++ 2002年1月からのつぶやき ++

2002年3月21日(木)はれ
 週の中のお休み。たった一日のそれが今の心には本当に大きな休養になる。
晴れた春分の日。朝から強い風にベランダの鉢植えも葉を揺らされて不安げです。マンションの前の桜はもうつぼみがはちきれそうです。
 春のスカートを探しに出かけました。今はいてる部屋着のスカートが、子供たちに引っ張られてもう破れてきてるんです。ひどすぎ。
思ってたのとは違ったけど、とりあえずいいのが見つかった。それだけでここのところのブルーが少しましになったみたい。なんて単純なんでしょうね。でもそんなものでもいいか、とも思っている。

実はそれだけでもなくて。実現するかどうかわからなかった北海道旅行、何とか行けそうなのです。1号も足を地面につけられるようになってきたし。
 会社の後輩に誘われてたスキー旅行。「1号の足がどうなるかわかれへんしそんなん無理やよ。」「ぎりぎりになってキャンセルになるかもしれへんよ」って言ってたけど、ここまできてせっかくの旅行、やめるのもなぁ。1号も今年はゲレンデデビューしたいみたい。雪遊びだけでもいいかと思って決行することに決めました。

 ぱぱのじんましん、1号の入院・手術、ぱぱのアトピー、2号の熱、1号の甘えん坊、2号の甘え、二人の間に立ってきりきり。ホコリやチリを気にしてきりきり。立てなくていらいら、甘えたくてしょうがない1号。それを見てる2号。たった2週間、3週間と言っても大きなストレスになっていたのでしょうね。叱る事ももううんざり。掃除機をかけてはおもちゃを散らかす子供達にピリピリ。

 小さなことを気にしていてもしょうがない。きっとそのうちいいめぐり合わせになるさ。やっとそう思えるようになった。ただそれだけのことにも時間がかかっちゃったなぁ。春が連れて来てくれたのかなぁ。



2002年3月19日(火)はれ
 1号、術後2週間の診察。いよいよ抜糸なのです。「もう少しもうちょっと」と言い聞かせてきたから、2週間が本当に待ち遠しかった。
朝から行った病院。看護婦さんに押さえつけられて糸を抜く。「こちょばいよ」「ちょっとちくってするかもよ」と前もって教えておいたせいで、眉間にシワを寄せながらもじっとおとなしく我慢しています。私はと言うと、横で手を握っていてあげることもできず、先生の手元を見つめて痛そうな顔をすることもできない。早くして、早く終わってあげて・・・。
「えらかったなぁ、じっとしててくれたからはよおわったでー」
「かしこいねー、がまんしたねー」
「がんばったねー」
先生や看護婦さんに口々にほめられて、シワをよせながら得意げな複雑な顔の1号。

2.3日したら立つことから少しづつ始めてもいい、お風呂は3日後から、しばらくは家で消毒すること、そして、もう通院も必要なし!
「やったー!!」
家に帰ってちょっとだけこっそり立ってみた1号。まだやっぱりすこーし痛いのか、すぐに今までのハイハイスタイルに戻りました。急がんでもいいのよ、ゆっくりいこう。ままがついてるから。



2002年3月16日(土)はれ
 また暖かい週末。まだ歩けない1号と風邪気味の2号。朝から病院、昼から野球のぱぱ。行動が限られてるわりに、したいこと、できることの差があって、コドモもママもいささか疲れ気味。ぱぱもどうも万全じゃない。
 
 先月出ていた湿疹がまた出てきたのです。今度は全身に。絶対にただのじんましんじゃないから、と病院に送り出したらやはりアトピー。アレルゲンはハウスダストという結果だったのです。

「ホコリじゃ人間死なへんよ」と他の事を優先させてきた私にとってちょっとショックな結果だっただけに何だか神経質になってしまっているよう。毎日掃除機かけてふきそうじして、ホコリを見るだけでキリキリする日々。私が気にしても仕方のないことなのだけど、しんどいことっていうのは続いてしまうもんなのかな。



