石鹸の泡でそっとマッサージする骨が癒合したとはいえまだ少し腫れている足の親指をこんなに観察することがあっただろうか一時の不注意でひどい目に合わせたね指に語りかける自分って大丈夫?なんだか頑張っているように見えたからそういえば毎日わたしの全部が頑張っているこういうことに気づくっていうのは怪我の功名っていうやつでしょうか日々傷つくところあれば日々癒えてゆくところもある眺めていると親指の爪が顔に見えた大丈夫?