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ヤギ爺の独り言2013 |
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33.打ち止め
12月1日(日)
「トメ」とは、打ち止めの「トメ」である。
父はぼろぼろの体で癌で80歳まで生き延びた
兄は健全なクライマーの体のまま癌で52歳で死んだ
トメが死ぬまで生きていられるか微妙に考える55歳のヤギである。
落ち込みはしない
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32.出会い
11月30日(土)
ゆえあって、ネコが来た
ちょうど2週間前の土曜日だった。カバは所用で田原本の南、笠縫という駅からほど近い心身障害者福祉センターまで行った。
「地図を片手に、ちょうど半分ほど歩いた時でしょうか」とカバは語り始めた。「とある神社のあたり、用水路のようなものでしょうか、かなり深い溝の底から「みぃゃあ、ぎゃあ」と、小さな猫の鳴き声が、聞こえてきたのです…」
覗きこんだカバはそこに子猫が落ちているのを見つけた。あわてて道に腹這いになり手をのばしその子猫を救い上げたという。カバのことだから、首を摘み上げ「どーしたのお、あかんがぁ、ドジだなあ」などと話しかけたにちがいない。おそらく、その時点で、なにか予感めいたものを感じたにちがいないのであるが、わたしは、それ以上は問い詰めなかった。
「これから用事があるし、ダメダメ…と思い、未練を断ち切り、小走りで走り去ろうとしました」と、カバは続けた。子猫は「ぎゃぁ、みぃゃあ」と短い手足で追いかけてきた。その前にはまた別の溝があった。立ち止まると思った。しかし子猫は、一瞬ひるんだ様子を示したあと「まるでムササビのようにちっこい手足を目いっぱいにのばして」溝に飛び落ちたらしい。
慌てて覗き込んで、底の数センチの水たまりの中さらに激しく「ぎょあぁ、ぎぁがぁああ」と泣き叫ぶ子猫を見たときの気持ちを、カバは「心がわしづかみされました」とつぶやいた。しかし、ここはなにせ近鉄に乗りはるかやってきた笠縫、しかもこれから午後いっぱい用事がある…ということで、とりあえず再び溝からは救いだしやっとの思いで走り去ったカバの心情を思うとヤギの心も痛む。
「出会いというのは、こういうものかなぁ、と運命の不思議を感じました。わたしは、心のどこかで、それを期待していたのかもしれません。そのときのわたしには、後先を考える気持ちは浮かびませんでした。まさか…と思いながら、くだんの神社に差し掛かった時、遠くでかすかにネコの、子猫の鳴き声がするのに、わたしは気づいたのです。わたしは、何も考えまいと思い、平静を装い歩いていました…
「そのとき子猫が現れたのです。子猫は鳴き声を上げながら、小さい手足を、ほんとに目いっぱい、両手両足を目いっぱいにひろげながら、必死にこちらに駆け寄ってきました…
「それを見たとき、わたしは、「あかん」と思いました」
子猫をリュックに入れ、笠縫の駅の改札では鳴き声に気づいた駅員に呼び止められ270円の小荷物料金を払い、車内では周りの乗客に「あ、ネコ鳴いてる、ネコ鳴いてる」と言われながら家に帰ってきたカバは、包んでリュックに入れおしっこを漏らされ濡れてしまった帽子の中から子猫の首根っこを摘み上げ、顔の前にかざし、「みゃぁ」と鳴いた子猫に向かって、
「よう来たな」
と笑いかけた。
・・・・
名前は「トメ」になりそうである
マメ

ゴン トメ
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31.時節柄
11月24日(日)
故あって喫煙車両に乗ったり喫煙ルームに入ったりすることが多いのである。
時節柄、寒さ厳しき折、風邪など召してせき込み、喉に痰を絡めては、「ゴボ、ゴボ」「ガア、ガラ」「ゴホ、ウグゥ」とせき込んだあと、「う、ぅお、おぇつ」と思わずやってきた嘔吐をこらえようとする人などもいる。
やはり、咳などでるときには、痰など絡むときには、煙草などはちょっと控えて、また、スッキリ喉に戻った時に楽しむのがよいのだと、思うようになった、今日この頃である。
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30.暖簾
10月4日(金)
もう10月だ
玄関を出てから門までの間の頭上に蜘蛛の巣が3つ張ってある。二重のれんならぬ、三重の暖簾である。
その真ん中の蜘蛛の巣、下のヘリがわたしの背丈と同じ高さで、通る場所によっては髪の毛をふわぁっと撫でる。このところ身をちょいとだけかがめて出かけることが多くなった。
あいかわらずの話題だが、ヤギとカバは蜘蛛の巣が払えない
先日、久しぶりにクマ太郎が帰った。庭にいた私の背後で「おぅわぁ」という声がしたので、「お帰り、蜘蛛の巣じゃ」と言った。「た・だ・い・ま」と返事があったが、家に入る気配がしないので振り向くと、クマは、私より少し背が高いのだが、右の人差指を鍵にして、ちょうど自分の身の丈あたりまで、その蜘蛛の巣のヘリをこそげ落としているところであった。
クマも蜘蛛の巣が払えない
奇妙なことだが、遺伝だか、環境だか、知れないが、親子は、似るものである。
・・・・
極度に忙しい夏であったが、ふと、くだらないことを思い出すと、今日一日が何か楽しくなるような気がする、そんな秋が深まる。
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29.ツバメのねぐら入り―楽しい夏休み―
8月18日(日)
今日はすでに8月28日だけど、この『独り言』は、「あれ、ワラビ最初に食ったん、去年はいつごろだったっけ…」というとき読み直して調べるのに重宝する、我が家の日誌になっているので、見に行った日にちで書きます。
・・・・
カバが奈良の広報誌かどこかで見つけた「探鳥会」なるものに参加して「ツバメのねぐら入り」なるページェントを見に行った。
午後5時、平城宮跡のバス停に集合。予想通り、我々夫婦が「若造」に見えるような中高年を中心に、望遠鏡や双眼鏡、望遠カメラを手にした2,30人の「探鳥びと」たちが集まってきた。
「探鳥会」は日本野鳥の会の奈良支部が企画している会のようで、「初めてなんです」と近づいていったカバに、担当の方は、パンフレットやら「1コインお試し会員になりませんか?」というチラシをわたしてくれた。見まわすと、若い人や子供連れの夫婦もけっこういたのだが、やはり、我々同様、初心者のようだった。
・・・・
日暮れまでにはまだ間があるので近くの池の周りを散策します、ということで、ぞろぞろと、集団となり、池の周りのサイクリングコースを散策した。
10数年前「そうだ、アウトドア好きのブタ子に買ってあげよう!」という名目で、つまりは自分たちのために買ったのだが、めったに使うことがなかった安物双眼鏡を交互に覗きながら、カバとヤギは、三脚付きフィールドスコープをところどころでセットして、「あれ、コサギ」とか「カルガモが泳いでる」などと皆に望遠鏡を覗かせてくれる、しかも、「コサギはね、くちばしが黒、脚も黒いけれど、足の先の指のあたりは黄色いの」などと解説までしてくれる「野鳥大好き先輩」たちのあとをついて歩いていた。