2002年3月13日(水)はれ
 先週末から少し咳をしていた2号。ついに風邪を引いて38℃の熱を出してしまいました。朝から行った病院ではインフルエンザの疑いもないとか。安静にするようにと言われてたのに、久しぶりに1号と2人で遊べるのがうれしいらしい。走り回って遊んでいます。「2号はお熱!1号は足!しずかにすわってなさーい」という私の声も聞く耳持たずの兄弟です。
 お昼ご飯の後、ようやく疲れてきたのか、ぐったり抱かれてきました。「子供はじっとしてなくてもいい。じっとしてたら病気」ってホントやなぁ。
久しぶりに甘えっ子で抱っこがうれしい2号。ずっと我慢してたもんね。しっかり抱いてあげよう。



2002年3月9日(土)はれ
 退院して3日。毎日の通院もひざで歩くのもだいぶさまになってきた1号です。最初は消毒されると泣いてたけど「こちょばい」と笑うようになりました。さすがに子供、傷の治りも早いよう、「順調にくっついてきてる」そうです。となると、動きたいのは当然。
8日の夕方にはルビーちゃんが来てくれたけど、天気のいい土曜日、公園に行きたくてしょうがないのです。「やきゅうしたい」「ぶらんこのりたい」「お砂場あそびだけでもいい」それでも私は「まだだめ。もうちょっと我慢しよ」というしかなく、気分転換に買い物に出かけました。帰りにろこちゃんの家にお見舞いのお礼に寄って。ちょっとだけ納得した様子の1号でした。



2002年3月6日(水)はれ
 手術翌日の朝。今朝はみんなといっしょに朝ご飯も食べられるとあって、うれしい1号。ディルームで「かりんちゃん」といっしょに食べました。すっかりお兄ちゃん気取りの1号。「ほらお兄ちゃん食べてんでー。かりんちゃん食べやー」と世話を焼いています。
 9:30に皮膚科外来で診察。担当医に「退院してもいいですよ」と許可をもらう。やったー。そのかわり毎日消毒・経過観察に通うんだけど、それだけのために入院してるなんて大変すぎるもの。
 10:00。病棟に帰って退院の連絡を待っていたら、保育園のお友達、ルビーちゃんがお見舞いに来てくれた。1号の一番大好きなお友達。車椅子を見てちょっとショックだったかな?
 10:30。退院の手伝いにおじいちゃんが来てくれる。精算をしておじいちゃん家に。ぶーちゃんといっしょに買い物に行って家に帰りました。たった3日だったけど、家に帰ってきてうれしかったみたい。おもちゃを全部出して遊んでいました。

 とにかく無事に終わったという事にほっとしています。
それから、病気やけが、障害があることの大変さを改めて知りました。
車椅子、松葉杖だって普通に生活できることのありがたさ、その立場になってみないと判らないことってまだまだいっぱいで、大事なことってほんとに世界にまだまだ満ち溢れているんだなぁと思います。

狭いマンションで車椅子での生活なんて無理。部屋の廊下は車椅子で移動できるような幅ではないし、部屋にもマンションにも小さな段差がいっぱい、手の届かない高さにいろんなものがあるし。
子供だから軽くて抱っこである程度はこなせるけど、介護や障害の問題を考えてしまいました。

