パオ
パオは美しかった。
わたしはそれに惹かれた。
以前から顔見知りだったが、パオが卒業して図書館の窓口でアルバイトを始めたときに改めて親しくなった。わたしが3年生の初夏だった。
ある日の夕刻、パオが仕事を終えて校舎の廊下を歩いているのを見たわたしは、
「お茶、お茶」
と言って誘った。パオは、一歳年下のわたしに、
「しかたないわね。駄々っ子みたいに」
と言いながらも、近くのアンティークなカフェについて来て、いろいろな話をした。
別れ際、地下鉄の切符売り場でパオが
「こんど踊りにいこうよ」
と、わたしを誘った。
わたしは有頂天になってしまった。
そのことを友達に触れてまわり、
「おまえ、久々の一発が出るんじゃないか」
などと冷やかされた。
約束した夜、パオとわたしはバスに乗って街に出た。そしてファミリーレストランで夕食をともにした。
パオは
「わたしこんなところに来るのはじめて」
と言って、自分とその家族の食道楽ぶりを披露した。
わたしは、そのころ寮でいっしょに暮らしていた同性愛の友人のことなどをおもしろおかしく話して笑わせた。
パオは踊りに行くのが好きで、たくさんの店を知っていた。どこにしようかと迷ったが、その街でいちばんスノビッシュなところに決めた。入場料は高かった。その元をとろうとして、大音響の中、何時間も居座り続けた。
わたしは正直なところ、そういう場所は好まなかった。
しかし、踊っているパオを見ているのは快楽だった。
大きな二重まぶたの眼、白い肌、長い黒髪、ほどよく乗った化粧の具合。そしてなによりもグラマーだった。胸もヒップもはちきれんばかりだった。それらが最新流行の服に包まれ、ハイヒールでステップを踏み、ゆらめく照明の色彩の中に燦然と輝いていた。
翌日、わたしは身体のあちこちを痛ませながら図書館へ行った。いつものようにパオは仕事をしていたが、わたしのところへ来て
「また、行こうね」
と言ってくれた。
その後のある日、キャンパスの片隅に腰かけて話をした。
パオが
「禁煙してよ」
と要求したので、その日からただちに実行した。
幼稚園のときから私学で、大学では歴史を学んだ。成績は優秀で、教員、学芸員、司書の資格を持っていた。美的感覚に優れ、茶道をたしなんでいた。
わたしはそんなパオと交際できるようになったことを心から喜んでいた。
6月の太陽の光が痛いほど歓喜していた。
人生と和解できたと感じた。
パオの父親は高校教師であった。母親は病弱で、家事さえままならない状態ということだった。それで家のことはすべてパオがやっていた。そして両親が不仲らしかった。
7月、映画を見に行った。アウシュビッツで心に傷を受けた女性が、男と心中するという内容の映画だった。
ラストシーンで、パオは眼を潤ませ、涙をこぼしていた。
街に古くからある喫茶店で、長々と話した。
ノースリーブの腕の白さが鮮やかだった。
その後、アーケードの奥にあるパオの行きつけの和食店で食べた。
長い髪を自分の手で撫でながら、少し顔を傾けてわたしをじっと見つめ、
「おいしい?」
と甘い声でたずねた。
その様子の中に、発情しているのを感じとった。
8月、山奥にある寺に行くことにした。パオは淡いセルリアンブルーの上下を着て、愛らしい帽子をかぶり、何か大きなバッグをもって、ちょっと遅れて待ち合わせの駅に現れた。わたしの骨折した指を見て、
「若気の至りっていうのよ」
と言った。
蒸し暑い天気のいい日で、列車はとても空いていた。ケーブルに乗り換えて山の上に出た。
わたしは、持ち歩いているカメラで真子を撮ろうとしたが、とても恥ずかしがって、応じてくれなかった。でも、その笑顔は素敵だった。
帰りの列車のなか、開け放たれた窓から蝉が飛び込んできて、パオの髪に止まった。わたしは蝉を手で捕まえ、外へ逃がした。
同時に髪に触れた。初めての接触だった。
列車を降り、駅の近くのドーナツ屋で涼んだ。楽しく会話した。
別れ際、パオはバッグの中から老舗デパートの包装紙にくるまれた物を取り出し、
「遅刻したのは、これを買いに寄ってたからよ。誕生日おめでとう」
と言って、渡してくれた。
うれしかった。
寮に帰って、空けてみると趣味のいいスポーツタオルだった。そして、