うん、こういうのも、なかなかいいもんだ
完全アウェイのカバとヤギだったが、普段はぞろぞろハイキングの中高年を横目にサッサと歩き去るカバとヤギだが、こういうのもなかなかいいものだ。2,30名の集団は、先を行くもの、残るものと、段々に道沿いに広がり、やがて、いくつものグループに分かれていった。
すると、近くで「あ、あんなところに、カワセミがいるわ」という声がした。カバは、「え!どこですか!」と双眼鏡を覗いていたが、すぐに、それをわたしに手渡し、きょろきょろと裸眼で探し始めた。
カバは機器の操作が苦手である
しかし、恐るべしは裸眼カバ、すぐにその鳥のいるらしき方向を指さし、「あ、あの、杭の上にいるやつですか?」と言ったのだ。横にいた達人は「そうそう、カワセミね」と、素っ気なく応じた。カバは、「以前、富雄川沿いで、カワセミ、見つけたんです。カワセミだと思ってうれしくて、皆に話したんだけど、「富雄川くんだりに、カワセミはおらんやろ」「こんな街中にはいないよ」って、だれも信じてくれなかったんです。でも、いるんだ、やっぱ、いるんだ、やっぱり、あれ、カワセミだったんだ」と喜んだ。
その間、わたしは、「どこどこどこ」と必死に双眼鏡を覗いていた。だがしかし、残念無念、探し当てる前に、「あ、飛んでった」と、裸眼カバ。
カバは目はいい
・・・・
さて「ツバメのねぐら入り」であるが、これは、見事に壮観だった。
「ツバメの巣は軒先」と思いこんでいたカバとヤギは、「え、ツバメのねぐら?」と、はじめはピンとこなかったのであるが、子育てを終えたツバメ、子育てをしなかったツバメ、巣立った子ツバメは、こぞってねぐらに集うのだ。平城宮跡大極殿近くの芦原が、その場所だった。
夕暮れ近くになり薄暗くなったころ、意外にたくさんの人が集まっていることにびっくりしたカバとヤギは、持参したキャンプ椅子に並んで腰掛け、夕焼け空を見上げた。そんなに多くはないな、まだ早いのかな、とは思ったが、すでに、ツバメたちは少しずつ集まり、上空あちこちで舞っていた。池沿いの土手では小学生低学年の児童たちの集団が黄色い声を上げていた。どこからともなく人が群れてくる。
・・・・
それは、突然というより、まるで波のように押し寄せてきた。
「う~ん、まだまだなのか…」と、まばらに飛び交う北の空のツバメたちを見ていたヤギに、「お、あれ!」と、カバは南の上空を指さした。「どれ?」と目をやったヤギの目に、上空高いところに渦舞う無数の小さな黒点の波打つ大きな塊が飛び込んできた。「おおお」と声を上げながら南の遠い空に目をやると、そこには「おおおお」と、同じように黒く波打つツバメたちの群れが、ひとつ、またひとつと、幾重にも重なり連なって、確かにこちらの方角にやってくるのだ。
音が変わった。
さっきまで児童たちの黄色い声の向こう側で「ち、ち、ち」「ぴ、ぴ、ぴ、ぴ」と囀っていたツバメたちが、一斉に「ちちちち」「ぴぴぴぴ」と歌い始めた。さらに、上空では、「ぴぴぴぴぴぴ」「ちちちちちち」の大合唱が、遠くなり近くなり、群れ飛ぶツバメたちの円舞に合わせて、空一面に響き始めた。もはや塊は四方八方からやってくる。
ツバメの群れは、右から左から、そして頭上背後から、奇襲攻撃のように眼前の芦原めがけて急降下してくるのだ。押し寄せる羽ばたきが鳴りわたる。その都度に観客が歓声を上げるのであるが、すでに芦原一面に広がった「ちち、ぴぴ、ちちち、ちちち、ぴぴ、ぴぴ、ちちち、ちちち」の喝采が、人の声をかき消した。羽ばたきが芦原にもざわめき蠢く。ねぐらを探して低空に飛び交うツバメたちが、芦原を波立つ海に変えていった。
夕焼けの赤が濁りはじめ雲が灰色に変わるころ、星がちらつきはじめた空に、ツバメたちは再びまばらとなった。それでも遅れてやってきたツバメが低空で芦原に急ぐ。人々の歓声が話し声に変わった。芦原の波立ちは静まり、芦原のねぐらに戻ったツバメの囀りは響き渡る音の塊になった。
・・・・
呆然と興奮の冷めやらぬカバとヤギは、西大寺近くの店で生中で乾杯。ふたりは、一人にひとつの双眼鏡と共用のフィールドスコープを奢っちゃおうと心に決め、すっきりと夜空を眺めながら、帰宅の途についた。
・・・・
追記:
この週末は、金曜夕方カバの仕事が終わった後、里帰りしていたブタ子と3人、車で御在所に向かった。8時ごろ、藤内小屋先代のご主人正巳さんが開いた一の谷の小屋に到着。久しぶりに正巳さんと敏子さん、それから、阿部さんご夫妻と松井さんご夫妻との楽しい夜を過ごした。バーボンを持参したが、カバはバーボンも飲む。ブタ子もビールを飲む。ヤギはビールとバーボンを飲む。それからギターで歌も歌い、古い写真を見て懐かしみ、楽しい涼しい夜を寝た。
日曜日は、ほんとうに久しぶりに、藤内小屋まで上がった。ななちゃん(正巳さんと敏子さんの娘)には会えなかったけど、ご主人の神谷さんは飄々と小屋直しを続け、仲間たちが手伝い、相変わらずの藤内小屋があった。「今度は泊りで来るからね」と約束し、下山して家路についた。
・・・・
夜のドライブ、一の谷小屋での懐かしい集い、久々の藤内小屋、それから平城宮跡での壮大な野外観劇と、短かったけど豊かな夏休みであった。
夏も終わる
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28.ぼーっとする
7月30日(火)
先週、学期末のいろいろがだいぶんと片付き、ある意味ほっとしたのか、週末は、ぼーっとしてしまったな
ぼーっとすることは、いいことのはずなのに、なぜか、何も手につかない不安がよぎるのが、現代人の性(さが)だな
今朝は2時に目が覚めて、いろいろ考えて、頭も覚めた
体調ならぬ心調も、これで回復したようだな
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27.三色おにぎり
7月5日(金)
カバのつくるおにぎりは、直径10センチ弱、厚さ3センチほどの、平ぺったい、円形おにぎりである。
つくり方については、企業秘密なのであるが、特徴のひとつは、面積が広いゆえ、具をたくさん「挟める」ことにある。
定番梅干しの横に、大好き鮭、その下には、山椒のピリリときいた塩昆布と、または、日替わりで、カバの炊いたきゃらぶきや、いかなごのくぎ煮、ツナマヨなどなど、平たサンドイッチ状おにぎりにかぶりつく角度によって、2、3種類の味が、同時に、楽しめるのである。
カバのおにぎりは、三色パンならぬ、三色おにぎりなのだ
さらに、新案特許は、おにぎりを作る際、形をキープするために、くるりと海苔で巻いてラップに包むのであるが、そこにもう一枚、乾燥パリパリ海苔をジップロックに入れて持参することにある。
ヤギは、当然、しっとり海苔おにぎりに、食べる直前、パリパリ海苔を重ね巻き、ニタリ顔で、おにぎりにかぶりつくことになる。
「おにぎりは、やっぱ、しっとり海苔に限る」派、および「コンビニおにぎりの革命、パリパリ海苔でなくちゃ」派ともに満足を与える、画期的、かつ、革新的、カバおにぎり、なのである。
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26.蜂と蝶
