遠雷(第168編)

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生きてる?

治多 一子

 絵の好きな令子さんは、百歳になってもなお絵筆を持つ小倉さんの本を買ってから、俄然(がぜん)絵をかく気になったらしい。彼女のスケッチを見ただけですごいなあ≠ニ思う。
   「あんた、日展、夢ではないわよ」
と言い、県立美術館の絵の見学に誘った。ひと通り見て、文化会館で昼食することになり、セルフサービスなので二人分、令子さんが取りに行って下さってる間、いすに座って待っていると、ニコニコ笑って前の席に座った人がある。
 見ると、女学校の後輩、直子さんである。何十年ぶりかの出会いで懐かしく、昔のことを思い出し話していく、ふと彼女の仲間の
 「池田さんどうしてるの」
と聞いた。
 「死んだのよ、しかも、死んでから十日経って見つかったのですって」
 直子さんをはじめ、みんな明るく、にぎやかなグループであった。池田さんもデカイ図体をして、人一倍はしゃいでいた。女学校を卒業し、歯科医専に入り、その後、阪大に勤めていると、風の便りに聞いていた。大阪府出身の彼女とは女学校卒業以来、一度も会ったことがない。
 直子さんの話では歯科医院を開業し、随分はやっていたとのこと。それにともない生活も派手で、缶詰などすべて外国産だったという。宝石は求めなかったが、衣服は随分高価なのを持っていたと教えてくれた。
 引退してからなのか、資産家の彼女に財産についての遺言状を作っておけば良いのに、と言っても一向その話にのって来なかったそうだ。そして電話にも一切出てこないし、友人など訪れても家の中からじっと外を見ているだけで、絶対応対に出ない。直子さんが会いに行っても彼女の姿をのぞき見しているだけだったと言う。
 池田さんにとって、親類は何だったのか、友人とは一体何だったのか。
 何が彼女をそこまで警戒させ、孤独にしてしまったのだろうか。奈良に来ていることを、もし私が知っていたら、会って話もし、少しでも心を開いてくれるよう努力したかった。
 死後十日も経て見つけられたという池田さんの邸の、広大な地所に今、「国有地につき立入禁止」とかの立て札がしてあると、直子さんが言っていた。
 私の友人、由美ちゃんの夫君は、かつて私の同僚で先年亡くなられ、彼女は目下、病気療養中で身寄りも近くにいない。池田さんの話を聞いて以来、私は折にふれ彼女に電話することにした。ありがた迷惑かもしれないけれど。
 今日も聞いた。
 「由美ちゃん、生きてる? 元気?」
 彼女は答えた。
 「うん。まあまあや」
 彼女とは数十年来の友達である。

平成8年(1996年)5月14日 火曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第168回)

随筆集「遠雷」第65編

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