「思うままに生きていってほしいと願っています」
と書いた手紙が添えてあった。
わたしは決意した。
この人のために生きていこうと。
ところが、わたしはそのころ別の女性とも交際していた。
欲情の奴隷だったのだ。
だが、パオへの思慕のほうが強かったため、その女性とはすぐに別れた。
さらに、わたしは女子高校生ともデートをしていた。これもパオのほうが優れていたため、訣別することとした。
そのうえ、高校生のころから文通していた女友達もいた。これも疎ましくなってきた。
9月のはじめ、わたしは北海道へ旅立つことにした。その出発の日は、ちょうどパオの誕生日だった。朝早く駅にわたしを送りに来てくれた。わたしは、カーネーションの花束を贈った。
「わたし花をもらったことなんかない。ありがとう」
と、よろこんでくれた。
おみやげは何がいいと聞くと、
「富良野で売っている匂い袋がいいな」
と言った。
北海道の旅はひどい貧乏旅行で、悪天候にも苛まれた。
わたしは、浜頓別から絵葉書を、知床からドライフラワーを送った。
そして富良野のラベンダーファームで匂い袋をいくつか手に入れた。
電話で帰りの列車の時刻とプラットフォームを伝えると、
「迎えにいってあげるよ」
と答えてくれた。
パオは約束どおり、長旅を終えて帰着したわたしを出迎えてくれた。
駆け寄ってきて、
「もう。言ってた車両とちがうじゃないの」
と、笑いながら少しふくれていた。駅の近くの食堂で夕食をともにした。
その夜から、わたしは旅の疲れの蓄積と夜行列車の冷えのせいで、ひどい熱と寒気に襲われた。何日も寝込んでしまった。
ようやく回復して、図書館へ行った。
パオが近づいて来て、
「風邪ひいて寝こんでたんだってね。だいじょうぶ?」
と声をかけてくれた。
わたしは
「きみにうつしてたら、どう責任とろうかと思ってたんだ」
と言った。
10月、美術館へウイーン国立美術館の所蔵絵画の展覧会へ行った。
一点の静物画の前で微笑みながら、長い間見とれていた。
美術館の前のホテルのレストランでお茶にして、古風な裏通りを街の中心まで歩いた。パオは、
「うちの図書館って、左遷の吹きだまりなのよ。ろくな人はいないわ。おまけに結婚前のアルバイトの子に手を出すやつまでいるの。最低よ。わたしその男のことをキュー、女の子のこと白塗り鉄仮面って陰で呼んでるの」
などと話した。
そのころから、わたしは寮で一人部屋をもらえるようになり、パオは仕事帰りにそこへよく訪れるようになった。
もちろんプラトニックな関係だった。
そして、年下のわたしのことを「ぼくちゃん」と呼ぶようになっていた。
わたしの部屋が殺風景だと言って、家から大きなカポックの鉢を持って来てくれた。
いっしょに街へ出て、服を見たり、音楽を聴いたりした。
電話もよくくれた。パオはアルコールに強く、深夜に
「酔っぱらっちゃった」
とかけてきたこともあった。
11月、土曜日にわたしが図書館へ行くとパオが話しかけてきた
「今日行ってもいい?」
わたしはフランス語の授業の予定があるからと言って、それを断った。パオは悲しそうだった。
それで、そのことが気になったので、月曜の午後に会うことにした。広くて天井の高い趣味のいいカフェで向かいあって座った。
「仲のいい男友達が長野へ帰っちゃったのよ。講師の仕事が決まったって。突然のことだから、ショックだったんだ。その友達とはいつもいっしょだったの。
もう、終わったなって感じたの」
わたしは寂しそうなパオの前で何も言えなかった。
「ごめんね。土曜日に話を聞けなくて」
と謝った。
パオは少し元気をとりもどし、
「踊りに行ったときかかってたレコード貸してよ」
と笑顔で言った。
わたしは、少しはパオの助けになれたと感じた。
12月、クリスマスイブの午後遅くに、パオはわたしの部屋へやって来た。ケーキをもってきて、
「これでよかったの?」
と言い、大きな紙の箱を開いてバウムクーヘンをくれた。
音楽を静かに鳴らし、カーテンを閉めて、キャンドルを灯した。
真子は、わたしのベッドのすぐ横に座っていた。だが、わたしは指1本触れることができなかった。
夜が来て、左翼系の人が経営している喫茶店でカレーを食べた。そして、パオを送っていった。