6月30日(日)
我が家の庭は、さまざまな蝶々の通り道になっている
モンシロチョウ、モンキチョウ、各種アゲハや、シジミ類、それに、蛾のさまざまが、飛び交い、花から花へと移り、とまる。
カラスアゲハかクロアゲハか、とにかく黒い蝶々もやってくるのは、なにか、子供のころを思い出し、「たも」でも買ってこようかと、思ったぐらいである。
・・・・
カバ婆に言わせると、庭に、檸檬、温州蜜柑、柚子、金柑、山椒、クチナシなど、アゲハが好きな植物(ただし、実は、檸檬しか生らない)が植わっているからだと言う。
この季節、庭で煙草を吹かす楽しみのひとつがある
自然は豊かで優しい
・・・・
昨日、土曜の昼下がり、軍手を履いて庭草を抜いていたにもかかわらず、カバ婆、右手の親指と人差し指の付け根を、虫に刺されてしまった。
「いてぇ、こりゃ、ちょいと大変だ…」と、家の中に急ぐカバを後に、わたしは、「あ、そ」と、庭でのんびりビールを飲んでいた。
「…そうです…蜂じゃないかと…はい、土曜日空いている…そうですか…ありがとうございます…はい、電話してみます…」
と、電話をかけるカバの声が聞こえたので、ヤギも「あれ?」と思い、「どうしたん?」と、遅ればせながら、ビール片手に家に入ったのだった。
「手が痺れてきた。大丈夫思うけど、お医者行ってくるわ。、自転車で行ってくるね」
と、カバは、さっさと医師に向かった。
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刺し主は、医者にも判明できなかったようである。たぶん、蜂か、いずれにせよ、今は解毒剤注射があるということで、右手親指と人差し指の間に刺され、「チューーー」っと解毒剤を注入された注射が、けっこうそれはそれで、「痛かった」と、カバは言った。
いずれにせよ、夕方には痛みがかなり治まったようで、それはそれで、
よかったよかった
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庭の野生化進行中である
草むらに近づくと「ガサガサ」っと、トカゲやカナヘビがざわついて、こそこそと逃げ出すことがある。
ヤモリが巣食い、不運にも、不用意に閉めた雨戸に挟まれ、翌朝、干からび潰れた姿になって、雨戸に張り付いているのを、ギョッとして「うぁああああ」と驚き、それでも、「なんまいだぁ」と手を合わせて、そのまま、庭の草むらに「埋葬」することも、ある。
しかし、自然とは、人にとって優しいだけのものではない。
草むらは蚊の巣窟だし、毛に触れればかぶれる毛虫や細々と育てる野菜やハーブを食い散らす芋虫は、蝶々や美しい蛾の幼虫である。石や朽木をどければムカデが現れ、人を刺すブヨや蜂が飛び交う。
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野生とは、このように、人間にとって、まさに諸刃の剣なのだな
・・・・
う~ん、やがて、我が家の庭には、マムシ、ハブ、サソリなども、巣食うのかもしれない(はずがない)
おそまつ
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25.紫陽花
6月27日(木)
カバ婆があちこちからもらってきた紫陽花が、庭に咲き誇る
普通の紫陽花(よく見かける紫陽花だが名前がわからん)以下、カバ婆による分類では、(順不同)柏葉紫陽花、斑入り紫陽花、普通の額紫陽花、紅(くれない)、藍姫、小紫陽花、伊予の盃、アナベル、お多福紫陽花、墨田の花火
白、薄いピンクから濃いピンクへ、薄い紫、薄い青、時にきれいな青と、うっとうしい梅雨空に似合う、すがすがしい色だ
雨上がり、煙草を吹かしながら庭の地面に顔を近づけると、いくつかの雑草の、目に留まらぬほどの小さな芽が、あちこちそちこちから吹いてきている。
梅雨もいい
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24.ヤギ、玄関を寝床とす
6月13日(木)
しばしば言っているが、わたしは、普段、8時、遅くとも9時には寝床につく。朝は、3時前後に目が覚める。
寝床は、居間のテレビとソファの間、寝入るときはソファに頭をおいて枕にすると、首のところに枕を当てておけば、快適にテレビを見ながら夢の中へと向かうことができる。起きるときには、ちゃんと枕で寝ているから、首を寝違えることもない。
カバはといえば、そのソファに腰掛け、リキュールなどをチビチビ飲みながら、撮りためたビデオなどを見て、ひとり夜をすごし、11時前後には就寝するのだ。
だから、わたしは、いつもカバとテレビの間で寝込むことになる。
ヤギの鼾は激しい
毎朝、5時過ぎから6時前後にカバは起きてくるのだが、きまって、「じじぃ、鼾何とかしてくれ、テレビに集中できん」と文句を言うのだ。「そうさな、別にねぐらを探さねばならんな」と言いつつも、これまで、適当な場所が見つからないまま、居間でソファ枕で寝入る習慣が続いていた。
だが、しかし、このたび、ついに、ヤギは、玄関にゴザを敷き、そこで寝ることに決めたのだ。
その理由は、
1.家で一番涼しい場所である(冬のことはまた別途考える)
2.居間を出てすぐの場所だから寝入りやすい
3.ドアを閉めておけば鼾は居間ではさほど気にならない(らしい)
4.トイレが近い
5.泥棒が入ってきたらびっくりして何も取らずに帰る(かもしれん)
6.火事の時真っ先に逃げられる(カバはどうとでも逃げ出すはずだ)
ということで、
ヤギ、玄関を寝床とす
となったわけである。
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なぜだかわからないが、わたしは、2階で寝ることができない。たぶん、地震や火事が怖いのだろう。地震なら2階の方が安全かという思いもあるが、やはり地階(1階の意味で使うが、本当は「地下」のことらしい)の方がいい。旅先の、ホテルなどでは仕方がないが、できるだけ下の階をお願いしたいものだ。
あくまでも、ビビりのヤギであることよ
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23.ヤギ、日傘を差す
6月13日(木)
そうなのである、男だって、日傘を差していいのである
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22.象徴とは
6月10日(月)
社会学とか文化人類学とかで「象徴」という言葉が使われると、「ハトは平和の象徴」というときの使い方とは、共通するんだけれどちょっとちがう意味合いを生み出すことになる。ヤギ流短絡主義で説明すれば、言葉とか身振りとか道路標識とかトイレの男女マーク
とか、なんでもいいからわたしたちが意味を伝えようとして使うものの意味をわたしたちが理解しようとするとき、わたしたちは、そこに「象徴的意味」というのを読み取っているのだ、ということです。それは、どちらかというと、理屈でわかる意味というより、「気分」でわかっていると信じて感じる意味で、実は、人間集団は、そんな「気分」でやり取りする意味のキャッチボールで、お互いに結びついたり離れたり、まあ「社会」ってものを作ったり壊したりしているんだ、ということにでも、なるのです。(相変わらずです…)
