根聖院
奈良県奈良市三碓

宗派 真言律宗

山号 鳥見山

本尊 薬師如来


「こんしょういん」と読みます。

山門には「不許酒肉五辛入門内」と彫られた石柱があります。修業の妨げになるため、酒肉や五辛(ごじん)を山門内に持ち込んではいけないという意味になります。五辛(ゴジン)とは、ニラ・ニンニク・ネギ・タマネギ・ラッキョウの5種類の臭いの強い野菜を指します。



境内には当寺一帯の地名である三碓(みつがらす)の基になる石臼が残ります。石臼は覆屋に覆われれ、傍らには「地名起源の石」という立派な碑が立てられています。石臼の案内版に書かれる関連の伝承は下記のようになります。
三碓地名の由来
 この土地一帯を三碓というのは、遡る事1300百年前、奈良時代
に小野福麿がこの地域を治めていました。住居とは別にこの場所
に三ッ碓をおき、米を搗かせていましたが、鳥狩りに御幸された
聖武天皇が御覧になり、この土地を「三碓」と名付けられました。
この碓は搗き碓で、朝鮮半島と戦った後に、米を搗く文化と共に
大和に渡って来たと考えられています。「古事記」には播磨の国
でもこのような石碓が使用されていたと伝えられています。

薬師如来はその別名を「薬師大医王」といい、薬師如来を本尊とする本堂には「医王殿」の変額が掲げられます。また、本堂わきには立派な碑が立てられています。現在は生駒市の宝山寺の末寺となっています。古い由緒と整えられた境内のある、小さいけれども雰囲気の良い寺院です。



当寺根聖院は添御縣坐神社に隣接してあり、元は別の名で添御縣坐神社の別当寺だったとのことです。添御縣坐神社はタケチハヤ・スサノオ・クシナダヒメを祭神としますが、江戸期には牛頭天王を祭祀していたことが分かっています。神仏習合の考え方では、スサノオは牛頭天王を本地とし、さらに牛頭天王は薬師如来を本地とするとされています。そして当寺の本尊が薬師如来であることを考えると、当寺と添御縣坐神社の関係の深さがうかがえます。
●本堂医王殿●





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