大物主神は饒速日ではなく・・T
私的「古代日本正史」批判

●大物主神=饒速日説●

奈良県桜井市にある大神神社に祀られている大物主神(以下、オオモノヌシ神)と、天孫降臨以前に天下った饒速日(ニギハヤヒ)が同一神または同一人物であるという説が多くの研究者に支持されています。多数の神格をニギハヤヒに集約するため「異名同神説」とも呼ばれることのある同説は、オオモノヌシ神をニギハヤヒであるとした点が最大の特徴であり、本稿ではこれを便宜的に「大物主神=饒速日説」と呼ぶことにします。

これは1976年(昭和51年)に、原田常治が著書「古代日本正史」において最初に展開したもので、その後この本に影響を受けた多くの人が自説に取り入れています。知られたところでは、小椋一葉氏の「消された覇王:伝承が語るスサノオとニギハヤヒ」は原田の「大物主神=饒速日説」をほぼそのまま踏襲する内容であり、安彦良和氏の漫画「ナムジ」・「神武」は原田説をそのまま漫画化した内容といっても過言ではありません。ネット上でも2次・3次的に同説を受けた論が数多く展開されています。

ただし本稿筆者は、オオモノヌシ神とニギハヤヒは別であると考え、この「大物主=饒速日説」をまったく支持しません。同書「古代日本正史」を基に、支持しない理由を以下にお話しましょう。

まずは資料面の問題から。

同書のサブタイトルには「記紀以前の資料による」と銘打たれているものの、どのような資料を用いたかについては明示されていません。古事記の成立は西暦712年、日本書紀のそれは720年となります。記紀以前の資料ということからは、古事記が成立する西712年以前に存在した神社の記録と用いて古代史を推論していったと読み取れますが、記紀以前の資料とはどのようなものかを同書は明らかにしていません。



●資料●

★1
まず原田は、古代史の解明ということでどういう資料を用いて論を進めているかを見ていきましょう。

31ページ「古事記以前の神社」の項に、用いた資料のことが述べられています。そこには、古事記の成立年である西暦712年以前に存在した神社をピックアップし、残っている資料を調査することによって古代史を推理していったとの意が記述されています。

しかしながら原田は、西暦712年以前に対象となる神社が存在したという事実がいかなる資料に基づくのかをどこにも述べていません。

西暦712年以前に存在した神社を研究の対象とするなら、その神社自らが主張する以外の古典籍や考古資料などによって、その神社が西暦712年以前に存在しただろうことを証明する必要があります。

★2
次に原田は、当該神社に残るどのような資料を用いたかにも正確には触れていません。例えば神社の祭神を論じるならば、「○○神社に残る西暦×××年成立の◇◇という文献に祭神は△△と記されている」のように表記することが必要なのはいうまでもありませんが、原田の論の中で良く使われる文章表現が「○○神社に祭神△△と記されている」というものです。

歴史学の中で神社を取り扱う場合は、延喜式神名帳が参照されるケースが多々あります。が、神名帳を所収する延喜式の成立は927年であり記紀よりも新しく、またそこに掲載される神社には祭神(延喜式神名帳成立時点での)が正確に表記されません。どのような理由からか原田はこの貴重な資料を一顧だにしない態度をとっています。

★3
さらに、原田の論のなかでは当該神社の祭神の構成を重要視している様子ですが、それは原田が調べた時点、同書が発行されるにあたって原田が資料を収集した時点の内容であり、平たくいえば1970年代年(昭和50年代)の当該神社の祭神でしょう。

古代から現代までの歴史の中での諸事情により、神社の祭神が変化して来たことは多々ありますが、それにほとんど触れられていないことは、これも問題の多い論だといえるでしょう。原田は、当該神社の創建当時の祭神が正確に確認できる資料を用いているのでしょうか?

★4
上記を簡単にまとめると、原田の論に対しては次のような疑問が提示できることになります。

・当該神社が712年以前に存在したことが正確に分かるか?
・その神社に残るどのような資料を用いたか?
・その資料は712年以前にさかのぼる内容を正確に伝えているか?

後々の文脈から見るに、原田が参照した資料とは「神社名鑑」あるいはそれ的な図書館などで参照可能な書籍や、各神社の由緒書き、または神社庁に届け出ている各神社の社伝の類ではないかと思います。どう見ても文献批判がなされた古文献や、参照するに足る資料を用いたようには見えません。各神社の由緒書きや社伝の類が古代史研究の資料として用いることができるかどうかは、記紀や先代旧事本紀、古史古伝と呼ばれる一連の資料群以上に、厳密な資料批判が行われた上で考えられるべきものでしょう。

同時に、用いる資料は第三者によって確認できる物であることが非常に重要です。第三者がその資料を確認することが不可能な場合、原田の脳内のみにある資料を基に論を組み立てたのかとの疑念すら持たれます。資料が不明確であることは、原田の論を検討するにあたっての致命的な問題点となります。

