これからの日本


これからは住宅、余暇、情報通信、教育を伸ばしましょう。

土地の値段が下がってきました。希望が出てきましたよ。こんないい時代はない。

一生懸命働いても家を買えない人が多いのに、都市近郊の農家はとてもいい生活をしているようです。ちっとも自分で努力したわけじゃないのに、住宅ローンにも苦しまず、でかい家を建て、米を作ってるふりをして(それもひどい非生産性で)、資産確保に精を出してます。

そんなもの取り上げちまえばいいんだ。

なにが、先祖代々受け継いだ土地だ!かつて、農地改革によって国から地主の土地をタダ同然で払い下げてもらったんだ、今度はサラリーマン世帯の住宅のために、田んぼを強制収容するべきだ。

いったい高度成長を成し遂げたのは誰のおかげだと思っているんでしょう。その主役が、家一軒持てないなんて、そんな国に未来なんてあるものか!公平という価値なんかかけらもありゃしないじゃないか。

我が国の土地本位制政策ほど、非文化的なものはない。勤労者にハングリーなスピリットを保持させるためには、生きていくために絶対必要だが、同時に手に入りにくいものを設定する必要があった。そして、せまい家に押し込めて、個人の領域を深める楽しみを取り上げ、集団のなかに埋没する人間を作り上げました。

そんなみんなのなけなしの預金を吸い上げて、銀行はリスクなしの気楽な商売で大儲け。そう、会社の将来性ではなく、土地をどれだけ持ってるかを見て融資してりゃいいんだからね。金あまりになって、もうけが出なくなった銀行が、ヤクザの土地転がしになりふりかまわず金を貸したのです。

もう、変態マゾヒストのふるまいですよ。あれよあれよと土地の値段は上がりました。生活の基盤である土地や住宅というものが、投機の対象にされ、持ってる人と持ってない人との格差が、笑いたくなるくらい開いてしまいました。そのあげく、不良債権だなんて。ふん、人を幸せにしないような金の貸し方したんだ、とことんまで罰があたったらいいんだ。

バブルの時に思いましたね、このままじゃ未来はないって。家を買えないということは、家族をもつなということだ。そんな国がどこにある?その時、国は何もしなかった。マスコミも問題にしなかった。悲しいことに労働組合も何も言わなかった。責任は誰もとらず、総括されていません。太平洋戦争と同じくらいの大事な事件だというのに、誰も裁かれなかったのです。もの申したのは、司馬遼太郎さんや中坊公平さんだけでした。

土地の値段が下がれば、住宅がよくなります。住宅がよくなれば生活の隅々にまで、いいことが行き渡ってきます。あまり短い時間では効果は出ないけれども。これからは、だんだんよくなっていくでしょう。

賃金が下がっています。失業も出ています。でも、悲観するなかれですよ。日本の最悪という数字は、欧米の最良という数字と同じなのですから。ぼくはいい流れになってきたと思います。今こそ、労働時間短縮の機会なんです。我が国で手に入れにくい物といえば、住宅くらいのものでしたが、それがだんだん安くなってきました。そうなったらお金がいくらあっても、もう買う物なんかないでしょ。ま、買っても置いておく場所がないこともあるが。

必要なのは余暇ですよ。短い時間で効率良く仕事をして、あとの時間は、自分と家庭と地域社会のために使いましょう。まだ、空の明るいうちに家に帰ったら、浴衣に着替え、玄関の前に腰掛けを持ち出して、近所の人と将棋をさして、夕涼みするとかね。そんなことネオンまたたく夜の街ふらついてたらできないもんね。金がないということは、豊かなことなのです。子供の塾に行く金がないんなら、やめさせたらいい。かわりに自分が因数分解でも、仮定法でも教えてやればいい。花に水をやり、夜の月をながめて散歩し、町会の集まりに出ればいい。ほかにいったい何を望むのでしょう。

労働組合は、この100年に一度の機会を逸してはなりません。このさい無理に流れに抗して、賃金闘争をやる必要はない。生活スタイルの大向上運動としての時短を最優先課題とするべきだ。いまこそその機会が到来しているのです。時短の目標をたとえば夏休み一ヶ月とか、週休3日制とか何年かの計画で設定し、それによってみんなの暮らしがどんなに豊かになるかありありと提示すればいいと思う。みんな、失ったものを取りかえそう、と。