まあ、つまりは、 が何を意味するか…ってのは、理屈でも論理でも理論でも説明できるものではなくて、客観的に、普遍的に決まっているわけでもなくて、「トイレ」とか「お手洗い」とか「御不浄」とかいう「言葉=記号=マーク」はわからない人もいるかもしれないんで、なんとなく「気分」でわかり、「あ…、これって、男と女が別になってるところ…、ってことは、お風呂かトイレか…この場所からして風呂はありえへんから、きっと便所やね…」と「解釈」できるようなもの、これなんかは、かなり万国共通、グローバルコミュニティを作れそうな「象徴=記号=マーク」だけど、 なんかは、かなり日本独特のもので、つまり、固有の文化のみで解釈可能な記号で、つまり、文化を共有する人間集団(コミュニティ)ってのは、このような、理屈でも論理でも理論でも客観的でも普遍的でもない「象徴」(記号、マーク)でコミュニケーションをしている仲間たちだ、ってことになるわけです。なんとなく「勝手」(恣意的)に使っている符号を、なんとなく「勝手」(恣意的)に解釈している、ってわけです。つまりは、解釈というのはあくまで主観的なもので、気分(感情)ってものに大きく左右されるわけで、人間社会ってのは、多分に気分(感情)による人の集まりだってことを無視してかかると、社会を見誤ることになる…
・・・・
最近故あってAnthony
P. Cohenという人の The Symbolic Construction of Community (1985) というのを読み直しているのですが、これは、なかなか、面白い本だったことに気づきました。
その2年前に出た Benedict Anderson の Imagined Communities (1983) ってのが、一部の人たちとても話題になり、いまも一部の人たちで流行っているのと引きかえ、この本が、そんなに読まれていないようなのは(アマゾン検索での状況証拠による判断です、はい)、残念なことだ。
とりわけ、ちょっとややこしい話ではありますが、本文が110頁に満たない、老化ヤギ頭にはうってつけの長さなのじゃ
ロo_(*^_^*))y-.。o0
・・・・
そうそう、最近、レイモンド・ウィリアムズって人の「感情構造」っていう考え方について考え続けている同僚が、素敵な本を書いた。
あ、まだ「はじめに」しか読んでないのですが…(^_-)y-.。o0
ウィリアムズからも、「感情構造」にこだわり続ける同僚からも、目が離せない
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21.はびこる
6月6日(木)
ドクダミは、千切れば臭いが、花は、清楚、いや、律儀に白く、かわいらしい
しかしながら、どこにでも蔓延る、曲者でもある
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20.金魚
6月4日(火)
金魚を飼い始めた。
全身が黒っぽい金魚を「ジグロー」、しっぽの先だけ黒いのを「オグロー」と名付けた。その他5匹は、「キンギョちゃーん」たち。
朝夕に餌をやりに行くと、みなこぞって食べにくる、
かわいい
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「ごんちゃーん」「まめちーーん」の猫なで声ヤギ爺が、「ジグロ~~」「オグロ~~」の金魚飼い爺になった。
めでたしめでたし
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19.理解は例外的誤解である
5月4日(土)
自分の言いたいことが相手に伝わらない。相手の真意がなかなか読めない。人が話し合っているのを聞いていても話がかみ合っていないなと感じることが多い。
それでいいのだ。
だって、理解し合えるってことは、幾多の誤解や曲解の繰り返しの果てに、かろうじて、やっと、「あ、そうだったの」と思えたり、「なんだ、そうだったのか」と思ってもらえたりすることなのだ。
そんな理解だって、実は、誤解の上に成り立っているようにも思える。
だから、理解とは、とてもラッキーで、つかの間の、例外的誤解だと考えていいのである。
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18.今年ももちろん蕨
4月21日(日)
そういえば、家から100メートルほどの空き地のワラビを、今年も、少しずついただいている。故あって、少しずつ、なのである。
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このワラビ、日当たりや土壌などの条件により、育ちはあまりよくない。細くひ弱な状態で食べごろになり、細くひ弱なワラビをいただくことになる。
しかし、
この細くひ弱なワラビが、じつにじつに、美味しいのだ。
・・・・
ところが、
見事に成長した、若いけれども太く立派に食べごろになったワラビが、これはまたこれで、まことに、まことに、美味しいことが分かったのである。
・・・・
カバ婆、最近、また、一人旅を始めた。
先週の火曜日のこと、「もうちょっと遅いかなでもまだ楽しめるかな」吉野桜花見旅に、出かけて行ったのである。
吉野桜は、それはそれ、まあ、そこそこに見事だったという。
ただ、前に二人で出かけたときには素通りしてしまっていた神社仏閣の探訪が、一人旅ならではの楽しみだったとカバは言った。ゆっくりじっくりと、心行くまで楽しめたらしい。
よかったよかった
・・・・
ところで、家に帰ったカバ、おもむろにリュックからひとつ袋を取り出した。
そして、いつものニタリ顔で、
「これ!」と、
袋をわたしの目の前に差し出したのである。
見ると、その袋の中には、件の「見事に成長した、若いけれども太く立派に食べごろになった」ワラビが、袋にいっぱい詰め込まれていたのである。
カバ婆曰く、
「前にさ、あんさんと行ったとき、長けてしまったワラビ見つけて、悔しい思いしただろ。だから、今回はリベンジ!っつうことで、蕨あったら採ってくるぞと思ってさ。そいで、厚手の袋、持って行ったのさ(^_-)y」
・・・・
前にも書いたが、カバはワラビは食べない。
(『独り言』2011、「40.九死に一生―ワラビ2本の代償―」5月11日(水)参照)
・・・・
そのカバが採ってきた太く立派に食べごろの吉野山のワラビが、じつに、まことに、美味かったのである。
わたしは、思わず、
「うまい!」
と、絶賛した。
・・・・
そのとき、カバは、すかさず言った。
「人と同じ、デブのワラビは、味わい深い」
そして、高らかに、
「がははははっ」
っと、
笑ったのである。
・・・・
うまいうまい
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17.だからその植物が…
4月21日(日)
昨年庭に移植したシロツメクサは細々ではあるが根付いた。ワラビは、駄目であった。昨日、散歩並ジョギングの際、タンポポの綿毛を掴み取り握り締め持ち帰り庭に撒いた。庭畦道化計画進行中である。