いろんな立場で生活することの大変さ、普通に生活できることのありがたさ、様々な見方のできる子供に育てたいなぁ、そう思った出来事でした。



2002年3月5日(火)冷たい雨
 眠れない夜が明けて、手術当日。ぱぱは仕事を休んできてくれる予定です。
6:30 起床
病棟の電灯が点くと目覚めた1号。       
夜中に一度起きたせいか、機嫌が悪い。
ディルームでTVの「おかあさんといっしょ」を見て
時間をつぶす。
8:30 手術麻酔前のシロップを飲む
とろんとして眠くなるって聞いてたけど、全然?!
8:45 ぱぱと義母が来る
9:05 手術室へcall
ベッドではなくて抱いて連れていく
9:10 手術室にはいる。
服を脱がせてままは出てくる。
麻酔が効くまで一緒にいられるのかと思ったけど、
着替えて「ばいばーい」。
「今から眠るからね」と言うと1号は笑ってた。
待合室で3人で待つ。どれくらいかかるのかしら。
心配で落ち着かない。
10:20 「お母さーん」と手術室へ呼ばれる。
「麻酔から覚める時は興奮状態にあります。
子供さんの場合、大抵泣いてます」と説明を
受けてたけど、わんわん泣いて泣き止まない。
とにかく服を着せて抱いて部屋まで連れて帰る。
部屋に連れて帰っても興奮状態はさめない。
10:50 「3時まで酸素吸入」との事。
11:00 まま食事に行く。何だか私がぐったり。
(私がいなくなった後で「1号がんばってん」
って泣いたそう。帰った後、パパ・義母と交代)
11:45 交代。1号は少し眠ってその後また泣いた。
13:00 水を飲むテスト。OK。その後食事。
14:30 お母さん、直ちゃん、ろこ、ぶーちゃんが来る。
14:45 酸素外れる。(1号が外してと泣いた)
15:30 直ちゃん達、帰る
16:00 義母帰る。病院内を散歩中、にゃあのに会う。
17:00 まま、ぱぱと交代して買い物。
18:00 夕食
19:00 面会時間終了。ぱぱ帰る。
21:00 消灯・就寝
 
 麻酔のさめる時、興奮していると聞いていましたが、やはりかなり辛かったようです。それでも昼食を持ってきてもらったころには落ち着いてすっかり元気になっていた1号。看護婦さんにも「えらかったねー」「がんばったねー」とほめてもらい、それなりに自慢そう。
 手術のあと、車椅子での移動がうれしかったみたいで、「まま車椅子乗せて」「まま車椅子で〜行きたい」と何度もねだっていました。といっても行けるところも限られていて。病棟内、病院の受付付近、売店、外来の診察付近。とにかく時間をつぶすのに苦労しました。
外来を散歩していて、偶然にゃあのに遭う。産婦人科に2人目ができたということで来ていたそうです。さくらちゃんも大きくなっていたけど、まだまだ手がかかりそう。
 
 夜、TVを少し見て今日は素直に寝ました。やっぱり疲れてたんやね。こんなちっちゃい身体やもん。がんばったね。



2002年3月4日(月)はれ
 入院の日です。朝から2号を保育園に送っていってあとは入院準備。お迎えをいつ誰に頼むか、食事は、お風呂は、いろいろと根回しをしてスケジュールも万全。今度こそ延期になりませんように。
 お昼、ご飯を食べておじいちゃんに送って行ってもらいました。今回は前回の教訓から、途中のスーパーで必要なもの(食事、お風呂の用意、お茶とかティッシュとか)を買って到着です。
 
13:00 到着・入院手続き
書類記入
(担当医による)手術に関する説明
付き添いベッドの貸し出しについて
使用料支払い
その後、自由に。
1号といっしょに売店に行ったり、病棟を見たり
16:00 (執刀医による)診察
手術OKが出る
あと、「ほんとなら2週間入院」「手術翌日も
安静」「退院は2,3日して」といろいろ脅される。
(後でこっそり担当医に聞いて、翌日退院の
お墨付きをもらう)
16:30 お風呂に入る
18:00 夕食
ままもいっしょにおにぎりと買ってきたお惣菜を食べる
18:30 おっちゃん(ろこちゃんのパパ)が来てくれる 
20:00 ディルームでTV
(食事ができるテーブルがあったりTVが見れる
フリースペース。1号は前回も今回もこの部屋に
本当にお世話になった。部屋のTVはイヤフォンで
聞かないとだめだったから)
21:00 病棟内の電灯が消えて消灯
しばらくぐずぐず言って絵本を読んだら「おやすみ」

 今回は、前回と同じ3B17という病室、4人部屋でした。前回は同じような小さい子(2歳?)がいたのだけど、今回は4人部屋に子供は1号だけ。この病院の病棟は循環器系の科と同じなので運動制限のあるようなしんどい状態の人がいます。だからとにかくできるだけ部屋にいないで外で暴れさせるように注意しました。
 同じ皮膚科にレーザーの手術を受けるという、「かりんちゃん」という1歳9ヶ月の女の子もいっしょでした。「かりんちゃん」はまだ小さいのとお母さんのお腹が大きいのとで、お父さんもいっしょに個室で入院。「大変ですね」といる間にいろいろお話をしました。
 


