午前8時前に帰宅した
・・・・
8日、祝日、昼、キャンプで食べ残した鳥の手羽先を焼くため、庭で炭をおこした。
ビールで乾杯し、手羽先を食べた
それから夜まで、庭に出たり、昼寝をしたりと、
ゆったり、キャンプの余韻を楽しんだのであった
・・・・
土、日、月の三連休、土曜はちょいとやり残しの仕事などしたが、日曜夕方から月曜朝までの短期キャンプと、ぐだぐだ過ごした月曜日、
豊かで楽しい休日だった
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45.秋風
10月1日(月)
YouTubeだけでなく、テレビでも山旅をする
昨夜は、イモトとともに、マッターホルンに行った
今日は、「にっぽん百名山」で、まだ麓の温泉キャンプしかしたことのない白山を登った
しかし
夕方バスを降りて家に帰るまでに感じた秋風は、まこと、心地よいのだった
・・・・
しばらく出たり消えたりしていたGoogleマップの「ルート・乗換案内」の自転車アイコンがしばらく消えてしまっている。Googleマップでの自転車旅はまだ先のことになるようだ。
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44.タイムリー
9月19日(水)
お!タイムリーにも、Googleマップの「ルート・乗換案内」に
自転車のルート案内ができていた!
が、19日9時19分現在、まだ計算できないようだ
準備中かな
・・・・
9月20日(木)
今朝(5:34)見たら、自転車ルート案内のアイコン、なくなっていました。
どうなるんやろう…
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43.赤とんぼ
9月19日(水)
いまだ橙色のアキアカネが群舞する
こうべを垂れた稲穂の田んぼの畦道を
自転車でのっさのっさ
・・・・
この夏、ヤギ用ママチャリ(6段変速)を買った
夏はやっぱり風を切る自転車だ
・・・・
YouTubeであちこちの山を散策した
先日は、上高地から涸沢、そして奥穂へ登った
それから、いまだ登ったことのない戸隠山の「蟻の塔渡り」(蟻の門渡り?)を、びくびくと渡った
・・・・
あいかわらずこの時期、廊下や共同研究室で出くわす同僚から「お、真っ黒やな」「日焼けしましたね、どこ行ったんですか?」と言われるのである。
奈良で自転車なのである
庭に出てビールを飲んでいるだけで日焼けするのである
・・・・
秋茜
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42.えびせん
9月13日(木)
わたしの母は、三河の碧海郡大浜町(今は碧南市の中)出身である
なんといっても、大浜は、魚や海老や蟹の宝庫だったのである、だから、
わたしは、えびせんが、だいすきなのである
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41.さらさら
9月5日(水)
夜、ひんやり、さらさら雨が降ってきた
秋
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40.夢か現か
8月31日(金)
ひょんなことから宮沢賢治を立て続けに読んだ
銀河鉄道、又三郎、ゴーシュだが、
変な話だ
いまさらだが、いいのかわるいのか、わからない
夢か現かわからない
不思議だ
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39.蚊
8月25日(土)
うちでは「電殺ラケット」と呼んでいるが、ちょうどおもちゃのバトミントンのラケットのような形をした、柄がちょっと太めの、殺虫マシーンがある。いくつか種類があるようだ。ホームセンターで売っている。
・・・・
昨年の夏、近所のホームセンターで見つけ、ふだんは、こういったたぐいのまがい品には目もくれないカバ婆が「ちょっと買ってみる?」と言い出し、ふだんはこういうたぐいのがらくたが大好きなわたしは「おう、買ってみよ」ということになったのだった。
これがおもしろい
乾電池を入れ柄の上部にあるスイッチを入れそのすぐ下のボタンを親指で押すと、スイッチの上部にある小さい豆のまた豆電球が緑に点灯する
ラケットのネットにあたる部分に張り巡らされた電線に電流が流れた証拠である
蚊をみつけたらそのボタンを押しながら、そっとラケットを近づける
「バチッ」という大きな音とともに火花が散る
蚊の感電死
・・・・
カバ婆はこういうことになるとなかなか器用なのである。わたしの場合は、ラケットを近づける角度が悪いのか、スピードのせいか、当たり所が悪いのか、この「バチッ」の音が、なかなか出ないのだ。網に引っ掛かった蚊は静かに音もなく燃え光るのみ…
台所の方からニタニタ顔で居間にやってきたカバ婆が電殺ラケットを手に台所に戻る。テレビを見ているわたしの背後から、
「バチッ」「バチッ」「バチッ」の三連発
・・・・
そのカバ婆、この夏のはじめに、「あれ、もう売ってないかなぁ、ブタ子やクマ太郎にも、もたせてやるんだがなぁ」と言い出した。わたしは、「ああ、あれは、子供だましのおもちゃだからな、売れんと思うわ。もう、売ってへんかもしれんなぁ」と空返事をした。
カバ婆はホームセンターに電話した
係の人はしばらくお待ちくださいと言い、調べたうえ、戻ってきて、今年もある、値段は去年の半額だと告げたらしい。カバ婆は、いそいそと、私を連れてホームセンターへ行き、今年は4本買い足した。
「バチッ」「バチッ」「バチッ」は続く
・・・・
もちろんのことだが、カバもわたしも、飛んできた蚊をみつけたら手でその場で叩くのがはるかに効率がいいことも、十分に承知はしている
・・・・
「38.二月まで待てない」への付記:
この文章は、カバ婆の監修のもと、推敲を重ねて練り上げた。その際カバ婆は、わたしが付け加えた最後の部分(「芋虫だ」)を改めるよう、執拗に求めたのだ。
