四神相応と北向き神社T
四神相応
●青龍●
【素材屋小秋】様サイト内より
【青龍のイラスト】を使用させて頂いております

寺社を巡っていると、寺社の建造物、特に神社の本殿は南向きに建てられているケースが多いことに気づかされます。南向きに次いで多いのが東向き、そして西向きと続き、最も少ないケースが北向きとなります。

ごくまれに北東(いわゆる鬼門)向きの鳥居や社殿を配置する神社が存在し、その場合何様を迎えるのかと気になることがあります。



寺社の建造物の向きは、「天子南面」という中華思想、「四神相応」という風水思想を背景に持つと考えられています。「天子南面」は、その名の通り権力者が南を向いて君臨するという考え方、「四神相応」とは都市計画などの広大な地域に対して用いられる考え方です。

「四神相応」をまず考えてみましょう。風水、特に地理風水と呼ばれるジャンルでは4つの方位を4つの神獣が守ると考えます。4つの神獣は次のような象徴および地勢によって表されます。これらの考え方は、現代の私たちの生活にも多くの影響を残しています。
青龍
東を守り、青・春があてられます。
地勢的には大きな川によって象徴されます。
青春という言葉に影響が残ります。

朱雀
南を守り、赤・夏があてられます。
地勢的には大きな湖沼や開けた地域によって象徴されます。
朱夏という言葉に影響が残ります。

白虎
西を守り、白・秋があてられます。
地勢的に大きな街道によって象徴されます。
白秋という言葉に影響が残ります。

玄武
北を守り、黒・冬があてられます。
地勢的に丘陵や山地帯によって象徴されます。
玄冬という言葉に影響が残ります。

四つの地勢が出そろった場所を「四神相応」の地とし、その中央の平野部に都市を置くというように考え、平安京以降の都市にはこの思想が適用されている様子です。

「四神相応」は家屋や集落といった単位ではなく、大規模な都市計画などに用いられる思想背景となる考え方です。



平安京以前の、例えば平城京なども四神相応とされていますが、平城京に上記の4つの地勢がそろっているわけではありません。平安京以前には四神相応であっても別な四神、つまり別な地勢が考えられていたとされおり、時代によって四神相応の考え方に変化があったことが伺えます。

本稿に続く「四神相応と北向き神社U」以降の稿では、平安京以降にいわれる「四神相応」を考えていきましょう。





四神相応と北向き神社U



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