2002年3月3日(日)はれ
 ひな祭り。今年は玄関に棚を作ってお雛様を飾ろうと思っていたのだけど、結局作れずじまい。お雛様の和菓子だけ食べて終わってしまいました。
 1号入院前の週末。お天気がよかったので朝から公園でひと遊び。買い物に出かけました。
 スーパーで見つけた、桃のワイン。ぶーちゃんが「甘くて飲みやすいー」というので買って帰りました。が、私にははずれ。甘すぎて食事が進まず。結局ぶーちゃんにあげてしまいました。
 明日はいよいよ入院。鼻水もほとんど止まってるし、よし。がんばろうね。


2002年3月2日(土)はれ
 1号、入院前の検査です。
そう、去年おたふく風邪にかかって延期になった、母斑切除の手術が来週あるのです。採血はさすがにつらいらしく「病院に行く」というと「注射(採血のこと)しーひん?」と聞くくらい。
 今度もやっぱり泣きました。でも「えらかったねー、がんばったねー」と言われて少しお兄ちゃんになったかな?すぐに泣き止んで「まま、アイスクリーム食べようよー」ですって。
 幸い、採血、レントゲンともに問題無く、このままいけば今度は何とか手術できそう。少し鼻水出してるけど、当日までに何とか治りますように。
 なお、今回は朝一番の手術。9時からなので夕食後、夜9時から絶食です。といっても、朝起きてすぐに何も口にできないということで、すぐに手術に入るので、まあまだいいかな。前回は12時からの手術に朝食抜きだったからつらかったー(しかもそれで手術取りやめになったし)。

 夕方、市の開催する、O157対策マニュアルに関する話し合いがありました。市のやり方にも保護者の側にもまだまだ足りないところがあるようで、私達と行政側との意思が完全に通じ合えたというわけではなかったようです。
 それでも、やっぱり人って本当に様々でいろんな考え方がいろんなところであるんだなぁ、だから意識をひとつにするって本当に難しいことなんだなぁ、改めて感じたのです。



2002年2月26日(火)はれ
 去年の冬先から続いていた、毎週の東京出張。ついに最後になりました。私の担当している仕事は、比較的短期でいくつかのユーザーを掛け持ちすることもある、長期的に拘束されない種類のものが多いのです。
 今回も同じ、約3ヶ月で完了しました。エンドユーザーは東京八重洲にありますが、いっしょに組んでやっている人は、うちとは関わりの深い会社の方たちでした。私は以前にもご一緒したことがある方もいたし。
 何年ぶりかの泊まりの仕事もあって、とても充実した楽しいプロジェクトでした。仕事は結構きびしい、つらい立場だったのだけど、最終的にはエンドユーザーとも何とかいい関係を築けたようです。

 いっしょに仕事をした方とはオフィスも近いし実は家も近いのです。一度スーパーで偶然お会いしたことも。「またごいっしょできたらいいですね」「いい仕事ができてよかったです」

 こういう仕事をすると、やっぱり辞めたくないなぁ、もっともっと続けていたいなぁ、本当に楽しいなぁ、仕事って。そう思ってうれしくなってしまう。いつもいつもこういう仕事に当たればいいのだけど、そういうわけにもいきませんね。もう絶対いやだ、絶対もうやりたくないと思うことも時としてあると思うし。それでも私はすごく恵まれた環境にいて、今までそんな思いをすることはあんまりなかった。とっても運がよかったんだと思う。
 そうそう続くことではないけれど、またこんな仕事ができたらなぁ。つくづく思う今回のプロジェクトでした。