広い大通りをバスがやって来た刹那、わたしはパオの肩を抱いて、口付けしようとした。彼女は抗い、わたしを撥ね退けて去っていった。
大晦日の夜、ともに音楽を聴きに行った。会場は酒蔵を改造した建物で、開演30分前だというのに入口には長蛇の列だった。
ぱおは黒づくめの服装で、寒い夕闇のなかで美しかった。わたしは、とても誇らしかった。
演奏が終わったのは深夜だった。彼女は、
「遊びに行こうよ」
と言って、わたしの腕を引っ張った。
街には人があふれていた。早くも初詣客が近くの神社へと向かっていた。その人ごみの中をわたしたちは歩き、そして1件のカフェバーで少しだけアルコールを摂り、しばらく時間を過ごした。
街から真子の家までは、電車で3駅だった。大晦日なので、オールナイト運行していた。
「それじゃ、いいお年を」
と言って、ホームへ続く階段を下りていった。
1月、よく雪が降った。
わたしは毎日試験勉強に明け暮れたので、会う機会はあまりなかった。
しかし、わたしに図書館情報学などのノートのコピーをくれた。実に丁寧にできたノートだった。
ある日、彼女はわたしが図書館でゼミの女友達と一緒に勉強をしているのを見て、ずいぶん不機嫌になった。
それで、わたしを好きになってくれているのだと感じた。
しかし、わたしは、またしても別の女性と関係をもってしまった。どちらかというと容姿に恵まれない人だった。
罪の意識に苛まれたので、ただちに別れた。
2月、試験が終わってほっとするとともに、役人になるための勉強を本格的に始めた。
真子は、図書館で本を読み、ノートをとっているわたしのところへ寄ってきて、声をかけてきた。がんばろうという気になった。
友人と一緒にパオは香港へ旅をした。エアメールで絵葉書をくれた。
「100万ドルの夜景を前に何も言えませんでした」
と書いてあった。
帰ってきたパオは、わたしに英国製のチョコレートをくれた。バレンタインデーの贈り物だった。
3月、パオはわたしにギターを教えてほしいと望んだ。冷えきった寮のホールで、彼女の手をとっていろんなコードの押さえ方や音階の弾き方を示した。手に触れて動悸がした。
パオは、
「指が痛いよ」
と言って少し顔をしかめた。
わたしは、
「スチール弦だからさ。こんど家からナイロン弦のガットギターを持ってあげるから」
と答えた。
ギターを教えてくれたお礼にと言って、ジュリアンの鉢を窓辺に置いていってくれた。
そのころ、ひどいことに、わたしは隣の女子大に通う可愛い娘に手を出していた。大きな目と白い肌を持ち、ウエストの細くびれた素敵な子だった。イエーツの詩を学んでいた。だが、部屋で接吻し、胸を擦ると、
「あなたとこんな関係になるなんて、よくない」
とふられてしまった。それで、わたしは安堵した。パオのもとへ帰れたからだ。
4月、わたしは4年生。いよいよ就職活動が迫ってきた。
パオとは徐々に疎遠になっていくのを感じていた。
咲く花を見ても、あまり救われなかった。
5月、憂鬱だった。将来に対する不安でいっぱいの毎日を送った。
6月、久々にパオが部屋にやって来た。
いつものようにレコードをかけ、何気のない会話をした。夕刻になって、彼女が帰ろうとするのを制止し、わたしは激しく反応している身体の一部を腹部へ圧迫した。ほんの少し目を潤ませが、すぐにわたしを振り払って帰っていった。
7月、毎週のように役人の採用試験が続いた。つらかった。
8月、会社まわりをしているころ、しばらくぶりで電話がかってきた。わたしの誕生日に昼食でもしようと言ってきたのだ。街で待ち合わせして、デパートの上の食堂でいっしょに食べた。パオは財布を忘れてきていたので、わたしが勘定を払った。
彼女は、
「もう、わたしって最低。ごめん」
と言った。
その夏は残酷なまでに暑かった。
9月、就職活動も一段落したので、わたしは絵を描くことを楽しみ始めた。
もちろん、パオの写真をモデルにしながら。
そんなある日の午後遅く、仕事を終えてパオが部屋にやって来た。コロンが匂っていた。
ついに、わたしは爆発した。
彼女のの身体を激しく揉みたてた。
全身を高揚させながら。
最初
「だめ、だめよ」
