阿修羅王U
阿修羅王の神話
●阿修羅石像●
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雨慶様ご撮影の写真を使用させて頂いております

紀元前12世紀ごろの古代インド・アーリア人は、神々をデーヴァと呼び、それに敵対する者をアスラと呼びました。また、ほぼ同じ時期の古代ペルシャ・ゾロアスター教では最高神をアフラ・マズダーと呼びました。アスラやアフラ・マズダーが仏教の阿修羅の原型といわれています。

2者を比べると、善と悪、正反対の評価がなされているわけで、これは神を伝える民族や勢力の消長に関係しているのかもしれません。日本の神話でも、亡ぼされた側の勢力の神は良い評価を与えられないことが多々あります。

そして読み取れることは、阿修羅は仏教よりも古い神であるということです。



仏教に取り入れられてからの阿修羅は悪神としての面が強調されるようになりました。そして阿修羅は、天界の王である帝釈天との軍勢と長きにわたる戦いを繰り広げる鬼神であるのもよく知られた話です。帝釈天は、古代インドでインドラと呼ばれるデーヴァの1神が仏教に取り入れられた神です。仏典に書かれる次のような説話に、阿修羅と帝釈天の確執が説かれています。

阿修羅の娘舎脂(シャチ)は帝釈天の妻になる予定でした。けれど帝釈天は舎脂との婚儀まで待つことができず、舎脂を手ごめにするという行為に及びました。阿修羅は怒り、帝釈天に戦いを挑みました。が、幾度戦っても阿修羅は勝つことができません。そうした中で舎脂は帝釈天を愛し正式な夫人となり、父である阿修羅に戦いを止めるよう諌めました。ですが阿修羅はその諌めを聞かず、繰り返し繰り返し帝釈天に勝てる見込みのない戦いを挑み続けました。ついに阿修羅は、六道の中の果てしなく戦いを繰り返す修羅界を創り出しその世界の王となるのでした。


この説話は、戦いのきっかけがどちらかに理のあるものであっても、戦いに妄執し続けることは愚かであることを説く説話とされています。

しかしながら見方を変えれば、勝てる見込みのない相手にひたすら挑み続けることは崇高であるとも人間的であるとも思えます。

本稿筆者が阿修羅という神格を始めて知ったのは、光瀬龍原作になる萩尾望都氏のSF漫画「百億の昼と千億の夜」によってでした。作中の阿修羅王は華奢な少女の姿でありながら、仏典の神将を率い核反応兵器を使う強大な軍を指揮して、帝釈天の軍勢と恒星間規模での戦いを何万年もの間繰り広げています。作中の阿修羅王の戦う相手勢力は「シ」と呼ばれています。人間は「死」に対し果てしなく挑み続けます。



阿修羅の姿は三面六臂。6本の腕のうち2本は、天を支えるように上へ向けてかざされています。この両手は、太陽と月を捧げ持つのが本来の造形であった様子で、彫像や図像の阿修羅のいくつかにそういったものがあります。それは太陽と月の運行を支配するかのようにも見え、神話によっては日蝕や月蝕が阿修羅によるものともされていました。気象や天体現象を神格化、あるいはそれらを司る力を持つ神であったのだろうかとも推測されます。

修羅界の王である阿修羅は実は1神のみの存在ではなく、大乗仏典では4神もしくは5神の阿修羅王が存在するとされています。上記した、帝釈天と長きにわたり戦い続けるのは毘摩質多羅阿修羅王(ビマシッタラ アシュラオウ)です。また、日蝕や月蝕を起こすのは羅喉羅阿修羅王(ラゴラ アシュラオウ)。ほかには踊躍阿修羅王(ユヤク アシュラオウ)・奢婆羅阿修羅王(キャバラ アシュラオウ)が、それぞれ多くの眷属を従えて修羅界に君臨します。

本地垂迹思想などとは全く関係ないものの、日本神話でアマテラスとツクヨミの次に生まれ出たスサノオに阿修羅は通じるものがあるような気がします。スサノオもアマテラスを岩戸隠れせしめ、根の国の主宰者となりました。様々な国の神話で、太陽や月を隠し至高神に立ち向かう荒々しさを持つ神が必要とされたのかもしれません。





阿修羅王T




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