2002年2月22日(金)はれ
 今月はじめから続いているぱぱのじんましん。一向によくならず、だんだんとじくじくしてきました。首の後ろ、腕のつけねは少しましになったのだけど。スーツの縫い目が触れるところやひざの後ろ、弱いところがひどくなっているようです。
 夜中に掻いてるみたいで、朝になるとひりひりする、と。一度行った病院に行くように言いました。気が進まないようだけど、治らないことにはしょうがない。しぶしぶ行きましたが、塗り薬、飲み薬をもらってとりあえずは満足して帰ってきました。
 何より大事なのは、今の状況をきちんと診てもらい、的確な判断をしてもらうこと。素人考えで薬を止めたりすることが一番よくないようです。
 インフォームドコンセント、といいますが、判らないことは説明してもらう。相手の言うことが納得できなければ、納得できるまで聞く。自分の身体ですもの。信頼できる医療でなければ、託せませんものね。

 


2002年2月19日(火)はれ
 今日は1号と2号の参観日。二人とも前日からずっと張り切っていて、何をするにも「あしたおゆうぎできひんくなるでーー」と脅すと「いややーできるー」。
朝、まず二人を送っていって車を戻してから歩いて出かけます。今回はぶーちゃんも誘って、ぱぱ、ままの3人です。張り切ってるのはこっちの方かしらね。
9:40になってリズム室ではじまったお遊戯。2号のクラスは今年みんなが大好きだった”ねずみの電車”の劇遊びです。耳をつけてしっぽをつけて。ちっちゃいけどにこにこしています。


1号のお遊戯は”もりのかくれんぼ”。セリフもいっぱいあってうたもうたいます。1号は他の(子の役の)セリフまで覚えていて、前日の夜一通りやってくれました。1号も耳をつけてくまの子になってうれしそう。
「くまのこみていたかくれんぼ〜」手話でうたいながらがんばってるよー。


見終わった後「1号ーじょうずに言えたねーー」とほめてあげると「そうやろー1号かっこいいねんでー」と得意げです。
しばらく暖かかったのに、その日だけ雪の舞う寒い寒い一日。運動場でも遊びましたがあまりに寒くて途中で打ち切り。それでも大満足のふたり。家に帰ってからも何度も「1号達のビデオみせてー」とみてはいっしょに踊っていました。

 


2002年2月14日(木)はれ
 バレンタインはチョコの日なんていったい誰が決めたんでしょうね。日本の製菓業界が最初は「ケーキをあげる」なんてイベントを思いついたとか。
まあそれはいいとして、年中行事の一つとして私もチョコレートをあげることがあります。去年は子供たちといっしょにバースディテディをあげたなぁ。(もちろん自分のも買った。しかも自分のだけはちゃんと誕生日のを見つけたのだ)今年はキットになってるチョコレートケーキとテンパリングして固めるだけのくまさん型のチョコ。
13日の夜にケーキを焼いて14日みんなで食べました。あんまり期待してなかったんですけど、シロップを塗ってちゃんとナッペしたらまあまあいける味。粉と卵と牛乳を混ぜるだけでなかなかよかったです。来年も作ってみようかしら。

 


2002年2月11日(月)はれときどきくもり後雪
 東京出張から帰って翌日。奈良は寒い寒い月曜日。1日中雪が降ったりやんだり。子供たちも寒くて外に出たがらないのに、身体を持て余しているので。
信貴生駒スカイラインにドライブに出かけました。山の上はさすがに風も強くゆきがいっぱい。大はしゃぎで雪合戦をはじめるパパと子供たちでした。

 


2002年2月10日(日)はれ
 久しぶりの東京泊まり出張。日帰りは毎週行ってるんだけど泊まるのは1年以上してませんでした。土曜日の朝6時に家を出て現地直行。ホテルとユーザーの行き来だけで他にはどこにも行かなかったけど、少し歩いてたときに見つけたコーヒーショップ。道路のこっち側とあっち側に向かい合ってあるんです。こんなんありかなーと思いつつ。入ろうと思ったけどまだあいてなかった。残念。

 


2002年2月7日(木)はれ
 お手伝いが最近大好きな2人。先日スーパーで「お豆食べたーい」というので「お手伝いするんならいいよ」と買いました。で、お手伝い中の2人です。
といっても半分以上私がむいたんですけどねっ。でもできあがったほかほか豆ごはん。「あーおいしいわー1号がむいたからなっ」「2号もおいちいー2号おまめむいたー」と自慢顔なのでした。

