東京からの風


1980年代初頭、東京からの風を感じていました。

時代は高度成長が一段落し、粗野で後進的な攻撃性が退潮し、new wave が徐々にメインストリームになりつつありました。

それまで、学園祭では『傘地蔵』を上演し、ロックバンドではレインボーを演奏し、絵画教室では下手な鉛筆デッサンを続けていました。周囲からツイストやら矢沢永吉やらの耐え難い音楽が聞こえ、心の通う友はなく、理解できない数学や化学の授業に苛立つ日々。校庭のむこうには山も丘も見えず、古ぼけた工場と公団住宅が視界を遮っている。でも、もう少しでこの環境から抜けだせると思っていました。

そのころ新しい風は吹いてきたのでした。

どんよりと曇った空の下、運動会を抜け出して、ひとり家に帰ったものでした。とにかく団体行動がだいきらいだったのです。

そして近くの本屋で『流行通信』を購入し、家に帰ってchocolateをかじりつつ、talkig headsのレコードなどをかけながら、手に汗にぎりつつページをめくったものです。

snakeman show , yellow magic orchestra, ultravox などの新しい音楽、ペーター佐藤や横尾忠則らのアーチスト。流行通信やpopeyeなどの雑誌。そして、月刊playboy誌上での藤原新也先生との出会い。

10代の終わり、それらに憧れ、自分の日常とはちがう洗練された世界を見ていました。センセーショナリズムともアカデミズムともちがう、それまで触れることのなかった新しいartisticなもの。今は不本意な環境のなかで孤独だが、いつかきっと新しい場所で、愛する友だちと巡り合えるという期待。

思うに、引きこもりということの先駆けでもあったかもしれませんね。

先日、大阪ミナミの画廊めぐりをしました。残念ながら危惧していたとおりでした。若者の街、堀江やアメリカ村の、画廊とは名ばかりの、学園祭の模擬店みたいな混み合ったスペース。雑貨店やブティックの片隅に、申し訳程度に並べられた児童画スタイル絵の数々。作者とお話することもできなかったし。これではいけません。

歩き疲れて、いつものキリンプラザへたどり着きました。やなぎみわの展覧会をやっていました。見事なものです。東京の大資本のこころざしに圧倒されます。ここは、いつだって客は少ないけど、会場全体そのものがインスタレーション作品とも言えるような、独特の展示をやっている。組織力、金の出しかたがちがうと思います。

そんなふうに感じる自分は今も東京からの風に吹かれてる。

もっとも私は東京の人間とはうまくやれません(福岡、和歌山、大阪もだめだが)。あの人口密集と劣悪な住宅及び交通事情のなかで、健康な精神を維持するのは不可能であります。人々は行儀はいいが、よそよそしく、冷淡だ。易怒的で日本人らしい優しさを欠いている。多くの外国人が指摘するように、東京に住むことはhorror storyそのものだと思う。

明治政府の過ちは、暴力を業とし、人を差別し続けた残酷な武家という階級のまち、東京に首都を移したことです。首都を京都のままにしていれば、軍国主義を歩むことなく、商工業と文化で繁栄する国になれていたはずだ。

キリンプラザでは高校生らしい制服姿の男の子と女の子を見かけました。作品のことを話し合いながら、仲良く肩を並べていました。二人とも端正な顔だちで、話す声もきれいだった。孤独だった若かかりしころの自分を思い、その子たちがとても恵まれてると感じました。やなぎみわの写真より、その子たちの姿のほうが、ずっと印象深かったことを思い出します。