家から100メートルほどのところにあるワラビの採れる空地の裏にあるわずかばかりの雑木林には鶯が鳴き、メジロ、ジョウビタキ、ホオジロ、ツグミ、ムクドリ等々、家の庭に訪れる鳥たち以外にも、きっと、さまざまな鳥が集う。
今朝は、家の周りの電線や屋根の上で、ヒヨドリが、例のけたたましい、何をそんなにいきり立ってるの?調の雄叫びを交わしながら、何やら集団で話し合いをしていた。
・・・・
長閑だ
・・・・
昨日、クマ太郎が来て、カバ、クマ、ヤギ3人で学園前駅近くの居酒屋に行った。なんと、クマが両親にご馳走してくれるというのだった。しこたま飲んでどっさり食べた。
家に帰り、いつものごとく、ヤギはクマとカバの憩う居間のテレビの前で、すぐさま寝袋に潜り込んだのである。
・・・・
今朝、起きてきたカバとクマが、そろって「とーさん、きのう、どんな夢、みとったん?」と、訊いてきた。
夢など覚えているはずもない。「なんで?」と問い返した。
「あのな、寝言で「だからその植物が…」みたいなこと、言っとった」らしい。
・・・・
英語教師をクビになり長閑な植物愛好家にでもなった夢を見ていたのだろうか。
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16.時代劇
4月19日(金)
『江戸を斬る』の、紫頭巾が、大好きなのであった。
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15.マスク
4月14日(日)
一週間ぐらい前から、鼻ツン、鼻水、喉の痛み、咳、痰がでてきたので、「風邪かな?」と思ったのであるが、どうも様子がちがう。のどの痛みが、決して下の方へ、喉仏の方には、下りていかないのだ。熱もない。
それでも、風邪かもしれないので、「改元」を飲んだ。薬を飲むと多少症状が和らぐ気がしたが、たいした効果はないようだった。
そこでいやいやマスクを試すことにした。
わたしは、マスクで口を覆うのが大嫌いである。第一、ひどく息苦しいし、また、漏れる息でメガネがくもってしまう。だいたい煙草を吸うときにじつに不便なのである。
マスクをして、驚いた。30分もすると、のどの痛みが引き、咳が止み、鼻ツンがピタッと止まったのだ。それで、これは、やはり花粉症だなと、断定した。
煙草を吸うときはマスクをとればいいのだ。そしてまたすぐつければいいのさ。
・・・・
ところが、一日マスクをかけ、家に帰りマスクをとって、また驚いた。
マスクが、うっすらと、黄ばんでいたのである。
わたしは、ギョッとして、思わずマスクの裏を見た。煙草を吸うわたしの息は、これほどまでに黄色いのかと思い、愕然としたのである。
そして、また驚いた。
マスクの裏は、表ほどには黄ばんでいなかったのである。
・・・・
花粉か?排気ガスか?それともやはり黄砂なのか?
わたしは、煙草の煙以外に、外からわたしの鼻や口の中に入り込み、鼻ツン、鼻水、喉の痛み、咳、痰を引き起こす何かがあることを、はじめて、まじまじと目にした。
そして、鼻水や咳や痰が、その何ものかを何とか体外に出そうとする努力なのだということを実感した。
そして、薬を飲んでそれらを止めようとするのは、よほどでない限りやめようと、決意したのである。
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14.カバ語録
4月13日(土)
スーパーの駐車場に車を止めると、目の前の車のナンバーが「77-77」だった。
「あ、あの車、7777」
陽気に言ったカバはニタッっと笑い、
「7ひとつ、マジックで、8に書き換えたろか」
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※もちろん、そんなことは、ぜったいに、いたしません
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13.使用済み容器の再利用について
4月3日(水)
メールの件名のようなタイトルになったが、たとえば空になったシャンプーの容器に劇薬系の掃除用洗剤を入れておくなどは、危険極まりない、もってのほかの行為であろう。
・・・・
わたしは、「朝はごはん!」派ではあるが、別にパンでもかまわない。時には、ソバやラーメンを食べることもある。
今朝は、正調パン食、ハムエッグにトーストだった。
・・・・
このところ、血圧のこともあるので、目玉焼きにも塩コショウはかけないようにしている。今朝はちょっとだけ塩と胡椒!ということで、調味料を入れているかごの中から、食卓塩の小瓶と、使うときに挽くミル方式になっている粗びきコショウの瓶を摘み上げ、椅子に座った。
さて、まずは少しだけ塩を、ということで、食卓塩の赤いプラスチック蓋をひねろうとして、ふと気がついた。
はじめは、塩が固まっている、と思った。しかし、それにしては様子が変だ。塩が湿気で固まると、何やら結晶のような粒が見えるはずだった。しかし、この瓶は、何となく上の方が、ぼんやりと白い粉で濁ったような感じになっているのである。
「おい。この塩、塩じゃないの?」と、台所のカバに叫んだ。
流し台のカバは、振り向きもせず、背中で答えた。
「おう。それ、粉砂糖」
・・・・
この『独り言』の記念すべき最初の記事「平成19年大晦日 今年を振り返って~「偽」~」(バックナンバー2008に収録)の最後あたりに書いたが、うちの子供たちには、ブタ子もクマ太郎も、小さいころ食べ物の臭いを嗅いでから食べる習慣があった。もちろん、結婚以来、わたしにもその習慣が身についた。キャンプなどに行けば、口にする前にまずは目視して異物混入を確認!、それから臭いを嗅いで内容物を確認!は、当たり前なのである。
我が家では、塩の瓶に砂糖、ミネラルウオーターのペットボトルには一升瓶の底に余った芋焼酎、というのは、ごくごく日常、当たり前のことなのである。
我が家に招かれた客、特にお子さん連れのお客さんは、注意願いたし
食事に招かれたとき、自家製ソースやドレッシングが出てきたら、まずはにおいを嗅いでみる。調味料は、かける前に少量指先につけて、なめてみる。そして、食べ物を口にする前には、もう一度においを嗅いで確かめる…。これらは、ゲイリー・スナイダーという作家が『野生の実践』という本の中で説く「野生のエチケット」なのかもしれない(はずはない)。
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12.子供の成長
4月2日(火)
先週末、ブタ子が帰ってきていると書いたが、クマ太郎(息子)も帰ってきて、土曜日の夜には、家族で、焼肉食べ放題に、行ったのである。
久々に、すごく楽しかったのである。子供たちの近況、親たちのドジ話、小さかった頃の思い出話など、カバもヤギも、飲み放題付きの焼肉食べ放題で、よろこび放題、喜んだ。子供たちと、酒を飲みながら、対等の大人の話ができるなんて、やはり、とても幸せなことだと実感した。子供の成長とは、ありがたいものだ。
・・・・
子供たちも帰り、二人きりでほっこりと酒を酌み交わしながら、カバとヤギは、感慨深くも語り合うのである。
「楽しかったね、また、年に何回か、こんな機会があるといいね」
「おう、毎月でもいいぜ」