 


2002年2月3日(日)はれ
 いつかは家を建てたいなと思っている私。いいなと思う家やショップのインテリアなど写真を撮ったりしてストックするようにしてるんだけど。

私の割とすきなお店のインテリア。籐のソファ(家にもあるけど)いいなぁ、後ろのキャビネットも素敵です。ちなみにこのレストランのここのところはサンルーム?になっていてとっても明るいのです



もうひとつ。森の中の小人の小屋みたいな雑貨ショップ。それに昔の古い学校みたいなカフェスペース。

外観についてはまだまだ好みがごちゃごちゃしていてはっきりと”これ”というようなものは決まっていません。ただ、希望はあって。フレキシブルな大きな空間。用途を決めてしまわないスペースやもの使い。それに長く大事に使える素材。
理想は100年だけど、せめて生きてるうちに建てかえないとだめになるような家は建てたくないなぁ。新しかろう悪かろうではないでしょうし、古い=いいではないとも思うけど、スクラップ&ビルドの精神はやっぱり好きではないと思うのです。


2002年1月31日(木)はれ
 通勤途中の電車の中。
 あまり混んでないせいなのか、入り口のドアにもたれて座っている男の子がいます。
 「若者がすぐに地べたに座る」といわれてしばらくたつけど、やっぱりいつ見てもいいものではないなぁと思う。
 そして電車が駅に着く手前で携帯で電話をかけ始めた。静かな車内だったからすごく目立つ。
駅に着くから話し出したのかなって思いきや、降りないでずっとしゃべってるのです。
 それも友達の誰かが風邪をひいたらしいから、今日は行かれへんねん、いちおう知らせとこうと思ってなー。あいつなー熱が37.4℃もあんねん。今日寝とけって言ってんけどなー。うん、一応知らせとこうと思っただけー。ほんならなー。また後でなー。ばいばいー。
そんなこと、今この電車の中で地べたに座って携帯で話さなあかん事なんか?!
 小さいことにマナーを知らんのかと憤ってしまう。こういうのって年齢のせいなのかなぁ。やっぱりマナーは守らなあかんし、それはやっぱりマナー違反やと思うんやけどなぁ。
(彼ね、とってもよくとおる、いい声の男の子だったんだけど、あの電話で台無し。だめ!)


2002年1月30日(水)はれ
 新幹線に乗って今日も東京へ。 
 ずっと読みたい本がたまってたんだけど、それも毎週の東京行きでほとんど読んでしまいました。
 それでもちょっと読んでなかったパリの本(薄くてイラストがいっぱいの。また行きたーい)1冊だけ持って、あとは窓からずっと外を見てた。
 関が原のあたりは、一面雪景色。雪(雨)のあとで空気が澄んでいるせいか、富士山までくっきりと見えた。今日はちょっとうれしい。
 私は車でドライブでも飛行機でももちろん電車でも外の景色を見てるのが大好き。「ああ、この窓の外にも生活がある」そう思うとそれを見過ごすことがもったいないとさえ思う。

 「あ、あの会社のビルの屋上、女の人が一人立ってる。この前は男の人が3人話しこんでたなぁ」「うわあ、こんながけの上の家。見晴らしいいんやろうなぁ」「この恐竜のオブジェ?いつからあったっけ」
 今日の発見。米原を出て少しの帰り途。山の手前に固まって建っている小さな家。最近建ったのね。グレー、茶色、カーキ、ベージュ、抹茶色、空色、ラベンダー色。何軒かの家の外壁がこれらの色で塗り分けられてるの。
「私の家は一番端のラベンダー色の家」なんて言っちゃったりするのかな?
ああ、これがあるからやめられない。
これですよ、これ。
やっぱり”富士は日本一の山”ですよ。


