添御縣坐神社

奈良県奈良市歌姫町

祭 神

速須佐之男命
櫛稲田姫命
武乳速命

御縣(みあがた)とは古い時代の皇室の御料地(食糧を賄う直轄地)であり、大和国に「高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布」の六御縣があったということ、そのうち曽布の地に祀られた神社が当社添御縣坐神社であることが延喜式により分かります。



武乳速命(タケチハヤノミコト)は津速産霊神(ツハヤムスビノカミ:古語拾遺・先代旧事本記に登場)の子で、添縣主(そうのあがたぬし)氏族の祖神とされています。この地を収めた添縣主の氏神として祭祀されたことが当社の始まりであったと推測されます。実は奈良市三碓(みつがらす)にも同名の添御縣坐神社があり、歌姫の当社共に式内大社の論社です。

2ヶ所の添御縣坐神社とも祭神は同じくして、武乳速命のほかにスサノオ・クシイナダヒメの夫婦神が祀られます。この夫婦神はタケチハヤの縁故の神ではないので、江戸時代の祇園信仰の名残と考えられます。古くからある神社に対し江戸期に祇園信仰・牛頭天王祭祀が被せられ、さらに明治期に牛頭天王祭祀社がスサノオ系神社に変えられたという、両社ともそういうケースの一つなのでしょう。



歌姫の当社は、平城宮跡に復元された大極殿(第1次大極殿)と第2次大極殿の間を通って北に伸びる細い道、歌姫街道と呼ばれる古い街道沿いに鎮座します。昔も今も都市部に位置しながら、古社の趣を漂わせています。

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