戦 友
治多 一子
バス旅行の話が出たとき
「主人がおれはマイクをだされたとき、ドスを突きつけられた思いをする≠ニ言うのよ」
とYさんは言った。
私は、バス旅行は嫌いである。まず第一に、メタメタに車に酔うから。第二は、マイクが回って来たら、いつまでも眠っている振りもできず、何か歌わねばならなくなるからである。音痴の私は、同じ音痴の彼女のご主人の気持ちが実によく分かる。
同級生のFが、バスツアーに先日出かけた。その折のこと
「マイクが回って来て、みんな順番に歌っていったのよ。歌いたがりが、聞きたくもないのに何度も歌ったりして」
「あれいやね」
「老婦人の番がきたとき、その人は戦友≠歌ったの。長い歌詞をよく覚えておられてネ。みんな、しんみりと聞いたわ」
そんなにも人々の心にしみたのは、きっと、その方のご主人か、あるいは吾(わ)が子、兄弟のだれかが戦死されていたのではなかったろうか。
同じ日の午後、M先生にお会いした。海軍予備学生だった先生は、音楽に強いということで、兵隊さんに軍歌の指導をしたと言われた。その一つに戦友≠ェあったとのこと。
さすがに、あの長い詩句を全部暗誦(あんしょう)しておられる。
「一緒だった人々の何人かは戦死してしまってね…」
しばらく沈黙が続いた。ややあって
「死ぬことは怖いことも何ともない。戦友が待っていてくれるから…」
物悲しい、それでいて、悟りを得た、高僧とも先哲とも思わせる、澄んだ表情であった。
有史以来、この地球上のどこにも、戦争がなかったというのは、たった一年間だけだったという。それだって、あやしいとのこと。
友≠ヘいいものである。だが、人を傷つけ、また自分も傷つくような、戦いの場が生み出した戦友≠サの言葉は、戦友≠ニいう歌の響きとともに、余りにも悲しすぎる。
この今、生を受けた人々は、そんな言葉のない世に生きたいものである。
今日もまた、あの暑い夏を迎えて、私は痛切にそう思う。
昭和63年(1988年)7月9日 土曜日
奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第97回)
©2008 Haruta Kazuko All Rights Reserved.