「虫は嫌いだトドにしろ」
ただし、これに関しては、わたしは譲らなかった。
婆はカバだが、いまだ、トドではない
このように、この話ももちろん実話だが、現場の臨場感、つまり、リアリティーを出すためには、表現の工夫がいる。「芋虫」はわたしの創作である。
現場のカバは、両手を上げた体をくねらせながら、ただ、
「ごーろ、ごーろ、ごーろ」と、
言ったのみである
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38.二月まで待てない
8月25日(土)
「6.高所恐怖症 2月15日(水)」で、55歳の誕生日、カバ婆が「ごっごーぅ!ご、ごーーーーぅ!」と歌いだし、先住民ダンスを踊ったのは、実話である。
先週、久々、日帰りだったが、藤内小屋に行けた際、例の猪飼さん(2008年「12月16日(火)返り咲き」参照)も来ており、「独り言」の話になり、「ごっごーぅ」の話になった。
その時カバ婆、突然両手を突き上げ、
「来年は、ごーーろ、ごーーろ、じゃあ」
と言って、くねりだした
芋虫だ
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37.お盆がわかるらしい
8月17日(金)
お盆が過ぎたら庭にバッタが増えた
虫はお盆がわかるらしい(はずはない)
季節の変化は虫にも学ばねばならない
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36.カナカナ
8月16日(木)
朝の空気がすがすがしくなった。日暮れの空の色がかわった。
一日中油ギッシュに騒ぎ続けたアブラゼミの鳴き声が疲れて響く中、
カナカナ、カナカナ
近所の林の中から、遠くひぐらしの声が聞こえた
夏も終わる
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35.節電
8月7日(火)
クーラーが苦手である
昨年、節電節電と世間が騒いだおかげで助かったことと言えば、乗り物や会議の際上着を着ることがなくなったことであった。
わたしは、冬と真夏には上着が欠かせない
ほかの乗客は暑そうに扇子など振り回すのであるが節電の車両は私にとっては快適な温度となる。節電効果は絶大であった。
しかし、残念、今年は、再び上着を着る機会が増えてしまった。関電さん、嘘でもいいから、「原発の威力はビミョーで、電力需要はちょいと危機的状況になるやもしれん」ぐらいのことは、毎日言ってほしいもんだ。
(嘘はいかんかね)
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34.畦道の庭
7月21日(土)

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33.梅雨明け
7月18日(水)
先週土曜日朝、庭に出て「梅雨が明けた」と思った
翌日日曜日朝、庭に出て「梅雨が明けた」と確信した
気象庁が何と言おうと、日差しと空気で感じる梅雨明けだ
と、月曜あたり、久々、梅雨休みだった「独り言」に書こうと思っていたのを、
すっかり忘れていた
きのう、気象庁が梅雨明けを宣言したという
なんか、宣言の後にこんなことを書くと、失敗をしでかしたあとになって「こうなると思ってたんだ、じつは…」などという負け惜しみと同じだな
ざんねん、ざんねん
・・・・
ワラビはあのあともう1本、つれてきたが、やはり枯れてしまった、
根はつかなかったかな…
シロツメグサもつれてきた。こちらは根がついたようだ。
夏だ!
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32.ワラビ
7月4日(水)
とうとう庭にワラビが来た
車で10分ほどの空き地にワラビが大量に自生しているので、そこからならもらってきてもいいだろと、変な遠慮をして、移植ごてを持って出かけたのだ。
単独行
とりあえず1本と、根元の土を多めに取り、ザクッとビニール袋に入れて持って帰った。
たった10分だったけど、庭を掘り返し移植するころにはすでに葉っぱに力がなくなっていた。水を多めにまいた。
「やっぱだめかなぁ…」とカバ婆に言った。「わからん」と冷たかった。
翌朝、見に行くと、やはり葉っぱはだらり、おまけに首もふにゃりと垂れて、もう駄目状態だ。
「やっぱ無理だな…」とカバ婆に言うと、「葉っぱを切って減らすといいかもよ」と言った。吸い上げた水の発散量を減らすのだ。
やってみた
翌朝見に行くと、やはりだらりふにゃり
だが、夕方帰宅して、あきらめ気分で見に行くと、なんと、ワラビは元気に頭をもたげ、息を吹き返していたのだ。
今朝も、元気だ
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31.富士山
6月10日(日)
「富嶽百景」の冒頭で、太宰治は富士山をのろくさで心細い山だと貶している
本当にそうなので、わたしのコンピューターのディスプレーの背景はその富士山なのであるが、まさに、のろくさしてたよりない
しかし、太宰は、十国峠から見た富士だけは、高かったと言っている。雲が切れて、突然現れる富士は、笑い出すほどすごいと言っている。太宰はあまりすきではないがこの感性はいただける。
金峰山山頂でカバ婆と雲の切れ目に見た富士は圧巻であった
ものは見方による
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30.人類は…
6月6日(水)
田んぼの畦道化しつつある我が家の庭だが、
なぜかどこにでもあるタンポポ系とシロツメクサが生えてこない。
どこかの畦道から盗んでこようと、移植計画を練っているカバとヤギであった。
あくまで自然を変革しようとする人類のエゴであることよ
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30.うぐいす