2002年1月20日(日)はれ
 ちょっと保育園つながりづいてる私。
今週はかいりちゃんママと2回ランチ、ルビーママとはおうちにお邪魔しておしゃべり、そして今日はうきょうくんがままといっしょに遊びにきました。
 そうそう誰とでも話を合わせられないほうの私はこの出会いをとても大切に思っています。「お付き合い」という言葉ではなくてお付き合いできればいいなぁ。
 今日も保育園の話から雑貨、インテリアの話など、3時間以上、おしゃべり、お食事して楽しい時間を過ごしました。あー、こういうのが心の栄養になっていくのよね。

 その前日、kuruminokiフィールディズ店に遊びに行きました。ここは奈良では結構大きなスペースでお店があるので、1号や2号も楽しい場所。といってももちろんお店の中には怖くて入れられないので、店の外で走り回ってもらっている間にささっと見るのだけど。
昨日はぽかぽかと日差しが強くて暖かい日だったので、ぱぱもベンチに座ってのんびりしてたそう。
このベンチで座ってたんだって。
雰囲気のあるエントランス付近


2002年1月14日(月)はれ
 3連休の最終日。お母さんたちといっしょに深井のおばあちゃん家へ。
 うちの車に7人で乗り込んで大騒ぎしながら到着。おばあちゃんは年末にひいたという風邪もすっかりよくなった様子で元気にしています。
 お昼を食べて楽しく遊んでいるうちに、うらに住んでいるサナちゃん、モネちゃん姉妹とジュンコさんが帰ってきました。
サナさん、モネちゃんは1号と2号のちょうどあいだ。4人が年子で並んだ状態です。
 すっかりお兄ちゃんお姉ちゃん顔の1号とサナちゃん。2号はその二人についていきたくてしょうがない。モネちゃんはまだ足元がおぼつかない。
 それでも広い家の中をろうかや座敷や走り回って大騒ぎの運動会。おばあちゃんには「やっぱり男の子は動きが違う」などといわれてちょっといい気の1号でした。

 そういえばここに出入りする小さい子は女の子ばっかしだ。おばあちゃんからすると孫の子、つまりひ孫なんだけど、まさこちゃんとこは女の子二人、まさきちゃんとこも女の子二人、うらに住んでるジュンコさんとこも女の子二人。おまけにしょっちゅう顔を出す孫(私のいとこ)はちいちゃんにまきちゃん。
 いやいや恐ろしいほどの女系家族に、なんでうちは男二人やったのかな。まあ、かわいがってもらえばそれでいいか。
くたくたになるまで走り回って、帰り道はすーすーおやすみの二人でした。


2002年1月10日(木)はれ
 1号5さいのお誕生日。生まれてから5年もままに幸せを運んでくれてありがとう。これからももっといっしょに楽しい時間を過ごそうね。

 木曜日はいつも車がないので、ぶーちゃんやおじいちゃんにいっしょにお迎えに行ってもらいます。今日もそうだから、と歩いてかえる途中、なんだか片方の車線だけやけに車が多い。それにパトカーもいる?あ、おまわりさんが何人か走っていく・・・。
 お母さん家の坂の下のバス停で大型トラックと路線バスが衝突するという事故があったらしいのです。それもバス停から出ようとしたバスに後ろから走ってきたトラックが突っ込んだとか。
 トラックは左の前がぐしゃぐしゃ、座席までへこんでいます。バスは後ろから押されて電信柱に衝突。前もぶつかられた後ろもぺっしゃんこ。
大きなケガをした人はいなかったそうですが、ほんとうに怖いことですね。安全運転しましょうね。


2002年1月6日(日)はれ
 ちょっと早い1号のお誕生日パーティをすることにしました。1月10日生まれの1号。今年は週のまんなか(木曜日)なので、先にしてしまおうと。

