逃げた取り巻き
治多 一子
「一体、Tさんらはどうしたのかしら」
「全然来ないみたいね」
「それじゃ私達二人だけ?」
「どうも、そうらしい」
駅で電車を待つNと私はどちらからともなく話し出した。先日、東京のY先生からNに電話で、薬師寺の金堂と法輪寺の塔を是非見たいから××日に奈良へ行くと連絡があった。すぐにNからあなたもつきあいなさいよと頼まれ、これも浮き世の義理と出向いたのである。もっと大勢の人が出迎えていると思ったら、ナント私達の二人きりである。あまり意外なので、
「先生、Tさん達に御連絡なさいました?」
「ああ電話したよ。だが、みんな用事があるといっていた」
心なしかさびしげである。実はNも私も先約があったのだが、わけを言って断り本日の御案内に及んだのである。
Tたちは、先生と在校中とても親しくて、何時も先生を取り巻き楽しそうにしていた。それにひきかえ、Nと私は全然問題にもされず、それどころか始終しかられていた。だから御案内役をかって出るなんて思いもよらないことであった。
しかし、七十歳になられ、今後は何時奈良へいらっしゃるか分からないのだから出来るだけいい思い出をもっていただこうと、私達は心こめて御案内し最後に奈良茶飯で、むかしの思い出話に花を咲かせつつゆっくりと食事を楽しんだ。
先生も、とても喜んで下さって、終始ニコニコなさりながら、
「君達が、ちょうど時間があいていてよかった。本当に楽しかった」
と至極御満悦であった。実のところは私達が時間を都合していたのであったが…。
あのホイホイしていた取り巻き連が全部あっさり逃げてしまい、在校中無視された私達二人だけが、義理人情に背をむけることが出来なかったのである。
お見送りして、たそがれの奈良公園を通りながら、権力者がその座からすべり落ちたとき、バリバリやっていた人も定年退職してしまったとき、従来どおりその人とつき合う人間が一体どれだけあるのだろうか。
今お別れした、お年めしたY先生のお顔を思い浮かべつつしみじみ考えさせられたのである。
昭和51年(1976年)6月18日 金曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第1回)
随筆集「遠雷」第1編
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