5月23日(水)
あさ、庭に出て煙草を吸っていると、
「けっちょ、けちょ、きちょ、きっちょ、けちょきちょけちょ、きっ」と
下手くそな鶯が啼いた、すると、
「かーっ、かーっ、きーっ、きーっ、かーっ、かーっ、かーっ、きーっ…」と
東の空遠くから、西の矢田の丘陵の方に向かって、
上空高く、白い鳥、羽先が黒い鳥が、一直線にぐんぐんと飛んでいく
思わず見上げて目で後を追う
家に入り「あのな、へったくそなウグイスが「けちょかちょ」と啼いておった」とカバ婆に言うと、「きっと、みんなが起きる前に、そっと、練習してるんだね」と答える。
「馬鹿でかい声で叫んどったわ。下手くそはもっと小さい声で練習しろっ!てか、ははは」
「そんなん言ったら、かわいそやわ」
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29.無駄
5月22日(火)
やるならば、無駄したくなるよな、教育が、成果求める、世にぞのぞまし
あ、字余りの、57577
・・・・
これもきれいごとだな
夢見つつ、わたしは、大学教育へのTOEFL導入を考えます
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28.チキンラーメンあります
5月20日(日)
阪急石橋駅あたりの飲み屋さんの店先にはときどき「チキンラーメンあります」という貼紙がある。「ヱビスビールあります」は全国どこにもあると思うが「チキンラーメン…」は、やはり地元活性化の一環なのだ
なんせ石橋は池田市で池田市はチキンラーメン発祥の地なのである
先日同僚の岩根さん(久々登場、このHPの生みの親兼飲み友達兼数少ない実名登場者)と久々に石橋で飲んだとき連れて行ってくれた店にもこの貼紙があった。
お店は、どちらかといえば洋風の、バーを中心とした、雰囲気のある、ウィスキーをロックで!という感じだが実は日本酒が各種置いてある、肴もちょっとしゃれている店で、日本酒好きの岩根さんにはたまらない店である。岩根さんは、
「もりさん、日本酒がおいしくて、どちらかと言えば喰って騒ぐというより、ちびちび飲んでサッと帰る、風の、ちょこちょこっといいつまみはあるんだけど、あとは、奇妙に、焼きそばとかお茶漬けとか、チキンラーメンなんかがある店、行く?」
と誘ったのだ。
岩根さんは相変わらず背筋伸ばし姿勢正してにんまり目を細め日本酒をちびりちびりとずんずん楽しむのだが(「独り言2008」2月25日(月)風の森 参照)わたしは、この人の日本酒に付き合えば必ずや終電間近、かつ、ほぼ確実に学園前を乗り過ごし、終点近鉄奈良駅で目が覚める…という顛末が待っているので、とりあえず「箕面ビール」を各種いただいた。
店先には「箕面ビールあります」の貼紙もある
ピルスナー、ペールエールと、「樽生」(どれが樽生だったか忘れてしまった…カベルネだったかな)を楽しみながら、
「おおおお!ふだん発泡性リキュールを飲み慣れた喉には、これ、きくぜぃ!」
などと、だみ声をあげ、絹の厚揚げ焼きやら宮崎地鶏のタタキやらをつまんでいると、ふと思った。
おいしいお酒とうまいつまみでは腹はふくらまない
腹はふくらまないが、酒はすすむのである。気分がよくなる。岩根さんは日本酒を選び注文しながらおいしくうまい世界に入っていく。わたしも箕面ビールをがぶがぶ飲みながらうまくてたのしい世界に入っていく。
濃厚でガツンとくる「箕面ビールW-IPA」(ストロングエール)を飲み舞い上がったとき、わたしは、叫んだ。
「わかった!「チキンラーメンあります」の意味がわかったぜぃ!」
チキンラーメンは、きっと、うまく楽しい酒の世界に舞い上がり、酒毒に浸った酔狂が、「おっと、いかん、もうこんな時間じゃ、帰らねば」のとき「さて、そろそろ下界に戻らねば」と食する、いわば、解毒剤のようなものなのだ。
ただし、わたしは、この日はチキンラーメンを注文しなかった
そのかわり、店では「〆は飲み慣れたビールで!」ということでキリンラガーを注文し、帰りの近鉄特急では発泡酒淡麗〈生〉、徐々に徐々にと、家に帰るころには、
いつもの発泡性リキュール麦選りが、まっこと、うまくなるのである
毒をもって毒を制した
愉快な夜であった
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27.畦道
5月16日(水)
我が家の庭は、昨年より、少しばかり田んぼのあぜ道に近づいたようだ
ムクドリや蝶たちが舞い降りる姿を目撃する機会が、増えたような気がするのだ
よしよし
(「独り言2011」28.緑の庭 4月9日(土)参照)
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26.だらだら
5月10日(木)
「森さんのメールは、だらだらとわかりやすね」
と言われることがある。うれしいかぎりだが、
いえ、わたしのメールは、だらだらだけです
この「独り言」然り、
本人が何を言っているのかわからないのだから、
ひとがわかるはずもない
のです
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25.ゴールデンウィークの夜
5月4日(金)
それは小林幸子で始まった
BSで武田鉄矢さんが歌手と対談しながら歌手を紹介し歌手が歌を歌う番組があり小林幸子がゲストで何気なくそれを見ていたのだった
カバ婆は演歌をあまり好まず小林幸子もあまり好きではないのであるが昨夜はなぜか何も言わずに横にいた
「む~りしーいいいてぇ、のんんじゃ~~」とか懐かしい歌もあったが、さだまさしの提供した歌とか、いろんなジャンルの歌を歌ってます、みたいな話があり、マッキーこと槇原敬之などがゲストに出てきてふたりで歌ったりと、そんなテレビをだらだらと見ながら、発泡性リキュールをぐびぐび飲みながら、ゴールデンウィークの夜を過ごしていたのである
そこで中島みゆきの名前が出たのである
