私的「消された覇王」批判
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三輪山のオオモノヌシ神を物部の祖ニギハヤヒと同一視する説(便宜的に「大物主神=饒速日説」と呼びます)があり、在野の古代史研究者からは一定の支持を受けている様子です。これは原田常冶の著書「古代日本正史」が初出でした。記紀を利用せず、神社の祭神や伝承を用いて神話や古代史を説き明かそうとする内容です。
「消された覇王:伝承が語るスサノオとニギハヤヒ」は「古代日本正史」の後を受け、ほぼ同じ内容の論を述べたものとなっており、著者自ら「消された覇王」の後書きに「古代日本正史」の名を記載して影響を認めています。
本稿ではこの「消された覇王」のことをお話します。 |
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同書の特徴は、「異名同神説」ともいうべき非常に無理のある内容になっています。「異名同神説」は他の方がお使いの名称ですが、意味的に的を得ていると考えられるので本稿もその名称に準じます。これは個別の名を持って個々に存在しているはずの神を、特定の神に同一視する考え方です。
記紀神話でいえば多くの異名を持つ大国主神が異名同神説に類似したケースと考えられるかも知れません。しかしながら同書などで提示される現代の異名同神説は、記紀神話のそれとは違い著しく整合性を欠いていると思うところが正直な印象です。異名同神説に基づいて記述される同書は、まあ詭弁・強弁の見本のような内容に思えます。そしてここまでお読み下さればお分かりの通り、私的には同書の内容も「大物主神=饒速日説」も全く支持しません。
以下は同書を基に異名同神説に含まれる一部を挙げたものですが、主に矛盾点の指摘に留め、逐一反論を述べるものではありません。字数の都合で個々の事項のさらなる追及はしませんが、同書の記述がかなり恣意的な思考法に基づいていることを読み取れるでしょう。 |
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 まず、ニギハヤヒの異名神とされる一覧です。
クラオカミ
カモワケイカズチ(賀茂別雷)
コトサカノオ(事解男)
クニトコタチ(国常立)
カナヤマヒコ(金山彦)
フルノミタマ(布留御魂)
オオトシ(大歳・大年)
ヤマトオオクニタマ(大和大国魂)
オオモノヌシ(大物主)
豊日別
以上がすべてニギハヤヒと同一神であると同書では考えていますが、この解釈には全く同意できません。これを基に発展させれば、「三輪山の神はクラオカミである」あるいは「物部の祖は事解男である」などの言い替えも可能なはずですが、どう考えても不自然です。大和大国魂神と大物主神のように一般的な日本神話の解釈において近縁とされる神もいますが、上記のように誰も彼もがニギハヤヒなどと考えることには大きな無理を感じます。 |
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次に、スサノオの異名神とされる一覧です。
オオヤマツミ
オオワタツミ
オオイカヅチ
カグツチ
ホムスビ
タカオカミ
ヤチホコ(八千矛)
ヤツルギ(八剣)
ハヤタマノオ(速玉男)
フツシミタマ(布都斯御魂)
神祖熊野大神櫛御気野命
白日別
八大竜王
天王
以上がすべてスサノオと同一神であると同書では考えています。さらにスサノオは、大自然すなわち「天」を支配する「王」として「天王」と呼ばれたともされます。同書で牛頭天王の説話はわずかに紹介されますが、牛頭天王信仰などの考察のかけらも見られないままスサノオが「天王」と呼ばれたとされます。無理があるどころの話ではありません。もう何でも来い! と言っているように思えます。 |
 
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石上神宮に祀られているフツ系3神(布都御魂:フツノミタマ・布都斯御魂:フツシミタマ・布留御魂:フルノミタマの3神を便宜的にいいます)について。
■フツノミタマ(布都御魂) *石上神宮の社記では、フツノミタマは神武帝が用いた国平け(くにむけ)の剣とされています。
*同書では石上神宮の社記を採用せず、「フツノミタマはスサノオがヤマタノオロチを退治した剣」という他の神社の記録を優先しています。さらに、フツをスサノオの父であるとし、スサノオが父の剣を使った(典拠不明)ことから布都の魂がこもる剣ということで「布都御魂剣」と呼ばれるようになったとしています。
■フツシミタマ(布都斯御魂) *石上神宮の社記では、スサノオがヤマタノオロチを斬った天羽羽斬剣の霊威とされています。
*フツシはスサノオのことをいうらしいのですが、同書での解説はかなり不明瞭です。
■フルノミタマ(布留御魂) *石上神宮の社記では天つ神によりニギハヤヒに授けられた十種神宝の霊威とされています。
*同書では、ニギハヤヒに十種神宝を授けたのはスサノオとします(典拠不明)。十種神宝が二ギハヤヒを象徴することから、フルはニギハヤヒを指すとします。 |