「そうねぇ、季節ごとの楽しみ、ってのでも、いいかも。それにしても、ブタ子もクマ太郎も、注文から焼き、給仕まで、ぜーんぶやってくれて、ほんと、たすかるわぁ」
「おう、こっちとら、ただ食って飲んで騒いで、楽ちん楽ちん」
「それに、クマ太郎が飲まずに、車、運転してくれるってのも、大きいわね。私も飲めるし、うふ」
「そうさなぁ、毎週でもいいかな、がは」
・・・・
子供の成長とは親が年取り我儘に戻ることであるようだ
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11.磨き砂
3月23日(土)
ブタ子(娘)が週末帰ってきている。家を出てもう6,7年になる。
昨日夜帰ったのであるが、わたしは、昨日は、送別会があったので、今朝になって出会った。
コーヒーを飲みながら、わたしは「旅サラダ」、娘はコンピュータ、カバ婆は、そのあたりをうろうろしていた。娘が、突然、
「よーし、女を磨くぞ」と叫んだ。
続けて、訳の分からない節をつけて、
「磨けぇ!、磨けぇ!」と歌いだした。母娘は、よく似ているのだ。
すると、うろうろしていたカバ、すかさずそれに応じ、
「みがきずなぁ~」と、歌い踊りだした。
・・・・
ここまではバカ母娘の話で、わざわざこの『独り言』に書くような話ではない。興味深いのはそのあとであった。
「みがきずなぁ~」の即興返歌に対し、ブタ子は、
「みがきずな?」とマジ声になり、「何(なん)それ?」と訊いた。
浮かれ踊りのカバと「旅サラダ」のヤギは、揃って娘に目を向けて、「え?」と同時に「ああぁ」というリアクションをした。
そうなのだ、たしかに、20代半ばの世代には「磨き砂」の語彙はないかもしれないのだ。
娘は「クレンザー」世代なのである
・・・・
そういえば、つい数日前まで、「やぐい」という言葉は必ずや標準語であると思っていたヤギである。
「ここの、この(カメラの電池を入れる)蓋のところ、「やぐい」で、気をつけなかんぜ」と、カバに説明していたのを横で聞いていた大カバ婆(カバの母)、
「や・ぐ・い?」と怪訝顔で、「何(なん)それ?」と訊いた。
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10.桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿
3月13日(水)
庭にはミチコちゃんの梅(バックナンバー2011「5.日曜サスペンス、2月6日(日)」参照)だけでなく、さくらんぼが実る桜の木が植えてある。これは、この家を新築した前の持ち主が植えたものだ。
庭では、ミチコちゃんの梅とこの桜が、今、満開である
この桜、ネットで調べる限り、「暖地桜桃」という、結構ポピュラーな庭木なのではないかと思う。ソメイヨシノなどの観賞用の桜とちがい、大きな木ではない。
庭にはカバ婆の弟、篠山マラソンのトラひろさん(バックナンバー2012「10.トラひろ登場!-篠山マラソン- 3月6日(火)」参照)が作ってくれた「ヤギ爺小屋」がある。私の本や山道具、七輪火おこしセットなどが置いてあり、道具の山に囲まれながら煙草を吹かし本なども読める、お気に入りの空間である。
なんてことはない、イナバの物置ほどの大きさの、ただし木造りの、「ヤギ捨て場」だ。
この家を新築した先住者は設計士だったので、中古探しの「宿借り」ヤギ&カバが見学に来たとき、庭も小奇麗にしつらえてあった。今や雑草生え放題畦道化したこの庭も、ここに移り住むことに決めた大きな要因であった。
その桜は庭の南東隅に植えてあった。引っ越したころにはまだまだ細い幹をした幼木だったが、今では根元直径20センチほど、上の方の枝の実は手を伸ばしても届かないほどに成長したのだ。
今年は先んじて桜開花を確認したヤギは、自慢げにカバに言った。
「おい、さくら、咲いた」
「お、そう」と、カバは、最近始めたネットショップで何やら探しているのか、夢中でコンピュータにかぶりつきながら、気もなく応えた。
「そういえば、どうするかなぁ、そんなに大きくなる木ではなかろうが、今の場所ではヤギ小屋が邪魔してる」
小屋を建てるとき、見た目には問題なさそうな位置関係だと思った。しかし、今見ると、桜は庭の片隅に、ヤギ爺小屋の陰となって、窮屈そうに佇んで見える。それほどに成長したのである。
「ちょっと考え無しだったかな。小屋建てる位置、もう少し考えればよかったかな。」
と、わたしは、反省した。
これまで言ってもコンピュータから目を離さないカバに対して、わたしは、
「なあ、桜大きくなって、小屋邪魔になったら、どうする?」ときつく問うた。
すると、手を止めたカバ、おもむろに顔を上げ、
「そんなに大きくなるのに、何十年かかるん」
とぞんざいに言った。
そして、
「そんなん、その時住んでる人に、考えてもらい」と、
言い放ったのだった。
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9.比較検討
3月4日(月)
奈良ならではの修二会(しゅにえ)季節限定「糊こぼし」という練り切りを食べさせてもらった
カバ婆が大カバ婆に食べてもらおうと、昨日、着物を着たノリで餅飯殿(もちいどの)商店街で買ってきた和菓子だ。

ヤギもお相伴にあずかった
とてもおいしかった。いつもはコーヒーなのだが、日本茶でいただいた。
下世話だとは思ったが、つい、「いくら?」ときいた。
「いひひっ」と笑ったカバ、大らかに答えた。
「ひとつ、420円」
・・・・
わが愛用するキャスター3ミリは、ひと箱20本、410円であった。
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8.着物とうぐいす
3月3日(日)
日曜の今日、カバ婆が着物を着て、奈良国立博物館に出かけた、
夕方、東坂のバス停まで帰って、夕暮れ、暗闇、
今年初めての鶯の音を聞いたという、
わたしは、一日、家のまわりをうろうろと、ゆったりとすごし、
とても寒い一日だったけど、
春は、やっぱり、ここまできている、
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7.大蒜の話
2月19日(火)
先日、コンビニで売っているペペロンチーノを食べた
498円、レンジでチンの弁当だ。
コンビニ侮るべからず、この値段でこの味は、まったくありである。
ただし旨いものには毒がある
わたしはニンニクが好きである。しかし、ニンニクをたくさん食べると必ず胸焼けが始まり、口が臭くなる。(これはみんな同じかな(^_-)y-.。o○)
案の定、昼飯にペペロンチーノを食べた後、わたしは胸焼けを起こした。そして、口の中にいつまでも残るニンニク臭のため、職場では午後ずっと、わたしは、人と話す際に気を使った。
・・・・
夕方、家に帰り、今日は昼ペペロンチーノを食べた話、コンビニ侮れずの話、胸焼けの話と口臭の話をした。
カバは、
「あ、そ」
と言った。
・・・・
ところが、である。わたしがビールを取りに廊下に出ようと、カバの横を通った瞬間、カバは叫んだ。
「くさっ、ニンニク臭さぁ!餃子食べたみたい!くっさぁ!」
と、言ったのである。