小林幸子には中島みゆきさんの提供した曲もあるというのである。中島みゆきは、カバ婆がカバ娘だったころ、柄にもなくしんみりと、カセット時代のウォークマンなどで聞きながら、「みちにたーおーれーてっ、だーれーかぁのなおーーー」などと、感傷に浸っていた、みゆき節の中島みゆきである。
「悪女」の中島みゆきである
そのとき、ひさびさの「YouTube歌合戦」が、始まったのである
やはり「時代」である。「いまわこーーんんんなーーにぃ、かなーーーしくてえーーー」それから、当然「わかれうた」で、「そっかぁ、「春なのに」ってみゆきさんだったんだよね」となり、「銀の龍の背に乗って」ではカバ婆は「金じゃなくて銀のところが、みゆきさんだなぁ」などと変なコメントを付けながら、
「悪女」となると、ふたりの「絶叫歌合戦」が、始まったのである
まりこのへーやえーーっ、でんわをかーーけてーーー
・・・・
YouTube の恐ろしいところは、右の方に、関連する投稿動画の一覧がついているところである。そこにZARDの坂井泉水さんらしき写真付きの「異邦人」を見つけたところから、ゴールデンウィークの夜は深まった。坂井泉水さんの声は大好きなのでZARD特集に行くかと思いきや、
「異邦人」かぁ、なつかしいのぉ
というカバ婆の発言から、リンクは「異邦人」(久保田早紀)「みずいろの雨」(八神純子)、ついでに「パープルタウン」と進み、
「お、「ちゅおふりうえーーーー」か!」と、ハイ・ファイ・セットで聞けば、「やっぱ松任谷さんでしょう、や、あえて、「荒井由美さん」でしょお」というカバコメントで、荒井由美をしばし絶叫した
・・・・
今夜の収穫は、村下孝蔵であった
「初恋」「踊り子」「ゆうこ」など本人の曲もしんみり楽しんだが、村下孝蔵の歌う「22才の別れ」は、また一味ちがっていた。
ただし、
「へっ、辛気臭い歌詞、ケッ!」という辛口コメントを、
カバ婆は忘れないのである
・・・・
さて、このあたりからいったい何を歌ったのか、誰を聞いたのか、もう定かではない。来生たかおの「シルエット
ロマンス」をうたったような気もするが、今回は、男性歌手はあまり登場しなかったような気がする。
ビールもぐびぐび進み、カバもわたしのビール(いや発泡性リキュール)の上前をはねていたのだが、あっという間に夜も更けていった(ただし、我が家では9時過ぎを夜更けという)
・・・・
わたしは、一息つこうと雨戸を開け、ビール片手に庭に出て、今宵はちょいと冷たい夜風に吹かれながら、幸せにタバコをくゆらせた。
ああ、ゴールデンウィークの夜である
酔いのまわった頭には歌った歌が反芻しぐるぐるとめぐっていた。耳からは遠く第二阪奈を走る車の音がかすかに聞こえてくるだけの、静かな夜だった。
わたしは、「さて、そろそろ寝るかな」とタバコを消し、
幸せに戸口へと向かったのである
・・・・
さて、
家の中では、さらにまだ、宴(うたげ)が続いていた
カバ婆は、今度はウォッカを入れたグラスを片手に、
「じゅ、りぃ~~~っ!」
と叫びながら、沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌い始めていた。
「おぅ、いいなぁ」とは言ったものの、わたしはもう断末魔、
「そろそろ寝るっかな」と寝袋を引っ張り出し、
壁際に寝返りうつべく、どかっと寝ころんだのである
・・・・
夢の中に沈んでいくわたしの耳には、
「とーーーきーーーおーーーー!」
と絶叫するカバ婆の声が、フェードアウトしながら響いていた、
ゴールデンウィークの夜、なのであった
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24.金蔓
5月1日(火)
「教育」ってのは、金蔓になるらしい
「福祉」「環境」もそうだが、きれいごとに携わり、かつ、善良な人間は、
つねに、禿鷹のような「お金の亡者」に注意したほうがいい
共通教育とか、英語教育とかは、なんせ対象になる人間が多いだけに、
「教育」分野では、金蔓で、
お金に困ってる人たちが「公費」(税金)目当てで寄ってたかります
こわいこわい
・・・・
モットーは、
「金を使わず最良の教育を!」
「教師の個性が学生を伸ばす!」
おーーー、きれいごとは、こそばゆい
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23.希望 その2
4月30日(月)
昨年の9月以来、やっと藤内小屋に出かけた
28,29日と一泊二日だけだったが、
異動に伴う怒涛の4月の最後に、夢のような時間を過ごした
やはりヤギには、藤内小屋とR. ウィリアムズが必要なのだ
どんな関係が、あんねん! (^_^;)y-~~~
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22.希望
4月18日(水)
Raymond Williams という人の Resources of Hope という本(短いエッセーを集めたもの)があるのだが、この本は、わたしにとって、まさに、希望の素なのである
しばらく見ていなかったのだが、理由は、家から研究室にもっていこうと思っていた雑多な資料を入れた段ボールの中に、仕舞って(てか、積み込んでしまって)いたせいだった
このところ、希望がなくなってた、わけがわかった
この本はとにかくいいのである、何か考えようとするとき、ウォーミングアップで摘み読むのである
さて、本が見つかったから、それでいいのだが、
つくづく、
・・・・
希望とか絶望とか、不安とか安心とか、嫌(いや)とか好きとか、
思いのほか、人は、感情の生き物なのである
人間は考える葦だとは、ばかげたはなしである
人は感じるバカである(*^_^*)y-~~~
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21.スカイツリー
4月18日(水)
東京スカイツリーがオープン間近!