●推論-恣意的論法●

同書「古代日本正史」から、ニギハヤヒという神格がオオモノヌシ神と同一であると原田が結論するに至った過程の問題点を見てみましょう。

36ページおよび、164ページの「解明の鍵」に、『この古代の調査で一番難関だったのは、古事記以前の天照大神、即ち「天照国照彦火明櫛甕玉饒速日」であった』として、古文献や祭神名に登場する可能性の限りなく低い「櫛甕玉」と「櫛玉」を混同した名を紹介しています。

以降の別ページでそのこと、つまりオオモノヌシ神とニギハヤヒを同一とすることについての原田の論が進められますが、それは古代史研究に不十分どころか不必要この上ないものと言わざるを得ません。それが167ページの「七人の大神」以降の項目となります。

『代々の天皇が参拝されたという神社を調べ』、各神社の祭神の中に『代々の天皇が参拝されるほど特別に偉い人』を探し出すことを日本史解明の鍵と考えています。原田のいう「七人の大神」を同書から抜粋します。

 1.大神神社   大物主大神
 2.石上神宮   布留御魂大神
 3.大和神社   日本大国魂大神
 4.熊野本宮大社 家都御子大神
 5.賀茂別雷神社 賀茂別雷神
 6.日吉神社   大山咋大神
 7.籠神社    彦火明命

この7人、実はすべてがニギハヤヒの別名であると原田はいいます。それは次のような論法によって導き出されます。

ある神社にA神とB神という神が祀られている場合、そのA神とB神は親子の関係にあるとまず考えます。次に、別の神社にA神とC神という神が祀られているときA神とC神は親子であると同時に、B神とC神は同一神(人物)だと考えます。また、Dという神の名を冠した神社の祭神がAであった場合、D神とA神は同一神(人物)だと考えます。

その論法を神社の祭神に適用すれば、さまざまな神を手あたり次第ニギハヤヒにあてはめることが可能になります。かなり乱暴な論だといえるでしょう。

原田の論の組立のうち、本稿筆者が最も否定的な興味を持つ、つまり最も納得しがたい「大物主神=饒速日説」の部分を見ていきます。

まず大神神社にて、『大物主と、大国主が並んで祀られている以上、両者は別人である』と原田は見ます(169ページ)。

そして・・・

■栃木県総社市の大神神社
  (祭神)倭大物主櫛甕玉命
■群馬県桐生市の美和神社
  (祭神)建速須佐之男尊 大物主奇甕玉尊
■島根県八束郡の来町待神社
  (祭神)大物主櫛瓶玉命

これらの祭神から『「大物主」は「櫛(奇)甕玉」という名で、素佐之男の近親者であることの見当がついた』と見当をつけています。どうやら原田は、美称という概念を用いていない様子で、「クシミカタマ」を限りなく固有名刺に近い名と見ている様子です。



次に・・・

■愛媛県北條市 国津比古命神社
  (祭神)天照國照彦火明櫛玉饒速日尊 宇摩志麻治命
■兵庫県竜野市 井関三神社
  (祭神)天照国照彦火明櫛玉饒速日命 瀬織津姫命 建御名方命
■福岡県鞍手市郡宮田町 天照神社
  (祭神)天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
■久留米市大石町 伊勢天照御祖神社
   (祭神)天火明命

以上の各神社の祭神を羅列して、『日本書紀・古事記以前の「天照大神」は現在の伊勢皇大神ではなく、この饒速日だったことが判明した』とします。同時に『櫛甕玉の大物主も、この饒速日尊であることが判明』と主張します。

更に・・・

■兵庫県竜野市竜野町日山 粒座天照神社
  (祭神)天照国照彦火明神
■奈良県磯城郡田原本町八尾 鏡作坐天照御魂神社
  (祭神) 天照国照彦火明命

と、次々と『天照国照大神が発見され』、『日本古代史解明のヤマを越した』とのことです。

自説に都合良いサンプルのみを採集している様子です。通常、この種の論を進める場合は、自説に都合の悪いサンプルをも含む多数のサンプルから共通要素を見つけ出し、一つの結論を導く帰納法的な推論が望ましいはずです。

しかしながら原田の論は、1件またはごく少数の例をもって古代日本史全体に当てはめていくというふうに見受けられます。オオモノヌシ神がニギハヤヒであると考えるにはサンプル数が少な過ぎ、当該神社の祭神名が創建当初より現在まで変わらずにあるかという検証もなされていません。

そして突き詰めると、オオモノヌシ神をニギハヤヒであると見る根拠は「櫛甕玉」と「櫛玉」が同じ名であるということ以外に存在しないことが読み取れます。それは非常に乱暴で恣意的な解釈であり、その根拠は極めて脆弱です。

「大物主神=饒速日説」を古代史上の説とすることは、本稿筆者としてまったく支持できません。





大物主神は饒速日ではなく・・U
大物主神は饒速日ではなく・・V




以下は当サイト外のページですが、
大変参考になる内容なのでぜひご参照下さい。


異名同神説への疑問 神奈備さんのサイトから
異名同神説への疑問2 神奈備さんのサイトから



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