わたしは、瞬間、「なに!」と怒(いか)った。しかし、それは口には出さず、静かに廊下にビールを取りに出たのである。
そして、
「餃子ではないのだ!イタリアン!パスタの定番、ペペロンチーノなのだ!」
と、廊下の片隅で、ビール、もとい、発泡性リキュールの缶を握りしめながら、悲しく、心の中で、怒りの声を上げたのだった。
・・・・
イタリアンでも餃子でも、食べたオヤジの口臭は、
あくまでニンニク臭いのだ。
【教訓】
いかんせん、オヤジの口臭くさいなら、高級ワインと気取らずに、廉価発泡性リキュールを、ぐびぐびがぶがぶ飲んでやる
おそまつ
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6.玉葱の話
2月19日(火)
今朝、血圧が、とうとう「上116下65」を記録した。何度か測り、結局、真ん中ぐらいの数値の「上124下73」ということで、ノートには記録しておいた。
顛末はこうである
・・・・
おととい、カバ婆が久しぶりに玉葱と人参のドレッシングを作った。
なにやら作り方は簡単らしく、ともにすりつぶし酢につけて混ぜるだけのようなものらしい。しかし、これが、なかなかうまいのである。
食卓には、大皿一杯の水菜サラダが出ていた。大カバ婆(カバ婆の母)が大量に収穫したのをどっさりともらってきたのだ。
わたしは、ハリハリ鍋は嫌いなのである。水菜で汁が緑色になる感じが、たまらなく嫌で、頬張った煮え切らない水菜も、モサモサしてなかなか喉を通らない。
ただ、わたしは、水菜は嫌いではない。甘辛くお揚げさんと炊いたんとかは、ごはんのおともになるのである。そして水菜は生でサラダで食べるに如くはない。
山と積まれた水菜を皿に山盛りに取り、そこにカバ婆特製とろとろの玉葱と人参のドレッシングをかけ、その上からマヨネーズを少量振りかけて口にもっていくと、思わず「うまい」と声が出る。
しかし、旨いものには毒がある
わたしは玉葱も好きである。味噌汁は玉葱がどっさり入った甘いのが大好きである。焼肉では、肉よりも輪切りにした玉葱をタレにからめて食べるのが大好きである。玉葱の輪を崩してぐちゃぐちゃにして食べる人もいるが、わたしにはそれは悲しい。
しかし、生のタマネギが問題だ
サラダに入れたスライスオニオンも好きなのであるが、残念なことに、生のタマネギを食べた翌朝は、必ず、ひどい胸焼けが残ってしまうのだ。そして、昼過ぎまで、タマネギ臭いゲップに(失礼)悩まされるてしまう。だから、このドレッシングを食べるときはいつも注意し自重しているのだ。
しかし、一昨日、わたしは、翌日月曜日は代休を取っていたので、胸焼け口臭を犠牲にして、特製とろとろ玉葱人参ドレッシングをたっぷりかけた水菜サラダを大量に食べたのである。
「うまっ」「うめぇ」を繰り返し、「あー、でも、きっと胸焼けるな、明日…、でも、ま、いいか…」と、スプーン山盛りに特製ドレッシングをすくっては、大口開けて水菜をハリハリ頬張るヤギを前にして、カバは黙って上品に箸を口に運んでいた。
食事が終わり、ごちそうさまの手を合わせながら、ヤギは、
「あれ、このドレッシング、2,3日使うつもりで作ったんやろなぁ」
と、大型の空瓶にてんこ盛りに作ってあったカバ婆特製玉葱人参ドレッシングが、いまや、瓶の底数センチに減っているのに目をやりながらつぶやいた。
カバは、
「あなたの自制心には期待していません」
と言った。
ヤギは、
「う~ん、なんか、きょうは、胸焼けはせんような気がする」
と、虚しい申し訳を言った。
・・・・
翌朝は、とてもすがすがしく目が覚めた。
ヤギはカバに、
「おい!ぜーんぜん、胸焼けしとらん!あんなに、生の玉葱食ったのに、ぜーんぜんしとらん、それみろ」
と、訳もなく自慢げに呼びかけた。
カバは、
「あ、そ」
と言った。
・・・・
話が長くなるので端折るが、昨夜もカバは、テンコ盛り特製ドレッシングを準備し、山盛ハリハリ水菜サラダを用意したのである。そして、ヤギは「うめぇ」「うめぇ」と言いながらそれを食ったのであった。
・・・・
今朝、血圧を測りながら、ヤギは、
「お、血圧、なんと、116!」
と叫んだ。
そのとき、カバ婆は、素っ気なくではあるが優しい声で、
「あ、そ。2日間続けて食べた、玉葱が利いたかな」
と言ったのである。
カバの目は涼やかに笑っていた。
・・・・
生の玉葱をいつもより多めに2日間摂取したからといって血圧が下がるなどというのは「個人の感想」にすぎない。
ただ、ヤギは、空瓶いっぱいに詰まったカバ婆特製玉葱人参ドレッシングをとっぷりかけて、「うめぇ」「うめぇ」と鳴きながら、今晩も、大量の水菜サラダを食べるのだと思う。
うまいうまい
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5.シュールな会話
2月14日(木)
阪急石橋駅界隈は大阪大学豊中キャンパスの御膝元である。阪急宝塚線と箕面線が交わるこのあたりには踏切も多い。
今日の帰り道、踏切の手前で遮断機が下りたので、電車が行き過ぎるのをのんびりと待っていた。
阪大からほぼ一緒に歩いてきた阪大生と、自転車に二人乗りの若いカップルと、そしてヤギの三組が、遮断機が上がるのを待っていた。
自転車のハンドルを握る大学生らしき男性が、
「シュールレアリズムの会ってのがあってなぁ…」と話していた。
後ろの荷台に腰掛ける彼女が、
「シュールって「シュッ、シュッ」って感じやん…」と朗らかに情緒で応えた。
彼は「これ、「ちょうげんじつ」ってことでさぁ…」と真面目な解説を始めた。
わたしは、聞くともなく、シュールレアリズムの話を聞いていた。
大学生らしき彼は自信なさげには聞こえたが、それでも大らかに解説を続けた。
「それがさ、これな、つまり、「もっとも現実的」ってことだけどぉ、実のところ、僕にもよくわかんないんだけど…」
自転車のハンドルを握る大学生らしき彼氏にとっては、シュールレアリズムの「超現実」の「ちょう」は、「チョーうまい!」の場合と同じ、「とても」を表す "very" あるいは、 "super healthy!" などと言うときの "super" を意味するようであった。
・・・・
わたしは、彼と彼女が、願わくば、阪大生でないことを、心密かにではあるが、願ったのである。
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4.春も近い
2月9日(土)
こんなに寒いけれども日は着実に長くなる
ミチコちゃんの梅もすでに蕾をつけ下のほうの枝からほころび始めている
庭の雑草たちの中には緑の葉をもたげ広げるものたちがいる
春も近い
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3.わからない疑念
1月29日(火)
ホームセンターなどに行くと、しばしば、食器・調理器具コーナーをうろうろしているオヤジたちを目にする。
スーパーなどに夕方行くと、2割引き、5割引きになった刺身コーナー、寿司コーナーなどをうろうろするオヤジたちがいる。
たいていは、今は流行らないウエストポーチか、何を入れているのかリュックサックなどを、身につけているようだ。
・・・・