朝の情報番組でもしきりに紹介している
おめでとうです
が、
わたしは一生
上がりません
春よ、こわいこわい
(「春よ」シリーズはこれで完結)
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20.続・草食
4月15日(日)
前に書けばよかったのだが、
カバ婆が笊(ざる)をもってふと庭に出て、
しばらくすると、
ニタニタ笑いながら、草を山盛り積んで戻ってくる、
そんな季節がきたのである
春よ、ニタニタ
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19.草食
4月11日(水)
例年の「草食」(くさくい)の季節が来た
近所の空き地のワラビ(初物)が8本、庭にはびこる雑草コゴミわんさか
春よ、うまうま
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18.大和路散策
4月8日(日)
あをによし奈良の都は、春
嵐去った休日の昼下がり、庭に出ると、風はまだすこし強いが、
空気は春の香(か)に包まれている
「カバ、ちょっと散策にでも、でかけよか」
はい、ということで、身支度もそうそう、家の門(かど)をでると、見慣れた町内の道をぐんぐん、東へと、奈良の都へと、向かう
家々の庭や公園の桜は、咲きはじめ
やっと控えめな3分咲きといったところか
1キロほど歩くと、そこは、いつも買い物に出かける小規模スーパーなどが並ぶ交差点で、われわれは、さらに東へ、住宅街を通り抜ける細い道へと歩いていく
車がやっと1台通れるかという急坂を上りきると、家からはすでに1.5キロほど歩いたことになる、ふと目を右の住宅に向けると、家を囲う塀の一角が、2メートル四方ぐらいであろうか、窪んでおり、そこにできた空き地に、ひっそりと石碑が立っているのがみつかる
碑には「瑠璃宮跡」と見える
女帝、孝謙天皇の離宮「瑠璃宮」の跡なのであった
孝謙天皇は、聖武天皇と光明皇后の娘、ふと電柱の住所を見れば、ここは
「奈良市離宮ヶ丘町」
古(いにしえ)の都の影もない、平成の家並みをさらに東へ進めば、泣く子をあやす若い祖母の姿、三輪車のわが子を見守り、片腕に赤子を抱き歩く父親などとすれちがい、やがて、古い神社に突きあたる
養天満神社はかつては薬師寺の寺内社だったという
神社横の、人と自転車がかろうじてとおれるほどの道をまっすぐそのまま行くと、観光スポットにもなる「がんこ一徹長屋」があるのだが、今日は神社を左に回り込み、狭い踏切を渡って少し行けば、こんどは、唐招提寺と薬師寺とを結ぶ、狭い堀川ぞいの道に突きあたる
ここは、奈良見物をしたことのある人であればほとんどの人が歩いた、あるいは、観光バスに乗って通った道であろう、骨董屋、蕎麦屋などが細々と並ぶ、あの、土壁沿いの道なのである
季節もよし、天気もよし、歩く観光客の姿にも春を感じる
道を唐招提寺の方にむかい一端左に折れたカバとヤギは、寺の手前でふたたび右にまわり、人けのない農道をふたたび東へと向かうのであるが、高い建物とてない、このあたりからは、目の前に若草山の山肌がはっきりと見えるのだ
前を流れるは秋篠川、川を越え、道を1本北に移し、さらに東へ、舗装された農道が尽き、田んぼのあぜ道などを、犬の糞を気にしながら通り抜け、狭いが車のよく行き来する道で通り抜ける自動車に道を譲り、
世の不条理を感じる
さて、このあたりで北へと少し足を延ばせば、四条大路近く、これまた「え?こんなところに!」という立地の大型チェーンドラッグストアなどの裏駐車場かと思える場所に、「大将軍神社」というまこと奇なる史跡があるのだが、
今日は寄り道はやめておこう
ふと、目の前に、たくさんの車の往来する交差点が見えてくる
奈良を南北に貫く国道24号線についたのである
家からの距離、ほぼ4キロ、目的地は近い
・・・・
長い信号を待ち、ボーっと立つカバとヤギは、歩道を自転車で駆け抜ける女子たちに睨みつけられながら、やっと歩行者信号の青に向かい国道を横断した
すぐそこには、めざす目的地、スーパー銭湯
極楽湯!
が、あるのだったヽ(^。^)ノ
・・・・
おおおおおおお!風呂だ!露天だ!生ビールーーー!
大和路、万歳!
・・・・
極楽湯にはちょうど2時半についた。じゃ、とりあえず1時間ね、3時半ね、ということで、ヤギは、あまり長湯は得意ではないが、何せ春、心地よい露天風呂に腰までつかり、ちょっと首までつかり、足湯にしたりで、3時半少し前に風呂から出た。喫煙所で一服し待合所に戻ると、
やがてカバが出た
生ビールはひとまず我慢し、国道を渡って正面の、水産会社直営の回転ずしで乾杯。客がまばらな時間ゆえ、一皿ずつ注文し、程よく食べ、生ビールは2杯ずつ注文し、実際は、カバは1.3杯、ヤギは2.7杯ぐらい飲んだだろうか、程よく酔って、ほろほろと家路についた。
・・・・
行き道、昼過ぎには咲きはじめだった桜であったが、
夕方5時過ぎ、帰り道に見る花は、
すでに、みごとに、咲きそろいはじめていた
春よ、ばんざい!
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17.これなーに?
