理解不可能な島
ぼくはその島へ冬の早朝に降り立った。飛行機の外は風景が凍りついていた。何もかも死に絶えたような不吉な雰囲気だ。南国からのフライトであったため、よけいにそう感じたのかもしれない。
入国手続と両替を経て空港の外に出ると風が吹き付けた。
市内に向かうバスの料金は驚くほど高かった。うつらうつらしながら町の様子をながめていると、どの住宅も驚くほど狭いことに気がついた。
町並みには統一感もないし、景観に気を使っている様子はなかった。
全体に薄汚れた印象を与える。
道路には自動販売機がたくさん並んでおり、アルコールの類も簡単に買えるようであった。
行きかう人々はみな同じような髪の色と眼の色である。服装も似通っている。そして一様に猫背だ。
約1時間で市内中心地に降り立ったぼくは、ただちに地下鉄に乗って、ちょっと離れた住宅街に行くことにした。
この島は治安がいいことで有名であるが、たしかに何の危険も感じずに歩いていられる。
ただ、美的感覚に欠けるところは問題があると思う。看板や広告塔は実に醜い様相を呈しており、放置自転車の多いことには閉口する。また、植栽などの管理にも経費を使おうという気はないらしい。
本来は簡素で控えめな表現のなかに奥深い感動をもたらす術を知っている人たちのはずだが、その伝統が暮らしの中に引き継がれていない。残念なことこのうえない。
1件の家の前に鉢が並び、スイセンやパンジーがきれいだと思った。
カメラを持ち出して撮影しようとした。
そうすると家の中から、40歳がらみの女が出てきた。女は、
「なにやってんの」
と敵意に満ちた眼でぼくをにらみつけた。そして、ぼくの手からカメラを叩き落とそうとする。女はさらに、
「この人、変、気をつけて!」
などという叫び声を上げた。
ぼくはどうして女がそんなに腹を立てるのか理解できないまま、早々にその場を離れた。美しいものに魅かれることはこの島では許さないのだろうか。
ぼくは女の物腰の険悪さに吐き気を催し、眼には少し涙をにじませて去っていった。
それにしても「なにやってんの」とはどういうことか。それはこっちの台詞だ。
気落ちしながらもぼくは商店街をくぐって私鉄の駅に向かった。商店街に並ぶ物はみな高くて品質が悪そうだった。だが、人々は礼儀正しく、お互いに道を譲り合っていた。
駅でさらに郊外に向かう切符を手に入れて改札した。柔らかな冬の日射がぼくを包み、先ほどのつらい思いも癒えていくようだった。
ところが、列車がホームへ近づいてきたその刹那、白髪の男がレールに飛び込んだ。鉄道自殺というやつだ。この島では毎年3万人もの人々が自ら命を絶つという。あまり、いい態度とは思えない。
ダイヤの復旧にはおよそ2時間を要した。
ぼくは非常に精神的打撃を受けながらも、やって来た列車に乗り込んだ。
隣に高校生らしい少女が座っていた。話しかけてみると、その子はニヤニヤ笑っただけで、まったくコミュニケーションがとれなかった。この島の教育というものは算数や理科には向いているが、外国語の習得という観点からは問題があるようだ。少女はアイラインを入れ、マスカラもくっきりし、髪は黄金色に染めていた。制服は微妙にアレンジされていて、こだわりというものが感じとれた。
この島の若者のファッションは世界の最先端なのだ。
列車は走り続け、工業地帯の中を進んだ。ジュラルミンや波板鋼板の屋根が光を放っていた。この島を支えているのは工業力である。製造業における生産性の高さは世界屈指だ。煙突の先端から煙が東になびく。なかなか素敵な光景だと思う。
なぜか涙が頬を伝った。
昼時も過ぎて腹が減ってきたころ、思いつきのまま下車してみた。駅前には銀行、パチンコパーラー、ファーストフードという、この島の町の3点セットが迎えてくれた。ファーストフード店に入って注文し、トレーの上に乗せて席につく。店内には子どもたちがいっぱいで、元気に騒いでいた。
可愛いと思う。
この島の宝物とはほかでもない子どもたちだ。
赤いジャンパースカートの3歳くらいの女の子に眼が止まった。横には20代中頃と見られる母親がいる。母親のお腹はふくらんでいて、もうすぐ女の子の弟か妹が生れるようだった。ぼくはなんだかとてもうれしくなってきて、その女の子と母親に声をかけた。
「いいですね、もうすこしで新しい家族ができるんですね」
「ありがとうございます、いちばん喜んでいるのは主人なんですよ」
「ご主人は今お仕事なんですね。いつも遅いんですか」
「ええ、毎日10時くらにならないと帰ってきません。まあ、遊んでいることもあるんでしょうけどね。この子は主人が早く帰ってくると喜ぶんですよ」
穏やかな調子でやりとりした。
この島では勤務が過酷である。家族とのコミュニケーションの大切さが認知されておらず、休暇もほとんど取れないらしい。そんな生活をしてなにが楽しいというのか。
どうやらぼくはこの島には向いてなさそうだ。入国してからまだ10時間と経っていないのに思い知らされた。
寂しい気持ちになって、来た時と同じ経路で空港に戻った。
出発まではまだ何時間もあって、どう時間をつぶそうかと迷った。
先ほど出会った女の子と母親の面影を抱きしめてみる。
そして心のなかで
「大好きだよ。いつまでも幸せでいてね」
とつぶやいた。