先日の夕方、5時過ぎごろ、ウエストポーチを腰にではなく、片たすき掛けに肩から背負(しょ)って、近所のスーパーの寿司コーナーをうろうろしていた時のことである。
「今日は寿司は買わないよ」と、カバ婆には念を押されていたのだが、ヤギは、それはその、本能のままに、そのあたりをうろついてしまうのだった。
店員さんが、ちょうど、「2割引き」のシールを貼っていた。
このスーパーの598円のにぎり寿司はなかなかいけるのである。今日はたくさん残っていて、店員さんが2割引きのシールをつぎつぎと貼っていたのだ。
そこに、
小学生低学年の娘と、たぶん幼稚園前のよちよち歩きだろう、二人の子供を従えた関西風おかあさんが、寿司コーナーに陣取って、その2割引きのシールが貼られていくにぎり寿司を物色していた。
すると、
そのおかあさんは、独り言のようにつぶやいた。
「ひとつ2割引きやんなあ、ふたつ買っても、2割引きかなぁ」
そして、おもむろに店員さんに顔を向けたと思いきや、
「ねえ、ふたつ買っても、2割引きは2割引きやんなぁ?」
と、唐突に尋ねたのである。
店員さんは「はい」と応えた。
「ひとつ2割引きだと、ふたつ買っても、ひとつは2割引きやんなぁ?」
と、また、訊いた。
店員さんは、「申し訳ありませんが…」と、言った。
その時、そのおかあさんは、店員さんのその苦渋の返答を聞くや聞かずや、ふたたび、二割引きになったにぎり寿司を物色しながら、
「あんたなぁ、どれにすんのぉ?」と、
あれこれ寿司のパックを触っては見比べている自分の娘につっけんどんに言い放ったのである。
その二割引きシールを貼る店員さんは、おそらく、きっと、「この人なに言ってんねん」と、心の中で怒(いか)ったにちがいない…
しかし、それにしても、
二個買うと二割引きがどうなるのかについてのこのおかあさんの疑念、
わたしにも、じつは、よくは、わからなかったのである。
・・・・
そのおかげか、二割引きのシールが付いた定価は598円のにぎり寿司を買いたいという欲望は、今回は、すっかり失せていたヤギ爺であった。
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2.マイナス思考
1月26日(土)
一念発起、ジョギングを再開した
前からぶらぶら走ったり歩いたりしていたお手軽散歩コースの距離をGoogleマップで測ったら、ほぼ5キロだった。そのコースをあれこれ修正して、ぴったり5キロにして、走った。
最初から無理をしてはいかんいかん、ということで、ほぼ速足速度で走り始めたが、途中で足の付け根あたりが、だる痛くなってきた。いかんいかん、関節を痛めたら大変だと、軽く歩いたり、屈伸をしたりしながら、ほぼ速足速度のジョギングで走り切った。
5キロを40分10秒
それでも家に帰ったころには服は汗で滲んでいた。
軽くストレッチをしながら体をほぐしていると、煙草を一服したくなったのであるが、そこはちょいと我慢して、コンピュータを起動し、エクセルで表を作り、「ヤギ爺のジョギング記録」をつけるべく、「40」分「10」秒を入力すると、1キロ「8」分「2」秒かかったと分かるように、エクセルの自動計算を設定し、表を完成し、よしよしと思ったころ、また一服したくなった。
しかし、汗が引きはじめ、体も冷たくなってきていたので、お、これはいかん、と、煙草はちょいと後に回して、シャワーを浴びることにした。
おお!運動のあと浴びるシャワー。なんと気持ちがいいことか\(^o^)/
新しい服に着替え、「オーっ、気持ちいいーーー」と、お、まずはビールかな、と思ったが、そこはちょいと我慢して、
「あーぁ!えらいえらい、ジョギングから帰ってから、まだ一服も煙草を吸っとらん。えらいえらい。よーーぅ、我慢したのう。自分をほめてあげたいわ。えらいえらい。」と言って。「さーて、そろそろ一服だな」と、煙草をくわえて庭に向かうべく、ライターを片手にニタリ顔で立ち上がったヤギであった。
すると、
目の前に座っていたカバ婆、コンピュータで調べ物をしていたのだが、おもむろに顔をあげ、晴れやかな顔をヤギに向け、手を打ちながら、
「あー、残念っ!これで我慢も終わりだね、残念残念、偉さも、お仕舞だね」
と、
言いおった
あくまでもマイナス思考の、カバであることよ
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1.素敵
1月24日(木)
「今年に入ってブログが更新されませんがお元気ですか」とメールが来た
いつもふいっとメールをくれる友人からのメールだ
この人を思うと広瀬さんを思う
・・・・
広瀬さんは、2004年4月4日に50代前半で亡くなってしまった。
広瀬さんは素敵な人だった。死んだから素敵なのか、素敵だから死んだのか、わからない。広瀬さんは生きていても今でも素敵だったと思うし、いい人が早死にするという根拠は、やはりないように思う。にいちゃんはある意味悪い人だったが、52歳で死んだ。
わたしは今年55歳、「ごっごーぅ!ご、ごーーーーぅ!」の歳になる
(「38.二月まで待てない」2012年8月25日(土)参照)
遅ればせながら、あけましておめでとうございます
・・・・
震災(あ、阪神淡路です)以降、研究室の書架は未整理のままだ
地震直後、研究室のドアを開けると、部屋の両側の壁を天井まで占めていた書架が倒れ、部屋の中央で「人」の字形に折り重なっていた。本は全部、床に散らばっていた。書架修復後は、とりあえず、手近な棚に本を戻した。
・・・・
アメリカ文学の本や車のメンテナンスの本、『文系のパソコン』などという1980年代に出た新書本などに混じって、鮎釣り関係の雑誌のバックナンバーが数冊並んでいる。
広瀬さんは死ぬ数か月前突然私の研究室に来て「もりさん、来年は必ず、鮎釣り行こう。これで勉強しておいて。」と言って、鮎釣りの雑誌を手渡したのだ。原因不明の病気(広瀬さんはそう言っていたが、本当は知っていたのだろうか…)で入院していたのだが、退院後はすっかり元気そうだった。わたしも、「お。はい、いよいよですね。」と、喜んで受け取った。とりあえず、震災で雑多に並んだ書架の片隅に、鮎釣りの雑誌を並べた。
・・・・
必要があって、棚から探し出し、Amy Tan という中国系アメリカ人作家の本をつまみ読みをした。
久しぶりに本を読んだ
あ、もちろん、仕事関係の本は読んでいます。それに、これも、仕事関連でのつまみ読みだったのだが、なんといえばいいのか、いつものことであるが、「あ、本を読んでいなかった」という気分が、よみがえってきたのだ。
入れなければ出せない
読書の気分から遠ざかっていたことを、また、『独り言』を書けない言い訳にした。
・・・・
広瀬さんの大学院の授業は映画を鑑賞して院生とさまざまに議論する、というものだった。何人かの同僚が授業に参加した。わたしは、映画に疎いので遠慮していた。
広瀬さんの授業は素敵だったろうな
・・・・
今日午後、震災後の雑多に並ぶ研究室の書架を、しばらくながめていた
広瀬さんのアユの雑誌が並んでいるのを、見ていた
映画や、本や、演劇や、釣りの話をする、広瀬さんの顔を思い出していた。
サイトマップ
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