4月7日(土)
家の門から玄関までの「アプローチ」のはずれ、玄関のドアにあがる2段の階段との隅に、2本雑草が生えている。ふつう、みっともないから、すぐ抜くべきと考えるだろうが、カバもヤギも抜かない。
「花咲くまで、まっといたろ」というのがカバの考えだ
野生のオダマキとヒメオドリコソウの一種
・・・・
「アプローチ」とはちょいと大げさだが「建築用語」かな…和風庭園では「前庭」とか「坪庭」とかいうのかな…
今では、インターネットで「庭」「門から玄関」というキーワードで検索すれば、言葉を見つけることができる。
「あそこ」「あれ」を多用しなくてもすむ
・・・・
50歳をすぎて「これなーに?」が増えてきた
おそらく、物心ついてすぐのことだ、「これなーに?」と聞くと、親が鬱陶しがる気配を察したビビり幼児ヤギは、かなり早くに「これなーに?」をやめてしまった。
それから、40数年、ものの名前とかに対する好奇心というものが、あまりない人間になってしまったようだ。
受験勉強など、いまの仕事など、「強制」「強迫」「必要」がないと、ものを調べない、覚えない。
俗な言い方だが、「知的好奇心」というもののない人間は、研究などできない
・・・・
思えば、「独り言」を書き始めて、初めて「読み手」を意識した文章を書くようになって、
「これなーに?」が増えてきた
言葉で伝えるためには言葉を知らねばならない(あれ?あたりまえ…)
便利に教えてくれるネットの力も大きいだろう
簡単に引けるようになったから言葉の必要性に気づくとは、やはりヤギらしい
ああ、30年前に気づいていたら…などとは、もう、思うまい
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16.辞令
4月1日(日)
先に書いたが、あすあさ9時、辞令を受け取りに行く
新しく「全学教育推進機構」となる旧大学教育実践センター総務係に、部局異動の辞令を受け取りに行くことになっているのだ。
いつもより、ちょっとはましな格好で出かけよう
・・・・
さっき、夕食後、カバ婆が、
「あすは?」と聞いた
明日の予定はどうなん?ということだ。何時に出かけるか、弁当はいるか、夜は家で飯を食うか、等々である
「え、あす?…言っただろ、あすは…」といいかけたら、カバ婆、
あーあ、「辞表」もらう日だね
と言った
・・・・
やはり、癒しのカバである
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15.くだらん
3月31日(土)
火野正平さんのNHK「こころ旅」が4月からまた始まるらしい
くだらん
が、
くだらんけどおもしろい
と、思った瞬間に、
くだらんからおもしろい
と思った
・・・・
職場の裏庭の喫煙場所、
くだらん
くだらんけどおもしろい
話のできる場所だ
9年間、最初から最後まで、ふわふわと、かかわりがあった、
居なくなるとちょいと寂しい人が旅立つ
出会いと別れの4月が来る
・・・・
ありがと
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14.カンリ様
3月31日(土)
阪大言語文化研究科にはネットワーク運用管理委員会というものがあり、ネットワーク全般、およびホームページの運用管理をしている。
24時間年中無休の大変な仕事だ
わたくしごとで恐縮だが、ヤギはこの4月から、新しくできる「大阪大学全学教育推進機構」なる部局へ「学内派遣教員」として異動となる。といっても、言文とは外国語教育に関して切っても切れない間柄の部局だから、やることは現在とあまり変わらない。
で、それにまつわる変更を、その運用管理委員会にお願いしたのであるが、
わたしは、派遣となる自分のことを「ハケン」と呼ぶことにしているので、依頼メールで何気なく、
カンリ様
と呼びかけた。誰が応対してくれるかはもちろん知っている。
すると返事。
森先生,
ご指示のとおりに変更いたしました(つもりです).
ご確認のほど,お願い申し上げます.
と業務連絡。
で、署名のあとを、ふと、みると、
>
カンリ様
狙っておられるのか,どうしても「カリン様」に見えてしまいます:-)
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AB%E3%83%AA
%E3%83%B3%E6%A7%98&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=
u&source=univ&sa=X&ei=FCJ2T_alG87kmAXHm7jpDw&sqi
=2&ved=0CEEQsAQ&biw=1366&bih=628
と書いてある
え?っと、その時点でも、恥ずかしながら、ピンとこなかった。が、ページを開いて見て、はじめて思い出したのだ。
なつかしーーーーーー
単なる業務メールで、このようなやり取りができるのは、
まこと楽しい限りである
・・・・
と、今朝、7時前になって、やっと寝坊のカバが起きてきた
「カバ、「カリン様」、って、おぼえてる?」と聞くと、
即答「は? あのネコの?」
ドラゴンボールのみではない、実は、婆はマンガカバなのだ
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13.半年ぶり
3月26日(月)
去年の9月23日~25日にかけて、「フィールドワーク」で小川山のクライミングゾーンおよび金峰山に出かけて以来、ほんとうに半年ぶりに、山らしい山に出かけた。
京都北山になるのかな、鯖街道(国道367号)に沿って流れる安曇川上流の、雪解け水で轟轟濁濁の流れを挟んで、武奈ヶ岳などの比良の山々の対岸に位置する、通称「白倉三山」の手前(というか北側になるのかな…)の烏帽子岳までの雪道を、えっさえっさと登った。
ご存じ(の方はご存じ)愉快なキムケン先生ご夫妻に連れて行ってもらったのだ
道路地図を忘れ、集合場所までの道をケータイで聞く、あまつさえ、出掛けに持っていくつもりだった登山地図も忘れ、「おいおい、はぐれたら即遭難じゃ」状態の、あいかわらずの「恥ずかしや負んぶに抱っこ」登山
なんちゃってアウトドア派「ヤギ&カバ」の面目躍如といったところか
記録(記憶ではない、ヤギの脳みそ、半分以上はコンピュータの中…)を辿れば、昨年の9月、同じくキムケン先生夫妻に連れて行ってもらった武奈ヶ岳あたりの楽しい散策、それから、お盆以来の藤内小屋への「里帰り」、そして、くだんの小川山でのフィールドワークと、そのとき久々のアウトドアを楽しんで以来、なんと、半年間も、職場、家、奈良市内、矢田丘陵(あ、これも立派なアウトドア)で、内内に、悶悶と、過ごしていたのだった
