遠雷(第96編)

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念持仏

治多 一子

 今日、中宮寺の山吹茶会にお招きをいただいた。無類のお茶好きのMさんと一緒である。庭園の山吹は、今、花の真っ盛りであった。
 奥御殿の席主は、遠州茶道宗家の小堀宗慶様である。お茶の心得のとんとない私にも、お道具の素晴らしさに、ため息が出た。お道具のすべては、初代遠州公のお好みで作らしたもの。それが、何百年ものあいだ、代々の家元に受け継がれている。
 「さすが家元、スゴイわネ」
と感心し、ふと過日の話を思い出した。
 ある日の午後のこと、京都駅ホームで、一人の和服姿の上品な老婦人が、突然T様の前に立たれ
 「私は、近々キリスト系の老人ホームに入ります。つきまして、母から譲られたこの念持仏をこの際、いい方にもらっていただきたく、随分お探ししておりました。ところが今日、あなた様をお見かけして、ぜひこの方にと思いました」。
 そして、さらに
 「この仏様は、お願いを、とてもよくお聞き下さいますのよ」
 T様は名刺を出そうとなさると、くだんの婦人は
 「私は、名前を申し上げません。また貴女様のお名前もお伺い申しません。ただ、今日ここで、こんな譲渡があったということでいいではございませんこと…」
 老婦人は、おだやかな笑みを浮かべ立ち去った。T様はしみじみと
 「昔話にある、仏様からいただいたというのは、このようなことだったのかも…」
 T様とは、奈良の浄土宗別格寺のご住職で、かつ長野の善光寺の副住職T尼公である。
 代々大切に受け継がれる遠州公のお道具が立派なのは言うまでもない。が、この念持仏も、何物にも勝って光を放つ物となるだろう。人と物との関係は、そういうものではなかろうか。
 縁あって、その人の物となり大切に守り続けて行くなかで、魂がこめられ、替え難い物となるのである。物を捨てること、それは心を捨てることにもなりかねない。身の回りにある伝えられたもの、また伝えて行くべきものに、教えられることが多々あるのではないだろうか。

昭和63年(1988年)6月4日 土曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第96回)

随筆集「遠雷」第47編

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