余暇がそろったら、同時に情報通信です。両者はたがいに原因であり結果になります。機械的で定型的な仕事はもとより、職場での日常のコミュニケーションをも、快適かつ効率的に短縮するのが、ブロードバンドと巨大なモニターではないでしょうか。どんな書類も一目瞭然、いっぱつで検索し、内容を簡単に変更し、職場のだれでも、どこでもそれを取り出すことができるようにしたらいい。定型的な仕事はいっさい機械まかせ。打ち合わせも会議もモニターをとおして。強力なサーチエンジンがあれば、営業の仕事なんかも、ずいぶん省略できます。ややこしい人間関係からくるストレスとか、あのいやな接待とかいうものもなくなるし。

これを徹底し、自宅での勤務を可能にしていきましょう。あのばかばかしい通勤の苦痛から解放されるために!わが国のとくに都市部において通勤というものに費やされている金と時間とエネルギーと資源は、あまりにも莫大なものがあります。そしてそれらはすべて浪費だと言えます。いつまでこんなことがあたりまえのように続くのか。朝も夕も毎日毎日(それも生涯にわたって)アウシュビッツへの搬送列車みたいな苦痛を味わわされていていいのか。あれが世界に冠たる優秀なわが国の勤労者に対する処遇か。こういうのを巨大な人権侵害と言うのじゃないか。

しかしながら、単に楽をしようと言ってるわけじゃない。外国の市場にされたり支配を受けたりせず、誇りを持って生きてくためには競争力が必要だと思います。競争力を保つには、教育です。これに尽きます。もっと教育にお金をつかうべきだと思う。だが、文部省の官僚は、他の省庁に比べると、いちばんレベルが低い。だから、日本の教育予算は先進国のなかで最低の水準である。これは深刻な問題だと思う。

1クラス15人学級でも多いくらいだと思います。今の教育はあまりにも無駄だ。普通科の高校では、役に立たないことをやりすぎているし、大学の文科系はアカデミックなことを学ぶというより、偏差値カーストを売る場となっています。

大事な資源は大切にしないといけません。優秀な才能を発見し、その才能でたくさんの人を救ってもらうために、特別な育成と十分な手当てを行うべきです。数学や物理などに才能を持つ生徒に、その傾向を強化するべきです。優秀な若者には、当然な尊敬と保障を行うべきです。中国の科学技術大学の天才少年クラスのようなものを早急に作らねばならない。

努力すれば何にでもなれるとか、能力は平等に与えられてるとかの幻想を捨ててかからねばならい。明治維新以来やり方が変わってないというのはおかいいと思う。

それと、教育を子供相手の産業から、広く一般に広げないとね。プロとして活躍してる人が、年令を問わず出たり入ったりすることが保障されないといけませんね。

とにかく20世紀には人間の身体のする仕事を機械がやったが、21世紀には頭がやってた仕事も機械がやるようになるわけですね。そのことをありありと描いて、みんな楽に暮らすことを目指すのです。労働時間を短縮し、個人として、家族の一員として、地域社会の構成員として、そして政治活動の主体として、充実して生きていくことを追求するのです。

構造改革なんて魅力ない言葉だよね。ぼくらにはそんなことどうだっていいんだ。日常生活のイメージで語らないと、これからの日本は伸びない。身体感覚のレベルでこれからの暮らしの展望を語るんだ。かつて、わが国が文明開化と高度成長を達成したときのように。テレビ、くるま、冷蔵庫を持つために、みんな心をひとつにして世界最強の工業力を身につけていったように。

ぼくは自分の祖国を好きだし、よその国にはないすばらしい個性を持っていると思います。それは、万世一系という幻想に対するあこがれとかではありません。よその国が、宗教によってプロテクトしようとするものが、人々の暮らしのたたずまいのなかに既に満足されているからです。他者への配慮性とか、人と人との関係の穏やかさとかの中に。繊細な風土とかへの愛着もあるし。

傷つきながらも、アジアの人たちはこの国を尊敬してるところもあるんだ。まだまだ捨てたもんじゃないのさ。