阿修羅王T
興福寺阿修羅像

●興福寺五重塔●

異教の神が仏教に取り入れられたという成り立ちで、仏教では様々な尊格が信仰されています。その中で阿修羅は、仏教の守護神であり釈迦如来の眷属としての八部衆にまとめ上げられました。同時に阿修羅は、六道輪廻の思想でいう「天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界」のうち修羅界の主宰者とされています。興福寺の国宝阿修羅像は、阿修羅王の姿を表した尊像として最も有名でしょう。

八部衆とは「天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩喉羅伽」の8神をいいます。興福寺(奈良県奈良市)の八部衆像は「五部浄・沙羯羅・鳩槃荼・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・畢婆迦羅」とされています。このうち五部浄は天に、沙羯羅(サガラ:シャガラ)は龍に、鳩槃荼は夜叉に、畢婆迦羅は摩喉羅伽に当たると考えられています。

阿修羅像には3面の顔があり、正面に来る顔の表情は穏やかで理知的な少年の顔立ちで、その表情の魅力で阿修羅像が好きだと言われる方も多いようです。また、阿修羅像の写真集などで見た方もおられるでしょうが、左右に配されたその顔もあどけなさの残る少年のような表情です。

興福寺阿修羅像に限らず、尊像や図像に表現される阿修羅の姿の多くは三面六臂であり、その異形それだけで慈悲の尊格ではないことを伺わせます。しかしながら、興福寺の像を始めとするいくつかの阿修羅像は、柔和とも表現可能な優しげな表情をしています。阿修羅という神が強大な戦いの神であり、そうでありながら柔和な表情を持つことが、興福寺阿修羅像が有名になった理由でしょうか。

興福寺阿修羅像は、もともと天平期の興福寺の西金堂内に、他の八部衆像・十代弟子像・婆羅門僧像などと共に釈迦如来像の回りに配されていたとのことで、「金光明最勝王教」という経典の一場面を表した尊像群であったと考えられています。八部衆のような戦いや技芸の神々であっても、その神々の直接的な属性を造形したのではなく、釈迦如来の周囲に穏やかに集う姿を表した尊像群であり、その1体としてこの阿修羅像が造形されたと考えられています。

京都三十三間堂にある阿修羅像のように明王と見まごうばかりの憤怒の表情に隆々とした体躯を持つ彫像や図像ももちろんありますが、一般的に有名なのは柔和な表情の興福寺阿修羅像。この像を世に送り出した仏師はどのような考え方を持っていたのか興味深いところです。

大和路の写真家にして、古代史上有名な「太陽の道」の発見者 小川光三氏は、興福寺阿修羅像を撮影した写真集の中で次のようなことを述べられています。

阿修羅像を上からのライティングで見ると、若々しい少年のような表情に見えます。が、西金堂内に安置されていたことを想定し、堂の入り口からの光が差し込むようにやや下方からのライティングで見ると(暗い場所で人の顔に下から光を当てる様子と似ています)、そこには非常に引き締まった表情を持つ阿修羅像が現れると。

小川光三氏の写真集には、まさに戦いの神として畏怖すら覚える姿を持つ、それでいてすばらしく美しい阿修羅像が現れます。柔和な表情と、戦いの鬼神としての表情、どちらもが興福寺阿修羅像の持つ表情なのでしょう。


阿修羅王U




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