 お誕生日は一応好きなものを、と思ってるので「ごはん、何がいい?何でも好きなもの」というと(前ほかのところで書いたんだけど)「てんぷらの入ったおそば!」と。もしかしてこれは年越しそばがいけたらしいなと思いつつ、「なんかほかのんは?」「じゃあ、ぞうすい!」「え・・・。ほかは?(力無く・・)」「しゃーないなー、ラーメン」やって、鍋の後のものばっかし。しょうがないのでちゃんこ鍋にして最後にラーメンを入れることにしました。
 プレゼントはこれもなんでも好きなもの。普段そういうことを言われなれてないせいか、おもちゃ売り場に行ってもどうもちゃんと選べないのです。
 「これ欲しいー」「あ、やっぱりこっち」さんざん悩んで、仮面ライダーアギトシリーズの”ギルスレーダー”がいいということになりました。でも最初に行ったジャスコにはおいてなかった・・。
で、トイザラスまでドライブ、途中で寝てしまった子供を置いてパパに見に行ってもらったけど、やっぱり置いてない。次に赤ちゃん本舗。今度は1号を起こしていっしょに見に行かせませした。するとやっぱり置いてない・・・。

  落ち込んでしまったのを見るにしのびず、歩き回っているうちにちょっと違うものが目についたようです。ZOIDに出てくる”ライガーゼロ”。「これにするーー」と飛びついてやっと決まり。
 セールで半額近い値段がついてたけど、喜ぶ顔が見れてよかったです。

(その後。組み立て式って書いてたけど深く考えてなかったら、なんと1cmくらいのパーツが何百と入ってて・・・・。3時間かかりました・・・。)


2002年1月4日(金)はれ
 仕事始めです。私は子供達といっしょに休みをとって、今年も9連休の年末年始です。お勤めのパパやみなさん、ごくろうさま。

 昨日は正月恒例鍋尽くしのゆうべを実家で過ごしてまいりました。お昼過ぎにやってきた石橋さん一家。夕方になってかにだけではさびしいだろうと新メニューを披露してもらうことに。(これはね、電話で話した父が悪いんです。石橋さんは「ほかに何かするんやったら鶏でも用意しといてください」って言ってたらしいのにそれを誰にも話してなかったの。おかげできてすぐ石橋さんは買出しに行くはめに。)
 今年はカニすきと、鶏だんごと唐あげの中華風。しょうゆと鶏がらベースの濃いだしに唐揚げやだんご、お野菜(ちんげんさい)をたっぷり入れるんです。これなんでもTVでやってた程先生レシピだとか。
これがまたおいしいの。唐揚げ?えー?っと思うでしょう。唐揚げがあるからおいしいのです。鶏だんごだけなら普通の鶏だんごスープなんだけど、唐揚げが入ってるからしっかり中華に。いやあ、毎年ほんとにお世話になりますよー。
 もうひとつ、定番で毎年食べるカニすきはね。もう、ほんと。もういいです。しばらくほんとにカニはもういいってくらい食べた。いやもう、あまくてやわらかくてたまらんですね。あのおいしさ。そしてみんなが無口になって。「あーたまらん」「なんでこんなおいしいのー」こんな言葉をぶつぶつつぶやくだけで幸せな時間でした。
 最後はもう食べきれなくて、蒸しガニにして全部雑炊に入れてしまってカニ雑炊。去年食べ過ぎた私は、今年は控えようなんて思ってたのに、「もう動けない」というくらい食べて、楽しい時間と3kgの体重をゲットしてしまったのでした。
 まあいいか。


2002年1月1日(火)はれ
2002年です。また1年が始まりました。
 年末に書いたけど、みなさん去年はどんな1年でしたか。今年もこのサイトでお付き合いくださいね。
 私にとって、去年は心の痛むこと、楽しいこと、いろんなことが起きた1年でした。アメリカ、NYでのテロや小学校乱入事件、えひめ丸沈没や明石市での花火大会の事故。世界にはまだまだ悲しいことがいっぱいです。せめて私の周りから少しでも幸せな気持ちが増えていけばいいなぁ。

 さて、2002年は。どのような1年になるのでしょうか。私は一応ひとつくらいは(仕事関係の)資格を取って、一人くらい家族が増えるっていうのもいいなーなどと不届きなことを考えています。
あとは、ハーブをも少し増やしたいし、子供部屋もちゃんと作りたいな。なんてこんな事を言いながら、またいつもの1年が過ぎていくのでしょうね。
今年もみんなが幸せな時間を過ごせますように。