メル友に会う


メル友に会う。

今日は黄色いタイにネイビーのブレザー。いつもの自分の身体と自意識。緊張して待ち合わせ場所に立ち、だたっぴろい改札口には、さして人は多くなし。時刻は夕方6時10分だ。10分の遅刻は無限の想像をかき立てるものがある。『君を待つ楽しみをありがとう』と言ってみたいな。

視線を落としたその時、右手から影がさした。

目が会う。

『あなたですね』そのひとは言う。

『あなたです』わたしが答える。

『行きましょ』その人は言う。

パソコンはじめて数カ月でこうなったが、その人の顔かたち、体つき、服装はもののみごとに想像したとおりだった。つまりその人の容姿は美しくなかった。美しいものが世界を救うという積極的な言葉があるが、美しいものしか愛せないという否定的な言葉もある。きっとその人もわたしを見て同じようなこと感じてるだろう。はたしてこのことを罪と呼ばずして何であろうか。その人がどのように見えても関係ないはずなのに。目に見えるよりもはるかに豊かな世界がその人の中にはあるはずなのに。

その人の物腰は投げやりで声には攻撃的な影があった。人間の知能は、何よりも声に表れる。その人の声は、十分な知性を感じさせ、力がある。なんせ、旧帝国大学でフランス文学を学んだ人なのだ。だが、同時に心を暗くするような攻撃的なものがある。

その人の文章や画像は上手ではないが、醜くもなかった。注意をこらせば、心がそのまま伝わってくることもあった。その人はわたしの書く詩をたいへん好きになってくれた。あるものについてはほとんど暗唱してくれたと言う。きっと心のどこかで、わたしとその人とは一緒になれていたんだと思う。それがいったい何であるのか、わたしには興味があった。

しかし、今やその人の話し方やちょっとした表情がわたしを無口にさせる。心というものは言葉では通じない。わずかな声の抑揚や、目の動きが伝えるのだ。

『いけない、自分を評価してくれる人をそんなふうに』

でも、そう思えば思うほど心は硬く、表情は曇る。

わたしたちは都会の雑踏を歩く。

その人は『わたしの宗教は、いつもわたしとともにある』などと語り始め、とても長い間その教義について話す。こういう場合に、宗教の勧誘じゃないかと警戒するのが通常であろう。だが安心したことに、そのような勧誘の意図はなさそうだ。初対面の人に対して、自分の宗教のことを語るなんて、よほど率直な人なのだろう。

そして雑踏を抜けながら、その人は大きな声で歌を歌いはじめる。わたしの知らない歌だ。でも交差点の騒音にはあまりにも不釣り合いだ。わたしは当惑にかられながらも、なんとか一生懸命聴いてる体裁をとる。それが相手を傷つけない礼儀だと思うから。

そうやって、対処の仕方に苦しんでいるうち、ようよう一件のカフェに入る。若いお嬢さんたちの読む雑誌などにのってそうな。

その人は席についたら突然全身で不快感を露にし、ものすごい勢いでひとり別の席に移る。照明か、温度か、なにかが気に入らないものと考えられた。特に意味のある行動でないが、先ほどからのことをあわせ、いったいこの人はどういう人なんだろう。

わたしも席を移り、正面からお互いをはじめて見る。

その人は、大きな目を見開いてわたしを見つめている。何かを観察してるように。きまり悪くなりつつも、メニューを開いて、なんとか注文を終える。

いわゆるカフェ文化なるものは、我が国にはとうてい根付かない。衆人環境の中で議論したり、読書にふけったりとかなんて、人の目を気にしがちな我々日本人には向いてない。でも、この洗練された店内の様子は捨てたものじゃない。外も暗くなって、ちょいとした別世界だ。

わたしたちはイタリアのこととか、仕事のこととか、最近の映画のこととかを話した。そして、その人はわたしの詩のことを大変気に入っていると言って、その人なりの解釈でいろいろと批評してくれた。楽しい会話である。

その矢先、その人はぶ厚いケント紙のスケッチブックと鉛筆を取り出して、わたしの顔を描き始めた。たぶんその人の親愛の感情を表現する方法なのだろう。かなり長い間かかって、描き続ける。既に先ほど頼んだ料理が運ばれてきたのに、ちっとも手をつけないまま、えんえんとスケッチを続けている。

さすがに怖くなってきた。わたしに興味を持ち、出会えたことを喜んでいるのはありがたいと思う。しかしながら、この人はあまりにも奇異な行動をとりすぎる!

スケッチが出来上がったと言って、その人は見せてくれた。病的な表情のわたしが描かれていた。さして上手ではない、全体に不潔な感じがする絵だ。勝手に手を動かしていることで出来上がったような。

そんなこと言えないから、『いいねえ、よく描けましたね』などとあたりさわりのない言葉を返す。

そしたら、その人はいきなりテーブルに突っ伏して、『ああー、しんどい』と大声を上げる。周囲の人たちがみな注目する。

わたしはなんとか自分をはげましつつ、あたりさわりのない、その人を刺激しないような話題をさがし、食後のいちごのタルトにこぎつける。もうすぐ帰れるんだ。もうすこしだ。

勘定をすませて、なまあたたかい夜のなかに歩き出す。その人は来た時と同じように歌を歌った。

交差点で信号を待つとき、『あなたは人との距離が5キロメートルくらい必要ね、それに比べたらわたしは20メートル』などという。さすがインテリさん、うまいこと言うもんだと思う。だが、そんなこと言って何になる?人を不愉快にさせるだけの言葉に値うちなんかないんだ!放っといてくれ!

駅までもどったら、その人はあいさつもせずに何か悪態のような言葉を上げながら、猛然と改札していった。蛍光灯に照らされたその情景は、あまりにも殺伐としていた。わたしは唖然としながら、行き交う人々のなかに消えていくその人の後ろ姿を見送り、足早にその場を立ち去る。

わたしの詩を好きになってくれたのに。

わたしにわざわざ会いに来てくれたのに。

どこかで心が通じ合っていたのに。

知性にあふれた声をしてるのに。

友だちがいないからって、わたしと出会えてよかったと言ってたのに。

ばか、ばか、ばか、ばか、ばか!