こりゃ、マンネリ、怠惰、仕事にかこつけ遊びを忘れた不甲斐ないヤギ…
と、反省しきりに回顧させるほど、
山は、外に出かけるのは、じつに、やはり、楽しいのである
愉快愉快
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12.わたし、最近、ちょっと変…
3月19日(月)
と、カバ婆がまじめ顔で語りはじめた
・・・・
「きのう買ってきたばかりの一輪差し、落として割っちゃったでしょ…」
わたしは「ああ」と曖昧に答えた
「それから、こないだの財布のこと…」
カバ婆は、2週間ほど前に財布をなくしてしまったのだ。現金はたいした額は入っていなかったが、VISAカードと、免許証を紛失した。カードは再発行の手続きを電話ですれば済んだが、免許証は、橿原の運転免許センターまで行って再発行してもらわなければならなかったのだ。
「だけど、そんな、よくあることさ、これから、気をつければいいではないか」というようなことを、ヤギ爺は、ちょいと恰好をつけて言ったのだった。
「ありがと…
「でも、やっぱり、わたし、ちょっと、変だわ」
カバ婆は、久しぶりだと思うが、ちょっと落ち込んだ様子だったのだ。
わたしは、
「どうしてさ。たいしたことじゃないよ、年食ってきた証拠だな。俺たち…そろそろ、気をつけようぜ、ともに…」
と答えたのだ。
カバ婆は、気を取り直したように、背筋を伸ばし、冷静に話を続けた。
「あの財布、あの朝、カバンに入れようと思ったとき、ふと見たら、端っこがちょっとほころびていたの…それで…」
「ああ」
「そう、そのとき、「あ、この財布ももうおしまいかなぁ、新しいのかわなきゃなぁ…」って、ふと、思った…」
カバは続けた
「それから、昨日の花器ね、あれ、私のプロデュースだったんだ…」
カバ婆は、もうだいぶ前から、障害者福祉関係のNPOの手伝いをしている。去年佐賀に行ったとき伊万里焼きの店で見つけた一輪差しが気に入り、それをモデルに、NPOの陶芸製作作業で一輪差しを作ったらと提案していたのが、今になって出来上がってきたのだ。
「あれを売ることになってたんだけど、「売れ残ったらわたし買うからね」と言っていたのが、昨日…2つ売れ残ってたんだ…」
何が言いたいのか…わたしは、少し当惑した。
「それで、「じゃ、2つともちょうだい」ということになって、両方買ったんだけど…。その2つを見比べてたら、そのひとつがちょっと好みじゃなかった…口がちょっと広がりすぎてるかな…と思ったんだ」
わたしは、黙って聞いていた
「それで、きのう帰ってから、カバンから出すとき、手が滑ってひとつ落として割っちゃったでしょ…。あれ、あの割っちゃったの「ちょっと好みじゃないな」って、思った方、だったんだ…」
カバ婆はいつになくしょげ返ったふうに首(こうべ)を垂れて語り終わった
・・・・
わたしは、この不思議な話を黙って聞いていた。
カバ婆は、神妙にこうべを垂れ、そして、にわかに小首をかしげ、優しいほほえみを浮かべながら涼やかで寂しげな目を爺に向け、
言った
「わたしが、なくなってもいいなぁと思ったものが、消えていくの…」
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11.カラス
3月10日(土)
どんより曇り朝
タバコを吸いに出ると、庭に度胸カラスが下りてきた
目が合った
何をするかと思いきや、草をくちばしでついばみはじめた
睨みつけたが「なんやねん」顔でつつきつづける
と、
口に草をくわえたまま、鷹揚にようようと飛び立ち去った
巣材あつめかな
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10.トラひろ登場!-篠山マラソン-
3月6日(火)
カバ婆にも家族がいる
おとうさんはもう亡くなってしまったが、おかあさまの「大カバ婆様」は健在、元気である。
弟がおり、名はトラひろ
奥さんをウサ江という
そのトラひろ、今回、とんでもない偉業を成し遂げた
おととい3月4日に開催された篠山マラソンを初マラソンで、
完走したのである!
正式タイムはまだ通知されていないが、なんと、3時間30分を切ったか、わずかに越したか、ゴール地点にある時計はそう語っていた
というのも、今では、篠山マラソンでは、走者はみな「チップ」なるものを靴につけており、スタートゲートを通過する時間とゴールゲートを駆け抜ける時間とで、正確に個々のランナーのタイムが測定できるのである。
篠山マラソンは市民マラソンで、毎年1万人前後の参加者がある。初参加のトラひろは遠慮して、申し込みの際の予想完走タイムを4時間としていたので、一般参加のうちのCブロックに分類されていた。ブロックはDまであって、Cでは、かなり後ろの方に並ぶことになる、したがって、スタートの10時50分からはかなりの時差が出るのである。よって、もし10時50分をスタート時間としたならば、完走タイムには誤差が出るのである、しかし、今では「チップ」なるものがあるから、それぞれが正しい正式な完走タイムを知ることができるのである。
・・・・
さて、わたしがなぜ篠山マラソンに詳しいか
じつは、わたしは30歳のころ3回ほど篠山マラソンに参加したことがあるのだ
同僚のキムシゲ先生に誘われた
院生さんや若い同僚の方は知らんと思いますが、
あのキムシゲさん、
実はフルマラソンの完走者なのだ
(しかも、関門の時間制限の厳しい篠山マラソンで4,5回は完走している)
わたしが赴任して4年目ぐらいだっけ…(この辺のことちゃんと記録を取っておけばよかった…)いつもジョギングしている、運動大好き、アウトドア大好き!と自慢していたわたしを、キムシゲさんが篠山に誘った。
結果は、
1年目中間地点まで(これは、ある意味「想定」していた)
2年目は、かなり練習を積んだつもりで出かけたが、30キロ地点関門を過ぎたあたりで急激に足が重くなり、走るのをやめた
この2回とも、キムシゲさんは完走、記念Tシャツを、もらっている
満を持して臨んだ3回目は、キムシゲさんはコンディションが悪く、それでも、「森君が何とか完走できるよう、応援するよ、途中まで伴走しよう!」と言ってくれた。中間点を快調に過ぎ、キムシゲさんは「じゃ、ゴールで待ってるから」と静かにペースメーカの役割を終えた。
しかし、わたしは、35キロの関門手前でとても制限時間内につけそうもないと判断し、とりあえず関門を越えたところで、
