九頭明神

奈良県大和郡山市小泉町



祭 神

九頭神


「九頭神池」「九頭上池」2つの名前

 九頭神池公園の北側には、「九頭神明神」
と言われている神社があります。ここは、
寛文年間(1662〜1673年)以前に、現在の
小泉神社の境内にある「九頭神明神」という
水神様が元々あった場所です。

 昔、小泉神社には「北の宮」と「南の宮」
があり、現在の九頭神池の場所が「北の宮」
小泉神社の場所が「南の宮」と呼ばれていま
した。「九頭上池」という名前は北を「上」
南を「下」と呼んだことに由来しているので
はないかと考えられています。

九頭神池のほとりに鎮座する小さな社です。そばの案内板には上記の説明があり、これによって、近くの小泉神社の境内にある九頭神社の元地に鎮座するのが当社であることが分かります。当社祭神名もそのことを参考にしました。神社の移転後、元地にに小祠を残すのは良くあることで、そこはかつて「北之宮」と呼ばれていた様子です。



現状で、おそらくは小泉神社を本社とする境外摂社あるいは境外末社の関係になるものでしょう。ちなみに小泉神社の占め縄は「左ない始め」、つまり縄の頭が左にあるものですが、当社の占め縄も同じく「左ない始め」となっています。

古説に大洪水あり産砂大神が笹葉に乗
って九頭上池にはいられた時洪水が俄
に治まったので里人は水の神としてお
祀し九頭神池に因んで九つ御善を供へ
氏子は毎年10月14日に祭礼を挙行して
いる元神殿跡は池引水口に向って右側
の小高い丘である 現小泉神社に合祀
されている 之の池地が県道拡巾によ
り周囲護岸を昭和45年2月2日より昭
和46年2月末日完了した

池そばの碑の伝承にある洪水とは周辺の川の氾濫によるものでしょう。その記述からは産砂(うぶすな)大神と九頭神池が併存していたように読み取れます。それはいつごろのことだったのでしょうか。



九頭神池は溜池であるもののその歴史は古く、西暦1500年ごろにはその存在が知られ、伝承の中では聖徳太子の作った池であるとさえいわれています。ともあれ、非常に古い時代から存在した池であることでしょう。
●小泉神社境内の九頭神社●

当社社名や九頭神池という名前によって表される「九頭神」とは竜神であり水を司る祈雨止雨の神格であったとされ、中部地方に多い九頭竜信仰や吉野の国樔との関連も考えられています。一方で九頭神はヤマタノオロチであるという説もありますが、それは「九頭」という名前から見た強弁でしょう。

奈良盆地東部の山間部から三重県にかけて九頭神社や国津神社(クズジンジャと呼ばれることも)が多く分布しており、それらはいずれも古代に九頭神への信仰があったことを伺わせます。奈良盆地内より、どちらかといえば山間部をその信仰圏としていたことでしょう。

残念ながら記紀などに九頭神の記述があるわけではなく、ならば「神社」なる施設が整備され始めた古代のうちに隠された神であったかもしれません。



九頭神が、記紀神話に取り込まれること無く民間に残った神格ならば、当社の起源も古代の九頭神信仰か、あるいは信仰があったという記憶をその源とするのかもしれません。

池の周囲には遊歩道が整備され、池の中央には噴水が作られるなど公園としての体裁が整えられています。この整備が行政によるものなのは、池そのものが現在でも周囲の田畑へ水を供給しているからなのでしょう。

周辺はショッピングセンターやゴルフの練習場があり、買い物途中、遊歩道の散策途中に当社に立ち寄る人もいることでしょう。過去の風景がわずかにしか見られないことを嘆くより、今に残るものを今以上に消すことの無いように考えて行きたいものです。


●浮御堂の右奥に九頭明神があります●





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