遠雷(第167編)

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アマチャヅル

治多 一子

 その日の朝、薬をもらって靴をはき、H医院を出ようとしたら、戸が少し開き、顔がのぞいた。私を見るなり、その顔はニコッと笑った。
 長い間会ってない女学校の後輩、藤山さんだ。私も懐かしさも加わり笑った。そして彼女が入って来られるように二、三歩後ずさりして待った。だが彼女の身体は一向に入ろうとしないで、依然として入り口をふさいでいる。
 「どうしたの、身体クタクタになったの?」
と尋ねると、
 「病気で動けないのよ」
と答えて、戸にしがみつきそうにしている。彼女の背後に年輩の婦人の姿が見えた。
 「いったい、何という病気なの」
と聞くと、はっきりした声で
 「パーキンソンなの」。
 病名はかねて聞いていたが、その病気にかかった人を、今初めて見たのである。彼女は
 「原因が分からないのですって」
と弱々しく言った。
 原因が分からないなら治療は困難なことだろう。話しながら、藤山さんはなかなか入ってこられない。動こうという意志があっても身体が前進しなくて顫動(せんどう)しているだけである。先刻、後ろにいた人は彼女のお姉様で、その方の助けでやっと入って来られた。
 女学生時代人一倍元気で、大柄な見るからに丈夫そうだった、あの藤山さんが、今日、こんな姿になっていようとは思いもよらぬことである。往時を思えば、今はあまりにも、いたましく悲しい。打ちのめされた気持ちで黒いアスファルトの道を歩いて帰った。
 夕方、最近動脈瘤(りゅう)で手術し、健康を取り戻した親友に、電話で用事を済ませたあと、藤山さんの話をしたら、彼女は
 「あんた、佐田さんもパーキンソン病で入院し、病院を三度も変わったのよ」
と知らせてくれた。
 「へえ、あんなに、キビキビしていた佐田さんが、そんな病気とは信じられないわ」
と言うと、
 「全然動けず、病院のベッドに横になっているだけですって」
と教えられた。
 みんな、それぞれに病と闘い、だれしも背負っていかねばならない業があるのだなあと、しみじみ考えさせられた。
 昔、校庭で、また下校の際、キャッキャッとはしゃぎ、しゃべっていた藤山さん。医院で別れぎわに、私は
 「夏、アマチャヅル採って来たら、あげるわ」
と言った。私が手足を使って採って来る薬草を進呈する以外に、彼女に何もしてあげることができないと思ったからである。
 ふと気がつくと、遥か前方に談山神社の山が見えた。その山の彼方に、アマチャヅルが生える山がある。せめて私は彼女のために精いっぱい採集して来てあげようと心にきめた。
 その日の山は、とても鮮やかに見えた。

平成8年(1996年)3月20日 水曜日

奈良新聞のコラム「風声」に掲載(第167回)

随筆集「遠雷」第66編

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