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 布都斯御魂・布留御魂についての指摘をすると、布都御魂の論に似せて、フルが父(フツシ)の十種神宝を譲り受けたことから布都斯の魂がこもる神宝ということで、十種神宝が「布都斯御魂」と呼ばれるようになったなどと“しない”ところがダブルスタンダードです。
また、フツがスサノオの父のことをいうのは、スサノオとイナダヒメを祀る他の神社に布都御魂が合祀されているからスサノオの近親(父)と同書では考えています。神社の祭神として合祀されている神が近親の関係にあると考えるのはかなりの強弁です。
石上神宮のフツ系3神はポピュラーな神話に登場するものでは無いにせよ、なぜことさらにフツをスサノオの父に、フツシをスサノオに、フルをニギハヤヒに、それぞれを人格神に当てはめなければならないのか理解に苦しみます。石上神宮の社記を否定することに何らかの意味を見ているのかと疑問がわきます。
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 「大物主神=饒速日説」
古代史の1つの説となっている「大物主神=饒速日説」は、上記のように何神もの異名神が同一神であるという考え方を内包して成立しているものであり、オオモノヌシ=ニギハヤヒという事項のみが独立して存在するのではありません。
1例を挙げれば、ニギハヤヒがスサノオの子だという話は・・・
オオトシはスサノオの子である(記紀の記述による前提) ↓ ニギハヤヒの幼名はオオトシである(異名同神説による前提) ↓ よってニギハヤヒはスサノオの子である(異名同神説による結論)
という論法によって導かれる話です。スサノオとニギハヤヒが、記紀の神統譜や古典籍の中で決して直接結びついているわけではありません。
これらを内包したうえで、オオモノヌシとニギハヤヒが同一神だという根拠は、「大物主櫛甕玉命」と「櫛玉饒速日」、それぞれの神名に含まれるクシミカタマとクシタマが同じだという1点に尽きます。不十分この上ない考え方といわざるを得ません。
なぜ上記のような論になるのでしょう。
神社の祭神は、古代から現代までの時間の中で宗教的事情も含む様々な理由で改変が容易なものですが、同書で採用されている祭神名は現代に通用しているものばかりで過去の祭神の変遷はほとんど示されません。また、神社を奉斎していた古代氏族、例えば石上神宮であるなら物部連(もののべのむらじ)以前に物部首(もののべのおびと)や物部首の後身の布留宿禰(ふるのすくね)の名が知られていますが、それらの氏族に関わる祭神のことは一切考慮されていません。つまり、論の基になる資料(祭神名)が大きく正確性を欠いた要素を持ち、史料批判に耐えられるものでは無いということができます。
次に、祭神の解釈に対するいくつもの強弁や強引な解釈が見られます。
ある土地のA神社にB神という祭神があるとします。別の土地に同名のA神社があったとしてそこにC神という祭神があるとすると、同書ではB神とC神は同一神であると解釈しています。さらに、A神社の名が神話上の神の名である場合は、A神・B神・C神は同一神であると解釈しています。
D神社の祭神名としてE神とF神が併記されるとします。この状況に対して同書では・・・
*同一神をE神とF神という別の名で祀ることはない
*E神の象徴名がF神である
*E神とF神は近親の関係である
など何通りもの解釈しています。これはダブルどころかトリプル、あるいはそれ以上のスタンダードを持つ論となっているわけです。 |
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異名神を同一神とするほとんどの論考は、これら詭弁と強弁、複数のスタンダードを適宜組み合わせたもので、その思考法により祭神の解釈を同書著者の思う通りにコントロールすることが可能となります。そこにあるのは対象とする神社の祭神の関係を恣意的に解釈する態度のみです。
一方でスサノオの異名神の項で少し触れたように、同書ではスサノオを祭祀する広峰神社(姫路市)・八坂神社(京都市)や吉備真備のことなどがわずかに紹介されますが、陰陽道による牛頭天王信仰やそれに含まれる祇園御霊会、明治期の神仏分離令などへの考察は一切見られません。また、牛頭天王信仰に限らず通説で重要と考えられている口碑伝承や古記録などはほとんど顧みられることはありません。
ここまで述べてきたことは同書全体に散在する矛盾点のほんの一部ですが、同書の論に逐一反論を述べようとすれば同書以上の文章量になりそうです。ために、私的に受けた印象を以下にお伝えしてこのあたりで本稿を終了とさせていただきます。
少数の神社の祭神の解釈を多くの神社に適用するのは、推論の手法として演繹法・帰納法をどうも誤用しているように思います。他に、伝承の出典を明らかにしない、推測を基に推測を重ねてその結果を断定する、別資料を用いたり別角度からの検証をしないなど、思考法として非常に怪しい部分が目立ち、恣意的な資料操作が非常に多いというかそれのみで成り立っているような内容だと感じます。そうして出来上がった同書は物語として読むべきであって、古代史の研究書として読むことが可能とは思いません。「大物主神=饒速日説」も物語の中の1項目であり、古代史上の説として支持することは全くできません。 |
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