落伍者を運ぶバスを待ったのである
「最後まで踏ん張れないところ、森君らしいな、うふぅふふ」と、
キムシゲさんは含み笑った
キムシゲ流「残念だったね」の意味でもあった
ヤギや、不甲斐なや
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9.地道な努力
2月27日(月)
短い感想ですが、
地道な努力を認めよう、評価しよう、という掛け声は大切だが、
地道な努力をする人はつまり目立たない人だから
評価するのは今では非常にむずかしい
地道な努力をしている人が表に出ないことが多すぎる
そつなく自分を目立たせる
目立ちたがり屋ヤギの、苦い思いです
すまん<(_ _)y-~~~
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8.ミッチーの梅
2月24日(金)
みちこちゃんの梅(「ヤギ爺の独り言2011」5.日曜サスペンス、2月6日(日)参照)が、ひとつ、ふたつ…三つ、四つと、蕾をほころばせはじめた
昨年は2月6日にもう満開と言っていたのだから、今年はやはり寒かったのだろう
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7.合掌
2月22日(水)
手を合わせるとは、生き物として意味のある行為なのか、どうなのか
手を合わせると、なんだか神聖な気持ちになったり、感謝の念が湧いたりするのは妄想なのか、そうでないのか…
でも、確かに、手を合わせると心に変化が生まれる。
神秘、聖、感謝
それも含めて、これは、
生き物としての行為なのであろう
(あ、これは「検証不十分」で、ウィキペディアなら削除対象です)
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6.高所恐怖症
2月15日(水)
わたしの高所恐怖症は、たとえば臍よりちょっと上ぐらいの高さに欄干のある橋から谷底を見下ろした時のことを想像する恐怖ではない
わたしのは、覗き込んだわたしが、ふと、にやっと笑い、その欄干から飛び降りてしまうことを想像する恐怖なのである
おお、こわいこわい(^_^;)y-~~~
・・・・・
と、今朝は、谷底を覗き込むような薄ら怖い夢で目が覚めたのであるが、
今日はカバ婆の誕生日なのであった
ねぐらから起き上がってきたカバに、「お、誕生日おめでと!おいくつ!?」と聞くと、
右のこぶしを振り上げ、その場でスキップをしながら先住民の踊りのようにぐるぐると回転を始め、
「ごっごーぅ!ご、ごーーーーぅ!」と歌いだした
55歳、四捨五入をすれば還暦であった
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5.山並霧
2月14日(火)
日が長くなってきた
夕暮れの帰宅どき、近鉄特急でちょっと奢って発泡酒!を飲みながら電子辞書で太宰の「富嶽百景」を読みながら車窓に暮れゆく風景を眺めながら、ぼんやりしていた
ちゃんと登山服を着ている井伏鱒二と丈の短いドテラ姿の太宰治が揃って三ツ峠に登る姿は覗いて見てみたかった
「太宰、ハイキング、山、散歩」と手帳にメモし、高村光太郎の時もそうだったが、愚かにも意外だと思った
瓢箪山を過ぎ線路が北の方角に向きを変えると、近鉄は生駒山のなだらかな裾野を登り始める。進行方向向かって左側の座席(東向き)に座れば、大阪の街並み段々下りて、飛行機で離陸している時のような錯覚を覚えるのだが、今日は右側の窓から、そろそろ灯がともりはじめた家々を背景に生駒の山並みが見えるはずだった
雨上がり生駒の山並霧
山腹かなり下の方まで、ところどころの谷筋ではさらに下の方にまで、霧が垂れ込め、白濁の空と黒白い山肌との境界が朧に霞んでいた。「幽玄」などという言葉も及ばない、美しい光景だった。できるなら、列車の窓から飛び降り、あの霧の中に向かってぐんぐんと登り込んで行きたい衝動に駆られた。
・・・・
学園前はすっかり暮れていた。改札をくぐるともう雨はほとんどやんでいた。
運よくバスも待っていない。
雨上がりの夜道をぶらぶら歩き始めた
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4.剣先生
2月10日(金)
散歩がてらくるくる寿司(105円均一ではない、ゴホン)へ出かけた時の話だ
カバ婆が目を細めて言った
「剣先生、ゲソ?」
「え?」
「つるぎ先生、ゲソ」
「なにさ!」
「どーしてもそう読める…」
カバの視線の先に目をやると、剣先生ゲソ、が、回ってきた
剣先、生ゲソ
であった
・・・・
裁き寿司
そのとき思い出したのだが
以前学生さんたちと居酒屋へ行ったとき、「本日のおすすめ」に、カタカナで、
サバキズシ
と書いていた
生寿司といえば鯖だが、他の青魚でも作る
だから、
サバキズシ、で、いいのであった
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3.ディベート力
1月25日(水)
「人類」に貢献するような「世界的」人材を育てるようなブログラムが盛んなようだ
ディベート力がいまだに求められるらしい
素朴な疑問だが、
素朴すぎるかもしれないが、
弁論術、説得力が必要なある種の研究はあるかもしれないけれども、
はたして
事実を提示することを旨とする研究をしようとする人間に、ベラベラしゃべる能力は必要だろうか?
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2.Jim
1月17日(火)
今朝のことである
早くから事務に問い合わせの電話をしたり、メールしたりしていた。
「教務の仕事?最近そんなことばっかりやね」とカバ婆が言った。
「ああ。ま、仕方ない」
すると、カバ婆、何か楽しいことを思い出したかのようにニヤニヤ顔になって、
「んじゃあ、これから英名で「ジム」って呼んでやるわ、Jim! お、かっこええがな、がはははは」
と笑った。
自分の言ったことがよほど嬉しかったのか、
「ヤギ爺、改め、「ジム爺」か、ぐははははは」
と、さらに朗らかに笑った
癒しのカバだ
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1.同系味
1月15日(日)
そば屋にそば焼酎のそば湯割りというメニューがあった
車だったので頼めなかった
家でやってみようとそば焼酎を買った
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