と抗っていたが、接吻すると崩れ落ちた。
床の上にガクンと身体を降下させ、そのまま唇を重ね続けた。
暖かく、柔らかい感触だった。
恍惚。
二人とも余韻に浸って、しばらくの間、床に横たわっていた。
「夕ごはんの時間よ」
と、パオはつぶやいた。立ち上がり、服に付いたほこりを払って、はにかんで微笑んだ。そして静かに去っていった。
その月の末、志望していた就職先から不合格の通知を受けた。
非常なショックを受け、パオにすぐに来てくれと頼んだ。
わたしは寮のホールで彼女の前に跪き、事態の顛末を語った。そして手をとって、
「きみといっしょに生きていきたかったんだ」
と告白した。
パオは手を口にあてて笑みを隠し、横を向いた。そして、しばらく沈黙した。
「わたしの家、崩壊寸前なの。親は離婚すると思う。どうしたらいいかわからない」
と言った。また、
「誰でもジャラジャラしがらみを引きずって生きてるじゃない。それがわたしの場合は親だっていうわけ」
などと話した。
数日後の夜、パオから電話がかかってきた。
「このまえ言ったこと、どういうこと?」
険しい調子だった。
「そのとおりの意味さ」
と、わたしは答えた。
「あの瞬間で終わりなの」
と彼女は言った。
10月、しかしながらパオはわたしのもとを去らなかった。
それはわたしを救済してくれるためであった。不本意な就職しかできず、打ちひしがれていたからだ。
「お腹減ったよ」
と言いながら、重い玄関を開けてやって来た。
二人は悶えながら接触した。肌に痕跡を残さないでほしいと言われた。
「ぼくはきみになにもしてあげられないよ」
と、ささやくと強く抱きしめてくれた。
わたしはこの世界に抱擁されていると思った。
11月、ハロウィーンの夜、寮でダンスパーティーがあった。
私が誘ったので、パオも参加した。楽しそうに踊っていた。
だが、パオは突然酔っ払った学生に抱きしめられ、口付けをされた。
見たくない一瞬の情景であった。
わたしはその学生を殴りつけ、逃げようとする彼女の髪をつかんで、自分の部屋へ引きずりこんだ。
パオは声を上げて燃え上がった。
ことが終わって服を着けるとき、
「見ないで」
と羞った。
眠れない夜が明けて、わたしはを彼女呼び出した。そして糾弾した。
抱きしめて、
「それでも好きだよ!」
と叫んだ。
もはやこれまでだと思った。
12月、手紙を書いた。返事はなかった。
明けて1月、何度も電話した。だが彼女は
「もう時間を共有する気持ちはない。わたし以前に恋愛は失敗してるし、誰であろうとも、もうたくさんなの。自分が傷ついているからあなたの気持ちも理解できて、ずるずる引っ張ってきたけど、もう、いやなの!」
と言った。完全に拒否された。
わたしはパオを精神的に追い詰めていた。
2月、寮生募集の立看板を書きながら、わたしは涙を流した。
寒くて、悲しくて、恋しくて。
友達は励ましてくれたが、もう立ち上がれないと感じた。
3月、わたしは腹いせに、前年の夏、一方的にふった女性に手紙を書いて部屋へ招いた。
あえぎながら愛撫するわたしに対し、その女性は
「友情はどうしてくれるのよ」
と泣いて拒否した。同時にこう言ってくれた。
「大好きですよ」
わたしは救いようのない若者だったのだ。
徐々に暖かくなっていった。光が力を取り戻した。
寮を出るために引越しの準備を着々と進めていた。孤独な作業だった。
卒業の近いある日の午後遅く、わたしはパオを正門で待った。
春休みで、キャンパスにはほとんど人通りがなかった。
いつもの時間にそこを通りかかったところを背後から呼びかけた。振り向いたパオは、少し痩せたように見えた。ピンクのセーターがよく似合っていた。耳には小さなピアスが光っていた。
3メートルくらい離れて眼を見つめ、
「さようなら」
とお互いに言い合った。
やさしい微笑を浮かべてくれた。
そして、わたしは交差点に立ちつくし、パオが去っていく後姿をいつまでも追っていた。眼には涙などなかった。つらい思いをさせたことを悔やみ、これから幸せであることを祈っていた。
すぐ側の緑地では、桃の花が満開だった。
天気はよかった。空気も澄んでいた。
はじめて出会ってから、2年が経過していた。
最後まで彼女は美しかった。